NHK将棋の時間
当直がないときは、日曜日の朝は、だいたいNHK教育「将棋の時間」を見ています。
元ネタ(NHK教育「将棋の時間」対局:毎週日曜日午前10時20分~)を知っていると楽しめるのですが、そのパロディ動画をYoutubeで見つけました。
当直がないときは、日曜日の朝は、だいたいNHK教育「将棋の時間」を見ています。
元ネタ(NHK教育「将棋の時間」対局:毎週日曜日午前10時20分~)を知っていると楽しめるのですが、そのパロディ動画をYoutubeで見つけました。
「歩を「と金」に変える人材活用術(羽生善治、二宮清純、日本経済新聞出版社)」を読み終えました。
棋士の羽生善治氏とスポーツジャーナリストの二宮清純氏の対談集です。
羽生氏の着眼点にはいつもはっとさせられます。着想が豊かです。本人にしては自然な発想でも、周囲から見ると新鮮に感じさせるのは、将棋の羽生マジックと通じるところがあるのでしょうか。
羽生:私、思うんですけど、能力ってきっちした普遍的なものがあるわけじゃなくて、その時代時代の社会から求められてるものを能力と呼ぶんじゃないかと。ある社会、ある組織から求められる能力って、つねに変化し続けている。だから、ある組織から別の組織に移った人が活躍できるかどうかって、「いかにマッチングさせるか」というマネジメント次第だと思うんですよ。決して本人だけの問題じゃない。成功するかどうかは、組織を運営する人のマネジメント能力にかかってる気がしますね。
私は、異動の多い大学勤務医ですので、マネジメントの問題については凄く理解できます。医師の力を最大限に引き出すか、能力の発揮出来ない状況に置くか、マネジメントの部分は大きいですね。
対談者の二宮氏も、様々なスポーツ業界の内情に精通しているのみならず、独自の視点を持っています。対談中、日本人の哲学について、はっとさせられる部分がありました。
羽生:新しいアイデアが出てもすぐ共有されて、創造した人のアドバンテージは失われる。それはスポーツでもまったく同じだと思うんです。でも、真似されやすいものと、されにくいものがあるでしょう。例えばスキーの萩原健司がV字ジャンプで一世を風靡したけれど、すぐ真似されちゃった。一方、野茂のトルネード投法はあれだけ騒がれても、誰も真似しないじゃないですか。その違いは何なのでしょう?
二宮:いや、V字ジャンプというのは萩原が発明したんじゃなく、実はヨーロッパで生まれたものなんですよ。
羽生:あっ、そうだったんですか。
二宮:ヨーロッパで生まれたものを、萩原ら日本人選手が研究してマスターした。それをヨーロッパが逆輸入した感じなんですよ。やっぱりそういう改良型のイノベーションというのは、日本人の得意分野なんですね。
羽生:じゃあ、その後、日本のスキー界がいまひとつふるわないのは、テクニックを盗まれたのが原因じゃないと。やっぱりルール変更の影響なんでしょうか。たしかスキー板の長さを・・・。
二宮:身長の一.四六倍に変更されましたよね。現在ではさらに体重も加味して長さを決めますが、あれで圧倒的に不利になった。日本人は身長が低いぶん短い板を使わなきゃいけないから、浮力が得られない。長野オリンピックのジャンプ競技では、ラージヒル個人で金と銅、ノーマルヒル個人で銀。団体でも「日の丸飛行隊」と呼ばれた原田雅彦、岡部孝信、船木和喜、斉藤浩哉のチームで金。もう圧倒的な強さでした。ところが、次のソルトレーク大会以降はさっぱりです。
羽生:ルール変更は長野とソルトレークのあいだの話ですよね。
二宮:だから、ルール変更の影響がはっきり出た形です。ただ、当時、「日本人はいじめられている」みたいな反応が多かったけれど、それはちょっと短絡的なんです。ヨーロッパ人に聞くと、「長野では日本に花をもたせてやったんじゃないか。日本が勝たなきゃ客が入らない。メダルをあれだけとれたから、長野は大成功したんだろう」と。
羽生:ああ、興行の観点から・・・。
二宮:そうなんです。アマチュアとはいってもオリンピックはビジネスですから、興行の論理で考える。「だから、今度はルールを変えて、うちが勝つようにしてくれよ」と。お客さんが入らないスポーツはダメだという哲学が根底にある。でも、日本人はルール変更に負けたんじゃないと僕は思うんです。「ルールは変えられないものだ」と日本人が思い込んでいるところに最大の問題がある。
羽生:たしかにそういうところがありますね。学校教育の影響なんでしょうか。
二宮:子供の頃から「ルールを守れ」とは言われても、「ルールを作れ」とは言われませんからね。ルールは守るもんだと思って育っちゃう。一方、欧米人にとってのルールというのは、「人間がよりよく生きるため、人生を面白くするための手段」にすぎない。競技を面白くするためにルールを変えるのは、彼らにとっては当然の話なんですね。
羽生:日本人の感覚だと、なかなかルールに手をつけるというのは・・・。
二宮:ルールって、「指一本ふれちゃいけない神聖なものだ」と思っていますよね。だから、ルール改正の会議とかでは欧米人に比べて日本人の発言は消極的です。終わってから文句を言うことが多い。やっぱり小さなときからルールを作る感覚、そして「自分が作ったから守るべきなんだ」という感覚を育てていかなきゃいけないと思います。
確かに、ルールを作るという意識は普段持っていませんでした。今後は少し意識してみたいと思いました。
「定跡からビジョンへ(羽生善治、今北純一著、文藝春秋)」という本を読みました。
で、羽生さんの本は将棋のことを知らなくても読めるようになってますけど、共感できる言葉がたくさん。
「(釣った鯛を)じっと見ていてもすぐには何も変わりません。しかし、必ず腐ります。どうしてか?時の経過が状況を変えてしまうからです。だから、今は最善だけど、それは今の時点であって、今はすでに過去なのです。」
「日本ほどノーベル賞の受賞者を芸能人扱いするところはないですね。受賞者をあちこちのテレビ番組に引っ張り出すわりには、話題はほとんど本人にまつわる生活習慣やエピソードが中心で、受賞対象になった研究テーマについては誰も関心を示さない。最近のテレビを観ていると、エコノミストや評論家と称する人たちがしょっちゅう登場しては、目先の景気のなりゆきの当てっこをしていますね。大学の先生がバラエティ番組に出演したり・・・経済学者が、野球のメジャーリーグやサッカーのワールドカップのコメントをしたりするわけです。」
「日本が抱えている問題はそこに集約されます。『世間から笑われる』『世間様に申し訳ない』『そんなことをすると世間を狭くする』とか。つまるところ、行動を律するもとが世間の目というか、他人の目で、自分の目ではないのです。」
「『所属はしているけれど帰属はしていない』というのは至言です」
「これからは、個人が豊かになり、その集合体としての組織が豊かになるようにしないと、いつまでたっても閉塞状況から抜け出せません」
「私はプロになって二十年近くになり、いろいろと経験をしているし、訓練をしてきましたが、そうでありながら、『どんなに訓練を積んでも、ミスを避けられない』ということを実感として感じています」
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