Category: 読書

歩を「と金」に変える人材活用術

By , 2008年1月5日 9:45 PM

「歩を「と金」に変える人材活用術(羽生善治、二宮清純、日本経済新聞出版社)」を読み終えました。

棋士の羽生善治氏とスポーツジャーナリストの二宮清純氏の対談集です。

羽生氏の着眼点にはいつもはっとさせられます。着想が豊かです。本人にしては自然な発想でも、周囲から見ると新鮮に感じさせるのは、将棋の羽生マジックと通じるところがあるのでしょうか。

羽生:私、思うんですけど、能力ってきっちした普遍的なものがあるわけじゃなくて、その時代時代の社会から求められてるものを能力と呼ぶんじゃないかと。ある社会、ある組織から求められる能力って、つねに変化し続けている。だから、ある組織から別の組織に移った人が活躍できるかどうかって、「いかにマッチングさせるか」というマネジメント次第だと思うんですよ。決して本人だけの問題じゃない。成功するかどうかは、組織を運営する人のマネジメント能力にかかってる気がしますね。

私は、異動の多い大学勤務医ですので、マネジメントの問題については凄く理解できます。医師の力を最大限に引き出すか、能力の発揮出来ない状況に置くか、マネジメントの部分は大きいですね。

対談者の二宮氏も、様々なスポーツ業界の内情に精通しているのみならず、独自の視点を持っています。対談中、日本人の哲学について、はっとさせられる部分がありました。

羽生:新しいアイデアが出てもすぐ共有されて、創造した人のアドバンテージは失われる。それはスポーツでもまったく同じだと思うんです。でも、真似されやすいものと、されにくいものがあるでしょう。例えばスキーの萩原健司がV字ジャンプで一世を風靡したけれど、すぐ真似されちゃった。一方、野茂のトルネード投法はあれだけ騒がれても、誰も真似しないじゃないですか。その違いは何なのでしょう?

二宮:いや、V字ジャンプというのは萩原が発明したんじゃなく、実はヨーロッパで生まれたものなんですよ。

羽生:あっ、そうだったんですか。

二宮:ヨーロッパで生まれたものを、萩原ら日本人選手が研究してマスターした。それをヨーロッパが逆輸入した感じなんですよ。やっぱりそういう改良型のイノベーションというのは、日本人の得意分野なんですね。

羽生:じゃあ、その後、日本のスキー界がいまひとつふるわないのは、テクニックを盗まれたのが原因じゃないと。やっぱりルール変更の影響なんでしょうか。たしかスキー板の長さを・・・。

二宮:身長の一.四六倍に変更されましたよね。現在ではさらに体重も加味して長さを決めますが、あれで圧倒的に不利になった。日本人は身長が低いぶん短い板を使わなきゃいけないから、浮力が得られない。長野オリンピックのジャンプ競技では、ラージヒル個人で金と銅、ノーマルヒル個人で銀。団体でも「日の丸飛行隊」と呼ばれた原田雅彦、岡部孝信、船木和喜、斉藤浩哉のチームで金。もう圧倒的な強さでした。ところが、次のソルトレーク大会以降はさっぱりです。

羽生:ルール変更は長野とソルトレークのあいだの話ですよね。

二宮:だから、ルール変更の影響がはっきり出た形です。ただ、当時、「日本人はいじめられている」みたいな反応が多かったけれど、それはちょっと短絡的なんです。ヨーロッパ人に聞くと、「長野では日本に花をもたせてやったんじゃないか。日本が勝たなきゃ客が入らない。メダルをあれだけとれたから、長野は大成功したんだろう」と。

羽生:ああ、興行の観点から・・・。

二宮:そうなんです。アマチュアとはいってもオリンピックはビジネスですから、興行の論理で考える。「だから、今度はルールを変えて、うちが勝つようにしてくれよ」と。お客さんが入らないスポーツはダメだという哲学が根底にある。でも、日本人はルール変更に負けたんじゃないと僕は思うんです。「ルールは変えられないものだ」と日本人が思い込んでいるところに最大の問題がある。

羽生:たしかにそういうところがありますね。学校教育の影響なんでしょうか。

二宮:子供の頃から「ルールを守れ」とは言われても、「ルールを作れ」とは言われませんからね。ルールは守るもんだと思って育っちゃう。一方、欧米人にとってのルールというのは、「人間がよりよく生きるため、人生を面白くするための手段」にすぎない。競技を面白くするためにルールを変えるのは、彼らにとっては当然の話なんですね。

羽生:日本人の感覚だと、なかなかルールに手をつけるというのは・・・。

二宮:ルールって、「指一本ふれちゃいけない神聖なものだ」と思っていますよね。だから、ルール改正の会議とかでは欧米人に比べて日本人の発言は消極的です。終わってから文句を言うことが多い。やっぱり小さなときからルールを作る感覚、そして「自分が作ったから守るべきなんだ」という感覚を育てていかなきゃいけないと思います。

確かに、ルールを作るという意識は普段持っていませんでした。今後は少し意識してみたいと思いました。

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神経内科病棟

By , 2008年1月4日 4:00 PM

「神経内科病棟(小長谷正明著、ゆみる出版)」を読み終えました。

小長谷先生の本は、これまでに「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足」や「神経内科-頭痛からパーキンソン病まで- 」を紹介したことがあります。文章が上手ですし、内容がしっかりしていて読みやすいです。

