科学研究に深刻な影響

By , 2013年10月13日 5:29 PM

科学研究に深刻な影響、政府機能停止で ホワイトハウス

2013.10.13 Sun posted at 15:36 JST

ワシントン(CNN) 米政府機能の一時停止問題でホワイトハウスは12日、甚大な被害を受けているのは科学関連機関などとする声明を発表した。

連邦政府機関の一時閉鎖で行政に甚大な被害が出ていることを世論に訴える狙いがあるとみられる。一時閉鎖は、野党共和党との予算案や債務上限の引き上げでの対立が原因で今月1日から始まっている。

声明は、連邦政府が管轄する科学研究機関の多くは閉鎖され、科学者は自宅待機や研究事業の中断を強いられていると主張。この中にはノーベル賞受賞者の5人が含まれ、うち4人は自宅待機で、連邦政府が承認する研究が打ち切られていると説明した。

最大の被害を受けているのは米国立科学財団とし、職員の98%が一時帰休を命じられ、新たな研究事業への補助金支給が滞っている実態に言及。補助金は全米規模で、医学以外の科学分野、土木、教育関連事業などに与えられている。

国立衛生研究所では職員の約4分の3が職場におらず、研究対象の患者の受け入れが出来ない事態となった。政府機関の一時閉鎖に伴う与野党間の折衝では、同研究所によるがんを患う子どもの救命措置研究が不可能になるとの一部報道への対応が大きな問題となっていた。

米疾病対策センター(CDC)では3分の2の職員が自宅待機となった。ホワイトハウスは、インフルエンザ流行の季節が始まり、その監視態勢が弱体化していると警告した。ただ、CDCの最重要な責務である公衆衛生への差し迫った脅威への警戒態勢に変化はない。また、インフルエンザのワクチンの大部分は民間企業が製造している。

それほど大きく報道されていないようですが、これが本当だとすると心配なニュースです。

多くの職員が自宅待機となっているようですが、その間の実験動物や培養細胞たちがどうなっているのか気になります。実験動物や培養細胞を使うのは医学分野だけとは限りませんしね。

また、こういう研究所では一日を争って研究している分野もありますので、研究者たちは気が気じゃないでしょう。

情報があまりないので、続報を待ちたいと思います。

私は 11月に NIHの研究者の講演を聴く予定なのですが、このことで影響は出てくるのでしょうか・・・

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ヨナグニウマ

By , 2013年10月13日 2:19 PM

10月9~11日で沖縄に旅行し、10月10日にヨナグニウマに会ってきました。うみかぜホースファームに 10月9日深夜にメールして (経験鞍数は 30鞍と申告)、10月10日昼前に返信を確認して、10月10日14時から騎乗という慌ただしい日程でしたが、過去の乗馬の中で最高の経験でした。

乗馬クラブは妹夫婦の住む沖縄市から車で 30分くらい。道路補修で外乗ができず、「海馬遊び+暴れん坊将軍ごっこ」コースを選んだので、水着素材の服をデパートで買ってから乗馬クラブを訪れました。乗馬クラブにはレンタル靴があり、私の足サイズ 27.0の他、25.0くらいの靴がたくさんありました。極端に大きなサイズや小さなサイズはなさそうだったので、レンタルを希望される方は予めメールで確認しておいた方が無難でしょう。

乗馬クラブでは大型犬、猫、ニワトリがお出迎え。契約書にサインをしてから、立ち読みして欲しくなった馬語手帖を購入し、ヨナグニウマ 2頭を乗せた馬運車と共に海岸に移動です。

ヨナグニウマはポニーの一種で、与那国島に生息しています。現在では 100頭前後と希少で、与那国町の天然記念物に指定されています。繁殖及び 2歳までの育成・調教は全て与那国島でおこない、その後本土で仕事する馬と、島に残る馬に分けます。私が会ったヨナグニウマは本土組です。

海岸につくと、早速馬にまたがりました。私が普段乗っているサラブレッドなどの馬と比べて半分くらいのサイズ (体重 200~250 kg) で、台を使わず直に乗ることができました。歩かせてみると、少しバランスが取りにくいように思いました。並足で少し散歩してから、速歩に移行しました。トレーナーの方によると、ヨナグニウマは歩くテンポが速すぎてリズムが取れないので、軽速歩というのはないらしいです。

