Category: 読書

ラモン・イ・カハル自伝

By , 2013年1月6日 8:43 AM

ラモン・イ・カハル自伝 ―悪童から探求者へ (小鹿原健二訳、萬年甫解説、後藤素規編、里文出版)」を読み終えました。

カハールについては、このブログでも何度か取り上げました。「ニューロン説」を唱え、ノーベル賞を受賞した歴史的科学者です。

神経学の源流 2 ラモニ・カハール

脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星

「ラモン・イ・カハル自伝」は、カハールが悪童として名を馳せた少年期から、学問を志すようになった頃までを綴った自伝です。カハールがかなりの悪童であったことは事実ですが、彼がハチャメチャな行動を行うに至った内面の描写が面白く、まるで良質の冒険小説を読んでいるようでした。一方で、彼は凄く分析的に周囲のことを観察できる子供だったようです。教師を客観的に分析し、何故その教師の授業を聞く気にならなかったかも記しています。他面、カハールには試験での遅刻癖があり、再三失敗したということも、記されていました。色々と規格外の人物だったのですね。

本書には、教訓的な表現が多く出てきて、なかなか含蓄があります。

その経験とは、様々な似たような事態にもあてはまるが、次の極めてありふれた格言「困難な仕事において、勝利をおさめようと思うなら、充分な時間と労力をかけて、明らかに必要なものを予め身に備えながら、仕事に打ち込め」の中に含まれていた。結局、努力は、決して害にならず、むしろ、別の機会に役立った。それにひきかえ、努力の不足は、それがわずかであっても、惨めな失敗をもたらすのである。

何か有益な教訓を生み出さないような「愚かな行動」はないものだ。

アマチュアの絵書きが大体そうであるように、私は基本的な色調をよく識別した。しかし、灰色の使い方の難しさを知らなかったし、また、「自然は、単純な色を示すことはほとんどない」ということに全く無知だった。

聴覚と同様に、風景の色彩感覚において、いろいろな組み合わせしか存在しない」ということは知られている。色彩には色々の割合で、常に、白と黒―聴覚における無音と有音に相応する―が混じり合っている。色彩に関するこのような認識が子供に欠けていることは止むを得なかった。そんな事を知らずに、私は、色彩を単純化し、図式化した。ハーモニーを無視してメロディーだけを表現するヘボ楽士のように、未熟な絵書きは、主要な色調だけを描く。ここで街頭絵書きの気違いじみた色付けを思い出さない人はいないだろう。(略)

私も経験のなさから、このような嘆かわしい欠陥に犯されていた。しかし、暗中模索している中に、私はこの欠陥の一部を克服して、調和のとれた色調を見分けることができるようになった。例えば、それまで、あらゆる緑色を単純に芝生のような純粋な緑色にしていたが、オリーブの緑色、黄楊の黄緑色、樫と松の灰緑色、糸杉の黒緑色を区別できるようになった。このような目立たない鑑識力の向上は私に自然の事物を詳しく観察させ、必ずといっていいほど、形や色調を単純化しがちである記憶に疑いを抱かせるように仕向けた。

世間の生業は、神秘的な作用には全く無関係な仮借のない論理に従って進展し、そして結末がつく、というのが私の意見である。

カハールは絵が大好きだったようで、それは彼のスケッチからも伺い知ることができます。写真は、彼が父親と一緒に解剖学を勉強していたときのスケッチです。


さて、最後に情報募集。カハールが下記のように紹介したファーブルの「宇宙」という本を読みたくなって探しているのですが、見つかりません。ご存知の方がいらっしゃったら御教授頂ければ幸いです。