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真相

By , 2007年11月24日 12:03 AM

「真相 ディープインパクト、デビューから引退まで今だから言えること (池江敏行著)」を買って読みました。

名馬ディープインパクトについての本です。著者の池江氏はディープインパクトの調教助手です。

私は、デビュー3戦目の弥生賞で、初めて生のディープインパクトを見ました。3月の中山競馬場で、寒かったのを覚えています。去年のクリスマス・イブでは引退レースの有馬記念のディープインパクトと共に迎えました。思い出のある馬です。

本書を読んで、何故あれほどスピードがあるディープインパクトが短距離を走らなかったのか、ああいう戦法 (追い込み) しか取れなかったかがわかりました。その答えは最後の第7章に書いてあります。

凱旋門賞では薬物騒動がありました。それについて、本書を読んで、池江氏らに罪がないことを確信しました。私にそう思わせた部分を引用します。

 だけどこれだけはわかってほしい。誰よりもやってはいけないことなのはスタッフが一番よくわかっているし、だいたいそんな恐ろしいことをあの最高の舞台で、スタッフがやるはずもできるはずもない。先生も言っていたが、ドーピング疑惑や不正使用はない。僕たちはディープとディープファンを悲しませるようなことは一切していない。これは今でも胸を張って言える。

もう一つ、彼らの無実を確信した箇所があります。。

 このジャパンカップと有馬記念を通じて、僕たちがこだわってきたことがある。それは、一切の治療行為をしないということだった。

フランスでの一件以来、僕たちは引退するまで獣医さんには一度も診せなかったし、注射一本打つことはなかったのだ。先生も少し頑固な気持ちになっていた部分があるのかもしれないが、「馬は自然な状態で走らせるのが一番や。医者には一切見せなくてもいい。それで勝負しよう」と言っていた。

一流のスポーツ選手はマッサージなどのケアを丁寧に行っていきながら強くなるものだと思うし、現代のサラブレッドは多くの人々が工夫をすることで作り上げている。それらをすべて断ち、自分たちだけでやっていこうと決めていた。

だから、調教のあと筋肉が疲労していると感じたら、ふだんなら電気針や疲労回復の注射を打つ場面でも、市川さんが自らの手によって昔ながらのマッサージを施した。もちろん、あまりにもひどい症状が出て治療が必要であれば獣医さんにも診せなければならなかったのだろうが、よほど市川さんのケアが良かったのだろう。ディープの見た目はいつもと少しも変わらなかったと思う。

僕も調教にはかなりの気を遣った。メニュー自体はそれまでとほとんど変わらなかったし、レースに出るからには攻めていかなければならなかったのだが、そのままでは疲労が出たり筋肉を痛めてしまう。だから、追ったあとには多少軽く乗ったりして、できるだけ筋肉に疲労が残らない調教を心がけた。

このことは、僕らの自己満足だったかもしれない。しかし、どうしても自分たちの手だけで、ほかに頼らなくてもディープが本当に強い馬であることを証明したかったのだ。

もう少ししたら、ディープインパクトの子供達がデビューするでしょう。また、楽しませてくれることを願っています

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医学の古典を読む

By , 2007年10月20日 9:38 AM

「医学の古典を読む(諏訪邦夫著、中外医学社)」を読み終えました。

麻酔科の教授が、関連分野の古典的論文を紹介した本です。「肺と血液ガス」「循環」「脳・神経・筋肉」「薬物と薬理学」「統計学」といった内容が扱われています。

第 1部「肺と血液ガス」の第2話は「血液酸素解離曲線とボーア効果」です。血液酸素解離曲線の右方移動、左方移動を見つけたのがクリスチャン・ボーアですが、原子模型を 26歳で作り上げたニールス・ボーアの父であることを初めて知りました。それを報告した論文の共著者は他に 2名おり、一人は「Henderson-Hasselbalchの式」で有名なハッセルバルフ、もう一人は「クローの円柱モデル」や COを用いる肺拡散法を考案したクローだということです。

第 1部第 7話は「PCO2電極なしに PCO2を決める」ですが、ここでアストラップの論文を紹介しています。時々病院で先輩医師に「先生アストラップは?」と言われることがあります。意味不明で問い返すと、血液ガス分析のことなのだとか。何故そういう表現をするかがこれを読んでわかりました。アストラップ法の原理は、採取した血液を 3つに分け、そのうち 2つを既存の濃度の CO2ガスで平衡させ、pH-CO2直線を書きます。残ったサンプルの pHを測定すると、CO2濃度が計算出来るのだとか。アストラップが 1960年に開発し、10年くらい使われたそうですが、現在では CO2を直接測定出来る電極が開発され、用いられなくなりました。慣用的に表現が残っているのですね。

第 2部「循環」第 10話は「細動脈の力の平衡-臨界閉鎖圧の概念」です。この論文を書いたのは Burtonですが、彼は他に Handbook of Physiologyの巻頭に「生理学者にとって目的論は情婦みたいなもので、もたずにはいられないくせ、人前には出したがらない。(Teleology is like mistress. One cannot live without, but would be ashamed to be seen in the public.)」と書かれているそうです。含蓄のある言葉だと感じました。