速歩に慣れるといよいよ駈歩です。綺麗な砂浜、オーシャンブルーのすぐ脇を暴れん坊将軍のように駆け抜け、とても気分が良かったです。

与那国馬

与那国馬と砂浜を歩く

砂浜を何往復かすると、トレーナーの方が「競馬をしてみましょうか」と持ちかけてきました。スタートラインは砂浜の流木、ゴールは海岸に見える岩。「ヨーイ、ドン」で競争しましたが、気が急いた私がバランスを崩し、馬が減速して惨敗・・・orz。しかしトレーナーの方は「今日はレッスンじゃなくて遊びですから、細かいことは気にせずに楽しんでください」と優しく声をかけてくださいました。与那国島では、裸馬に乗って若者が草競馬を楽しんでいるそうです。

それから、馬に乗って海に入りました。与那国島では、暑い日とかにヨナグニウマは水に入って涼んだりします。母馬が海に入るのを見た仔馬は、最初は怖がって浜辺から見ているのですが、少しでも母親の側に居たくて、意を決して海に飛び込んでバタバタしているうちに泳げるようになるのだそうです。本州の馬や欧州のサラブレッドは、そういう環境で育っていないので海を怖がって入ることはないようです。

与那国馬2

与那国馬と海に入る

海に入って散歩した後、トレーナーが「尻尾つかまりをやりませんか?任意ですが」と聞いてきました。与那国の人たちがやる遊びのようです。二つ返事で行うことにしました。

まず、馬の尻尾の毛を束ねて、片手でそこに捕まります。あとは馬が海の中を歩くので、人がそれに引っ張られて泳ぎます。私は右手で尻尾を掴み、ある程度速度がついてからは、馬に引かれながら四肢を大の字に広げて仰向けになって浮いていました。綺麗な空を眺めてボーっとして、最高に心地よかったです。

帰りは近くにあるシャワーを紹介いただき、現地解散となりました。

また沖縄に行く機会があれば必ず訪れるつもりです。乗馬に興味がある方は是非遊びに行ってみてください。

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帰国

By , 2013年10月9日 12:23 PM

昨日、無事にパリから帰国しました。すごく刺激的な出来事の連続でした。できるだけ早いうちに旅行記を書こうと思います。

帰国後、幸い時差ボケはあまりありません。フランスの食事は口に合わず、日本食が恋しかったので、昨日昼は蕎麦屋で冷奴、牛すじ煮込み、イカ納豆、とろろ蕎麦、夜は焼鳥屋で焼鳥、鶏煮込みうどん、卵かけごはんなどを貪るように食べました。やはり食事は日本が一番美味しいです。

これから、妹の赤ちゃんに会いに沖縄に行ってきます。

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パリ旅行

By , 2013年9月30日 5:21 AM

2週間の夏休みがとれました。パリに出かけてきます。

旅程

9月30日 成田発ブリュッセル着

10月1日 作曲家の酒井健治氏と会食

10月2日 パリに移動、サル・プレイエルでコンサート

10月3日 パリ散策、成田達輝さんらと会食

10月4日 パリ散策、新オペラ座でオペラ鑑賞「ランメルモールのルチア」

10月5日 モンフォール・ラモリのラヴェル邸近くで成田達輝さんのコンサート、夜はムーラン・ルージュ

10月6日 凱旋門賞、ムーリス泊

10月7日 パリ発成田着 (10月8日)

10月9~11日は沖縄に住む妹夫婦の家に行って、10月11日夜は若手医師セミナーに参加、10月12日は当直です。

では、行ってきます。

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ハーゲン弦楽四重奏団

By , 2013年9月29日 10:07 PM

ハーゲン弦楽四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会後編の初日を聴いてきました。

2013年9月29日 (日) 17:00~ TOPPAN HALL

1. 弦楽四重奏曲第 3番 ニ長調 Op. 18-3 (L.v.Beethoven)

2. 弦楽四重奏曲第 5番 イ長調 Op. 18-5 (L.v.Beethoven)

3. 弦楽四重奏曲第 12番 変ホ長調 Op.127 (L.v.Beethoven)

Hagen Quartett

ハーゲン弦楽四重奏団を生で聴くのは 12年ぶりでした。12年前は髪の毛が黒々としていた彼らも、今回はほぼ全員白髪になっていて、第二ヴァイオリンにいたっては、頭頂部に素肌が (ry

演奏はちょっと違和感のある始まりでした。過剰ともいえるアゴーギクが気になったからです。しかし、演奏が進むにつれてそれが自然に思えてきて、やがて「Beethovenの初期弦楽四重奏曲はこんなに幅広く解釈できるんだ」という驚きが生まれました。

