ADA2014 糖尿病ガイドライン
ADA2014 糖尿病ガイドラインについて、2013年12月28日のブログで紹介しました。その際、私はガイドラインへのリンクを貼るだけでしたが、ADA2013に引き続き知り合いの南郷先生がサイトに内容を纏めてくださっていますので、紹介しておきます。
米国糖尿病学会ADAの糖尿病診療指針
ADA2014 糖尿病ガイドラインについて、2013年12月28日のブログで紹介しました。その際、私はガイドラインへのリンクを貼るだけでしたが、ADA2013に引き続き知り合いの南郷先生がサイトに内容を纏めてくださっていますので、紹介しておきます。
米国糖尿病学会ADAの糖尿病診療指針
Muscle & Nerve誌に、Hadassah Hebrew Universityから “Rare combination of myasthenia and ALS, responsive to MSC-NTF stem cell therapy” という論文が受理されており、すでにオンラインで公開されています。
内容をごく簡単に纏めると下記のようになります。
・重症筋無力症 (抗 AChR抗体陽性, PSL 10 mg + pyridostigmine 60 mg + azathioprine 125 mgにて治療) の既往のある 75歳の男性が筋萎縮性側索硬化症 (ALS) 及び前頭側頭型認知症 ( FTD) を発症した。
・autologous enahanced mesenchymal stem cells (MSC-NTF, Brainstorm®, Petach Tikva) を用いた ALSに対する Hadassah clinical trial (NCT01051882) の inclusion criteriaを満たさなかったが、倫理委員会の承認を経て、特別に MSC-NTF療法を行うことにした。MSC-NTFは髄腔内投与され、右上腕 24ヶ所に筋肉注射された。治療前後には、azathioprineは中止した。副作用は、微熱、頭痛、錯乱がみられたが、一過性であった。1ヶ月後には、認知機能、構音障害、筋力低下が改善し、車椅子生活だったのが独力で 20 m歩けるようになった。ALSFRS-Rは 36点から 44点に改善し呼吸機能の改善もみられた。
・6ヶ月後、筋力低下及び認知機能低下が進行したため、MSC-NTFの再治療が行われた。症状は治療 3日後には改善し、2ヶ月後には全神経機能は有意に改善していた。ALSFRS-Rは 30点から 43点に改善し, 重症筋無力症に対する QMG-scoreは19から 14点に改善した。下垂足も部分的に改善した。
・ALSと重症筋無力症の合併は稀である。本症例は、抗サイログロブリン抗体や抗核抗体も陽性であり、自己免疫が背景にあるといえる。また、髄液蛋白の軽度上昇もあったこと (糖尿病や過去の免疫グロブリン治療の影響を受けているのかもしれない ) や抗 AChR抗体の存在から、傍腫瘍症候群などの免疫介在性の要素の存在も考える必要がある (一応、悪性腫瘍の検索はしてあり、見つからなかった)。
・胚性幹細胞 (embryonic stem cell, ES細胞) と間葉系幹細胞 (mesenchymal stem cell; MSC) は、両者とも免疫調整作用、神経栄養/神経保護作用を持つが、ES細胞より MSCの方が悪性化しにくい。MSCはいくつかの小さなパイロット研究が行われており、ALSの神経安定化および進行性多発性硬化症の視神経再生、多系統萎縮症での有望な結果が示唆されている。
・神経疾患における幹細胞治療の臨床的な効果を維持するためには、反復した治療が必要なのかもしれない。
・早期に現れた効果は、神経再生よりも免疫介在性もしくは神経栄養性機序によるものと推測される。
ALSに対してここまで効果が見られたのであれば、期待したくなりますね。髄腔内投与や筋肉注射であれば、手技的には簡単に出来そうです。
この患者さんが自己免疫疾患を合併していたことで、色々と疑問が湧いてきます。ALSにおいて、免疫学的異常の背景があるかないかで治療効果が変わってきたりするのでしょうか。抗 VGKC抗体陽性の ALS患者さんを治療したことがありますが、そういう場合は、どうなのでしょう。また、ALSを起こす遺伝子異常はいくつも報告されますが、変異のある遺伝子によって効果の違いはあるのでしょうか。
