死者の護民官2
さて、いよいよホジキン病の本題に入っていきます。1832年に「内科外科学会誌」がホジキンの論文「吸収腺および脾臓の病理所見について」を出版しました。ホジキン自らが経験した 6例と、パリのルゴールが診療した 1例を加えた計 7例の病理所見を纏めたものです。この疾患は、全身のリンパ節が腫脹する、結核とは別の病態でした。
さて、いよいよホジキン病の本題に入っていきます。1832年に「内科外科学会誌」がホジキンの論文「吸収腺および脾臓の病理所見について」を出版しました。ホジキン自らが経験した 6例と、パリのルゴールが診療した 1例を加えた計 7例の病理所見を纏めたものです。この疾患は、全身のリンパ節が腫脹する、結核とは別の病態でした。
「死者の護民官 (マイケル・ローズ著、難波紘二訳、西村書店)」を読み終えました。ホジキン病に名を残したトーマス・ホジキンの話です。原著のタイトルは「CURATOR OF THE DEAD」です。長いので、2回に分けます。
「神経症候学の夢を追いつづけて (田代邦雄著、悠飛社)」を読み終えました。田代先生と直接会った事はないですが、元北海道大学神経内科教授で、症候学を専門にしておられたようです。
「神経学とは?」とは「神経症候学とは?」といった内容で簡単な説明があった後、著者が興味を持って追いつづけた来たテーマがいくつか紹介されます。
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「臨床医が語る 認知症の脳科学 (岩田誠著, 日本評論社)」を読み終えました。
脳科学というのはエセがはびこる分野ですが、この本は真っ当な本です。神経内科、特に高次脳機能の大御所が、記者にわかりやすく語ったものを纏めていますので、一般の方が十分楽しむことができます。
本書が他の本と違うのは、認知症の方の症状が何によって出ているのかを理解しようとし、それによって対処法を考えていることです。認知症の方と接したとき「何でそんなことをするの?」と思うことも多いのですが、これまでその答えを示した本は少なかったように思います。理解しようとするプロセスには科学的な方法が用いられますし、そうした理解から応用の利く対処法が示されます。また、著者の深い臨床経験に根ざしていて、具体例も出てきますので、難しい話でもイメージが湧きやすくなっています。
医師にとってもハッと思わされるところがあります。最近では患者さんの病気を点数化して診断基準を満たしたとか、治療効果がどうだったとか考えるのが一般的です。一見科学的に見えるし、医療過誤を問われにくいとも言えます。しかし個々の場合にケース・バイ・ケースで対応しようとする考え方が希薄になっていると言えます。臨床とは個々の患者さんを相手にするものであることを本書は思い出させてくれます。
こうした意味で、医療関係者にも非医療関係者にも是非勧めたい本です。認知症の方を介護している人は絶対読んでおいた方が良いと思います。
(追記) ちなみに、私はこの本を自分が主治医であった認知症の患者さんに教えて貰いました。患者さんはこの本に出会って随分救われたそうです。
「タンパク質がわかる (竹縄忠臣編、羊土社)」を読み終えました。
この手の本はこれまで何冊か読んできましたが、この本は特にわかりやすかったです。結構基本的なことから書いてありますが、最低限必要な知識がないと理解できない部分もあるので、何か入門者向けの簡単な本を一冊読んでから読むと良いと思います。比較的薄い本なので読みやすいと思います。
最終章の「蛍光タンパク質が面白い理由」は、GFP (green fluorescent protein) など蛍光タンパク質の話。この分野では下村脩氏が 2008年にノーベル賞を取りましたが、2003年に書かれたこの本でも下村氏のことはしっかり載っていて「おおぉ」と思いました。出来れば賞を取ってから知るのではなく、賞を取る前から研究の内容を見て研究者を評価できるようになりたいものです。そのためには色々勉強していかないといけませんね。
「輸血の歴史 -人類と血液のかかわり- (河瀬正晴著、北欧社)」を読み終えました。本書は年表形式で書かれており、5章に分かれています。重要と思うところを纏めてみました。
「将棋と脳科学 (NPO法人 脳の世紀推進会議編, クバプロ)」を読み終えました。2009年 9月 30日に行われた第17回「脳の世紀」シンポジウムでの公演を収録した本です。
最初は羽生善治名人による「脳の可能性」という特別講演。定跡がデータベース化されていく中どのようにデータを扱うかや、現代将棋の特徴などについて、長考しているときの心理状態についてなどをわかりやすく講演しました。
