Category: 読書
認知症の脳科学
「臨床医が語る 認知症の脳科学 (岩田誠著, 日本評論社)」を読み終えました。
脳科学というのはエセがはびこる分野ですが、この本は真っ当な本です。神経内科、特に高次脳機能の大御所が、記者にわかりやすく語ったものを纏めていますので、一般の方が十分楽しむことができます。
本書が他の本と違うのは、認知症の方の症状が何によって出ているのかを理解しようとし、それによって対処法を考えていることです。認知症の方と接したとき「何でそんなことをするの?」と思うことも多いのですが、これまでその答えを示した本は少なかったように思います。理解しようとするプロセスには科学的な方法が用いられますし、そうした理解から応用の利く対処法が示されます。また、著者の深い臨床経験に根ざしていて、具体例も出てきますので、難しい話でもイメージが湧きやすくなっています。
医師にとってもハッと思わされるところがあります。最近では患者さんの病気を点数化して診断基準を満たしたとか、治療効果がどうだったとか考えるのが一般的です。一見科学的に見えるし、医療過誤を問われにくいとも言えます。しかし個々の場合にケース・バイ・ケースで対応しようとする考え方が希薄になっていると言えます。臨床とは個々の患者さんを相手にするものであることを本書は思い出させてくれます。
こうした意味で、医療関係者にも非医療関係者にも是非勧めたい本です。認知症の方を介護している人は絶対読んでおいた方が良いと思います。
(追記) ちなみに、私はこの本を自分が主治医であった認知症の患者さんに教えて貰いました。患者さんはこの本に出会って随分救われたそうです。
タンパク質がわかる
「タンパク質がわかる (竹縄忠臣編、羊土社)」を読み終えました。
この手の本はこれまで何冊か読んできましたが、この本は特にわかりやすかったです。結構基本的なことから書いてありますが、最低限必要な知識がないと理解できない部分もあるので、何か入門者向けの簡単な本を一冊読んでから読むと良いと思います。比較的薄い本なので読みやすいと思います。
最終章の「蛍光タンパク質が面白い理由」は、GFP (green fluorescent protein) など蛍光タンパク質の話。この分野では下村脩氏が 2008年にノーベル賞を取りましたが、2003年に書かれたこの本でも下村氏のことはしっかり載っていて「おおぉ」と思いました。出来れば賞を取ってから知るのではなく、賞を取る前から研究の内容を見て研究者を評価できるようになりたいものです。そのためには色々勉強していかないといけませんね。
輸血の歴史
「輸血の歴史 -人類と血液のかかわり- (河瀬正晴著、北欧社)」を読み終えました。本書は年表形式で書かれており、5章に分かれています。重要と思うところを纏めてみました。
将棋と脳科学
「将棋と脳科学 (NPO法人 脳の世紀推進会議編, クバプロ)」を読み終えました。2009年 9月 30日に行われた第17回「脳の世紀」シンポジウムでの公演を収録した本です。
最初は羽生善治名人による「脳の可能性」という特別講演。定跡がデータベース化されていく中どのようにデータを扱うかや、現代将棋の特徴などについて、長考しているときの心理状態についてなどをわかりやすく講演しました。
棋士が一手に数時間長考しているとき、何を考えているかに興味がありますが、実は選択肢が選べなくて迷っている場合も多いらしく、羽生名人は「ここはこのように進めようって割り切れるときが、非常に調子のよいときになります」と述べられていました。
また目隠し将棋にも触れています。私も先日研修医と目隠し将棋をして何とか勝ちましたが、頭の中だけで一局駒を動かすのはなかなか大変な作業です。羽生名人は盤面を頭の中で4分割して覚えると話していましたが、私が指したときにも無意識のうちにそうしていました。ただ、私の場合、4分割した盤を統合しようとしても一つにくっつかないんですよね。佐藤康光九段はいっぺんに3人とか5人と目隠し対局出来るそうで、びっくりしました。