第 2部の第 11話「スワン・ガンスカテーテルはなぜ 1970年か」では、スワン・ガンスカテーテルの開発秘話が紹介されていました。臨床では、よく「ガンツ入れる?」という会話をしますが、英語では「put a Swan in」などと表現します。スワンは心臓病学者で、ガンスはそれに協力したエンジニアなので、アメリカ人はスワンの方を呼ぶらしいのです。日本人が「ガンツ」というのはその方が呼びやすいからでしょうが、実際には「ガンス」「ガンズ」と発音するのが正しいことが、根拠を持って本書に記されていました。

第 3部「脳・神経・筋肉」の第 18話「クラーレは脳に作用しない」では、論文著者が被験者となり、体を張った実験であることが記されていました。クラーレは神経筋接合部に作用する筋弛緩薬ですが、意識を消失させる作用があるかを調べた実験です。意識下で筋弛緩をかけているので、非常に苦しかった筈です。実験開始後 34分で最大の麻痺となり気管挿管されています。その後投与をやめましたが、57分の時点では、「分泌多量に苦しむ (周囲は気づかない)」と記され、非常に辛い実験であったのではないかなと思います。実験中に「I felt I would give anything to be able to take one deep breath.」と述べています。実験中、被験者の意識は保たれたままでした。

第 3部「脳・神経・筋肉」の第 19話は「エーテルは飲んでも酔える」という笑える話です。これには裏話があって、北アイルランドでは、当時アルコール飲料密造が厳しかったことと、宗教的理由 (聖書がアルコール飲料を禁じている) ことがあり、エーテルが代用品として考えられたのだそうです。エーテルは、昔用いられた吸入麻酔薬です。論文では飲み方なども書いてあり、「エーテルを飲むときには鼻をつまんで飲む。水をなるべく飲まないのが”通”!」とされています。急性作用の項が面白いので、引用します。

作用は基本的にアルコールに類似するが、作用がずっと速い。
1) 興奮, 2) 混迷 (confusion), 3) 運動障害, 4)  意識障害

たいていの人は 1) の興奮レベル特に “高揚 (exhilaration)” のレベルで満足する。

表現は “叫ぶ, 歌う, 踊る” など。自覚的には”体が軽くなった感じ, 高く跳べそうな感じ, 空を飛べる感じ”といった異常認識も伴う。

副作用としては、作用時は唾液の分泌と嘔吐。さめてからは”調子が悪い, 脱力感, 虚脱感, うつ状態”など。上腹部痛も出現する。つまり、エーテルでも二日酔いする。

なお、レストランなどでアルコールを一杯おごる習慣と同様に、「エーテルを一杯おごる」習慣もあり、エーテルを飲む人達自身は「酒より楽しく、気持ちがよい」と述べているが、周囲の人達の評価は、「酒と比較すると “口喧嘩が多くなる  quarrelsome”」と描写している。またアルコールとエーテルをチャンポンすると、暴れたり他人に危害を加える頻度が高くなるとも。

実際にエーテルを飲むだとか、興奮するだとかいう話を読むと、昔遊んだ Final Fantasyというゲームで、エーテルというアイテムがあったことを思い出しました。

第 4話「薬物と薬理学」の第23話「ホタルの光で吸入麻酔を分析する」という論文は、日本人の上田一作氏が国立がんセンターで行った研究とのことです。論文のポイントは「吸入麻酔薬は、ATPによるルシフェリン発光を量依存的、可逆的に阻害する」というもので、吸入麻酔薬の作用機序の研究などに貢献したようです。確かに、反応が光でわかるのであれば、観察しやすいと思います。

第 4話第 24話「吸入麻酔薬の力価の表現」に興味深いトレビアが載っています。

 高地や飛行機の中でアルコールがよく効いて酔いやすいことはよく知られていますが、こちらはアルコールの代謝が酸素分圧に影響を受けるのが大きな要素であることが判明しています。

第 4部第 28話「モルフィン麻酔の創始」では、医療ミスが医学の進歩に大きく貢献した話が記されていました。転んでもただでは起きないとはこのことです。モルフィン (モルヒネ) は現在フェンタニルに取って代わられましたが、モルフィン麻酔開発段階で、その安全性を示しました。

モルフィン麻酔開発の途次に、”Give ten” という有名な逸話があります。1A 10 mgのモルフィンを 10 ml (100mg) 注射器に準備して、論文の第一著者ローウェンシュティン氏が研修医に “Give ten” と命じました。「10 mg 注射しろ」というつもりだったのですが、研修医は 10 mlつまり 100 mgを一度に注射しました。意外にも状態が良好だったのが、モルフィン麻酔の研究を進める要素になったというお話です。

第4話の第29話「大気汚染が妊娠異常を招く?」は痛ましい話です。昔は麻酔をした余剰ガスは手術室内に流れていました (今でもそういう病院はあるようです)。その結果、流産の率が手術室の看護婦と麻酔女医で高く、また流産が発生した場合の週齢が 2週間ほど低いことがこの論文で示されました。医療現場での危機意識も低く、「患者が吸っているエーテルの濃度を推測するのに、回路のガスを麻酔科医が吸ってみて『濃い』とか『うすい』とか議論していたくらいなのです」という記載が本書にあります。

