Category: 医学/医療

研究的態度の養成

By , 2013年3月30日 9:22 AM

これまで何度か寺田寅彦の随筆を紹介してきましたが、Twitterで随筆「研究的態度の養成」の存在を知りました。短い随筆ですが、素晴らしい文章だと思います。結びの文章、「現在の知識の終点を究めた後でなければ、手が出せないという事をよく呑み込まさないと、従来の知識を無視して無闇むやみに突飛とっぴな事を考えるような傾向を生ずる恐れがある」と言われると、結構耳が痛いです (^^;

結びの部分のみ引用しますが、下記リンク先から全文が読めます。

研究的態度の養成

これらの歴史を幾分でも児童に了解させるように教授する事はそれほど困難ではあるまい。かようにしていって、科学は絶対のものでない、なおいくらも研究の余地はある、諸子の研究を待っているという風にしたいと思うのである。ただ一つ児童に誤解を起させてはならぬ事がある。それは新しい研究という事はいくらも出来るが、しかしそれをするには現在の知識の終点を究めた後でなければ、手が出せないという事をよく呑み込まさないと、従来の知識を無視して無闇むやみに突飛とっぴな事を考えるような傾向を生ずる恐れがある。この種の人は正式の教育を受けない独創的気分の勝った人に往々見受ける事で甚だ惜しむべき事である。とにかく簡単なことについて歴史的に教えることも幾分加味した方が有益だと確信するのである。

(参考)

津浪と人間

科学者と芸術家

物理学者の心

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偉大な記憶力の物語

By , 2013年3月29日 8:25 AM

偉大な記憶力の物語 ある記憶術者の精神生活 (A.R.ルリヤ著、天野清訳、岩波現代文庫)」を読み終えました。ルリヤは歴史的に有名な神経心理学者です。

ここに登場するシィーは、著者が「文献に述べられたなかで最もすぐれた記憶力の持ち主」と評した人物です。シィーの記憶力は凄まじいものでした。例えば、次のような表を 3分間見せたとします。

024571218670X

8383390562621

6469280479950

651743132125X

この表を彼は軽々と再生しました。そればかりでなく、逆から再生、斜めに再生も問題なくできました。そして、数カ月後にも同じように再生しました。

その他、イタリア語を理解しない彼にイタリア語で「神曲 (ダンテ)」を読み聞かせたときも、彼はイタリア語で再生しました。15年後に予告なく再生を促した時も、それをそのまま再生したのでした。数学のでたらめな長い公式も、簡単に暗記し、15年後に聞いた時、そのまま再生できました。

このように忘却を知らない彼の記憶力の裏付けは、鮮明な直観像と共感覚でした。見たものを像として通りに配置し、その風景を覚えると、あとは脳内の通りを歩くだけで再生できたのです。音を味として感じ、数字が像として見える共感覚は、このような方法で覚えた記憶を強化するのに役立ちました。

ただし、彼のこの能力には欠点がありました。読むものが直ぐに像に置き換わってしまうため、抽象的な文章や詩が解釈できないのです。また、「無」のようにイメージ出来ない言葉が苦手で、「無限」という言葉も実感を持って理解できませんでした。

最初には超人のように見えた彼の能力をルリヤは鮮やかに解き明かしていきます。専門的な内容を平易に書いていますので、神経心理学に興味がある方は、是非読んでみてください。200ページくらいの薄い本です。

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MUSICOPHILIA

By , 2013年2月24日 10:19 AM

音楽嗜好症 (オリヴァー・サックス著、大田直子訳、早川書房)」を読み終えました。

オリヴァー・サックスの書いた本を読むのは初めてでしたが、彼は独特の研究スタイルを持っていると感じました。多くの科学者は、間違いないと確認されたことを足がかりに次のステップに進んでいきますが、彼の場合はとりあえず正確かどうかは二の次にして手に入る限りの情報を集めて、その中からエッセンスを抽出する方法を取っているようでした。そのため、所々「本当にそう言い切れるのかな?」と感じさせる部分はありましたが、独自の視点で音楽について論じることが出来ていました。