次の講演は中谷裕教氏の「将棋棋士の直感を脳活動から探る」でした。中谷氏は私が理化学研究所を訪れたとき話し込んだ研究者です。そのときの様子をブログ記事に書いたことがあります。今回の講演では、思考の小脳仮説について述べられていました。運動のモデルが小脳に蓄えられているとする考え方はかなり確立したものです。運動では手や足を動かしますが、思考ではイメージや概念を操作します。両者は学習効果や「何かを操作する」という点など共通する点が多いので、思考も運動と同じように小脳で扱われるのではないかというのが小脳仮説です。そこで直感について考えてみると、直感は「熟練者が無意識で自動的に、なおかつ素早く正確に」考えられた結果ですので、小脳が大きく関与しているのではないかと考えられます。中谷氏らの講演は、プロ棋士に脳波や fMRIを用いて行った実験などがふんだんに織り込まれていてとても面白いので、是非本書を読んでみてください。
近山隆氏はコンピューター将棋について講演をしました。人間は直感的に次に指す手、ないし数手先の局面を思いつき、それを検証していきますが、コンピューターには直感という方法がとれません。ルールで許される手を全て検証していくしかないのですが、一局最後までルール上可能な手を全部挙げると、全宇宙の素粒子数を上回るほどの可能性があるとも言われるくらいで、全部を検討するのは現実的には不可能です。そこで絞り込みが行われます。ミニ・マックス探索とか静的評価関数などといった方法がとられるのですが、こうした技法について初めて読んだのでとても新鮮でした。
笠井清登氏は統合失調症の脳病態について講演されました。将棋には直接関係ありませんでしたが、光トポグラフィーなど最近のトピックスを勉強することができました。
最後の講演は鍋倉淳一氏の「発達期の神経回路の再編成」でした。未熟期や脳損傷後の脳では大雑把な神経支配しかされていないので、大きな動きしかすることができません。例えば、赤ちゃんはチョキができないそうです。しかし、成長、あるいは神経損傷の回復に伴い余剰シナプスを除去することで、より選択制の高い運動ができるようになります。
GABAは神経細胞に対して通常抑制的に働きます。すなわちGABAによって Clチャネルが開くと、細胞内に Clが流入してきて細胞電位が下がるのです。しかし、未熟期では細胞内の Cl濃度の方が高いため、GABAによって Clチャネルが開くと細胞内から Clが流出し、細胞内電位は高くなります。すなわち GABAが興奮性に働くのです。これは非常に面白い現象だと思いました。脳損傷後の脳も、未熟期の脳と同じように GABAの抑制作用が減弱しているそうで、しばらくして徐々に GABAのはたらきが回復してくるそうです。未熟期からの脳の発達と、神経損傷の回復の共通点が見られて興味深いですね。
まだまだ面白い話はたくさんあるのですが、紹介しきれないので簡単に概要を紹介するに留めました。脳科学や将棋に興味がある方は是非読んでみてください。
ワインと外交
「ワインと外交 (西川恵著, 新潮新書)」を読み終えました。
ワインは良く飲みますが全然詳しくなく、外交に至っては全くの専門外です。そもそも一人の女性の気持ちすらわからんのに、他の国がわかるのか?といったところです。
それでも、未知の世界への興味というのはあるもので、本屋で手にとって一気に読んでしまいました。さまざまな会談での食事やワインのメニューが載っていて面白かったです。
料理はホスト国の特徴を生かしたものが用いられることが多く、宗教的に問題になるものは避けられます。ワインは食事に合わせてつけられることが多いようです。しかし、外交の場では料理にも意味が隠されているということがあります。米国のブッシュ大統領がフランスを訪れた際にはフレンチフライが出されました。実はフレンチフライには曰くがあります。詳しくは Wikipediaで見て頂きたいのですが、イラク戦争に関連して起こった米国での反仏運動で象徴となった食べ物です。会談の中でブッシュ大統領は笑いながら食べたと言います。
皇室とモロッコの交流が深まったのは比較的最近のことでした。モロッコのモハメド皇太子が日本に訪問する前、日本のことを勉強する必要性に迫られ、日本側に「適任者をモロッコに差し向けて欲しい」と要請。そのときに約1週間講義を行ったのが、あの舛添要一東大助教授でした。モハメド皇太子はその後国王になりましたが、日本での迎賓館に滞在中、日本人料理人をいたく気に入り、王宮に招いてお抱え料理人にしたらしいです。