如何にエキサイティングなベートーヴェンかというと、プログラムノートにもこう書いてあります。

しかし私は初期作品の演奏に、これほどの衝撃を受けることは予想だにしていなかった。彼らの演奏から浮かび上がった作品の姿は、これまでの考え方を根本から覆すものだったからだ。我々はこれまで「作品18」についてベートーヴェンならではの様々な工夫が随所になされているものの、基本的にはまだ先輩ハイドンやモーツァルトの作法を踏襲している部分が多いという見方をすることが多かった。しかしハーゲン・クァルテットの演奏から浮かび上がった「作品18」の姿は、どれもが、これまで聴いたことがないような斬新さにあふれ、こんなにも新しい考えが、こんなにも新しい語り口によって、衝撃的に語られていたものだったのかという驚きの連続だったのだ。

斬新な解釈に加えて、美しい音、有機的に絡み合う各パート、まさに世界最高峰の弦楽四重奏団の一つというにふさわしかったです。

気になった点としては、前半、特に第一ヴァイオリンにテクニック的な傷が少しあったこと (技術的難所で音が上ずる、弓速が速すぎて時々音がかすれる) 。しかし、硬さがとれるとともにあまり気にならなくなりました。

コンサートが終わってからはサイン会があり、プログラムと購入した DVDに 4人のサインを頂きました。宝物になりそうです。

さて、最後に私が 12年前に聴いたハーゲン弦楽四重奏団の演奏会のプログラムも記しておきます。今回のシリーズで大フーガを 12年前と聴き比べ出来ると良かったのですけれど、日程的に叶いませんでした。

2001年10月3日 (水) 19:00~ 紀尾井ホール

1. 抒情組曲 (A. Berg)

2. 弦楽四重奏曲第 13番 変ロ長調 Op. 130/大フーガ 変ロ長調 Op. 133 (L.v.Beethoven)

Hagen Quartett

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シャルコー

By , 2013年9月28日 8:26 AM

精神科医からのメッセージ シャルコー 力動精神医学と神経病学の歴史を遡る (江口重幸著、勉誠出版)」を読み終えました。

シャルコーといえば、神経学の礎を築いた医師です。多発性硬化症や筋萎縮性側索硬化症の疾患概念を作り上げ、パーキンソン病に光を当て、フロイトやバビンスキーなどの多くの医学者を育て、デュシェンヌの電気生理検査を高く評価しました。晩年はヒステリーを精力的に行いました。研究筋萎縮性側索硬化症はフランスではシャルコー病と呼ばれることがありますし、シャルコー・マリー・トゥース病、シャルコー関節など、シャルコーの名前を冠した疾患、症候はいくつもあります。もう少し詳しく知りたい方はこちらを御覧ください。

本書の目次をまず紹介します。

はじめに

第一章 すべてはシャルコーからはじまる

第二章 男性ヒステリーとは?-『神経病学講義』より

第三章 シャルコー神経病学の骨格

第四章 大ヒステリー=大催眠理論の影響-フロイト・ジャネ・トゥーレット

第五章 シャルコーとサルペトリエール学派

第六章 『沙禄可博士神経病臨床講義』-『火曜講義』日本語版の成立と三浦謹之助

第七章 シャルコーの死とその後

第八章 シャルコーと十九世紀末文化-ゴッホのパリ時代と『ルーゴン=マッカール叢書」

終章 ヒステリーの身体と図像的記憶

あとがき

著者は精神科医であり、その視点から見たヒステリー、あるいはヒステリーの理解の歴史的な流れがわかりやすく記されていました。また、シャルコーの時代の小説を通じて、シャルコーあるいは同時代のヒステリーを描いた部分では、著者の広い教養を感じました。その他、三浦謹之助に光を当てていたのも良かったです。著者はシャルコーや三浦謹之助の子孫の方と交流があるようで、他では知ることの出来ないような話がいくつも本書に記されています。

シャルコーは、偉大な業績を残した反面、ヒステリー研究は彼の汚点であったとする言説を目にすることがたまにありますが、シャルコーのヒステリー研究がそんなに単純なものではなかったのが本書を読んでよくわかりました。ヒステリーの患者さんを診療する機会の多い神経内科医しては、著者の下記の文章は実感を持って理解できます。

精神と身体、あるいは人格の複数性が問題になる時、あるいはそこから派生する解離や記憶が問題になる時、私はこれを「シャルコー的問題」と呼ぼうと思うが、われわれは絶えず「ヒステリーの身体」と「シャルコー的視線」という問題に突き当たることになる。シャルコー没後一世紀以上を経た今日でも、問題は何ひとつ解決されておらず、しかもそれらが激しく議論されたことすらも忘れられようとしているのである。

