ボン旅行(2006年8月28日〜9月2日)

ハンブルク第2日目

 今日は29歳最後の日である。

 朝起きると、テレビのD:SFというチャンネルで、綺麗な女性がエロ系電話のCMをしていた。「808080」というドイツ語の発音がとてもセクシーだ。とはいえ、こんなので喜んでいるのも20歳代で終わりにすべきだ。午前6時になると同時にお色気CMは中止された。

 朝食は、ハムなどの料理がおいしかった。ヨーロッパの朝食は口に合わないことも多いが、このホテルは及第点をあげられる。

 ホテルを出ると、外は小雨が降っており、かなり風も強かった。来る前に暑いと思って薄着しか持ってきていなかったのが見当違い。寒かったが着る服がない。しかたなくコンサート用のスーツを着て出かけた。少し変かなとも思ったが、直接コンサートにも行けるメリットがある。

 まず、聖ミヒャエル教会まで歩いた。この教会はブラームスが洗礼を受けたところとして知られている。塔の高さは132m。せっかくなので階段で上ることとした。頂上はかなり風が強かったが、カメラマンやトランペットを持った「ダンディーなおじさま」がおり、「塔の頂上でラッパを吹く絵」を収録していた。彼らの目に、スーツを着た日本人はどう映ったことか。さすがに帰りはエレベーターを使用した。

 次に向かうはブラームス博物館である。ベルを鳴らして館員にドアの鍵を開けて貰う。中には自筆譜、ピアノ、当時のプログラム、ブラームスの家族の写真などが展示されており、ブラームスのCDが流されていた。窓際には椅子と机があり、そこで日本人2人が話し込んでいた。館員と話し、自筆譜のファクシミリがないかと聞いたが置いていないと言われ、展示品の写真などが掲載された厚い写真集を購入した。こういった本が帰りの荷物を重くしていくのだが。

 続いてブラームスの生地後の記念碑を探したが見つからず。5人くらいに声を掛けたが、そろってコンサートホール「ライスハレ・ムジークハレ」横のモニュメント「Brahms-Kubes」を示されたため、諦めることとした。うち1人は、「ライスハレ・ムジークハレ」から楽器を持って出てきた人で、この人に聞いてわからなければ他人から聞き出すのはまず無理だっただろう。ブラームス博物館から「Brahms-Kubes」まで歩く間に、Johanenes-Brahms-Platzという通りを見つけた。

 そこからアルスター湖まで1kmほど歩き、昼食を食べにレストランに入った。Zigeunerschnitzelを食べて、Holsten coolerというビールを飲む。ビールはかなり甘くて、カクテルのようだった。もうここからハンブルク中央駅はすぐ近くである。

 一通り腹ごしらえをして、美術工芸博物館に入った。美術工芸博物館はレストランからハンブルク中央駅を挟んだ反対側にある。入って左手には古楽器コーナーがあり、1600年〜1800年くらいの楽器が展示されている。丁度館員が展示されているチェンバロを演奏しているところで、バッハの様々な曲を様々なチェンバロで聞くことが出来た。チェンバロ毎の音の違いはわからなかったが、チェンバロには美しい装飾や宗教画が施され、神々しい気分になった。展示されているのは古楽器ばかりではない。彫像や現代アートのようなもの、趣向をこらした椅子なども展示されていた。要は工芸品を主眼として展示しているということである。こういう博物館にはなかなか訪れることがないので、趣深かった。2階では喫茶店があり、ビールを飲んだ。ビールは何度注ぎかで、徐々に足していくつぎ方で、そうすることできめの細かい味になる。帰り際に展示品の掲載された写真集と、展示されたチェンバロで演奏された古楽曲のCDを購入。

 そこからハンブルク市立美術館は駅を挟んだ反対側である。つまりアルスター湖のすぐ側ということになる。中は非常に広く、絵を見ずに一周するだけで15分くらいかかるだろう。ピカソやモネの絵や、壁一面の壁画なども展示されており、私がこれまでに見た美術館のなかで最も規模が大きかった。それぞれ一流の絵でも、並べられると存在感に差があることを感じた。名の知れた画家の作品にはやはり存在感がある。ここでも展示品の掲載された写真集を購入。

 写真集で荷物が非常に重くなり、一時ホテルに帰ることとした。ホテルで写真集をスーツケースに移し、コンサートに出かけた。

 コンサートは「Schleswig-holstein musik festival」の一環で、本日のコンサートは昼間訪れたライスハレ・ムジークハレ(Laeiszhalle-Musikhalle)で行われた。オーケストラはPhiladelphia Orchestra、指揮がChristoph Eschenbach、開始は午後8時からと遅いが、これは夏時間の影響か。一曲目は交響曲第5番(Ludwig van Beethoven作曲)。誰もが知る「運命」との副題がある。オーケストラは第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが向かい合って座る、いわゆる対抗配置と呼ばれる並び方であった。20歳代最後の夜にこのような名曲が聴けることは幸せだ。演奏としては、テンポが非常に速く、第一楽章は約7分で演奏された。速いテンポであっさりと始めたため、第一主題の印象が薄くなってしまい、この曲の構成を考えると残念であった。「ストリング」という雑誌の2006年7,8月号では早川正昭氏が「ベートーヴェンの時代のテンポは今より速かった」「平均して100年で約8%遅くなっている」との記載があり、当時の演奏を意識したのかもしれない。また、楽譜の本来の指示に従っただけかもしれない。しかし、当時と今では聴衆の耳が違う(我々は後世の曲にも耳が慣れている)、当時とはピッチ(基準となる音程)が違う、当時の楽器と異なるモダン楽器で演奏されているなどの理由で中途半端な結果になったように思う。ただ、このテンポで演奏されるとどのように聞こえるか良い経験が出来た。休憩時間は余韻を感じながらロビーでワインを飲み、後半に臨んだ。圧巻だったのは二曲目の交響曲第5番(Peter I. Tschaikowsky)だった。リズムが非常にクリアで、全体のバランスも良く、この曲の演奏では最高に感動した。演奏後は全員総立ちで、何度もアンコールを求めた。こんなに盛り上がった演奏会は久しぶりだ。この指揮者、オーケストラによる、同じ曲の録音(ONDINE ODE 1076-5)が売られており、演奏会会場で購入して帰った。

 ホテルに戻って昨日入ったレストランに入った。綺麗なウエイトレスが食後にケーキやコーヒーを勧めてくれ、幸せな気分で味わった。20歳代最後の夜を締めくくるにふさわしい、魅力的な女性だった。会計の時に「部屋番号を教えてください」と聞かれたので、「435号室です」と答え、部屋に戻った後掃除をして待っていたが、何もなかった。どうやらチェックアウト時にまとめて精算するために聞いただけだったようだ。いろいろ勉強を重ねているつもりだが、綺麗な女性の前では本当に馬鹿になる。


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