私はラプラスの有名な著作を読もうと思って、その下準備のため、天文学に関する通俗的な本、特にフラマリオンの有名な人気のある本と、天才的な昆虫の観察者ジャン・アンリ・ファーブルの本を参考にしようと考えた。フラマリオンの数々の本は私を大いに楽しませてくれたが、知識欲を完全に満たしてはくれなかった。それらの本は豊かな叙情味、打ち解けた親しみ、華やかな文章では優れていたが、論証がほとんどなかった。それに引き替え、『宇宙』と題されたファーブルの小さな手引書は、私にとって素晴らしい天啓となった。その本には、分別と節度に貫かれた文章が躍動していた。(「昆虫の王」が優れた詩人であることは良く知られている) しかも、言葉が思想をおし殺していない。本のすべての頁にわたって、初心者に幾何学的方法―その方法の助けで、宇宙形状誌と天文学の驚くべき真理が発見された―の基本的メカニズムを手ほどきしようとする配慮が息づいていた。三角形の定義に始まり、天文学が獲得した最も優れた知見に終わるこの小冊子を読んだ私は、ついにそれまで軽蔑していた幾何学、憎んでいた三角法と和解した。宇宙空間の科学は、若干の器具の力を借りて、紙の上に何本かの線を引くことによって地球の大きさを測り、地球の実際の形を決定し、月までの距離と大きさを決め、太陽の容積と太陽までの距離を研究し、遊星の軌道と形を決定するような壮挙を成し遂げたことに気付いて、私はびっくりした。もっと卑近な仕事では、登らずに塔や山の高さや幅を知ること、渡らずに川の幅を測ること、海に沈んだ船の位置を決定すること等があった。特に、二千年以上も前にサモスのヒッパルコスによってなされた太陽までの距離に関する幾何学的な極めて巧妙な論証に、私は心から驚嘆した。今日、三角法は、太陽までの距離の割り出しや、もっと他の大きな問題の解決のために非常に正確で洗練された方法にまで高められている。しかしながら、幾何学の卓越した力を人類に明らかにしたこのギリシアの天文学者が、先駆者の一人であることを認めなければならない。

Post to Twitter


脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星

By , 2012年12月10日 8:16 AM

「脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星 (萬年甫著、中公新書)」を読み終えました。ラモニ・カハールについては、「神経学の源流 2 ラモニ・カハール」で説明したばかりですね。

本書はカハールについての伝記です。手の付けられない悪童が改心して研究者になり、義憤にかられてキューバ遠征に行くもマラリアにかかり散々な目にあって帰国し、以後研究に没頭してニューロン説を確立するまでの話が豊富な資料を元に書かれています。出版が中公新書ということからわかるように、専門家以外の方でも読める内容になっています。200ページくらいの薄い本なので、あっという間に読めますね。

印象に深かったことは物凄くたくさんありましたが、触れておきたい逸話があります。カハールが突起を発見できず、「第三要素」と呼んだ細胞群がありました。弟子オルテガが、師のカハールに「第三要素に突起がある」と告げた時、カハールは複雑だったようです。明らかに弟子が正しかったのですが、カハールを以ってしても、歳下の学者に自分の学説の間違いをストレートに指摘されると素直になれなかったようです。師弟という点では異なりますが、ゴルジがカハールに間違いを指摘された時の不愉快さも似たようなものであったのではないかと感じました。

以下は、備忘録。

Continue reading '脳の探求者ラモニ・カハール スペインの輝ける星'»

Post to Twitter


神経学の源流 2 ラモニ・カハール

By , 2012年12月7日 8:21 AM

「神経学の源流2 ラモニ・カハール (萬年甫編訳、東京大学出版会)」を読み終えました。カハールはニューロン説の礎を築き、ノーベル賞を受賞した研究者です。

第一章は著者の神経解剖学の「研究の端緒」で、カハール研究所を訪れ、その標本を見るところから始まります。第二章は「神経解剖学の方法・その史的発展」と題し、神経解剖学の研究の歴史を簡単に紹介しています。

第三章「ニューロン説の原典」が、カハールの論文の翻訳です。カハールはゴルジ法 (黒い染色) を用いて研究を始めた訳ですが、同じ方法を用いて同じものを見たゴルジが網状説 (神経は網目状に吻合している) を唱え、カハールがニューロン説 (各神経は独立した単位であり、接触により刺激が伝導する) を唱えたのは興味深いことです。凄いことに、カハールは詳細に形態を観察することで、神経の機能、刺激の伝導の方向まで明らかにしてしまいます。1892年に行われた「神経中枢の組織学に関する新見解」という講演は、次のように結ばれています。この結びを読むと、彼が唱えたニューロン説の概要がわかります。