多くの神経内科医に勧めたい本です。

以下備忘録、主として医学史関連の部分。

・ジャネによれば、シャルコーはこうした患者 (神経性無食欲症) を診て、その原因に太りたくないという固着観念があることを指摘したという。ジャネは、シャルコーの事例で、「ママのように太ってしまうなら空腹で死んだほうがいい」と述べる一人の少女を例に挙げている。その少女は腰にぴったりとピンクのリボンを巻き、それ以上太らない目安にしていた。シャルコーは、拒食がヒステリー性のものだという診断のために、このような肥満への固着観念を示す具体的証拠を探し出そうとしたという。シャルコーはさらに、臨床講義でこうした患者の治療には、まずは病因となった家族関係からの「隔離」が第一であり、両親を含め、医療者の権威への服従の度合いが重要な治療上の指標になるという卓見を披露している。(p.75)

・ゲッツの分析によれば、一八九一年の一年間 (つまり三七回の火曜外来) に三一六八名の患者が訪れ、うち一九一三名が初診、一二五五名が再来患者であった。それ以外の私的な診療はシャルコーの私邸で行われ、当初ピエール・マリーが、後にはギノンが与診として読み上げる助手の役を務めた。(p.103)

・同世代のヴュルピアンは、シャルコーといずれも同期にアンテルヌ、教授資格をとり、サルペトリエール病院に赴任した。ヴュルピアンは病理解剖学の教授となり、シャルコーとともに多発性硬化症の研究をおこない、生涯にわたってよきライバルであり、同時に親交を結んだ。一方、デュシェンヌはシャルコーの一時代上の晩学独行の研究者であった。デュシェンヌは地元で開業した後、四〇歳代でパリに出て、歩行運動失調や静電気を使用した表情筋の研究を一八五〇~六〇年代に相次いで発表。若いシャルコーに鮮烈な衝撃を与えた。シャルコーは彼を「神経学におけるわが師」と呼び、生涯にわたって深く敬愛した。シャルコーはデュシェンヌから、写真術と静電気使用という不可欠の技術を学び取ったのである。 (p. 108)

・のちの神経学や力動精神医学の基礎を築いたじつに多くの研究者がシャルコーのもとから巣立った。デュボーヴ、ジョフロア、ブールヌヴィーユ、フェレ、トゥーレット、ブリッソー、ピエール・マリー、ロンド、バレ、ギノン、ババンスキー、リシェ、スークさらにはジャネやフロイトを挙げることができる。(p.113)

・シャルコー以降、「精神ぬきの神経学と身体ぬきの精神医学」の時代が本格的に訪れる。(p.121)

・学生時代からエフェドリンについての論文 (塩酸エフェドリンの薬理作用である顕著な散瞳現象を、さまざまな動物実験で明らかにしたもの) をベルリンの医学雑誌に発表していた三浦 (謹之助) は、留学中も各地でそれぞれに相応しい研究成果を出しては次々に論文に発表している。結局その後も含め、独語、仏語で二〇編を超える論文を残した。三浦は、ベルリンのゲルハルトに内科学を、オッペンハイムに神経学を、マールブルグのマルシャンに病理学を、キュルツに生化学を学び、続いてハイデルベルグのエルプのもとで神経学を学び、明治二五年 (一八九二年) 一月パリのサルペトリエール病院に移ってシャルコーのもとで約半年間学び、同年の十一月に帰国している。(p.126)

・三浦は、明治三五年 (一九〇二年) には、東京大学精神医学教室の呉秀三とともに日本神経学会を設立した。今日の日本精神神経学会の前身である。この学会誌『神経学雑誌』第一号第一巻の巻頭論文は三浦による「筋萎縮性側索硬化症ニ就テ」であった。論文冒頭で三浦は、「我師シャルコー」の業績を賞賛することからはじめている。(p.129)

・三浦謹之助は、一八六四年 (元治元年) 三月二一日、福島県伊達郡富成村に生まれた。家は山村の医者であり、父道夫や東京にいた三浦有恒の影響もあってはやくから医者の道を志している。(p.134)

・三浦は、明治天皇の崩御の際の医療チームに加わり (この時わが国で最初に酸素ボンベが使用されたと記されている)、さらには大正天皇を診察し、また昭和天皇の欧州旅行に随行した一方で、幼き日より影響を受けた福澤諭吉の晩年から末期の主治医となり、その他にも伊藤博文、井上馨、桂太郎、松方正義、原敬、加藤高明ら数多くの政治家や実業家、さらには芸術家、著名人の主治医をつとめたのである。(p.138)