医療従事者の健康被害の話は他にも類挙にいとまがありません。針刺し事故による感染症への罹患、昼夜を問わない勤務体系による睡眠障害などはある程度知られた話ですが、放射線被害も実は多いのではないかと思っています。例えば、心臓カテーテル検査などでは、医師がレントゲン照射野に手を置くため、手に放射線による皮膚障害や神経障害が多発し、痛みに悩む人が多くいます。それを防ぐために放射線被曝量を測定するバッジを付け、被曝量が一定量を超えるとその業務に関われないように管理します。しかし、そうすると医師不足で代わりにカテーテルをやる人がいなくなるので、バッジを外してカテーテルをしたりするのです (意味がない!)。また CT被爆による癌の危険性なども言われますが、患者が暴れるときは医療従事者が抑えて撮りますので、(いくら防護服を着ているといっても) 連日 CTによる被爆を受けることも起こります。過労死も問題となっていますし、それに準じる話も聞きます。ある若い心臓外科医は週 3-4日の当直をコンスタントにこなしていて、ストレスのため手術中に自分が致死性不整脈を起こしてしまい、目が覚めると CCUで、自分が手術中であった患者と隣のベッドで寝ていたそうです。医者の不養生では済まされない話のように思います。

第 5部「統計学」の第 30話「t-検定と “Student”」は、Student検定についてです。Studentはペンネームで、それが論文で用いることが許されたのが興味深いところです。Studentの本名は William S Gossetというそうです。Gossetはビールのギネス社で働いていたそうです。統計学には全く知識がないのですが、面白い逸話だなと思いました。

本書は麻酔科に関わる論文が主体ですが、他の科で働く医師にとっても興味深い本でした。

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(新) 細胞を読む

By , 2007年9月29日 11:04 PM

「(新) 細胞を読む (山科正平著、講談社BLUE BACKS)」を読み終えました。

電子顕微鏡写真を主として紹介した本です。最初に、大まかな体のつくり、電子顕微鏡の原理などを説明し、一般的な細胞モデルを解説した後、個々の細胞を見ていきます。

ブルーバックスで小型サイズなので持ち運びに便利ですし、本の半分は写真などで構成され、見開き 2ページで一つの項目を解説してあるので、非常に読みやすくなっています。

本書の帯に、福岡伸一氏が「これは至高の芸術作品である」と賛辞を寄せています。私も全くの同感です。マクロでの人体の美しさというのは、多くの絵画や彫刻で美しく描かれてきたことからもわかるように、普遍的な概念だと思います。これは、マクロの視点だけではなく、ミクロの世界でも言えることではないかと感じました。それほど、電子顕微鏡でみる世界は魅力的です。

著者の文章は非常に読みやすく、文中至る所に著者の豊富な経験やユーモアを感じます。最後に引用するのは、その例です。

(67) よだれを生み出す半月

粘液は粘性が高いばかりか、水を吸って膨潤するという性質がある。そのため、電顕でも光顕でも、分泌顆粒の内容が非常に明るく、膨れあがって見えるのが特徴だ。前に見た杯細胞はそうした顕著な特徴を示していた。しかし、唾液には粘液だけではなく、消化酵素、免疫グロブリン、抗菌作用を持つ物質なども含まれ、こうした成分は粘液に比してサラサラしていることから漿液と総称されている。前に見た耳下腺は漿液を産生する外分泌腺で、その細胞では分泌顆粒が明瞭な限界膜に包まれ、内容も濃く染まっている。

唾液腺の細胞では、粘液と漿液の産生が明瞭に分業されている。その上、一つの腺房に両者の細胞が混在していることも珍しくはない。ヒトの顎下腺や舌下腺では、こうした混合像がよく目にされる。一つの腺房に両者が混在すると、明るい粘液細胞に、濃染する漿液細胞が半月状にへばりつくという、特徴的な像を呈してくる。発見したイタリア人科学者名を付けてジアヌッチの半月として有名で、古来、教科書に記載されてきた。

ところがこの半月、標本を作製する際に粘液細胞が大量の水を吸って膨潤した結果、漿液細胞が押し出されてやむなく半月状をなすにいたった人工産物で、自然の状態では半月は存在しないことが判明してきた。人工産物ともなれば、お月さんの有り難さもかなり落ちてくる。

ジアヌッチは優秀な医師だったが、不倫をした妻に砒素を飲まされて非業の死を遂げたらしい。そのため、著者が、半月は人工産物だと国際学会で発表したとき、あるイタリア人に「ジアヌッチは二度殺された。二度目に殺したのはあなただ」といわれて、返答に窮したことがある。

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神経内科-頭痛からパーキンソン病まで-

By , 2007年9月14日 6:50 AM

「神経内科-頭痛からパーキンソン病まで-(小長谷正明著、岩波新書)」を読み終えました。

本書では、神経内科で扱うメジャーな病気がほぼ全て、わかりやすく解説されています。読んで頂ければ、私が普段している仕事の内容を理解して貰えると思います。

最初に簡単な神経系の解説があるので、読みやすくなっています。扱う病気は、頭痛、失調、末梢神経障害、脳卒中、脳神経麻痺、パーキンソン病、重症筋無力症、筋萎縮性側索硬化症、筋ジストロフィーなどです。