2000年の天皇陛下のオランダ訪問は、かなりの障害を乗り越えて行われました。戦争捕虜虐待問題やオランダ人慰安婦問題などが障壁となり、天皇陛下が国賓としてオランダを訪れたのは戦後初めてのことでした。オランダ植民地であったインドネシアを日本軍が占領した後、日本の強制収容所に入れられたオランダ人は約 17%亡くなったとされています。これはシベリア抑留で亡くなった日本人戦争捕虜の約 12%を上回る数字らしいです。日本政府は「平和友好交流計画」「償い事業」などを通じて地道に交渉を続け、会談が実現しました。
オランダ人被害者達のデモを回避するために関係者は奔走し、無事に天皇皇后両陛下が慰霊塔に黙祷を捧げたとき、オランダのベアトリックス女王の目に涙が光っていたといいます。晩餐会でベアトリックス女王は、オランダ船リーフデ号の漂着から日蘭交流は始まりましたが「リーフデ」はオランダ語で「愛」の意であること、「歴史の役割は、思い出すことのみではなく、将来への意味を与えることにある」など素晴らしい歓迎のスピーチをしました。晩餐会が成功に終わったあと、ベアトリックス女王はガッツポーズのような仕草をしたと書かれています。こういう話を通じて、天皇の海外訪問とその晩餐会は外交的に大きな意味を持っていることを知りました。
沖縄サミットでは、小渕首相は饗宴に心を砕いていたらしく劇団四季の浅利慶太氏に相談しました。浅利氏は音楽評論家の安倍寧氏を首相に紹介し、安倍氏は辻調理専門学校理事長の辻芳樹氏やソムリエの田崎真也氏らを集めてサミット晩餐会を成功に導いたらしいです。小渕首相は 2004年4月2日に脳梗塞で倒れるまで、時間があるとワインのサービスのビデオを見ていたといいます。初めて知る話でした。
新聞には書かれない外交の裏側について、食とワインという側から書かれた本で、読みやすく、お薦めの一冊です。
病院の窓から
「病院の窓から (島村喜久治・野村実・正木不如丘著、学生社版)」を読み終えました。「物理学者の心」「医学への道」と紹介してきた科学随筆文庫シリーズの一冊です。
島村喜久治氏は巻末の略歴を見ると岡山県出身なのだそうです。同郷ということで、少し親近感が湧きました。生物学者志望だったそうなのですが、生計が苦しかったので医師を目指したとされています。医師になった動機がそのようなものであったからこそ、逆に生計が立てば儲けるつもりはなかったと述懐されています。東京大学医学部を卒業しましたが、「医学部は、卒業しても研究室(医局)に無給で残って、教授に頤使されなければ学位も貰えず一人前にもなれないというルール」があったこともあり、昭和12年、当時ミゼラブルな疾患であった結核の治療を志しました。
「院長日誌」というエッセイは、都立府中清瀬病院の院長時代を書いたものです。なお、都立府中清瀬病院は後に国立清瀬病院を経て、国立療養所東京病院と改称されました。
乏しい予算を工面して何とか退院時に赤飯を出せるように奔走した話、生活保護法と結核予防法の板挟みになった話(当時は制度の併用が難しかった)、自殺しかけた患者に家族が「いっそ、そのまま死んでくれた方がよかった」とつぶやいた話(自宅療養を続ける必要のあった結核は、かえって家族に厄介と思われていた)、暇をもてあました政治患者たちとの戦い・・・。ストレスからか胃潰瘍を発症し、「こうして、私は、徹底的に愛し切れず、かと言って徹底的に憎み切れない患者たちの院長として、夏目漱石のように胃薬ばかり飲みながら、院長室に坐って」いた話が記されています。
島村氏は先進的な考え方を持っていて、「憂楽帳」というエッセイでは「妻が夫から独立して自分自身の社会的活動をもつ段階。これが妻の社会的進化論である」と書いてらっしゃいます。昭和初期としては画期的な意見だと思います。一方で、「世の主婦たちよ。中年すぎての美容法もいいが、もっと大切なのは心の美容法である」と耳の痛いことも述べています。
「憂楽帳」で特筆すべきは「七つの注文」という項。新聞記者が気をつけないといけないことが書いてあるのですが、今の時代でもそのまま通用しますね。その7つを列挙します。
①報道は客観的に
②センセーショナリズム自粛のこと
③記事の裏には被害者が生じることの自戒
④東京中心主義の反省
⑤科学記事、特に影響力の大きい医学記事は慎重に。
⑥読者の批判精神を引き出して、世論を読者に作らせる指導を
⑦広告にも責任をもつこと。化粧品と薬品には誇大広告が多すぎるし、映画の広告はあくどすぎる。