・ 一八九一年、当時の文部省が、大学教授資格試験 (アグレガシオン) の総監督に、シャルル・ブシャールを任命している、ブシャールはシャルコーの弟子であったが、途中袂をわかっており、結局教授資格試験に合格した五人のうち三名がブシャールの弟子であり、シャルコーの弟子は一人も通らなかった。この時本命とされていたババンスキーと、ジル・ドゥ・ラ・トゥーレットという、学派を代表する候補者が不合格になったのである。(p.159)

・シャルコーの死の影響は、まずサルペトリエール病院神経病学講座という、ほぼシャルコー唯一人を想定して設立された講座の主任教授を誰が引き継ぐのかという現実的な問題として表れた。結局ブリッソーが暫定教授を務めた後、九四年からは、二代目として正式にフルガンス・レイモンが主任教授に指名されることになる。レイモンはシャルコーの講座色を絶やさず約十七年間この講座の主任教授を務めた。シャルコーの直弟子たちもそれぞれの進路の変更を余儀なくされる。デジェリヌがサルペトリエール病院内に残ることになったため、ピエール・マリーは郊外のビセートル病院に移った。一貫して催眠に関心を示さなかったマリーは、その後の遺伝や変性や失語症について自らの議論を展開し多くの論争をおこなうことになった。一九〇七年には病理解剖学講座の主任になり、一九〇八年、有名な失語症論争をデジェリヌとの間で展開した、そして一九一七年デジェリヌの突然の死後、サルペトリエールに戻り四代目の主任教授におさまった。(p.162)

・(ババンスキーの) 次の外来医長だった、ジル・ドゥ・ラ・トゥーレットは、シャルコーの死の前後に、学派を代表する浩瀚なヒステリー研究を上梓したが、ブルアーデルとともに司法医学分野で大学に残ることを計っている。九三年には遠隔から催眠術をかけられたとする女性からの銃撃を受けて頭部に受傷し、その後は進行麻痺によるものと思われる問題行動が多く出現し、最終的には劇場での公演中にまとまらないことを口走り、本格的な狂気に陥ることになった。(p.163)

・サルペトリエール病院で、シャルコーの輝かしい業績を再び距離を置いて評価できるようになる機会は、マリーに続く五代目の主任教授であるギランを待ってはじめて可能になる。(p.165)

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喫煙とクロピドグレル

By , 2013年9月27日 7:43 AM

動脈硬化による脳梗塞を起こした患者さんに、「脳梗塞の予防に血液サラサラにする薬を使いましょうね」と抗血小板薬を処方するのは日常よく見かける風景です。患者さんは「血液サラサラ」と聞くと、もう脳梗塞を起こさなくてすむのではないかと錯覚しますが、せいぜい 20%前後予防してくれるにすぎません。

抗血小板薬はアスピリン (バファリン81, バイアスピリン)、クロピドグレル (プラビックス)、シロスタゾール (プレタール) などといった薬剤が一般的に日本で使用される薬剤です。アスピリンは薬価が非常に安い (5.6円/100 mg錠) のですが、クロピドグレルは薬価が高く (282.7円/75 mg錠)、製薬会社が積極的なプロモーションを行っています。先日は、「こういうシチュエーションで、脳梗塞予防にクロピドグレルを使わないのは、訴訟リスクになり得る」という講演が放映されていたのには、びっくりしました。

さて、そのクロピドグレルですが、2013年9月17日の British Medical Journal (BMJ) にビックリする論文が出ました。何と、喫煙者と非喫煙者でクロピドグレルの効果が顕著に違うという meta-analysisです。心血管死、心筋梗塞、脳卒中に対して、喫煙者でのクロピドグレルのリスク減少効果は 25%, 非喫煙者でのリスク減少効果は 8%でした。これだけ高い金を出して、非喫煙者には効果がすごく少ないんですね。何故こんなに効果が違うのかが不思議なのですが、クロピドグレルはプロドラッグで、代謝酵素で活性型になってから作用するのですが、喫煙は代謝酵素を誘導して活性型代謝産物を増加させるので効果が強くなるという仮説があるそうです。

実際の論文を下に紹介しておきます。一緒に解析されている ticagrelorや prasugrelといった薬剤は、今後日本にも登場してくることが予想される薬剤で、今回の研究を見るとクロピドグレルよりは幾分効果がありそうです。興味のある方は読んでみてください。

Effect of smoking on comparative efficacy of antiplatelet agents: systematic review, meta-analysis, and indirect comparison

BMJ 2013; 347 doi: http://dx.doi.org/10.1136/bmj.f5307 (Published 17 September 2013)
Cite this as: BMJ 2013;347:f5307

Abstract
Objective To evaluate whether smoking status is associated with the efficacy of antiplatelet treatment in the prevention of cardiovascular events.

