世界でもっとも美しい10の科学実験
「世界でもっとも美しい 10の科学実験 (ロバート・P・クリース著、青木薫訳、日経BP社)」を読み終えました。高校物理がある程度理解出来ていれば、十分に楽しめます。
本書は、「フィジックス・ワールド」という雑誌の読者から「一番美しいと思う物理学の実験」をアンケートで集め、もっとも美しいとされた 10の実験を紹介したものです。
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「世界でもっとも美しい 10の科学実験 (ロバート・P・クリース著、青木薫訳、日経BP社)」を読み終えました。高校物理がある程度理解出来ていれば、十分に楽しめます。
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「鏡の中の物理学 (朝永振一郎著、講談社学術文庫)」を読み終えました。高校時代に、彼の書いた「物理学とは何だろうか」という本を読んだ記憶があり、それ以来です。
この本は、光の「粒子」としての性格と、「波動」としての性格について扱ったものです。特に物理学の知識がなくても読めます。
本のタイトルの「鏡の中の物理学」というのは、自然界の法則が、左右、時間、粒子反粒子を反転させる3枚の鏡に対して対称性であるという意味です。もちろん鏡の表面がゆがんでいなければの話でしょうが。時間を反転させる話については、「カオスから見た時間の矢」という本を思い出しました。
最終章では、波乃光子という被告を扱った「光子の裁判」というユニークな裁判が行われます。光子が2つの窓を同時に入ることが出来るかという、光の性質が描かれます。
物理学に対する彼の思いは、小柴氏と似たところがあります。小柴氏は新聞で「全て、役に立つかどうかで判断すべきではない」という趣旨の発言をしていた記憶がありますが、朝永氏も同様の事を述べています。
現在、世の中には、物理学にかぎらず科学というものを賛美する人は少なからずいるわけですが、それらの人々にとって、科学とはひじょうにいいものであるという理由は、多くの場合、科学はわれわれの生活を便利にし、より豊かにしてくれる、そういうことが理由になっていると思うのです。けれども、この観点に立つならば、科学がほんとうにわれわれの生活を豊かにしているだろうかという、そういう考えかたもありうるわけで、じっさい、科学がかえってわれわれの生活を悪くしているのではないか、そういう見方もありうるわけです。で、そこに科学の賛成派と反対派ができて、賛成派は、科学はわれわれの生活をより便利に、より豊かにしてくれる、だからそれはいいものだという。ところが反対派は、いや科学のせいでいろいろ公害が出たり、原爆ができたりする、だから科学は悪いものだという。そういうふうな議論ですね、それがはてしなく続く。ところが、科学というものは、そういう観点でいいとか悪いとか論ずることのできない、なにか別の意味を持っているのではなかろうかと、そういう考えかたもありうるわけです。
つまり、科学の本質というのは、生活をよくするとか悪くするとか、そういう次元と別な次元の価値あるいは、少なくとも意味をもっているのではなかろうか、そういう、よくするとか、悪くするとかいう観点とは別の方向にむいているような意味があるのではないかという、そういう問いの出し方があるわけですね。
いま、鏡にうつったのがどうとか、フィルムにうつして逆にまわしたからどうとかいうようなことは、それを研究したところで、ほんとうをいうと、それは人間を幸福にもしないし、不幸にもしないわけです。で、科学をこういう面から見る見かた、第三の見かたですね、これを忘れないでほしいように思うのです。
小柴氏、湯川氏、朝永氏とノーベル物理学賞受賞者の書いた本を色々と読んできた訳ですが、また機会があれば、江崎玲於奈や、ノーベル化学賞受賞者の書いた本も読んでみたいなと思います。
「政治武士道 (平沼赳夫著、PHP研究所)」を読み終えました。政治家の本は、友人に勧められた、石原慎太郎の「国家なる幻影」以来です。政治の話をここに書くのは初めてでしょうか。