論文を読むと、期待が高まるのですが、あくまで 1例報告です。Hadassah clinical trial (NCT01051882, A Phase I/II, Open Label Study to Evaluate Safety, Tolerability and Therapeutic Effects of Transplantation of Autologous Cultured Mesenchymal Bone Marrow Stromal Cells Secreting Neurotrophic Factors (MSC-NTF), in ALS Patients.) は、2013年3月に終了しており、結果の公開を首を長くして待ちたいです。
正月は、1月1日までがオンコール当番だったので、1月2日から帰省しました。以下、日記です。なかなか充実した正月休みでした。
羽田空港から空路で岡山空港へ。ボーイング 787は久しぶりでした。乗り心地良く、乗り込んだ後に、うとうとしていたら、いつの間にか空の上にいたのでびっくりしました。ただ、前回乗った時には座席前に液晶画面があったのですが、今回はありませんでした。席が 7番と、前の方だったからなのか、それとも別の理由なのかはよくわかりません。
機内では、隣の席の 3歳児がはしゃぎ回っていて、靴で膝を蹴られたので、「せめて靴を脱がせておいてくれよ」と思いました、でも、降りるときに母親が「○○ちゃん、ごめんなさい、は?」と指示して、愛くるしく周囲の座席に「ごめんなさい」してお辞儀をしているのを見て、なんだか和みました。
自宅に着いてからは、妹の夫が送ってくれた尾崎牛ですき焼きをして、私が取り寄せていた蟹をつまみました。用意した日本酒は、伯楽星大吟醸、伯楽星雄町、日高見、綿屋、丹澤山ひやおろし。飲みながらハーゲン弦楽四重奏団/メイエによるモーツァルトのクラリネット五重奏曲の DVDを見ていて、気がついたら寝ていました。メイエの夫は、バス・クラリネット奏者で、岡山県津山市にも来たことがあるらしいですね。
大山乗馬センターに行って、2鞍レッスンを受けました。乗馬は半年ぶりです。まずは、軽速歩からおさらい。踵が上がっていたので、そこを直されました。踵を下げると、重心を前にしたときに、それ以上体が突っ込まないメリットがあるようです。
次に、駈歩をしました。一番注意されたのは、肘が伸びること。肘が伸びているということは、体の重心が馬の後ろの方にあるということで、馬にブレーキがかかってしまうのです。次に注意されたのが、膝で馬をしっかり挟んで腰を使うこと。動きが小さく、遅くなっていってしまうのは、楽をしようとしているからで、そうすると馬は止まってしまいます。これらを意識するだけでも頭がパンクしそうなのに、「鞭」と声がかかると頭が空っぽになってしまい、結構パニックになりました。一度、右足で脚を入れながら、右手の鞭を打ったら、自分の足を打ってしまい、コントをやっているようでした。トレーナーの方は、「毎日通っている方だったら、1つずつ体に覚えて貰うのだけど、1年に1回だと沢山のことを同時に覚えてもらわないといけないのです」と仰っていました。まだまだ先は長そうです。
帰宅する時、近くのブックセンターに寄って「将棋世界」を探そうとしたら、車から降りた瞬間に、頭に鳥の糞をかけられました。ウンがあるとか言うし、縁起が良いのかしら?
夜は、蟹と鍋を堪能しましたが、疲れていたので、21時頃には眠ってしまいました。
以前帰省した時は、「結婚はまだか」としつこい親に激怒したのですが、その後「あなたがしつこく結婚の話をするから、あの子が家に寄りつかなくなるじゃない」と母親が父親に連日説教をしたらしく、今回は結婚の話題は出ませんでした。それはそれで寂しいものです。
医局の忘年会で当たった肉を自宅に送っていたのですが、これまで食べる暇がなかったので、朝からステーキにして食べました。
11時頃に、小中学で同級生だった馬券オヤジ氏が自宅に迎えに来て、京都に出かけました。途中から高速道路が渋滞していたので、吉川ICで降りて、一般道を使いました。京都に着いたのは、17時頃。ホテル「サンライン」付近の有料駐車場は、正月のみ終日 60分 500円 (上限なし) という信じられない価格設定で、少しでも安い駐車場を探して彷徨いました。
チェックインを済ませてから、予約していた虎杖に飲みに行きました。行きたかった店の多くが閉まっていた中、幸いここは空いていました。風情のある店で、料理も美味しかったですが、1合単位で頼める日本酒が「虎杖」という銘柄しかなく、この日本酒がイケてなかったのが残念でした。あと、鍋料理も、うどんとかおじやとか出来ればもっと良かったのですが。