例にとって、顔面麻痺の項を紹介しましょう。本書のだいたいの雰囲気がわかる筈です。著者が顔面麻痺になったときの話です。ユーモアたっぷりの文章です。

 翌朝、洗面所で口をすすぐと、左口角から水が漏れる。歯医者で局所麻酔をされたあとの顔面神経が一時的にマヒしてこうなったなと思った。次の瞬間、エッと思って鏡を見る。左の唇はだらしなく開きかげんで、左頬にはエクボが弱々しくしかできない。口を開くと右側に引っぱられてゆがんだ口となる。左眼の閉じる力も弱い、顔を洗うと眼の中に水が入ってくる。ジャーンと頭のなかで音がする。顔面神経マヒだ、専門領域の病気になってしまった。ついこのあいだ、この病気についての論文を共同研究で発表したばかりだというのに、まさにブラックユーモアだ。つぎに考えたことは障害部位はどこか、中枢性か、末梢性かということだった。末梢性ならば片方のおでこにしわが寄らないが、脳のなかの神経支配の関係で、中枢性ならば両方に寄る。で、眉をつりあげてみる。なんと両側に寄る。ふたたびジャーンである。脳腫瘍とか、脳血管障害、脱随、肉芽腫などとまがまがしい病名が浮かんでくる。専門分野の病気というのはいやなものだ、知識がありすぎる。

朝食を並べている家人に言う。

「おい、ファチアリスレームングだ」

ドイツ語で顔面神経マヒのことだ。幸か不幸か家人も神経内科医である。さっそく、目を閉じろ、口を閉じろ、舌を出せ、あっちを見ろ、こっちを向けと診察をはじめる。

「あら、いやだ、ほんとうだ」

その診察のしかたは正しい方法ではないというと、うるさい患者ネェと返ってくる。問題のおでこの力はこころもち左側が弱いという。

そういえば、数日前から子供の声がやたら左の耳にひびいていた。これも症状であったのだ。

悶悶としてその日曜日を過ごし、あくる月曜日、もうどんなにつくろうとしても左側の額にしわは寄らない。中枢性の心配はもうしなくてもよい。症状が出そろうのに時間がかかったのだ。末梢性だから経過はいいだろう。ひと月もすれば治るであろうと思いはしたが、外出する気にならない。

「それでも、いちおう大学に行って、念のため検査をしてもらったら」

「いやだ、自分の分野だからよくわかっている。治療法もわかっているし、たいした薬もいらない。大学に行ったらメイヤー教授に筋電図をされる。痛いからいやだ。アホなレジデントがルンバールだ、血管撮影だ、CTだなどといいかねない、だからいやだ」(略)

しばらく休むことにしたが、実験のあとかたづけと、そのあいだに家で整理するデータをとりに、明くる日、大学に出た。自分のオフィスに入ろうとした瞬間、となりの部屋からメイヤー教授があらわれた。

「おや、君の顔はどうしたの?」

廊下でかんたんに診察し、つぎの瞬間、のたまった。

ただちに、筋電図を!


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生命とは何か

By , 2007年9月12日 7:23 AM

「生命とは何か-物理的にみた生細胞 – (E. シュレディンガー著、岡小天、鎮目恭天訳、岩波新書)」を読み終えました。

シュレディンガーといえば、私には難解すぎて理解出来ませんが、量子力学における波動方程式が有名です。その他、シュレディンガーの猫という有名な思考実験があります。

本書では、物理学と統計学の関係がまず示され、次いで染色体など生物学的知見が紹介され、その後、物理学の立場から生物学へのアプローチが行われます。例えば、突然変異の起こるメカニズムを量子論から説明しています。議論が進むに連れて、内容はどんどん哲学的になっていきます。1943年に書かれた本ですが、放射線と突然変異など、後の核の時代を先取した議論もなされています。

エントロピー (無秩序さ) に関する議論では、生物体は環境から「秩序」を引き出すことにより維持されていることが示されました。私の部屋がどんどん散らかっていき足の踏み場もなくなっていくのは、私が部屋から秩序を引き出し、その分部屋が無秩序になっていっているだけで、自然の法則からすると、当然の帰結なのかもしれません。その分、私の秩序が増している筈です。

この本の感想を書いている方のサイトを見つけました。松岡正剛の千夜千冊というサイトです。本書の内容を知るのに、読んでみると良いかもしれません。

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世界でもっとも美しい10の科学実験

By , 2007年8月23日 11:35 PM

「世界でもっとも美しい 10の科学実験 (ロバート・P・クリース著、青木薫訳、日経BP社)」を読み終えました。高校物理がある程度理解出来ていれば、十分に楽しめます。