本書は、音楽に対して医学的にあらゆる角度からアプローチしています。症例が豊富ですし、論理を裏づけるために引用した科学論文も膨大な量です (末尾に文献集があります)。

特に印象に残ったのはパーキンソン病と音楽療法についてです。日本では林明人先生が「パーキンソン病に効く音楽療法CDブック」を出されていますが、L-Dopa登場前に既に行われていて、大きな効果を上げていたことは初めて知りました。

また「誘惑と無関心」と題された、失音楽に関する章でイザベル・ペレッツの名前を見た時は驚きました。メールのやり取りをしたことがある研究者だったからです。この業界では有名人なので、登場してもおかしくはないのですが。

それと、ウイリアムズ症候群の患者達がバンドを組んでデビューしている話も興味深かったです。Youtubeで動画が見られます。

The Williams Five

5足す 3が出来ないくらいの mental retardationがありながら、プロの音楽家として立派に活躍しているというのは、音楽がそういうことは別に存在していることを示しています。

このように興味深い話題が豊富なのですが、内容をすべては紹介できないので、代わりに目次を紹介しておきます。本書がどれだけ広範な角度から音楽にアプローチしているか、伝われば幸いです。

序章

第1部 音楽に憑かれて

第1章 青天の霹靂―突発性音楽嗜好症

第2章 妙に憶えがある感覚―音楽発作

第3章 音楽への恐怖―音楽誘発性癲癇

第4章 脳のなかの音楽―心象と想像

第5章 脳の虫、しつこい音楽、耳に残るメロディー

第6章 音楽幻聴

第2部 さまざまな音楽の才能

第7章 感覚と感性―さまざまな音楽の才能

第8章 ばらばらの世界―失音楽症と不調和

第9章 パパはソの音ではなをかむ―絶対音感

第10章 不完全な音感―蝸牛失音楽症

第11章 生きたステレオ装置―なぜ耳は二つあるのか

第12章 二〇〇〇曲のオペラ―音楽サヴァン症候群

第13章 聴覚の世界―音楽と視覚障害

第14章 鮮やかなグリーンの調―共感覚と音楽

第3部 記憶、行動、そして音楽

第15章 瞬間を生きる―音楽と記憶喪失

第16章 話すことと、歌うこと―失語症と音楽療法

第17章 偶然の祈り―運動障害と朗唱

第18章 団結―音楽とトゥレット症候群

第19章 拍子をとる―リズムと動き

第20章 運動メロディー―パーキンソン病と音楽療法

第21章 幻の指―片腕のピアニストの場合

第22章 小筋肉のアスリート―音楽家のジストニー

第4部 感情、アイデンティティ、そして音楽

第23章 目覚めと眠り―音楽の夢

第24章 誘惑と無関心

第25章 哀歌―音楽と狂喜と憂鬱

第26章 ハリー・Sの場合―音楽と感情

第27章 抑制不能―音楽と側頭葉

第28章 病的に音楽好きな人々―ウィリアムズ症候群

第29章 音楽とアイデンティティ―認知症と音楽療法

謝辞

訳者あとがき

参考文献

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失語の国のオペラ指揮者

By , 2013年1月30日 7:29 AM

「失語の国のオペラ指揮者 神経科医が明かす脳の不思議な働き (ハロルド・クローアンズ著、吉田利子訳、早川書房)」を読み終えました。以前紹介した、「医師が裁かれるとき」という本と同じ著者です。

教科書では読めないような、神経学に関する話題が満載でした。どの話も面白かったのですが、「音楽は続く、いつまでも」というエッセイを読んだときには、電車内であったにも関わらず、「あっ」と声を上げました。なぜなら、「脳梗塞と音楽能力」でエントリーで紹介した患者のことが書かれていたからです。この本では患者は論文と別の名前になっていますが、明らかに同一人物です。著者は、担当医による紹介を経て患者に実際会っており、そのときのエピソードが綴られています。論文には記されていない裏話が満載です。