平沼赳夫という政治家は、私の地元の選挙区になります。郵政問題で自民党を離党して、その後自民党に復帰する条件として求められた誓約書を拒否して無所属のままです。他の議員達の変わり身の早さに比べて、筋の通った政治家として、興味を持っていました。
本書を読むと、如何に郵政民営化法案が、民主主義の手続きを無視した決められ方をしたかがわかります。政治は綺麗事ではないかもしれませんが、我々は、小泉人気の影で、ただ浮かれていたのですね。
郵政民営化法案について、自民党総務部会で、原案ではなく、誰も見たことのない修正案が、いきなり持ち出されました。その手続きのおかしさに、31人の委員の19人が採決を拒否し、7人が賛成し、5人が反対したそうです。それが賛成多数となってしまいました。
国会では、郵政民営化特別委員の委員会採決直前に、反対に回る可能性がある委員をすべて賛成派に差し替えて、短兵急に法案を通過させ、本会議に出されました。本会議では威嚇、恫喝、懐柔などを経て、結果として5票差で法案が可決。参議院では否決され、衆議院解散です。
平沼氏の行動は、この手続きに反対したことが大きな理由であったと知りました。また、長銀が国から公的資金をさんざん受けたあげくに、ただ同然の値段で外資に瑕疵担保条項 (債権が不良化したら、日本政府が責任を負う) 付きで売られたことがあり、郵政事業の340兆円が二の舞になる、外資に流れてしまうという危惧もあったようです。長銀を10億円で買ったリップルウッドは、株を上場すると2300億円で売れ、毎年数百億円の利益も得ているとのことです。
彼は憲法改正を初めて選挙に出たときから掲げています。彼の「日本国元首は天皇である」という考え方は、私と異なりますし、いくつか相容れない考え方があります。しかし、本書を通じて、彼は人間的には面白い人であるなと感じました。人間的な魅力のある人は、思想が違っても好感が持てます。
「『湯川秀樹 物理講義』を読む(小沼通二監修、講談社)」を読みました。
結論から言うと、「理解できなかったけど面白かった」です。この本は、湯川秀樹氏が晩年日大で行った講義を本にしたものです。内容はニュートン力学、量子論、特殊相対性理論、一般相対性理論を扱っています。ローレンツ変換、シュレディンガー方程式といった、名前しか聞いたことのない専門用語を普通に使用して話していますので、とまどいます。注釈がしっかりしているのでありがたいのですが、注釈の意味がまたわからない・・・(笑)
「野垂れ死に (藤沢秀行著、新潮新書)」を読み終えました。囲碁界の巨匠ですが、とてもスケールの大きな人物であったそうです。愛すべき方です。私は仕事で著者にお目にかかる機会があり、「君はなかなか見込みがあるなぁ」と名刺を頂きました。何の見込みだったのかは聞けずじまいでしたが。
以下、面白かった部分をいくつか紹介します。一番最初に紹介するのは、本書の冒頭部です。彼の死生観が表れています。
こんなに生きるはずではなかった。
野垂れ死にするつもりだったのだ。
碁を打って打って打ちまくり、好きな酒を気が済むまで飲んで、ふらっと出かけた競輪場あたりである日コトッと死んでいる。
そんな最期を、もって早くに迎えてしかるべきだった。
それが、くたばり損なった。何度もチャンスはあったのだが、そのたびに間違って生き延びてしまい、何の因果か、今年二〇〇五年六月で八十歳になる。
続いて、彼の複雑な生い立ちについて。凄く特殊な環境で育ってきたことがよくわかります。
私は誕生日が三回変わった。母親に確かめた正しい誕生日は六月十九日なのに、どういうわけだか、引っ越すたびに、新しく交付された保険証には違う誕生日が書いてある。
(中略)
私の兄弟の数も、正確に言えば、戸籍は間違っている。私は四人兄弟の長男ということになっているが、わかっているだけで一九人兄弟なのだ。本当はもっと多いかもしれない。
ただし、それは私の親父の都合でそうなったのであって、戸籍を作ったお役人に罪はない。母親の違う子を十九人も作って、子供の戸籍を分けたのは親父の仕業である。
彼の扱い方は周りもよくわかっていたようですが、下記に示す結婚式でのエピソードは「えーっ、ここまで徹底しているの?」と思いました。
考えてみると、三男も四男も、その結婚式にすら私は出ていない。三男のときなどは、「どうせ来ないから」と呼ばれもしなかったのだ。