本書は、「フィジックス・ワールド」という雑誌の読者から「一番美しいと思う物理学の実験」をアンケートで集め、もっとも美しいとされた 10の実験を紹介したものです。

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生物と無生物のあいだ

By , 2007年8月17日 7:40 AM

「生物と無生物のあいだ(福岡伸一著、講談社現代新書)」を読み終えました。

著者は、プロローグで「生命とは何か」と問いかけます。一つは「自己複製するシステム」であるという答えを提示しますが、著者はノックアウトマウスの研究を通じて、疑問を抱くようになります。ある機能がノックアウトされたはずのマウスが、何らかの代償機構で機能不全なく生きていく、そのことで「プラモデルのようなアナロジー」では説明できない特性があると感じるようになりました。その「ダイナミズム」、ユダヤ人研究者ルドルフ・シェーンハイマーが述べるところの「動的な平衡状態」をキーワードに、生命とは何かと考察していきます。

第1章は、著者が所属したロックフェラー大学から始まります。ここは野口英世も存在した大学です。野口英世は日本では伝記に登場する偉人ですが、実際は違ったようです。著者はロックフェラー大学定期刊行雑誌 (2004年6月発行) を引用して、彼の実際を紹介しています。

 ロックフェラーの創成期である二十世紀初頭の二十三年間を過ごした野口英世は、今日、キャンパスではほとんどその名を記憶するものはない。彼の業績、すなわち梅毒、ポリオ、狂犬病、あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものであった。その後、間違いだったことが判明したものもある。彼はむしろヘビイ・ドランカーおよびプレイボーイとして評判だった。結局、野口の名は、ロックフェラーの歴史のにおいてはメインチャプターというよりは脚注に相当するものでしかない。

第2章は、ウイルスの発見から始まります。タバコの葉に起こるタバコモザイク病という病気があります。1890年代にロシアのディミトリ・イワノフスキーが、陶板を通した病葉の抽出液が病気を引き起こすことに気付きました。単細胞生物の10分の1以下のサイズのフィルターをすり抜けた抽出液が病原性を失わないことに、彼はびっくりしました。それからしばらくして、オランダのマルティンス・ベイエンリンクが同様の事象を再検討して、「微小な感染粒子の存在」 (つまりウイルス) を初めて提言しましたが、今日ではウイルスの最初の発見者はイワノフスキーになっているそうです。

次いで、ウイルスは生物かの議論がなされます。私は生物とは言えないと長年思っていて、分子生物に詳しい友人に聞いたところ、「生物だよ」と言われました。その時は、「はーん、そうなのか」と納得しましたが、著者はこのことに問題を論じます。

ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスはまぎれもなく生命体である。ウイルスが細胞に取りついてそのシステムを乗っ取り、自らを増やす様相は、さながら寄生虫とまったくかわるところがない。しかしウイルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェにすぎず、そこには生命の律動はない。

ウイルスを生物とするか無生物とするかは長らく論争の的であった。いまだに決着していないといってもよい。それはとりもなおさず生命とは何かを定義する論争であるからだ。本稿の目的もまたそこにある。生物と無生物のあいだには一体どのような界面があるのだろうか。私はそれを今一度、定義しなおしてみたい。

結論を端的にいえば、私は、ウイルスを生物であるとは定義しない。つまり、生物とは自己複製するシステムである、との定義は不十分であると考えるのである。では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか。生命の律動?そう私は先に書いた。このような言葉が喚起するイメージを、ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義づける方法はありえるのか。それを私は探ってみたいのである。

その答えを探るために、DNAに関する話題が提供されます。世界で一番最初に DNAに気付いていたのは、オズワルド・エイブリーであると言われています。1877年生まれで、1913年にロックフェラー医学研究所に勤務し始めたそうです。エイブリーが DNAの存在に気付くきっかけになったのは、肺炎双球菌の研究であったそうです。肺炎球菌には、病原性の強い S型と病原性のない R型があります。イギリスのグリフィスは、「死んでいるS型菌と生きている R型菌を混ぜて動物に注射すると肺炎が起こり、動物の体内からは、生きている S型菌が発見された」ことを見いだしていました。エイブリーはこの「形質転換物質」を追究しました。そして、研究の結果、「残った候補は、S型菌体に含まれていた酸性の物質、核酸、すなわち DNA」でした。残念ながら、そこでエイブリーはそこで定年退職してしまうのですが、ロックフェラー大学には、今でもエイブリーがノーベル賞に値する研究者であると信じてやまない人々がいるそうです。この形質転換という現象は、抗生剤に対する耐性菌という問題で、我々を悩ませています。

そしてDNAの謎を解く競争が始まります。シャルガフは、「動物、植物、微生物、どのような起源の DNAであっても、あるいはどのような DNAの一部分であっても、その構成を分析してみると、四つの文字のうち、Aと T、Cと Gの含有量は等しい」ことに気付きました。この謎を解いたのが、ワトソンとクリックだったのです。彼らはDNAの二重螺旋モデルを提唱し、瞬く間にそれは世界に受け入れられました。

しかし、世紀の発見には裏がありました。ワトソン、クリックが他者の成果を盗み見した疑惑です。ロンドン大学キングズカレッジでロザリンド・フランクリンという女性が、DNAの X線解析をしていました。しかし、彼女の上司のウィルキンズが、ワトソンに彼女の研究データを見せていたというのです。著者は、むしろクリックの方に疑惑があったように記しています。

フランクリンが英国医学研究機構に提出した報告書の写しはまずペルーツに行き、そこからクリックの手に渡った。クリックはフランクリンのデータを見ることができたのである。じっくりと、誰にもじゃまされることなく。