もう一つ紹介しておきたいのが「シーフ・リヴァー・フォールズの隠者 病気の名祖との最初の対面」というエッセイです。末梢神経障害、運動失調、網膜炎を症状とする患者を診療する機会があり、一年目の研修医であった著者は Refsum病と診断しました。そして、なんと名付け親となった Refsum教授が症例検討会に参加することになりました。Refsum病は、本来「heredopathia atactica polyneuritiformis (遺伝性失調性多発神経炎)」というラテン語名が正式名称です。Refsum教授は一度も “Refsum病” と口にしたことはなく、正式名称で呼んでいたそうですが、著者は「もし、新しい病気を発見して名前をつけることがあれば、正確ではあってもややこしいラテン語の名前をつけよう。そうすれば、すぐに名祖になれる。病名として名が残れば、十五分で忘れ去られることはない」と冗談めかして書いています。Refsum教授は巧みな問診で患者の生活歴を暴き、治療方針を立てました。Refsum氏が指示した治療、フィタン酸を多く含む木の実の摂取制限は有効だったそうです。

このエッセイ「シーフ・リヴァー・フォールズの隠者 病気の名祖との最初の対面」は、Sigvald Refsumが Georg Herman Monrad-Krohnと編集した教科書についてのエピソードで結ばれています。その教科書に掲載されている気脳図 (CTや MRIがなかった時代は、髄腔から空気を入れてレントゲンを撮り、空気が入った脳室の形を見て判断することがあったが、激烈な頭痛を伴い、しばしば命を落とす侵襲的な検査だった) は、ある有名政治家、ナチスに協力したクヴィスリンクのものらしいです。第二次大戦後、クヴィスリンクの異常な行為が疾患のせいではないことを確かめるため気脳図を撮られ、正常であることを確認後に銃殺されたそうです。どうやらその時の写真が正常像として教科書に使われたらしいのです。

余談ですが、ノルウェーがドイツに占領されていた時期、食料がドイツに送られ、国民が菜食を強いられました。そのため、Refsum病の原因となるフィタン酸が蓄積しやすい状況が作られました。Refsum教授が Refsum病を発見したのには、このような時代背景のため Refsum病の患者が増加していた事情があったようです。

私が師匠に Refsum教授の話をすると、師匠は彼が来日した際、講演を聞いて話をしたことがあると仰っていました。Refsum教授は素晴らしい紳士で、風格のある方だったらしいです。そして、Sigvald Refsumと Georg Herman Monrad-Krohnが纏めた教科書は素晴らしく、Parkinson病患者の表情の情動的不全麻痺の記載には感銘を受けたと仰っていました。

ちなみに、Refsumと Monrad-Krohnが編集した教科書は「神経疾患検査法 (医博 稲永和豊訳, 医歯薬出版)」として邦訳されています。邦訳版を手に入れたので、掲載されていた気脳図の写真を下に示しておきます。クローアンズの言うとおりなら、クヴィスリンクのものかもしれません。

あおむけの姿勢でとられた正常な気脳撮影写真

うつむけの姿勢でとった正常な気脳撮影像

正常気脳撮影写真側面像

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外来を愉しむ攻める問診

By , 2013年1月26日 7:49 AM

外来を愉しむ攻める問診 (山中克郎著、文光堂)」を読み終えました。

診察において問診は極めて重要で、問診のみでほぼ診断がつく病気は珍しくありません。診察や検査は、それを裏づけるための補助的なものにすぎないことはしばしばです。また、通常問診によって当たりをつけてから、行う検査を決定します。従って、問診の巧みさは医師の診断能力に直結しています。

本書は、主訴別に想定しなければならない疾患を挙げ、それに対する問診の仕方について、感度・特異度を織り交ぜながら解説しています。また頻度の少ない疾患であっても、見逃すと危険性が高い疾患をピックアップするテクニックも示されています。

内容が豊富で一度読んだだけでは消化できなかった部分があるので、時間をあけてから再度読みたいです。何度も読むだけの価値のある本だと思います。

なお、最近患者家族になった知り合いの先生曰く、「問診は時に侵襲的ですので、用法用量を守って正しくご使用ください」とのことですので、それは肝に命じておきたいと思います。