怠け者の私は、冠婚葬祭が大の苦手である。決まりきった形式に沿って、心にもないことを言ったりやったりするセレモニーが、面倒で仕方がない。
彼の伝説については、他にも色々とあり、本書にたくさん載っています。
(参考)
・笑
「抗体科学入門(岡村和夫著、工学社)」を読み終えました。著者は生化学が専門のようですが、抗体に対して、物理学や化学からのアプローチがされていて新鮮でした。物理学や化学の基礎が出来ていない私にとってはかなり辛い内容でしたが・・・。
前半は「The cell」で説明されている内容と似通っていたのですが、より物理学的ないし化学的なアプローチがされており、分子間力や抗体の親和性に多くのページが割かれていました。数式にはついていけませんでしたが、何となく雰囲気はわかりました。
後半は最新の知見が紹介されていて楽しめました。例えば、抗腫瘍抗体で臓器内の腫瘍化した部位を特定するといった応用についても紹介されていました。臨床家が読んでも面白い内容と思います。
著者のWeb pageがあり、一部内容が掲載されています。
「カオスから見た時間の矢(田崎秀一著、講談社ブルーバックス)」という本を読み終えました。非常に内容の難しい本でしたが、未知の世界を知ることが出来ました。本のテーマは、「原子や分子や、場合によっては微視的運動が可逆的なのに、それらが集まった巨視的物体はなぜ不可逆的に振る舞うのか?」というものです。読むのには、最低限高校物理くらいの知識は必要そうです。
第1章では、気体分子の運動が示されますが、これはビデオでみると順再生なのか逆再生なのか我々は知ることができません。つまり逆転した運動が起こっても不思議ではなく、分子の衝突は可逆と言えます。
第2章では、微視的運動を巨視的規模で扱える現象が示されます。それはスピン・エコーという現象で、現在MRIなどに応用されているものです。この実験では、10の19乗個もの核磁石が相互しながら行う実験も可逆であることが示されます。
第3章は、ギッブスの見方です。これは統計集団として気体を扱うというものです。ダイレクトメールの例が示してあります。つまり、ダイレクトメールを送ったとき、個々の受け手の反応はわからなくても、集団としての振る舞いがわかればよいというものです。
第4章はカオスです。カオスというと、我々は文学的な表現での「混沌」としか知りません。しかし明確な定義がしてあります。
「『吾々の眼にとまらないほどのごく小さい原因が、吾々の認めざるを得ないような重大な結果をひきおこすことがあると、かかるとき吾々はその結果は偶然に起こったという』このような運動をカオスと呼ぶ」
わかりやすい例では、パチンコ玉の振る舞いが予測出来ないのも、我々が知り得ない初期条件の微妙な違いによるもので、カオス的と言えます。このパチンコ玉は分子同士の衝突と置き換えられます。
こういった知識を元に、拡散、分布といった概念を、パイこね変換というモデルで考察します。正直、この辺で落ちこぼれてしまいました。しかし、個々の分子運動は可逆的であっても、カオス的に振る舞うため、集団としては不可逆的となり、時間の矢の向きが読み取れるようになると理解しました。
明日は、東京でボツリヌス毒素の講習を聞く予定となっています。ボツリヌス毒素による筋弛緩を利用して、眼瞼痙攣などの治療をすることがあるのですが、その為には資格が必要だからです。資格といっても、手技的には簡単なものなので、講習を聞くだけで可能となっています。
前回は、「裁判官が日本を滅ぼす」という本を紹介しましたが、同時に購入した「裁判官はなぜ誤るのか(秋山賢三)」という本の方が、読んで明らかに面白かったです。こちらは元裁判官が、自省を含め、構造的な問題を指摘しています。2冊を比較すると、ジャーナリストの文章のいい加減さが見えてくる気がします。
その他最近購入した本は、「ビルロートの生涯(武智秀夫著)」「人の魂は皮膚にあるのか(小野友道著)」「ヨーロッパ医科学史散歩(石田純郎著)」「臨床医が語る脳とコトバのはなし(岩田誠著)」「死に方目下研究中。(田辺保、岩田誠著)」「精神医学の歴史(小俣和一郎)」「外科の歴史(W.J.ビショップ)」「死の真相―死因が語る歴史上の人物(ハンス・バンクル著)」といった所です。どれも魅力的な本で、これから読むのが楽しみです。特に、ビルロートの本は、ビルロートが作曲した歌曲の楽譜がついていて、是非演奏したいと思います。