以上取り急ぎ申し上げた諸事実を総括し、いくつかの考察を行なってこの講演を終わることにしたい。

1) 中枢細胞の形態学について、一般的な結論を下すならば、それは神経細胞、上皮性細胞ならびに神経膠細胞の突起の間には物質的な連続性がないということである。神経細胞は正真正銘の単一細胞であり、Waldeyerの表現によればノイロン (neuronas) である。

2) 物質的な連続性がないのであるから、興奮が 1つの細胞から他の細胞へ伝わる場合、あたかも 2本の電話線の接合点におけるがごとく、接近ないし接触 (por contiguidad o por contacto) によって行なわれねばならない。このような接触は一方は軸索の終末分枝あるいは枝側と、他方は細胞体ならびに原形質突起 (※樹状突起のこと) との間に行われるのである。網膜の神経膠細胞、脊髄神経節の単極細胞ならびに無脊椎動物の単極細胞のごとく、原形質突起のない場合には、細胞体の表面が神経性分枝の付着する唯一の場所となるのである。

3) 2種類の突起をもつ細胞のなかで神経興奮の伝わる方向として考えられるのは、原形質突起のなかでは求心性、軸索のなかでは遠細胞性ということである。(略)

4) 双極性細胞 (聴神経、嗅神経、網膜、Lenhossekと Retziusによれば蠕虫の知覚性双極細胞、魚の脊髄神経節の知覚性双極細胞など) では、末梢性突起は太くて興奮 (求細胞性の興奮) を受け入れる役をなし、原形質性のものとみなすべきである。(略)

5) 原形質突起は、Golgiならびにその一派が考えているように毛細管から放出される血漿を吸う細根のごとき単なる栄養装置ではなく、軸索と同じように伝導を行なっているのである。(略)

6) 原形質突起茎のあるもの (大脳の錐体細胞、Purkinje細胞など) がきわめて長いことや、側方および基底部からでる原形質突起が豊富なのは、多数の神経性分枝と連絡を確保し、その興奮を集める必要があるからであろう。多くの原形質突起分枝に見られる表面の粗いことや、棘の間の切り込みはおそらく神経線維終末の作用や接触が行われることを示しているのであろう。

第四章は、「網状説とニューロン説」です。「ストックホルムの壇上にて」という副題が付いています。ゴルジとカハールは同時にノーベル医学生理学賞を受賞し、それぞれ講演を行いました。ゴルジの講演は 1906年 12月 11日、カハールの講演は同 12月12日でした。それぞれの講演の全容が記されています。読むと互いにかなり意識していることがわかります。ゴルジのと比べ、カハールの講演の方が、理路整然としていて、説得力があります。

第五章は「カハール以後」です。著者達が如何にして研究を進めていったかが解説されています。地道な作業の連続に、研究とは忍耐なのだと感じさせられます。一方で、著者の行った工夫にも感嘆します。最終章は「ゴルジ法発見から 100年」と題されていて、”黒い染色” 記念シンポジウムです。著者がゴルジの住んでいた家を訪ねたり、ゴルジが作った標本を観察したことが記されています。

さて、カハールの論文を読んでいて、どうしてもわからない部分がありました。下記のくだりです。

後根はそれぞれ、遠心性線維と求心性ないしは知覚性線維から成っている。

遠心性のものは (Lenhossekとわれわれが同時に証明したように)、前角の細胞から出て、途中分枝したり枝分かれしたりすることなしに後根および脊髄神経節に入る。

大多数を占める求心性のものは、、後索に入って斜にその深部に進み、Y字状に分枝して上行枝と下行枝に分かれ、それぞれ縦走して後索の線維となる。これらの枝は白質に沿って何センチも走った後灰白質に侵入するらしい。そして遂には後角の細胞の間で遊離の樹上分枝として終わる。