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医者が裁かれるとき

By , 2013年1月19日 9:43 AM

医者が裁かれるとき 神経内科医が語る医と法のドラマ (ハロルド・クローアンズ著、長谷川成海訳、白楊社)」を読み終えました。読み始めるとすぐに嵌ってしまい、一気に読了しました。

著者はシカゴのラッシュ-長老派-聖ルカ・メディカルセンター神経内科教授です。多くの裁判で専門鑑定人を務めています。その時の経験を中心に本に綴ったものです。

神経内科医としてはお馴染みの疾患がずらりと並んでおり、実感を持って読むことができました。「ヒステリーは難しい」というのは、改めて感じたところです。

驚いたことに、本書にギブズが登場します。ギブズは脳波研究で世界最高の権威の一人です。まさに歴史的人物です。この本を読んで知ったことですが、ギブズは医学部卒業後、臨床研修は行わず、すぐに研究室にこもってひたすら脳波を読み続けたそうです。患者を診察することはありませんでした。そのためか、訴訟において、「脳波のほうが臨床診断より有効だ」「もし脳波と臨床診断との間で違いが出たら、脳波をとる」と断言しています。現在ではそのような考えをする医師はまずいません。異常脳波で発作がないこともあるし、てんかん患者でも発作前後でなければ脳波で異常が見つからないことが少なくないことは、今日では一般的に知られています。著者は、一卵性双生児における遺伝性の小発作で、脳波所見が重篤な方が臨床症状は軽く、脳波所見が軽い方が臨床症状が重かった症例を経験しています。

本書は、読み物として非常に面白いので、一般の方にも是非読んで欲しいです。また、神経内科医なら読んで嵌ることを約束します。

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ラモン・イ・カハル自伝

By , 2013年1月6日 8:43 AM

ラモン・イ・カハル自伝 ―悪童から探求者へ (小鹿原健二訳、萬年甫解説、後藤素規編、里文出版)」を読み終えました。

カハールについては、このブログでも何度か取り上げました。「ニューロン説」を唱え、ノーベル賞を受賞した歴史的科学者です。

神経学の源流 2 ラモニ・カハール

脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星

「ラモン・イ・カハル自伝」は、カハールが悪童として名を馳せた少年期から、学問を志すようになった頃までを綴った自伝です。カハールがかなりの悪童であったことは事実ですが、彼がハチャメチャな行動を行うに至った内面の描写が面白く、まるで良質の冒険小説を読んでいるようでした。一方で、彼は凄く分析的に周囲のことを観察できる子供だったようです。教師を客観的に分析し、何故その教師の授業を聞く気にならなかったかも記しています。他面、カハールには試験での遅刻癖があり、再三失敗したということも、記されていました。色々と規格外の人物だったのですね。

本書には、教訓的な表現が多く出てきて、なかなか含蓄があります。

その経験とは、様々な似たような事態にもあてはまるが、次の極めてありふれた格言「困難な仕事において、勝利をおさめようと思うなら、充分な時間と労力をかけて、明らかに必要なものを予め身に備えながら、仕事に打ち込め」の中に含まれていた。結局、努力は、決して害にならず、むしろ、別の機会に役立った。それにひきかえ、努力の不足は、それがわずかであっても、惨めな失敗をもたらすのである。

何か有益な教訓を生み出さないような「愚かな行動」はないものだ。

アマチュアの絵書きが大体そうであるように、私は基本的な色調をよく識別した。しかし、灰色の使い方の難しさを知らなかったし、また、「自然は、単純な色を示すことはほとんどない」ということに全く無知だった。

聴覚と同様に、風景の色彩感覚において、いろいろな組み合わせしか存在しない」ということは知られている。色彩には色々の割合で、常に、白と黒―聴覚における無音と有音に相応する―が混じり合っている。色彩に関するこのような認識が子供に欠けていることは止むを得なかった。そんな事を知らずに、私は、色彩を単純化し、図式化した。ハーモニーを無視してメロディーだけを表現するヘボ楽士のように、未熟な絵書きは、主要な色調だけを描く。ここで街頭絵書きの気違いじみた色付けを思い出さない人はいないだろう。(略)