食事を終えてから、JIVEという Beer barを見つけ、京都の地ビールやベルギービールを堪能しました。お互いの抱える結婚問題について 23時頃まで語り明かし、ホテルに戻りました。
午前 8時にホテルをチェックアウトして、京都競馬に出かけました。みんな暇なのか、G1の日くらい混んでいました。この日は、1レースから 11レースまで少しずつ馬券を買って、ほんの少しだけマイナスでした。
馬券オヤジ氏は病気の母親の世話があるとのことで、16時に京都駅で別れました。予約していた新幹線の時間まで暇がかなりあったので、京都駅内を散策しました。
まずは、「美術館えき Kyoto」の「茶の湯釜の特別展」。1月15日まで開催されています。釜だけじゃなくて、千利休が使っていた茶碗とかも展示されてました。昔読んだ茶道の本を思い出しながら鑑賞しました。様々な種類の釜を見て、茶の湯に使う釜というのは、形状において、かなり自由度が高いものだというのが勉強になりました。外に出ると、この美術館が入った建物が囲む階段は、綺麗にライトアップされていました (①, ②, ③)。
19時6分発の N700系のぞみに乗って、東京に戻りました。
明けましておめでとうございます。本年もよろしく御願い致します。
2013年のまとめと、恒例の新年の抱負など。
①学問
2013年は、神経内科医にそこそこ知られた医学雑誌と、基礎研究者に知られた科学雑誌に、それぞれ 1st authorとして論文が publishされました。すべて 2012年にやった仕事です。
2013年12月から千葉の病院に出張になり、通勤で空き時間が大量に発生しますので、研究はしないとしても、科学論文や医学書を出来るだけ沢山読んで知識を蓄えておきたいと考えています。
あとは、音楽家のジストニアに興味があるので、将来そういう勉強が出来るような環境作りを考えていきたいです。
②音楽
2013年は、ヴァイオリニストの成田達輝さん、ピアニストの萩原麻未さん、作曲家の酒井健治さんらとそれぞれ食事をする機会があり、とても刺激を受けました。
奇遇なことに、アマチュアの国際コンクールで入賞するくらいのピアニストを研修医として指導することになり、さらに合奏することになりました。まずは 1月に Beethovenのヴァイオリン・ソナタ第 1番、第 5番を練習します。Beethovenのヴァイオリン・ソナタを出来るだけ沢山ものにするのが、今年の目標です。
③結婚
2007年から、元日に毎年結婚の話題を書いているのですが、現実となりそうな雰囲気がありません。
実は、女性という生き物は、世の中に実在しないのではないか、蜃気楼のようなものなのではないかと感じ始めたこの頃。
良い出会いがありますように。抱負というより願望 (-_-;)
最近の Facebookの画面右側に出てくる広告、ほとんど嫌がらせです。こんなのばっかり orz
多発性硬化症治療薬の Alemtuzumabについて、何度かお伝えしてきました (ブログ記事1, ブログ記事2) が、どうやら今回米国では承認されなかったようです。そして、FDAはさらに別の試験デザインで臨床試験を行うことを要求したようです。どうなっていくのでしょうか・・・。
Sanofi says U.S. regulators reject MS treatment Lemtrada
PARIS Mon Dec 30, 2013 2:21pm IST
(Reuters) – Sanofi SA’s Lemtrada multiple sclerosis treatment has failed to win approval from regulators in the United States, dealing a setback to a drug which was at the heart of the French drugmaker’s $20 billion takeover of U.S. biotech firm Genzyme.
The U.S. Food & Drug Administration (FDA) rejected Lemtrada for launch in the world’s biggest drug market on the grounds that Genzyme had not shown its benefits outweighed its “serious adverse effects”, Sanofi said on Monday.