ここ1ヶ月くらい、毎朝5時半に起きて読書をしています。今日読み終えたのは、「裁判官が日本を滅ぼす((門田隆将著)」という本です。医師は白衣を着ていますが、裁判官は黒い服を着ています。一冊を通じて、「何物にも染まらない意志表示」で黒い服を着ているのではなくて、「既に染まりきってしまったから」黒いのかという皮肉を思いつきました。
何故、このような本を読もうかと思ったのは、最近の医療裁判において見当はずれの判決が多発しているからです。医療行為というのは、人間である医療スタッフが、刻々と変化する状況の中で限られた情報を元に行うものです。従って、後から結果を検証した場合、常に最善だったということはありません。次善であったり、その後出てきた検査結果を照らし合わせれば最初の決断が間違っていることもあります。でも、決断をしないと治療は進みません。それが現実だと思います。
医学的な専門知識を他の医師並に持ち、その時点において妥当と思われる選択をした医師に、後付の理由で結果責任を問うたり、およそ現場からは常識はずれの判決が多発しているのを良く耳にします。私は法律は素人なので多くの判決が妥当かは論じられませんが、医療に関する訴訟を常識的に判断すると、違和感を覚えることが多いように感じます。医師に対して厳しすぎる判決のみならず、甘い判決の場合にもです。
本の内容としては、およそタイトル通りでした。裁判官を糾弾する内容に終始していて、さまざまな誤判が具体的に書かれていました。しかし、だんだんとジャーナリズムと表現の自由についての記述が増えていき、最終的に裁判官が表現の自由を侵害しているという結論が伝えたかったようです。途中述べられていたのが、「新潮45」が名誉毀損で訴えられたことがおかしいということ。そしてこの本の出版元も新潮社。少し本の裏に隠れた意図も見えました。誤判を集めて、被害者の辛い感情を並べて、読者に義憤がこみ上げてくるように書いていますが、もう少し裁判官の立場についてとか、多面的に書いて欲しかったと思います。価値観が分かれる部分も断定的な表現が多用されたのが目立ちました。
裁判というのは、及ぼす結果が甚大なだけに、完全を求められることは理解できます。ただ、人間のすること。全てパーフェクトとはいきません。そこが難しいところと思います。
正月以来、帰省することが出来、友人には会うことが出来なかったものの、家族で楽器を合わせたり、家庭料理を食べたりすることが出来ました。岡山はとても暑く、郡山よりは気候が温暖だと実感しました。
岡山から郡山の新幹線の中で、「物理屋になりたかったんだよ(小柴昌俊著)」という本を買い、あまりの面白さに新幹線の中で一気に読んでしまいました。物理学の本は、高校生時代に、「ホーキング宇宙を語る」と「神と新しい物理学(ポール・デイヴィス著)」という本を読んで以来ですが、初心者にもわかりやすく読むことが出来ました。彼はノーベル物理学賞を受賞していますが、若い頃音楽家を目指したことがあったり、後年、音楽家との親交もあるようです。
一冊を通じて面白かったのですが、特に興味深かった部分を引用します。
たしかに、わたしたちは幸運だった。でも、あまり幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それはちがうだろう、と言いたくなる。幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえられるか捕まえられないかは、ちゃんと準備していたかいなかったかの差ではないか、と。
また、こんなことも書いてありました。
わたしは、モーツァルトとアインシュタインをくらべたとき、モーツァルトのほうがほんとうの意味での天才だと思っている。なぜなら、たとえアインシュタインが相対性理論を思いつかなかったとしても、ほかの人が論理をたどっていって同じ真理にたどりつくことは可能だ。ところが、モーツァルトがつくったあのすばらしい曲は、彼以外のほかのだれにもつくれないではないか。
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