私も経験のなさから、このような嘆かわしい欠陥に犯されていた。しかし、暗中模索している中に、私はこの欠陥の一部を克服して、調和のとれた色調を見分けることができるようになった。例えば、それまで、あらゆる緑色を単純に芝生のような純粋な緑色にしていたが、オリーブの緑色、黄楊の黄緑色、樫と松の灰緑色、糸杉の黒緑色を区別できるようになった。このような目立たない鑑識力の向上は私に自然の事物を詳しく観察させ、必ずといっていいほど、形や色調を単純化しがちである記憶に疑いを抱かせるように仕向けた。

世間の生業は、神秘的な作用には全く無関係な仮借のない論理に従って進展し、そして結末がつく、というのが私の意見である。

カハールは絵が大好きだったようで、それは彼のスケッチからも伺い知ることができます。写真は、彼が父親と一緒に解剖学を勉強していたときのスケッチです。


さて、最後に情報募集。カハールが下記のように紹介したファーブルの「宇宙」という本を読みたくなって探しているのですが、見つかりません。ご存知の方がいらっしゃったら御教授頂ければ幸いです。

私はラプラスの有名な著作を読もうと思って、その下準備のため、天文学に関する通俗的な本、特にフラマリオンの有名な人気のある本と、天才的な昆虫の観察者ジャン・アンリ・ファーブルの本を参考にしようと考えた。フラマリオンの数々の本は私を大いに楽しませてくれたが、知識欲を完全に満たしてはくれなかった。それらの本は豊かな叙情味、打ち解けた親しみ、華やかな文章では優れていたが、論証がほとんどなかった。それに引き替え、『宇宙』と題されたファーブルの小さな手引書は、私にとって素晴らしい天啓となった。その本には、分別と節度に貫かれた文章が躍動していた。(「昆虫の王」が優れた詩人であることは良く知られている) しかも、言葉が思想をおし殺していない。本のすべての頁にわたって、初心者に幾何学的方法―その方法の助けで、宇宙形状誌と天文学の驚くべき真理が発見された―の基本的メカニズムを手ほどきしようとする配慮が息づいていた。三角形の定義に始まり、天文学が獲得した最も優れた知見に終わるこの小冊子を読んだ私は、ついにそれまで軽蔑していた幾何学、憎んでいた三角法と和解した。宇宙空間の科学は、若干の器具の力を借りて、紙の上に何本かの線を引くことによって地球の大きさを測り、地球の実際の形を決定し、月までの距離と大きさを決め、太陽の容積と太陽までの距離を研究し、遊星の軌道と形を決定するような壮挙を成し遂げたことに気付いて、私はびっくりした。もっと卑近な仕事では、登らずに塔や山の高さや幅を知ること、渡らずに川の幅を測ること、海に沈んだ船の位置を決定すること等があった。特に、二千年以上も前にサモスのヒッパルコスによってなされた太陽までの距離に関する幾何学的な極めて巧妙な論証に、私は心から驚嘆した。今日、三角法は、太陽までの距離の割り出しや、もっと他の大きな問題の解決のために非常に正確で洗練された方法にまで高められている。しかしながら、幾何学の卓越した力を人類に明らかにしたこのギリシアの天文学者が、先駆者の一人であることを認めなければならない。

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脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星

By , 2012年12月10日 8:16 AM

「脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星 (萬年甫著、中公新書)」を読み終えました。ラモニ・カハールについては、「神経学の源流 2 ラモニ・カハール」で説明したばかりですね。

本書はカハールについての伝記です。手の付けられない悪童が改心して研究者になり、義憤にかられてキューバ遠征に行くもマラリアにかかり散々な目にあって帰国し、以後研究に没頭してニューロン説を確立するまでの話が豊富な資料を元に書かれています。出版が中公新書ということからわかるように、専門家以外の方でも読める内容になっています。200ページくらいの薄い本なので、あっという間に読めますね。