本書二人目のエッセイストは野村実氏。彼は大正九年に内村鑑三の話を聞いて一日でキリスト教徒になりました。エッセイの端々に信仰について出てくるのですが、それほど宗教じみた話が多い訳ではなく、本質は「生と死を受け入れること」であるように感じました。死にゆく患者さんたちとの付き合いを通じて、それをどう受けいれていけば良いのか、内面的な葛藤が赤裸々につづられています。
野村実氏は九州大学を卒業し、結核の診療に従事していました。昭和初期の結核病院では、入院患者の半数以上が死亡していたそうです。そのような過酷な状況下におかれた患者達にとって、野村氏のように向き合って心まで診てくれる医師と巡りあえたことは、不幸中の幸いであったように感じました。
野村氏はしばらくアフリカを訪れ、シュバイツァーと働いています。シュバイツァーが作った診療所にはハンセン病の患者が非常に多かったそうです。シュバイツァーの精力的な一日や黒人達の生活などは「シュバイツァー博士と共に」というエッセイで生き生きと描かれています。シュバイツァーはピアノが上手だったらしく、夜な夜なバッハのフーガを演奏していたそうです。このエッセイで初めて知ったのは、シュバイツァーが30歳代から書痙で悩んでいたということです。シュバイツァーは自身は遺伝と言っていました。それでも多くの著書を残していることに感銘を受けました。
野村氏のシュバイツァー談義には後日談があります。シュバイツァーは生き物を殺すのを非常に嫌い、診療所は「巡回動物園」と呼ばれるほど動物が我が物顔で歩いていました。放し飼いの犬、猫、猿、豚、野猪、山羊、アヒルの群れ達・・・。野村氏はシュバイツァーに「先生は動物を殺すなというけれど、治療で細菌を殺しているじゃないですか。細菌だって生き物でしょ?」と聞いたことがあるらしいのです。そうするとシュバイツァーはしばらく困った後に「あれは悪者だから良いんだ」というようなことを言ったらしいです。私の知人が野村氏の講演を聴いて教えてくれました。そんなことを聞く野村氏も野村氏ですけれど、そんな会話が出来る間柄だったのですね。
最後のエッセイストは正木不如丘(ふじょきゅう)氏。東京帝国大学医科大学を卒業し、大正五年に福島市福島共立病院で副院長を務められています。彼も島村氏や野村氏同様、結核診療に従事していました。自分の周りの医師や患者についてのエッセイが主ですが、諧謔に富んでいます。とは言っても、少し不謹慎に感じる話も多いですが。
正木氏はパスツール研究所に留学していたせいか、研究に関する話も残しています。「すべて研究というものは運と鈍と根の三拍子が揃わないと完成されぬものだと言われている」と述べているところに、先日紹介した寺田寅彦氏のエッセイ「科学者とあたま」を思い出しました。
タイトルからはわかりませんでしたが、本書のテーマは「結核」にあると思います。現代においても結核は静かに流行していますが、診療報酬などの問題から敬遠する病院も多いのが現状です。
物理学者の心
「物理学者の心 (寺田寅彦著、学生社出版)」を読み終えました。以前紹介した科学随筆文庫の第1巻にあたります。
寺田寅彦は東京帝国大学実験物理学科を首席で卒業し、Natureに論文を載せている立派な科学者です。一方で、文学者であり、夏目漱石と親交厚く、「我が輩は猫である」の水島寒月のモデルであるとされています。
本書の最初の随筆は、「花物語」。昼顔、月見草、栗の花、凌霄花 (のうぜんかずら)、芭蕉の花、野薔薇、常山の花、竜胆花の 8つの花をテーマにそれぞれ思い出話を書いていますが、淡い遠き日の美しい、あるいは切ない記憶が読む人を引き込みます。
次の随筆は、「病院の夜明けの物音」。明け方に病院で聞こえる物音を臨場感たっぷりに描写しました。あるいは、寺田寅彦は胃潰瘍に悩まされていたので、実体験だったのかもしれません。随筆の最後まで延々と音の描写が続くのですが、最後の数行に著者の心情が描かれます。ここまで情景しか描いてなかったので、却って深みがあります。その最後の数行を引用します。