この報告書はワトソンとクリックにとってありえないほど貴重な意味をもつ文書だった。そこには生データではなく、フランクリン自身による測定数値や解釈も書き込まれていた。つまり彼らは交戦国の暗号解読表を手にしたのも同然だったのである。そこには DNA結晶の単位格子についての解析データが明記されていた。これを見れば、DNAラセンの直径や一巻きの大きさ、そしてその間にいくつの塩基が階段状に配置されているかが解読できたはずである。その上で報告書にはさりげない、しかし最も大きい意味をもつ記述があった。

「DNAの結晶構造は C2空間群である」

この一文は、そのままクリックのプリペアード・マインドにストンとはまった。あたかもジグゾーパズルの最後のピースのように。C2空間群とは、二つの構成単位が互いに逆方向をとって点対称的に配置されたときに成立する。(中略)

おそらく、ワトソンとクリックはこの報告書を前にして、初めて自分たちのモデルの正しさを確信できたのだ。すぐに彼らは論文を『ネイチャー』誌に送った。

しかし、である。ピア・レビューの途上にある、未発表のデータを含む報告書が、本人のまったくあずかり知らないうちに、ひそかにライバル研究者の手に入り、それが鍵となって世紀の大発見につながったのであれば、これは端的にいって重大な研究上のルール違反である。

結局、フランクリンはワトソン、クリック、ウィルキンズが「ノーベル賞を受賞したことも知らず、そして自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を果たしたことさえも生涯気づかないまま、この年 (ワトソンらがノーベル賞を受賞した年) の四年前の一九五八年四月、ガンに侵されて三七歳でこの世を去」りました。X線を無防備に受けすぎたためとも言われています。

第9章で、前述のシェーンハイマーが登場します。シェーンハイマーは、トレーサーを使った実験技術を開発しました。このシェーンハイマーの実験から生まれた「身体構成成分の動的な状態 (The dynamic state of body constituents)」という概念を、著者はシェーンハイマーの言葉を使って紹介しています。

 生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質とともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。

そして、「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」をキーワードに議論を展開します。そして、生命の新しい定義を提唱するのです。

 生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである。

以後、動的平衡が、タンパク質の動態、細胞膜のダイナミズムなどを例に紹介されます。

パラーディーは、放射性同位元素でラベリングしたアミノ酸を用いて、細胞内での動きを観察しました。これは、小胞体輸送を始めとした細胞内ネットワークに大きく貢献しました。パラーディーの流れを汲む著者らは、膵細胞を用いた GP2蛋白の動態を研究し、球形の膜形成に大きな役割を果たしていることを突き止めました。しかし、129系マウスを用いた、GP2ノックアウトマウスによる実験で、GP2欠損マウスに何の障害がないことも見いだしたのです。一連の実験で、生命における「時間」の重要性を痛感させられるシーンがあります、

この研究から、著者らは「生命とはなにか」という問いに、次のような考察を与えています。

機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。

生物には時間がある。その内部には常に不可逆な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。

今、私の目の前にいる GP2ノックアウトマウスは、飼育ケージの中で何事もなく一心に餌を食べている。しかしここに出現している正常さは、遺伝子欠損が何も影響をももたらさなかったものとしてあるのでない。つまり GP2は無用の長物ではない。おそらく GP2には細胞膜に対する重要な役割が課せられている。ここに今、見えていることは、生命という動的平衡が GP2の欠落を、ある時点以降、見事に埋め合わせた結果なのだ。正常さは、欠落に対するさまざまな応答と適応の連鎖、つまりアクションの帰趨によって作り出された別の平衡としてここにあるのだ。

私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ。

結局、私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである。

著者は本当に文章が上手で、引き込まれました。生物学的な手法に、基本的な説明があり、こういった本を読んだことのない方でも読みやすい本だと思います。

ここで紹介した以外にも、面白いネタが多数収録されています。

例えば、PCR (ポリメラーゼ連鎖反応) 装置という遺伝子複製機器の開発秘話として、キャリー・マリスがデート中に思いついたということ。

(正常) プリオンのノックアウトマウスに異常はないが、頭から1/3の分子を欠損した不完全プリオン蛋白をノックインしたマウスが、狂鼠病ともいうべき病態を発症すること。

シュレーディンガー方程式で有名なシュレーディンガーによる、「なぜ原子はそんなに小さいのか」、ひいては原子に対してなぜ我々はこのように大きいのかという話。

読みやすく、後に残る物の多い本でした。

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私の脳科学講義

By , 2007年8月14日 8:25 PM

「私の脳科学講義 (利根川進著、岩波新書)」を読み終えました。著者は、免疫、特に抗体に関する研究でノーベル生理学医学賞を受賞しました。

私が医学生時代、薬理学の教授が講義で、「利根川先生は、免疫の研究をしていた頃は良い仕事してたけど、脳の方にいってからおかしくなってしまった。」と述べていて、「どうおかしくなっていたのか」それ以来ずっと疑問に思っていました。本書を読んで、おかしくなったなどということはなく、本当に凄い人だなと思いました。