棋士が一手に数時間長考しているとき、何を考えているかに興味がありますが、実は選択肢が選べなくて迷っている場合も多いらしく、羽生名人は「ここはこのように進めようって割り切れるときが、非常に調子のよいときになります」と述べられていました。
また目隠し将棋にも触れています。私も先日研修医と目隠し将棋をして何とか勝ちましたが、頭の中だけで一局駒を動かすのはなかなか大変な作業です。羽生名人は盤面を頭の中で4分割して覚えると話していましたが、私が指したときにも無意識のうちにそうしていました。ただ、私の場合、4分割した盤を統合しようとしても一つにくっつかないんですよね。佐藤康光九段はいっぺんに3人とか5人と目隠し対局出来るそうで、びっくりしました。
次の講演は中谷裕教氏の「将棋棋士の直感を脳活動から探る」でした。中谷氏は私が理化学研究所を訪れたとき話し込んだ研究者です。そのときの様子をブログ記事に書いたことがあります。今回の講演では、思考の小脳仮説について述べられていました。運動のモデルが小脳に蓄えられているとする考え方はかなり確立したものです。運動では手や足を動かしますが、思考ではイメージや概念を操作します。両者は学習効果や「何かを操作する」という点など共通する点が多いので、思考も運動と同じように小脳で扱われるのではないかというのが小脳仮説です。そこで直感について考えてみると、直感は「熟練者が無意識で自動的に、なおかつ素早く正確に」考えられた結果ですので、小脳が大きく関与しているのではないかと考えられます。中谷氏らの講演は、プロ棋士に脳波や fMRIを用いて行った実験などがふんだんに織り込まれていてとても面白いので、是非本書を読んでみてください。
近山隆氏はコンピューター将棋について講演をしました。人間は直感的に次に指す手、ないし数手先の局面を思いつき、それを検証していきますが、コンピューターには直感という方法がとれません。ルールで許される手を全て検証していくしかないのですが、一局最後までルール上可能な手を全部挙げると、全宇宙の素粒子数を上回るほどの可能性があるとも言われるくらいで、全部を検討するのは現実的には不可能です。そこで絞り込みが行われます。ミニ・マックス探索とか静的評価関数などといった方法がとられるのですが、こうした技法について初めて読んだのでとても新鮮でした。
笠井清登氏は統合失調症の脳病態について講演されました。将棋には直接関係ありませんでしたが、光トポグラフィーなど最近のトピックスを勉強することができました。
最後の講演は鍋倉淳一氏の「発達期の神経回路の再編成」でした。未熟期や脳損傷後の脳では大雑把な神経支配しかされていないので、大きな動きしかすることができません。例えば、赤ちゃんはチョキができないそうです。しかし、成長、あるいは神経損傷の回復に伴い余剰シナプスを除去することで、より選択制の高い運動ができるようになります。
GABAは神経細胞に対して通常抑制的に働きます。すなわちGABAによって Clチャネルが開くと、細胞内に Clが流入してきて細胞電位が下がるのです。しかし、未熟期では細胞内の Cl濃度の方が高いため、GABAによって Clチャネルが開くと細胞内から Clが流出し、細胞内電位は高くなります。すなわち GABAが興奮性に働くのです。これは非常に面白い現象だと思いました。脳損傷後の脳も、未熟期の脳と同じように GABAの抑制作用が減弱しているそうで、しばらくして徐々に GABAのはたらきが回復してくるそうです。未熟期からの脳の発達と、神経損傷の回復の共通点が見られて興味深いですね。
まだまだ面白い話はたくさんあるのですが、紹介しきれないので簡単に概要を紹介するに留めました。脳科学や将棋に興味がある方は是非読んでみてください。
「病院の窓から (島村喜久治・野村実・正木不如丘著、学生社版)」を読み終えました。「物理学者の心」「医学への道」と紹介してきた科学随筆文庫シリーズの一冊です。
島村喜久治氏は巻末の略歴を見ると岡山県出身なのだそうです。同郷ということで、少し親近感が湧きました。生物学者志望だったそうなのですが、生計が苦しかったので医師を目指したとされています。医師になった動機がそのようなものであったからこそ、逆に生計が立てば儲けるつもりはなかったと述懐されています。東京大学医学部を卒業しましたが、「医学部は、卒業しても研究室(医局)に無給で残って、教授に頤使されなければ学位も貰えず一人前にもなれないというルール」があったこともあり、昭和12年、当時ミゼラブルな疾患であった結核の治療を志しました。
「院長日誌」というエッセイは、都立府中清瀬病院の院長時代を書いたものです。なお、都立府中清瀬病院は後に国立清瀬病院を経て、国立療養所東京病院と改称されました。