The FDA also demanded Sanofi carry out further clinical trials using different designs and methods prior to approval, Sanofi said. The company responded by saying it strongly disagreed with the decision and planned to appeal. (以下略)
「シャルコーの世紀 臨床神経学の父 ジャン―マルタン―シャルコー没後百年記念講演会 (ジャン―マルタン―シャルコー没後百年記念会・編, メディカルレビュー社)」を読み終えました。1993年7月16日に行われた、「 ジャン―マルタン―シャルコー没後百年記念講演会」の講演会の記録です。神経学の歴史に興味がある方にとっては、他では読めない話がたくさん収載されていて、御薦めですね。(なかなか手に入らなかったので、amazonの古本で買ったら、水谷ってハンコが押してあったのですが、まさかあの???(謎))
とても勉強になったので、簡単に内容を紹介ておこうと思います。
短い開会の辞が述べられる中で、フランソワ・ラブレーの研究家、渡辺一夫東京大学名誉教授の「研究が精緻となり、また、非常に最先端の新しいことを求めて常に進んで行く。確かに、そのような研究に興味と命を懸けるというのは大変なことであろう。また、研究の進展にとってはそういう態度が必要なことであろう。しかしながら、そこで得られた知識が何のために用いられるかを忘れてしまったら、いかなる優れた科学者の論議といえども、中世の神学者の “針の先に何人天使が乗れるか” という途方もない論議と何ら変わることはないのではないか。その時、それは人間たることと何の関係があるのか」という言葉が引用され、時として、行われる研究の立ち位置が問い直されることの重要性が述べられます。
以前、「精神科医からのメッセージ シャルコー 力動精神医学と神経病学の歴史を遡る」という本を紹介したことがありましたが、その著者である江口重幸先生による講演です。シャルコーの大催眠理論をまず紹介し、精神医学への影響について触れています。
シャルコーとヒステリーについて概説されます。それには、まずシャルコーがいたサル・ペトリエール病院について理解する必要があります。
よく知られているように、シャルコーが終生自らの臨床と研究の場としたサルペトリエール病院は、女性の患者だけを収容する病院でした。患者といっても、精神病や神経疾患、あるいは奇形に病む女性だけでなく、老女、浮浪者や乞食、犯罪者など、社会にあぶれ、社会に適応出来なかった女性をも収容していました。十九世紀当初、五千人から八千人の女性が入院していたと言われます。当時、パリの人口は五十万人であったとされており、その数字から言えば、精神病者や神経病者だけが入院していたのではなかったことは明らかで、その巨大さとともに、その異常さに驚かざるを得ません。そのような環境で、シャルコーがなぜ、ヒステリーの現象に注目するようになったのでしょうか。
一つには、実際に、サルペトリエール病院に収容されていた女性にヒステリーの患者が多かったという事実があります。当時のフランスはまさに産業革命が進行中であり、(略) 多くの労働者は昼も夜も低賃金で働かされ、都市の人口の大部分は貧困層で占められることになります。(略) そのような惨憺たる状況のなかでは、人は狂気になり、あるいはヒステリー発作を呈する他、なすすべがなかったとも言えます。
シャルコーがヒステリー患者に注目する第二の理由として、病院に収容された女性の数が多い一方、医者の数は少なく、一人の医師はおよそ五百人の患者を担当していたと言われていますが、そのような状況では、医師の興味を引くには、ヒステリー発作のはなばなしさが必要であったという説もあります。
ヒステリー研究におけるシャルコーの業績の第一は、「そのような狂気、中毒、老い、貧困、売春、犯罪などのレッテルを貼られた女性の大集団のなかから、それと紛らわしい神経疾患やあるいは詐病とは異なるものとして、ヒステリーを一つの独立した心の病期として確立した」ことです。また、女性のみならず、男性ヒステリーと子供のヒステリーの存在を強調しました。さらに、外傷ヒステリー、外傷性麻痺の概念を確立しました。シャルコーのヒステリー研究には、多くの批判があることは事実ですが、この講演は次のように纏められています。
しかし、後世からの批判としてはいくつかの問題点が指摘されるとしても、シャルコーによって、ヒステリーが医学の世界に持ち込まれ、科学の対象として、また男女ともに侵される疾患単位として明確に位置づけられたことは、精神医学史上、忘れられることではありません。フロイトもまた、そのことを強調し、シャルコーを高く評価しています。また、シャルコーによるヒステリーの詳細な記述があって、初めてその後のヒステリー研究が成り立ったことを考えれば、内村 (※演者の数代前の教授で「精神医学の基本問題」という本を著し、現代精神医学の出発点にある人物としてグリージンガーとシャルコーを挙げた) ならずとも、現代精神医学の源流の一つにシャルコーを見ることは正当と言わざるを得ません。未だなお、ヒステリーの病態が十分には解明されていない現代にあって、シャルコーのヒステリーを取り上げてみることに現代的意義があると考えられる次第であります。