この中で、「遠心性のもの」が何を示しているのかわからなかったのです。先日、岩田誠先生に会う機会があったので、質問してみました。すると、「それが Lenhossek (レンホセック) 細胞だよ」とのことでした。

通常、運動ニューロンは直接脳幹ないし脊髄の前方から出てきますが、レンホセック型のニューロンは一旦脳幹ないし脊髄の後ろ側に回って、側方よりの前方から出てきます。この手の細胞は、やや原始的なもので、運動成分のみならず自律神経成分を含むとされています。脳神経にはいくつかあり、顔面神経などがそれにあたります (リンク先 17から出る線維の走行参照)。

レンホセック細胞は呉建先生がかなり精力的に仕事をなさっていて、犬の後根を離断し、二次変性を起こすニューロンと起こさないニューロンがあることを突き止め、片方が前角由来の自律神経線維ではないかと提唱されていたそうです。それが、上記の「遠心性のもの」に当たるのではないかと考えられます。

余談ですが、カハールはレンホセックより先に「レンホセック細胞」を見つけていたのですが、発表に慎重になっていたところ、レンホセックに先に報告されてしまい、随分悔しがったという逸話が残っているそうです。

岩田先生、レンホセック細胞についてよくご存知だったなと思って聞いてみたら、「カハールが書いた教科書 (※分厚い本 2冊) にかなり詳しく書いてあったよ。僕はスペイン語じゃなくてフランス語翻訳で読んだけどね」とのことでした。たかだか 300ページくらいの日本語の本書を 2ヶ月かけて読んだ身としては、能力の違いをまざまざと知らされました。

(参考)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (1)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (2)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (3)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (4)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (5)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (6)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (6)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (7)

神経学の源流 2 ラモニ・カハール 冒頭部引用

Post to Twitter


誰も教えてくれなかった血算の読み方・考え方

By , 2012年12月2日 12:42 PM

誰も教えてくれなかった血算の読み方・考え方 (岡田定著、医学書院)」を読み終えました。薄い本なので数時間で読めます。

血液内科の領域は、学生時代に勉強してからかなり知識が抜けている部分があるのですが、再度整理することができました。

本書は血液内科専門医が実際に経験したファインプレーやエラーの実例が読めるのも貴重ですね。

岩田健太郎先生も絶賛の本です。

Post to Twitter


誰も教えてくれなかった「風邪」の診かた

By , 2012年12月1日 7:39 PM

誰も教えてくれなかった「風邪」の診かた (岸田直樹著、医学書院)」を読み終えました。

これまで風邪の患者さんは数え切れないくらい診てきたけれど、本書のように体系だってまとめたものを読むのは初めてです。あまりに、面白くて 1日で読了しました。

ある部分では「俺が感じていたのと同じこと言っている」と親近感が湧きましたし、ある部分では「へー、初めて聞いた」と勉強になりました。

風邪の患者さんを診療しない医者はほとんどいないと思うので、読んでおきたい一冊です。

Post to Twitter


脳からみた心

By , 2012年10月27日 11:24 AM

「悩からみた心 (山鳥重著、NHKブックス)」をアメリカ旅行中に読み終えました。山鳥重先生は、神経心理学の権威です。

本書は「言葉の世界」「知覚の世界」「記憶の世界」「心のかたち」の四部構成からなっています。Aさんから Zさんまで、脳損傷によってある機能が失われた患者さんを分析することで、脳の働きを掘り下げていきます。非常に詳細な専門的分析をしているにも関わらず、平易な文章で、解剖学用語もほぼ登場しません。音楽家の原口隆一・麗子氏が著書「歌を忘れてカナリヤが」の中で本書を紹介していたことからわかるように、医療関係者以外の方にも読みやすい本なのではないかと思います。また、ソシュール記号論なんかも登場するので、文学や哲学が好きな方が読んだら面白いかもしれません。