印象に深かったことは物凄くたくさんありましたが、触れておきたい逸話があります。カハールが突起を発見できず、「第三要素」と呼んだ細胞群がありました。弟子オルテガが、師のカハールに「第三要素に突起がある」と告げた時、カハールは複雑だったようです。明らかに弟子が正しかったのですが、カハールを以ってしても、歳下の学者に自分の学説の間違いをストレートに指摘されると素直になれなかったようです。師弟という点では異なりますが、ゴルジがカハールに間違いを指摘された時の不愉快さも似たようなものであったのではないかと感じました。

以下は、備忘録。

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神経学の源流 2 ラモニ・カハール

By , 2012年12月7日 8:21 AM

「神経学の源流2 ラモニ・カハール (萬年甫編訳、東京大学出版会)」を読み終えました。カハールはニューロン説の礎を築き、ノーベル賞を受賞した研究者です。

第一章は著者の神経解剖学の「研究の端緒」で、カハール研究所を訪れ、その標本を見るところから始まります。第二章は「神経解剖学の方法・その史的発展」と題し、神経解剖学の研究の歴史を簡単に紹介しています。

第三章「ニューロン説の原典」が、カハールの論文の翻訳です。カハールはゴルジ法 (黒い染色) を用いて研究を始めた訳ですが、同じ方法を用いて同じものを見たゴルジが網状説 (神経は網目状に吻合している) を唱え、カハールがニューロン説 (各神経は独立した単位であり、接触により刺激が伝導する) を唱えたのは興味深いことです。凄いことに、カハールは詳細に形態を観察することで、神経の機能、刺激の伝導の方向まで明らかにしてしまいます。1892年に行われた「神経中枢の組織学に関する新見解」という講演は、次のように結ばれています。この結びを読むと、彼が唱えたニューロン説の概要がわかります。

以上取り急ぎ申し上げた諸事実を総括し、いくつかの考察を行なってこの講演を終わることにしたい。

1) 中枢細胞の形態学について、一般的な結論を下すならば、それは神経細胞、上皮性細胞ならびに神経膠細胞の突起の間には物質的な連続性がないということである。神経細胞は正真正銘の単一細胞であり、Waldeyerの表現によればノイロン (neuronas) である。

2) 物質的な連続性がないのであるから、興奮が 1つの細胞から他の細胞へ伝わる場合、あたかも 2本の電話線の接合点におけるがごとく、接近ないし接触 (por contiguidad o por contacto) によって行なわれねばならない。このような接触は一方は軸索の終末分枝あるいは枝側と、他方は細胞体ならびに原形質突起 (※樹状突起のこと) との間に行われるのである。網膜の神経膠細胞、脊髄神経節の単極細胞ならびに無脊椎動物の単極細胞のごとく、原形質突起のない場合には、細胞体の表面が神経性分枝の付着する唯一の場所となるのである。

3) 2種類の突起をもつ細胞のなかで神経興奮の伝わる方向として考えられるのは、原形質突起のなかでは求心性、軸索のなかでは遠細胞性ということである。(略)

4) 双極性細胞 (聴神経、嗅神経、網膜、Lenhossekと Retziusによれば蠕虫の知覚性双極細胞、魚の脊髄神経節の知覚性双極細胞など) では、末梢性突起は太くて興奮 (求細胞性の興奮) を受け入れる役をなし、原形質性のものとみなすべきである。(略)

5) 原形質突起は、Golgiならびにその一派が考えているように毛細管から放出される血漿を吸う細根のごとき単なる栄養装置ではなく、軸索と同じように伝導を行なっているのである。(略)

6) 原形質突起茎のあるもの (大脳の錐体細胞、Purkinje細胞など) がきわめて長いことや、側方および基底部からでる原形質突起が豊富なのは、多数の神経性分枝と連絡を確保し、その興奮を集める必要があるからであろう。多くの原形質突起分枝に見られる表面の粗いことや、棘の間の切り込みはおそらく神経線維終末の作用や接触が行われることを示しているのであろう。