日本における臨床神経学の夜明けを開いた先達として、三浦謹之助、佐藤恒丸、川原汎の三人の名前が挙げられます。三浦謹之助先生はシャルコーの下で学び、東京帝國大学内科教授となり、1902年に精神科の呉秀三教授とともに日本神経学会を設立しました。日本神経学会の機関誌「神経学雑誌」の一巻一号の冒頭論文は、三浦謹之助先生の書かれた筋萎縮性側索硬化症の論文となっています。佐藤恒丸先生は、1906~1911年にかけて、シャルコーの火曜講義 (※1887~1888年度半ばまでになされた講義) の日本語訳を出版しました。川原汎先生は、三浦謹之助先生より 4年先輩として、東京大学医学部を卒業し、名古屋大学医学部の前身である愛知医学校で内科学を講じ、1897年に日本最初の臨床神経学の教科書「内科彙講 第一巻 神経係統編」を出版しました。
岩田誠先生は、一橋大学の野中教授が Harvard Buisiness Reviewに発表した The Knowledge Creating Companyという論文を元に、知について考察します。知は明示的な知 (explicit knowledge) と暗黙の知 (tacit knowledge) の部分に分けられるといいます。Medicineに当てはめると、それぞれ Scienceと Artに対応します。近代医学は、如何にして tacitな部分から explicitな知を引き出してくるかを使命としてきました。知の伝播過程では、暗黙知を社会化 (Socializaton) し、明示的な知に変える分節化 (Articulation) が行われます。一方で、明示的な知は容易に伝播しますが、これが結合 (Combination) の過程です。明示的な知として獲得されたものは、それを受け取った人の暗黙知に取り込まれる内面化 (Internalization) がなされます。新しい知の体系が形成されていくためには、これらによる暗黙知と明示知の間での螺旋、「知の螺旋」を形成する必要があります。この螺旋は、シャルコーが臨床神経学という新しい知の体系を築きあげていった過程をよく説明します。シャルコーは、神経病に関する多くの経験を積み、暗黙知として蓄えていきました。そしてそれを、臨床症状の観察と剖検の対比という方法論や、顕微鏡による観察などで、明示的な知に変えていく作業を行いました。暗黙知の部分を明示知として世に示すためには、臨床講義が効果的でした。一方で、彼は沢山の文献を読み、明示的な知の結合を行いました。こうして得た新たな明示知を、自らの経験の中に生かし、自らの暗黙知をより大きくしていく努力、すなわち明示知の内面化に努めました。しかし、これと同時に、暗黙知の部分をそのまま暗黙知として伝える社会化の作業も怠りませんでした。
このような考察をした上で、何故、当時シャルコーの神経学が日本に根をおろさなかったか、次のように述べています。
ここでもう一度ベルツの警告に戻りましょう。ベルツの指摘 (※「日本人は科学を学ぶということを果実をもぎ取ることのように考えていて、その科学の果実を実らせる科学の樹を育てるに至る過程を学ぼうとしない」) は、決して某国立大学総長が述べられたような医学における基礎研究の重要性を強調したものではありません。彼が学者の精神の仕事場を覗き込まねばならないと言ったのは、まさに Medicineにおけるこの暗黙知の部分を学ばねばならない、という意味だったと思います。当時の日本の Medicineは、すでにこの暗黙知の部分を忘れて明示知のみを重視する、すなわち明示的な知のやりとりだけを科学的であると信じるに至っていたのでしょう。不幸なことながら、その当時、臨床神経学においては明示的な知の部分はあまりにも少なく、神経疾患においては分節化困難な暗黙知の部分のみが目についたであろうと思われます。さらに、臨床病理対応研究という方法論は、実践するには極めて時間のかかるものであったがために、せっかちな日本人の好みには合わなかったのではないでしょうか。それに加え、神経系の構造の複雑さ、そしてヒトの神経系に対するアプローチの困難さのために、臨床神経学は明示的な知の世界からほど遠く、科学的ではないと誤解されてしまったのでしょう。三浦、川原、佐藤という立派な先達がおられながら、日本に臨床神経学が根を下ろせなかったのは、このような理由によるのではないでしょうか。
Medicineを明示的な知だけから成るものと思い込んでしまったところに、日本における Medicineの最初のつまずきがありました。そして残念ながら、そのつまずきは今日に至ってもなお、続いているようです。このままでは、わが国の Medicineは世界の孤児になってしまうのではないでしょうか。シャルコーと日本の神経学を考えるこの機会に、私はMedicineにおける暗黙知 (tacit knowledge) の重要性を再認識し、今こそ本気で科学者の精神の仕事場を覗き込むべきであるということを強調したいと思うのです。
三浦義彰先生は、三浦謹之助先生が 50歳の時に生まれた、次男です。家族でなければ知らないような逸話が紹介されています。
さて、三浦謹之助ですが、一八六四年、元治元年の生まれで、一九五〇年、八十六歳で亡くなりました。福島の郊外、高成田の生まれです。父親、道生は眼科医で、その家には白内障の手術のため、沢山の入院患者がいました。眼の悪い患者さんのために、トイレや風呂場にやたらと大きな字で男とか女とか書いてあります。謹之助は、小学校六年くらいから福島の小学校に出たわけです。その頃、叔父になる三浦有恒が東京に出ていて、福沢諭吉の『学問のすすめ』を送ってくれたのですが、そのなかに “人は八時間働き、八時間眠り、あとの八時間は身の回りの用を足すこと” と書いてあったそうで、謹之助はそれを死ぬまでよく守っていて、決して徹夜などしない人でした。