Design Systematic review, meta-analysis, and indirect comparisons.

Data sources Medline (1966 to present) and Embase (1974 to present), with supplementary searches in databases of abstracts from major cardiology conferences, the Cumulative Index to Nursing and Allied Health (CINAHL) and the CAB Abstracts databases, and Google Scholar.

Study selection Randomized trials of clopidogrel, prasugrel, or ticagrelor that examined clinical outcomes among subgroups of smokers and nonsmokers.

Data extraction Two authors independently extracted all data, including information on the patient populations included in the trials, treatment types and doses, definitions of clinical outcomes and duration of follow-up, definitions of smoking subgroups and number of patients in each group, and effect estimates and 95% confidence intervals for each smoking status subgroup.

Results Of nine eligible randomized trials, one investigated clopidogrel compared with aspirin, four investigated clopidogrel plus aspirin compared with aspirin alone, and one investigated double dose compared with standard dose clopidogrel; these trials include 74 489 patients, of whom 21 717 (29%) were smokers. Among smokers, patients randomized to clopidogrel experienced a 25% reduction in the primary composite clinical outcome of cardiovascular death, myocardial infarction, and stroke compared with patients in the control groups (relative risk 0.75, 95% confidence interval 0.67 to 0.83). In nonsmokers, however, clopidogrel produced just an 8% reduction in the composite outcome (0.92, 0.87 to 0.98). Two studies investigated prasugrel plus aspirin compared with clopidogrel plus aspirin, and one study investigated ticagrelor plus aspirin compared with clopidogrel plus aspirin. In smokers, the relative risk was 0.71 (0.61 to 0.82) for prasugrel compared with clopidogrel and 0.83 (0.68 to 1.00) for ticagrelor compared with clopidogrel. Corresponding relative risks were 0.92 (0.83 to 1.01) and 0.89 (0.79 to 1.00) among nonsmokers.

Conclusions In randomized clinical trials of antiplatelet drugs, the reported clinical benefit of clopidogrel in reducing cardiovascular death, myocardial infarction, and stroke was seen primarily in smokers, with little benefit in nonsmokers.

Effect of smoking on comparative efficacy of antiplatelet agents

Effect of smoking on comparative efficacy of antiplatelet agents, figure 2

同じ British medical journalで、2012年11月5日に新規経口抗凝固薬 (new oral anticoagulant drug: NOAC) の比較に関する論文が載っています。既に数種類の薬剤が使用可能なので、どの NOACを使うかといったときにたまに参考にしています。論文が見つかりにくいときがあるので、備忘録としてリンクを貼っておきます。

Primary and secondary prevention with new oral anticoagulant drugs for stroke prevention in atrial fibrillation: indirect comparison analysis

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シューマンのヴァイオリン・ソナタ

By , 2013年9月26日 7:36 AM

ロベルト・シューマンはヴァイオリン・ソナタを3曲書いています。その中でも、第3番は精神疾患を増悪させて亡くなる数年前に書かれた作品で、F.A.E.ソナタが下敷きになっています。

F.A.E.ソナタは、おそらくシューマンの発案で、第一楽章をディートリヒ、第三楽章をブラームス、第二・第四楽章をシューマンが作曲して、一つの曲として完成しています。シューマンはこの出来が気に入って、第二・四楽章を下敷きにヴァイオリン・ソナタ第3番を作曲しました。下記のような対応になっています。

シューマンのヴァイオリンソナタ第3番
1. Allegro→書きおろし
2. Scherzo→書きおろし
3. Intermezzo→F.A.E.ソナタ第2楽章
4. Finale→F.A.E.ソナタ第4楽章

是非聴きたいと思って CDを探していたら、カントロフが録音していました。

ヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、第3番 カントロフ、ヴォロンダット

素晴らしい演奏です。

しかし疑問点が一点。CDのジャケットは下記のようになっています。

1. Allegro
2. Scherzo
3. Intermezzo
4. Finale

ところが実際の演奏は次のようになっています。

1. Allegro
2. Intermezzo
3. Scherzo
4. Finale

何故かと思ってネットで調べてみると、ウルフ・ヴァーリン/ローランド・ペンティネンの演奏でも同じ楽章配置にされているようで、慣習的にそうされているのかもしれません。