第四章は、「網状説とニューロン説」です。「ストックホルムの壇上にて」という副題が付いています。ゴルジとカハールは同時にノーベル医学生理学賞を受賞し、それぞれ講演を行いました。ゴルジの講演は 1906年 12月 11日、カハールの講演は同 12月12日でした。それぞれの講演の全容が記されています。読むと互いにかなり意識していることがわかります。ゴルジのと比べ、カハールの講演の方が、理路整然としていて、説得力があります。

第五章は「カハール以後」です。著者達が如何にして研究を進めていったかが解説されています。地道な作業の連続に、研究とは忍耐なのだと感じさせられます。一方で、著者の行った工夫にも感嘆します。最終章は「ゴルジ法発見から 100年」と題されていて、”黒い染色” 記念シンポジウムです。著者がゴルジの住んでいた家を訪ねたり、ゴルジが作った標本を観察したことが記されています。

さて、カハールの論文を読んでいて、どうしてもわからない部分がありました。下記のくだりです。

後根はそれぞれ、遠心性線維と求心性ないしは知覚性線維から成っている。

遠心性のものは (Lenhossekとわれわれが同時に証明したように)、前角の細胞から出て、途中分枝したり枝分かれしたりすることなしに後根および脊髄神経節に入る。

大多数を占める求心性のものは、、後索に入って斜にその深部に進み、Y字状に分枝して上行枝と下行枝に分かれ、それぞれ縦走して後索の線維となる。これらの枝は白質に沿って何センチも走った後灰白質に侵入するらしい。そして遂には後角の細胞の間で遊離の樹上分枝として終わる。

この中で、「遠心性のもの」が何を示しているのかわからなかったのです。先日、岩田誠先生に会う機会があったので、質問してみました。すると、「それが Lenhossek (レンホセック) 細胞だよ」とのことでした。

通常、運動ニューロンは直接脳幹ないし脊髄の前方から出てきますが、レンホセック型のニューロンは一旦脳幹ないし脊髄の後ろ側に回って、側方よりの前方から出てきます。この手の細胞は、やや原始的なもので、運動成分のみならず自律神経成分を含むとされています。脳神経にはいくつかあり、顔面神経などがそれにあたります (リンク先 17から出る線維の走行参照)。

レンホセック細胞は呉建先生がかなり精力的に仕事をなさっていて、犬の後根を離断し、二次変性を起こすニューロンと起こさないニューロンがあることを突き止め、片方が前角由来の自律神経線維ではないかと提唱されていたそうです。それが、上記の「遠心性のもの」に当たるのではないかと考えられます。

余談ですが、カハールはレンホセックより先に「レンホセック細胞」を見つけていたのですが、発表に慎重になっていたところ、レンホセックに先に報告されてしまい、随分悔しがったという逸話が残っているそうです。

岩田先生、レンホセック細胞についてよくご存知だったなと思って聞いてみたら、「カハールが書いた教科書 (※分厚い本 2冊) にかなり詳しく書いてあったよ。僕はスペイン語じゃなくてフランス語翻訳で読んだけどね」とのことでした。たかだか 300ページくらいの日本語の本書を 2ヶ月かけて読んだ身としては、能力の違いをまざまざと知らされました。

(参考)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (1)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (2)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (3)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (4)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (5)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (6)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (6)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (7)

神経学の源流 2 ラモニ・カハール 冒頭部引用

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誰も教えてくれなかった血算の読み方・考え方

By , 2012年12月2日 12:42 PM

誰も教えてくれなかった血算の読み方・考え方 (岡田定著、医学書院)」を読み終えました。薄い本なので数時間で読めます。

血液内科の領域は、学生時代に勉強してからかなり知識が抜けている部分があるのですが、再度整理することができました。

本書は血液内科専門医が実際に経験したファインプレーやエラーの実例が読めるのも貴重ですね。

岩田健太郎先生も絶賛の本です。

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