また、その頃、明治天皇の東北ご巡幸がありまして、それを小学生として初めて洋服というものを作ってお迎え申し上げたそうです。ところが、このお二方、福沢諭吉は、後に父の患者さんになりましたし、明治天皇もお亡くなりになる時は父が拝診しておりまして、父は深い因縁を感じたと申しております。
一八七七年、西南の役の直後ですが、人力車で二週間の旅をして、叔父三浦有恒を頼って東京に出て参りまして、東京で生活を始めました。父の十二、三歳頃と思われます。
一八七八年に、東京大学医学部予科に入り、一八七七年に医学部本科を卒業するまで、叔父の所や寄宿舎におりました。その頃、月七円の費用がかかったそうですが、祖父道生は早く亡くなりまして、その見よう見まねで母の里子が白内障の手術を無免許でいたしました。今だったらたちまち捕まっていたわけです。そのアルバイトの費用とドイツ語の翻訳をして、どうやら卒業いたしました。
その他にも、色々と三浦謹之助先生の知られざる逸話が出てきます。シャルコーについても、「シャルコー達が病院で賑やかな飲み会をして婦長から大目玉を食らった話」だとか、「松方コレクション (※西洋美術館のコレクションに多く含まれます) の松方氏が万国博に参加したときにシャルコーやゴンクールらが参加していたこと」、「シャルコーがポルトガル王・ブラジル皇帝から贈られた尾長猿を飼っていて、どんなイタズラをしても決して怒らなかった逸話」「飼っていたインコに『ハラキリ』と名付けていたこと」などが述べられています。
三浦謹之助先生には、侍医にならないという話があったようですが、「自分はサルペトリエールでシャルコーが大変大勢の患者さんを診ていたのを見た。しかも、それはどちらかというと下層階級の患者さんが多かったのですが、そういうのを見て非常にためになった。侍医になると、あまり多くの患者さんを診ることができなくなる。そうすると勘が鈍る」と断っていたそうです。
名前は良くけれど、どのような人物だったかよく知らない三浦謹之助先生の人となりが伝わってくる講演でした。
まず、大脳局在説が唱えられてから確立するまで、生理学、解剖学、臨床のそれぞれの視点から概説します。シャルコーは、当初ヒトの感覚あるいは運動の現象は、皮質下の構造のみが問題であると考えていたようです。1875年になってから、大脳皮質の役割に気付き始め、その二年後に「私は、いつの日にか、大脳半球皮質の特定の領域に限局した病変によって生じた麻痺を見るだろうと信じています」と記すようになりました。
シャルコーは動物実験から得られた結果では、ヒトについては結論が出せないと考えていました。1883年には「ヒトの脳の機能に関しては、臨床病理対応研究、すなわち患者の生前に観察された症状と剖検で明らかになった病変との対比以外の方法では、決定的な研究が出来ないことは明々白々です。動物でなされた実験結果は研究の指針とはなりますが、いかなる場合にもヒトの生理学にそのまま当てはめてはなりません」と述べています。彼にとって、解剖学は臨床との関係においてのみ興味の対象であったと推測されます。
シャルコーは、虚血性血管障害の病理学的検討から、血管支配に基づいて、いくつかの臨床解剖学的成果をあげました。また、二次変性の研究を行いました。彼は、大脳皮質の局在について多くの講義を行いましたが、なぜかほとんどが出版されませんでした。
余談ですが、「ジャクソンてんかん」は、シャルコーが命名したというのは、初めて知りました。1883年の論文に登場するそうです。
失語症については、シャルコーは「語盲」「運動失語」「失書」「語聾」の四大臨床型を定義しました。ここにも、臨床像と解剖所見の対比が見られるそうです。
「シャルコーが神経学に専念するようになった頃、彼の神経症候学がいかに未熟なものであったか」「神経症候学を築き上げていく過程におけるシャルコー自身の寄与」「神経症候学を築き上げていくに当たり、様々な伝説的な考えや誤解を取り除くために、彼がいかなる努力を払ったか」をテーマに詳しく語られます。結びの部分では、問診の重要性が強調されています。
私は、問診によって診断ができなければ、後のことをしても診断がつくはずがない、というスローガンを半ば強制的に叩き込まれて教育されました。このスローガンの出所がシャルコーにあったかどうかについては知りませんが、サルペトリエール病院の伝統として伝えられてきたことですから、その可能性はあると思います。近年の画像技術の進歩により、このスローガンは万能ではなくなりましたが、まだ多くの場合に通用するものであります。
昔、ジプシー音楽にはまっていた時期があって、色々な CDを聴きました。現在はそこまでの興味はなくなったので、ブログ記事として転載し、固定ページからは削除します。
やや古い話になりますが、2007年に仲の良い先輩たちと抄読会をしていて、fasciculation (線維束性収縮) の起源についての話題になりました。Fasciculationは、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) などでしばしばみられますが、他の疾患でもみられます。
第2回抄読会
電気生理検査専門の I先生は、Fasciculationの Originについて調べてきました。以前は前角細胞由来とされていましたが、FasciculationもF波を持つことがわかり、末梢由来だと考えられるようになり、Cancelationを利用した実験で、8割は末梢由来だとする報告も出てきました (Rothら)。一方で、中枢由来とする報告 (幸原ら)も存在し、諸説あるようです。