シューマンの「ヴァイオリン・ソナタ第1番 – 第3番」

ただし、このディスクの演奏では、「F.A.E.ソナタ」の第2楽章と第4楽章をそのままにして、新たに作曲された“Ziemlich langsam”を第1楽章に、“Scherzo”を第3楽章に配置している。「第1番」だけが3楽章様式で、その他は4楽章様式であるが、いずれも燃え尽きる前の炎の輝きに似た情念が、暗鬱な抒情性の中に凝縮されている。

カントロフの録音はお薦めなので、シューマンに興味がある方は聴いてみてください。ちなみに、カントロフは成田達輝さんの師匠でもあります。奇遇なことに、eぶらあぼ 10月号37ページに成田達輝さんのインタビューが載っているのを今朝知りました。併せてどうぞ。

eぶらあぼ2013.10月号

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将棋教室

By , 2013年9月25日 7:05 AM

9月21日に秋田で当直をして、22日に秋田からいなほ 10号に乗って新潟に行きました。連休を利用して山崎さんに会うためです。

山崎さんは、池袋に Shogi-Barが出来た頃からの付き合いです。常連として将棋を指すようになった頃は同じくらいの棋力で、良きライバルでした。

彼は好きな将棋を職業にする道を選び、最近上越市に将棋教室を開きました。

一見様歓迎らしいので、近くに行かれる方は是非寄ってみてください。初心者でも優しく丁寧に教えて貰えると思います。

 将棋教室 一歩

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シュルレアリスム宣言

By , 2013年9月21日 9:25 PM

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」という本の中から、シュルレアリスム宣言を読み終えました。日常会話で「シュールだなぁ・・・」という表現をすることがありますが、その元になったのがシュルレアリスムという言葉のようです。

以前、岩田誠先生と現代音楽について話をしていたときに、その場にいた “はりやこいしかわ先生” が、「音楽にシュルレアリスムはないんですか?」と尋ねて、岩田先生が「それはないんだよ。なぜなら音楽にはレアルがないから。シュルレアリスムっていうのは、レアルに対するシュルなんだよ」なんて答えてらっしゃって、何も知らなかったシュルレアリスムを少し勉強してみようと思ったのがこの本を読んだ動機です。

そもそもシュルレアリスムとは何なのか、それを定義した部分を抜粋します。

「シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」 46~48ページ

そこで、いまこそきっぱりと、私はこの言葉を定義しておく。

シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象 (オートマティスム) であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。

百科事典。(哲)。シュルレアリスムは、それまでおろそかにされてきたある種の連想形式のすぐれた現実性や、夢の全能や、思考の無私無欲な活動などへの信頼に基礎をおく。他のあらゆる心のメカニズムを決定的に破産させ、人生の諸問題の解決においてそれらにとってかわることをめざす。絶対的シュルレアリスムを行為にあらわしてきたのは、アラゴン、バロン、ボワファール、ブルトン、カリーヴ、クルヴェル、デルテイユ、デスノス、エリュアール、ジェラール、ランブール、マルキーヌ、モリーズ、ナヴィル、ノル、ペレ、ピコン、スーポー、ヴィトラックの諸氏である。

現在までのところ、以上の面々だけであって、十分なデータのないイジドール・デュカスの例をのぞけば、まずまちがうようなことはないだろう。そしてもちろん、それぞれの効果を表面的に見るだけならば、ダンテや、全盛期のシェイクスピアをはじめとして、かなりの数の詩人たちがシュルレアリストとみなされうるだろう。私は、背任の結果として天才とよばれているものを格下げするために、これまでさまざまな試みにふけってきたものだが、その間になにひとつとして、シュルレアリスム以外のプロセスに帰着しうるものを見出せなかったのである。