本書では、最初に利根川氏の分子生物学との出会いが紹介されます。そして、彼の師について紹介されています。彼のアメリカでの師はノーベル賞学者レナート・ダルベッコですが、ダルベッコの弟子達は、4人 (ハワード・テミン、デビッド・ボルティモア、利根川進、ポール・ハーグ) ノーベル賞を受賞しています。また、ダルベッコの兄弟子がジェームズ・ワトソンでノーベル賞学者です。ワトソンとダルベッコの師サルバドール・ルリアもノーベル賞を受賞しています。天才というのは、集うものなのですね。

利根川先生は、アメリカに渡った後、分子生物学の手法を用いて、スイスのバーゼルで免疫の研究をすることとなりました。当時、何故一〇万個 (実際には三万個) の遺伝子で一〇〇億種類の抗体を産生できるのかは免疫学上最大のジレンマになっており、「GOD (Generation of Diversity) のミステリー」と呼ばれていました。研究中に彼の任期は終わってしまうのですが、彼は「この研究はひじょうに重要だと思ったのです。しかも、いま得られたデータはひじょうに有望である、これを中断させる所長の決断はまちがっていると勝手に考えて、人事部からの手紙は無視して研究をつづけていました」という態度をとり、最終的には雇用を延長させ、ノーベル賞を受賞するきっかけとなった研究を完成させました。GODのジレンマの答えは、抗原の可変領域の変異、DNA組み替えにあったのです。さらに彼は抗原と反応性の高い抗体が選択的に増殖することで、効果的な免疫応答をしていることを発見しました。

免疫の分野で成功を収めた彼が次に研究の対象としたのは脳でした。彼は脳に分子生物学的手法を持ち込み、研究を始めました。そ研究が本書で紹介されています。

一つは、海馬に関する研究です。Cre-loxPというDNAの部位特異的組み替えシステムです。この手法でマウスの海馬の CA1野及び CA3野の NMDA受容体をノックアウトしました。とても綺麗な実験なので、是非本書を読んでみて頂きたいのですが、部位特異的に受容体をノックアウトしたのが、この実験の醍醐味です。シャーファー線維のテタヌス刺激で、シナプス伝達の増強 (長期増強;LTP) を調べています。更に、多電極解析法という電気生理学的検証を織り込みました。

この実験により、海馬 CA1野の NMDA受容体ノックアウトマウスでは、シナプス伝達の増強、すなわち長期増強 (LTP) が起こらなくなり、更に空間記憶が得られないことがわかりました。海馬 CA3野の NMDA受容体ノックアウトマウスでは、目印物質を減らした後、場所ニューロンの活性化に欠陥があり、パターンコンプリケーションに障害があることがわかりました。

利根川先生は、この実験について、次のように述べています。

記憶というのは、ある出来事があって、そこからいろいろな情報が脳に入ります。ほかのことをしているときは、その出来事のことはとくに思い浮かべていません。たとえば、ある人にはじめて会って、興味深い会話をしたとします。そして一ヶ月後に、その人がたまたま道を歩いているのを、遠くから見たとします。すると、一ヶ月前の会話の記憶の内容がつぎつぎに思い出されます。そのきっかけになったのは、その人が歩いている横顔をちょっと見たというような、ほんの少しの情報です。これを、記憶の再生におけるパターンコンプリケーション (pattern complication) といいます。記憶の再生においては、ほんの一部の情報を使って、以前に蓄えた全情報のパターンを再生するということです。

考えてみると、一連の情報を記憶として脳に入れたときのその全部の情報にまた遭遇して、記憶の再生が行われるというのではありません。パターンコンプリケーションというプロセスが、再生に密接に関与しているわけです。それで、パターンコンプリケーションをするときに、さっき言った CA3野の自己連想型ネットワークにおける、神経のシナプスの可塑性が重要な役割を果たしているというのがマー (注:デイビッド・マー (MITの神経学者)) の仮説だったわけです。

しかし、この仮説はあくまでアイディアで、ほんとうにそうかどうか、実験で確かめる手だてがなく、三〇年間わからずにきたわけです。

わたしたちは、この CA3野においてのみ、NMDA受容体の遺伝子をノックアウトする方法を開発することによって、この重要な問題を検討しました。それでわかったことは、このマウスは記憶を獲得することに関しては、何の支障もないということです。しかも、記憶したときに使った情報全部を与えてやれば、思い出すこともできます。ふつうのマウスは、ほんの一部を与えても、その情報にもとづいて、全記憶を思い出すことができる。つまり、パターンコンプリケーションができるわけです。ところが CA3野で NMDA受容体の遺伝子をノックアウトするとそれができないのです。

これは、記憶の再生に直接関与している遺伝子が、しかも海馬のどこの細胞でその遺伝子が記憶の再生に関係しているかということを含めて、はじめて突きとめられたケースです。さらに同じ遺伝子が、CA1野では記憶の獲得に関係していて、CA3野では記憶の獲得ではなく、再生においてのみ関係している、ということを証明したことになります。

彼が最初に行った、カルモジュリンキナーゼⅡ遺伝子ノックアウトによる長期増強の阻害は「Science」誌に掲載されましたし、一連の研究も有名雑誌に載っていると思いますので、取り寄せれば読むことが出来そうです。是非、論文の方も読んでみたいと、興味を持ちました。

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