自分の病気と蒸気ストーブは何の関係もないが、しかし自分の病気もなんだか同じような順序で前兆、破裂、静穏とこの三つの相を週期的に繰り返している気がする。少くも、これでもう二度は繰り返した。一番いやなのはこの「前兆」の長い不安な間隔である。「破裂」の時は絶頂で、最も恐ろしい時であると同時にまた、適当な言葉がないからしいて言えば、それは最も美しい絶頂である。不安の圧迫がとれて貴重な静穏に移る瞬間である。あらゆる暗黒の影が天地を離れて万象が一度に美しい光に照されると共に、長く望んで得られなかった静穏の天国がくるのである。たとえこの静穏がもしや「死」の静穏であっても、あるいはむしろそうであったらこの世の美しさは数倍も、もっともっと美しいものではあるまいか。
「蓄音機」という随筆は、当時流行した蓄音機にまつわるものです。「グラモフォーン」という語も登場します。グラモフォーンは今では CDのレーベルとして有名ですが、昔は蓄音機を作っていたんですね。著者は中学生時代に初めて見た蓄音機に大きな衝撃を受けました。しかし、その後汽船の中で流される閉円盤レコードの音に悩まされて以後、あまりレコードに良い印象を持っていなかったようですが、妻を亡くしてから淋しさの中に聞いた御伽劇のレコードに涙し、蓄音機を購入します。その後、生と録音の違いなどについて思索が巡らされます。なかなか含蓄のあるエッセイでした。
「茶碗の湯」は茶碗に入った一杯の湯についてだけで書き上げた随筆です。よくここまで話を膨らませるものだと感心しました。
「相対性原理側面観」は著者の専門領域の一つ。この難しい理論が理解出来ないという声が大きいので、彼は「理解する」のがどういうことかという議論を提唱します。「ニュートン力学」は相対性理論の出現によって初めて理解が可能になったのであって、ニュートンですら理解していなかったというパラドックスに逢着します。つまりアインシュタイン自身相対性理論を徹底的には理解できていないとも言えるのです。そうしたことを踏まえて、この理論をどう味わえば良いか述べていきます。
この随筆にいくつも示唆に富む言葉があったので紹介しておきます。
・「完全」でないことをもって学説の創設者を責めるのは、完全でないことをもって人間に生れたことを人間に責めるに等しい。
・少くとも我々素人がベートーヴェンの曲を味うと類した程度に、相対性原理を味うことは誰にも不可能ではなく、またそういう程度に味うことがそれほど悪いことでもないと思う。
・私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。それで無終無限の道程をたどり行く旅人として見た時にプトレミーもコペルニクスもガリレーもニュートンも今のアインシュタインも結局はただ同じ旅人の異なる時の姿として目に映る。
・自然の森羅万象がただ四個の座標の幾何学に詮じつめられるということはあまりに堪え難き淋しさであると嘆じる詩人があるかもしれない。しかしこれは明らかに誤解である。相対性理論がどこまで徹底しても、やっぱり花は笑い、鳥は唱うことを止めない。
本書には、その他にも面白い随筆が一杯です。研究者には「科学者とあたま」という随筆を紹介したいです。「頭が良い」ことで陥りがちな失敗について触れられています。
寺田寅彦の随筆は青空文庫にもたくさん掲載されています。著者権が切れており、無料で読むことが可能です。
医学への道
科学随筆文庫というのがあり、その第26巻は「医学への道」という表題がつけられています。この本には「安騎東野」「木下杢太郎」「宮木高明」諸氏の随筆が収録されています。
鯨の話
「鯨の話 (小川鼎三著、中央公論社)」を読み終えました。小川鼎三先生については、先日「医学用語の起り」という著書を紹介しましたね。ちなみに小川鼎三先生の師が布施現之助先生で、布施現之助先生の師は Monakow症候群で名を残した Constantin von Monakowになります。
本書は、小川鼎三先生の「鯨の研究」「シーボルトと日本の鯨」「鯨の後あしについて」「鯨をおそうシャチの話」「金華山の沖にて」「ひと昔とふた昔まえ」「スカンジナヴィア鯨めぐり」「ガンジス河にクジラを追う」という著作を収録したものです。それぞれ昭和 20~30年代に書かれたもので、今とは鯨の分類法がかなり違います。しかし、江戸時代の文献や海外の文献を照らし合わせ、自分で観察を加えながら鯨の研究を続ける姿勢に読んでいて気持ちが高ぶりました。彼が研究していた時代の雰囲気を伝えるために、このエントリーでは当時の分類に基づいて記載します。
以下、本書で興味を持った部分を抜粋します。小川鼎三先生は文章力も素晴らしいので、是非購入して読まれることを勧めます。