ヤングの「夜想」ははじめからおわりまでシュルレアリスム的であるが、あいにく語り手は牧師である。おそらくわるい牧師ではあろうが、とにかく牧師である。

スウィフトは悪意においてシュルレアリストである。

サドはサディスムにおいてシュルレアリストである。

シャトーブリヤンは、エグゾティスムにおいてシュルレアリストである。

コンスタンは政治においてシュルレアリストである。

ユゴーは馬鹿でないときはシュルレアリストである。

デボルド-ヴァルモールは愛においてシュルレアリストである。

ベルトランは過去においてシュルレアリストである。

ラップは死においてシュルレアリストである。

ポーは冒険においてシュルレアリストである。

ボードレールは道徳においてシュルレアリストである。

ランボーは人生の実践その他においてシュルレアリストである。

マラルメは打明け話においてシュルレアリストである。

ジャリはアプサント酒においてシュルレアリストである。

ヌーヴォーは接吻においてシュルレアリストである。

サン-ポー-ルーは象徴においてシュルレアリストである。

ファルグは雰囲気においてシュルレアリストである。

ヴァシェは私のなかでシュルレアリストである。

ルヴェルディは自宅にいるときにシュルレアリストである。

サン-ジョン・ペレスは距離をおいてシュルレアリストである。

ルーセルは逸話においてシュルレアリストである。

等々。

このように、連想、夢、無意識に重きを置いた姿勢は、フロイトなどの精神分析を思い起こさせますが、何とブルトンは精神医学や神経学を学んだことがあり、精神分析で有名なフロイト、神経学の歴史的偉人バビンスキーと交流がありました。シャルコー、クレペリン、フロイトなどの著書を夢中になって読んでいた時期があると言います。

シュルレアリスム宣言にも、フロイトやバビンスキーが登場します。その部分を抜粋します。まずはフロイトから。

「シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」 19ページ

文明という体裁のもとに、進歩という口実のもとに、当否はともかく迷信だとか妄想だとかきめつけることのできるものはすべて精神から追いはらわれ、作法にあわない真理の探求方法はすべて禁じられるにいたったのだ。最近になって、知的世界の一部分が明るみに出されたことは、表面上は、いかにも大きな偶然のしわざである。だが、私の見るところ、これこそはとびぬけて重要でありながら、もはや気にもとめないふりをされていた部分なのである。これについてはフロイトの諸発見に感謝しなければならない。その諸発見をよりどころにして、ついにひとつの思潮がうかびあがり、そのおかげで人間探索者は、もはや皮相の現実ばかりを重んじなくてもいいのだという保証を得て、その調査をさらに大きく前進させることができるはずである。想像力はおそらく、いまこそ、みずからの権利をとりもどそうとしている。

「シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」 2o~21ページ

フロイトが夢に批評をむけたのは、しごく当然のことである。じっさい、心の活動のうちのこの無視できない部分が (なぜなら人間の誕生から死までのあいだ、思考はなんら断絶を示さないものであり、時間の見地からして、夢みている時の総計は、たとえば純粋な夢、睡眠中の夢だけしか考慮に入れないにしても、現実の時、これも限定していえば覚醒中の時の総計とくらべて、短いわけではないからである)、まだこれほどわずかしか注目をひいていないというのは、うけいれがたいことである。

「シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」 40ページ

そのころ私はまだフロイトに没頭していたし、彼の診断方法に親しみ、戦争中にはそれを患者たちに適用してみる機会もすこしばかりあったので、そこでは患者から得ることをもとめられているものを、つまり、できるだけ早口で語られる独り言を、自分自身から得ようと決意したのだった。すなわち、被検者の批判的精神がそれにどんな判断もくだすことがなく、したがってどんな故意の言いおとしにもさまたげられることがない、しかも、できるだけ正確に語られた思考になっているような独り言をである。思考の速度は言葉の速度にまさるものではなく、思考はかならず舌を、それどころか走り書きのペンをすらよせつけないものではない-あの筒切りにされた男という文句のおとずれた次第がそのことを証明していたが-と私には思えたし、いまもそう思えるのだ。

さて、バビンスキーの方はというと、実名は登場しませんが、該当部分を読むと、バビンスキーであることは一目瞭然です。

「シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」 83ページ

科学者の方法についていえば、私はそれを私の方法とおなじ価値のあるものとみなす。私はかつて足のうらの皮膚の反射作用の発見者が仕事をしているところを見た。彼はやすみなく被験物をいじくっていたが、やっているのは「診察」とはまったくべつのことで、彼がもはやどんなプランもあてにしていないことは明らかだった。ときどき、長い間をおいて所見をしたためるのだが、だからといってピンをおくわけではなく、他方、彼の小槌はあいかわらずすばやく動きつづけていた。患者の治療はというと、そんなくだらない仕事はほかの者にまかせていた。彼はその聖なる情熱にすべてをそそいでいたのである。

医学を学び、フロイト、バビンスキーと同時代にその影響を受けた人物が、芸術に一つの潮流を創りだしたというのは、面白いことですね。精神疾患患者であったLeona Delcourtとの交際をテーマにした「ナジャ」は時間を見つけて是非読みたいです。タイトルに惹かれて、ブルトンの著作「性に関する探求」をアマゾンでポチってしまったのはここだけの秘密です (^^;

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