それ以来、なんとなく意識はしていた問題なのですが、2013年12月号の JAMA Neurology誌 (旧 “Archives of Neurology”) に ALSと “Benign Fasciculation Syndrome” における fasiculation (FPs) の起源についての論文が掲載されていたので、興味深く読みました。
Origin of Fasciculations in Amyotrophic Lateral Sclerosis and Benign Fasciculation Syndrome
Importance Fasciculation potentials (FPs) may arise proximally or distally within the peripheral nervous system. We recorded FPs in the tibialis anterior using 2 concentric needle electrodes, ensuring by slight voluntary contraction and electrical nerve stimulation that each electrode recorded motor unit potentials innervated by different axons.
Observations Time-locked FPs recorded from both electrodes, suggesting a spinal origin, were most frequent in benign fasciculation syndrome (44%) (P < .001) and amyotrophic lateral sclerosis without reinnervation (27%). Fewer time-locked FPs were found (14%) in the reinnervated tibialis anterior in amyotrophic lateral sclerosis (P < .001).
Conclusions and Relevance We conclude that in chronic partial denervation FPs are more likely to arise distally and that FPs in benign fasciculation syndrome more frequently arise proximally.
【過去の研究】
①前角由来とする報告
・Fasciculations: what do we know of their significance? (Desai J, 1997)
・Fibrillation and fasciculation in voluntary muscle. (Denny-Brown DB, 1938)
②末梢神経由来とする報告
・Effects of denervation on fasciculations in human muscle: relation of fibrillations to fasciculations. (Forster FM, 1946) : 神経ブロックをしても残存することが根拠
・Fasciculations and their F-response. Localisation of their axonal origin. (Roth G, 1982) : F波を用いて評価
(※ Rothは、約 80%が末梢の軸索由来で、約 20%が末梢神経系のより中枢側由来であると推測)
・The origin of fasciculations. (Roth G, 1982) : collision法 (衝突法) を用いて評価
・Firing pattern of fasciculations in ALS: evidence for axonal and neuronal origin. (Kleine BU, Neurology) : 発火パターンを解析
③皮質由来
④脊髄由来
・Complex fasciculations and their origin in amyotrophic lateral sclerosis and Kennedy’s disease. (Hirota, 2000) : “complex fasciculation” が上脊髄由来だと推測
・Synchronous fasciculation in motor neuron disease. (Norris FH Jr, 1965) : 体の両側で同時に起こる fasciculationを記録して検討。中枢での興奮性が関与し、脊髄起源が示唆される。
今回、著者らは単一の筋肉 (前脛骨筋) の 2ヶ所に 1 cm以上離して記録電極 (concentric needle electrodes) を置いて、time-locked FPsを調べることで、fasciculationの起源を検討しました。2ヶ所の記録電極が、それぞれ別々の神経支配の筋肉を記録していることを、支配神経の電気刺激や、随意的な筋肉の弱収縮など、いくつかの方法で確認しました。
【対象患者】
・ALS