乏しい予算を工面して何とか退院時に赤飯を出せるように奔走した話、生活保護法と結核予防法の板挟みになった話(当時は制度の併用が難しかった)、自殺しかけた患者に家族が「いっそ、そのまま死んでくれた方がよかった」とつぶやいた話(自宅療養を続ける必要のあった結核は、かえって家族に厄介と思われていた)、暇をもてあました政治患者たちとの戦い・・・。ストレスからか胃潰瘍を発症し、「こうして、私は、徹底的に愛し切れず、かと言って徹底的に憎み切れない患者たちの院長として、夏目漱石のように胃薬ばかり飲みながら、院長室に坐って」いた話が記されています。
島村氏は先進的な考え方を持っていて、「憂楽帳」というエッセイでは「妻が夫から独立して自分自身の社会的活動をもつ段階。これが妻の社会的進化論である」と書いてらっしゃいます。昭和初期としては画期的な意見だと思います。一方で、「世の主婦たちよ。中年すぎての美容法もいいが、もっと大切なのは心の美容法である」と耳の痛いことも述べています。
「憂楽帳」で特筆すべきは「七つの注文」という項。新聞記者が気をつけないといけないことが書いてあるのですが、今の時代でもそのまま通用しますね。その7つを列挙します。
①報道は客観的に
②センセーショナリズム自粛のこと
③記事の裏には被害者が生じることの自戒
④東京中心主義の反省
⑤科学記事、特に影響力の大きい医学記事は慎重に。
⑥読者の批判精神を引き出して、世論を読者に作らせる指導を
⑦広告にも責任をもつこと。化粧品と薬品には誇大広告が多すぎるし、映画の広告はあくどすぎる。
本書二人目のエッセイストは野村実氏。彼は大正九年に内村鑑三の話を聞いて一日でキリスト教徒になりました。エッセイの端々に信仰について出てくるのですが、それほど宗教じみた話が多い訳ではなく、本質は「生と死を受け入れること」であるように感じました。死にゆく患者さんたちとの付き合いを通じて、それをどう受けいれていけば良いのか、内面的な葛藤が赤裸々につづられています。
野村実氏は九州大学を卒業し、結核の診療に従事していました。昭和初期の結核病院では、入院患者の半数以上が死亡していたそうです。そのような過酷な状況下におかれた患者達にとって、野村氏のように向き合って心まで診てくれる医師と巡りあえたことは、不幸中の幸いであったように感じました。
野村氏はしばらくアフリカを訪れ、シュバイツァーと働いています。シュバイツァーが作った診療所にはハンセン病の患者が非常に多かったそうです。シュバイツァーの精力的な一日や黒人達の生活などは「シュバイツァー博士と共に」というエッセイで生き生きと描かれています。シュバイツァーはピアノが上手だったらしく、夜な夜なバッハのフーガを演奏していたそうです。このエッセイで初めて知ったのは、シュバイツァーが30歳代から書痙で悩んでいたということです。シュバイツァーは自身は遺伝と言っていました。それでも多くの著書を残していることに感銘を受けました。
野村氏のシュバイツァー談義には後日談があります。シュバイツァーは生き物を殺すのを非常に嫌い、診療所は「巡回動物園」と呼ばれるほど動物が我が物顔で歩いていました。放し飼いの犬、猫、猿、豚、野猪、山羊、アヒルの群れ達・・・。野村氏はシュバイツァーに「先生は動物を殺すなというけれど、治療で細菌を殺しているじゃないですか。細菌だって生き物でしょ?」と聞いたことがあるらしいのです。そうするとシュバイツァーはしばらく困った後に「あれは悪者だから良いんだ」というようなことを言ったらしいです。私の知人が野村氏の講演を聴いて教えてくれました。そんなことを聞く野村氏も野村氏ですけれど、そんな会話が出来る間柄だったのですね。
最後のエッセイストは正木不如丘(ふじょきゅう)氏。東京帝国大学医科大学を卒業し、大正五年に福島市福島共立病院で副院長を務められています。彼も島村氏や野村氏同様、結核診療に従事していました。自分の周りの医師や患者についてのエッセイが主ですが、諧謔に富んでいます。とは言っても、少し不謹慎に感じる話も多いですが。
正木氏はパスツール研究所に留学していたせいか、研究に関する話も残しています。「すべて研究というものは運と鈍と根の三拍子が揃わないと完成されぬものだと言われている」と述べているところに、先日紹介した寺田寅彦氏のエッセイ「科学者とあたま」を思い出しました。
タイトルからはわかりませんでしたが、本書のテーマは「結核」にあると思います。現代においても結核は静かに流行していますが、診療報酬などの問題から敬遠する病院も多いのが現状です。
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