52例 (男性 29例, 女性 23例), 年齢 36~75歳 (平均 59.6歳), 初発症状からの平均期間 11.1ヶ月。bulbar 16例, axial 5例, upper limb 20例, lower limb 11例。
・Benign fasciculation
11例, 年齢 38~70歳 (平均 58歳)。筋力低下がなく、筋電図で normal MUPを呈した。また、 2年間の観察期間で進行がなかった。筋痙攣を有する者はいた。代謝性疾患や薬剤性障害はなかった。
【結果】
・ALS (前脛骨筋に神経原性変化があった患者)
1096個の fasciculationを記録した。同時記録の 2ヶ所のうち、1ヶ所のみで fasciculationが観察されたのが 941個 (85.7%), 2箇所で観察されたのが 155個 (14.3%) であった。
・ALS (前脛骨筋に神経原性変化がなかった患者)
544個の fasciculationを記録した。同時記録の 2ヶ所のうち、1箇所のみで fasciculationが観察されたのが 394個 (72.7%), 2ヶ所で観察されたのが 150 (27.3%) であった。
・Benign fasciculation
234個の fasciculationを記録した。同時記録の 2ヶ所のうち、1箇所のみで fasciculationが観察されたのが 129個 (55.1%), 2ヶ所で観察されたのが 105個 (44.9%) であった。
【考察】
神経原性変化がない ALSの前脛骨筋や benign fasciculationでは、異なる神経に支配された 2ヶ所の筋肉で同時に発火する頻度がより高く、これは中枢 (おそらく 脊髄の motor neuron pool) に由来すると推測される。一方で、神経原性変化がある ALSの前脛骨筋では、異なる神経に支配された 2ヶ所の筋肉で別々に発火する頻度が高く、(それぞれ別の末梢神経系が同期することなく発火していることから) より遠位由来と考えられる。隣接した運動神経に混線して刺激が伝わってしまうエファプス伝達により、2ヶ所の筋肉で同時に発火してしまう可能性については、(神経損傷を伴わない) benign fasciculationでも 2ヶ所同時に発火する頻度が高いので、可能性は低い。
Fasciculationの起源って、奥が深いのですね。大部分が末梢神経由来で、一部中枢性の要素もあるというのは理解していましたが、ALSの病期によって異なるというのは面白いと思いました。Benign fasciculationを検査して、エファプス伝達を除外しているのも上手いやり方だと感じました。
電気生理検査を専門にしている人たちから話を聞くと、針筋電図で見られる安静時活動の起源というのは、結構アツい問題です。fasciculation以外にも議論はあり、例えば “fibrillation potential” や “positive sharp wave” といった脱神経電位は、一般的には末梢神経障害や炎症性筋疾患で見られることで知られていますが、脳血管障害でも見られることもあるなんていうのが、ちょっとしたネタになったりします。
知り合いの電気生理ヲタクの医師と酒を酌み交わすときは、こういうマニアックな話題がいつも肴になります。
2013年1月13日に、米国糖尿病学会 (ADA) の 2013年ガイドラインについてお伝えしました。すでに 2014年版が公開されているようです。。
Standards of Medical Care in Diabetesd2014 (PDF)
Executive Summary: Standards of Medical Care in Diabetesd2014 (PDF)
ちなみに、改訂された点のまとめは、”Summary of Revisions to the 2014 Clinical Practice Recommendations” で見ることが出来ます。全部目を通したわけではありませんが、2013年と比べてそれほど大きくは変わっていない印象です。
2013年12月19日の Nature Newsに、”Non-invasive method devised to sequence DNA of human eggs” という記事がありました。
2013年12月19日に Cell誌に掲載された、”Genome Analyses of Single Human Oocytes” という論文を紹介したものです。全くの専門外なので、論文の内容は良く理解できませんでしたが、どうやら一次極体 (PB1) と二次極体 (PB2) のゲノムを読むことで、雌性前核の遺伝子が推測できるというものらしいです。そして、必要とされる極微量のゲノムを読むことを可能にしているのが、MALBAC (multiple annealing and looping-based amplification cycles) という技術のようです。ヒト受精卵を用いるといった、NIHの研究費を使うことができない実験であったため、北京大学で研究したと記載されていました。
北京大学の Jie Qiaoらは、遺伝性疾患を持っていたり、流産を繰り返すなどの女性を対象とした臨床試験を開始しました。
倫理的な問題は残ると思いますが、受精卵を壊すことなく、母親由来の遺伝病がないかどうかを調べることが可能になる技術で、遺伝性疾患を持つ家系の方にとっては、朗報でしょうね。
今年は、ミトコンドリア置換に始まり、遺伝性疾患の遺伝を防ぐための画期的な技術が登場した一年と言えるのかもしれません。
Panorama Theme by Themocracy