内容が少しでも伝わるように、目次を紹介しておきます。

目次

はじめに-脳と心の関係

I 言葉の世界

(1)言葉は意味の裾野をもつ

言葉に対するでたらめともいえない反応の仕方 言葉は意味の骨格のまわりに広い裾野をもっている

(2)語の成立基盤

名前と物が重ならない ソシュールの理論を裏づける

(3)語は範疇化機能をもつ

一つの物にしか名前をいえない 人間は物の一般的属性を切り出す能力をもつ

(4)「意味野」の構造

物の名前を言えない 語は意味野の部分である

(5)「語」から「文」への意味転換

語はわかるが「文」が理解できない 「文」は語の単純加算ではない

(6)自動的な言葉と意識的な言葉

日常的な言葉は壊れにくい 注意を集中すると言葉が理解できない

(7)言語理解における能動的な心の構え

文脈を理解していて内容を理解していない 言葉の受動的理解から能動的理解へ

(8)状況と密着した言葉

目的意識をもつとうまくいえない 言葉は習慣性の高い自動的な能力

(9)言葉はかってに走りだす

とりとめのない言葉が延々と続く 言葉は常に内容を伴うとはかぎらない

(10)過去の言葉が顔を出す

意図に反して同じ言葉がでてしまう 過去が過剰に持続する

(11)言葉の反響現象

意味の理解を伴わない言葉の自動的繰り返し 状況が大枠で適切な言葉を引きだす

(12)言葉の世界は有機体-まとめ

II 知覚の世界

(1)知覚の背景-「注意」ということ

注意を維持できない 正確な知覚には注意機能が必要

(2)注意の方向性

左側の空間に気づかない 注意がその方向に向いて知覚が成立する

(3)「見えない」のに「見えている」ということ

見えていないはずの光源の方向が分かる 「見える」、「見えない」が視覚のすべてではない

(4)「かたち」を見ること-その一

かたちの区別がつけられない 視覚的要素が「かたち」に転化する

(5)「かたち」を見ること-そのニ

文字は読めるが顔は分からない 顔が分かるには線の知覚が重要

(6)「かたち」の意味

触ると分かるが見ると分からない 知覚された形と意味が結びつく段階

(7)二つの形を同時に見ること

二つのものが同時に見えない まとまりのあるものを見ようとする過程

(8)「対象を見る」とは何か

対象が消えても眼前にありありと再現する 神経活動の過程を「見て」いる

(9)視覚イメージの分類過程

見えない視野に出現するまぼろし 視覚情報は基本パターンに分類される

(10)対象を掴む

眼前の物を掴めない 「形」ではなく「関係」の知覚能力が必要

(11)私はどこにいるのか?

方角がわからない 動かない空間を基準に自己の動きを見ること

(12)知覚の世界は宇宙空間-まとめ

III 記憶の世界

(1)刹那に生きる

昨日、今日のことを覚えていない 記憶のない行動は恐い

(2)短期記憶から長期記憶へ

新しい出来事を覚えられない 短期記憶を長期記憶へ移していく特別の機構

(3)長期記憶が作られる過程

過去へ遡る記憶の消滅 じょじょに長期記憶として固められていく

(4)記憶の意味カテゴリー

時間性を失った記憶 記憶の歴史性と状況性

(5)記憶と感情の関わり

記憶が自分のものでないように思える 感情と記憶の濃淡が時間体験の背景

(6)短期記憶はなぜ必要か

数字の復唱ができない その場の一時的な働きを支える短期記憶

(7)記憶の世界の広大な拡がり-まとめ

IV 心のかたち

(1)言語と音楽能力は関係あるか

強い言語障害でもすばらしい曲を作る 音楽的世界は言語世界から自立している

(2)言語と絵画能力は関係あるか

強い言語障害でもすばらしい絵をかく 絵画的能力と言語能力は別でありうる

(3)左大脳半球と言語 左右大脳半球を分離する-その一

右手は正しいが左手は不正確 言語機能は左大脳半球に偏っている

(4)右大脳半球の世界 左右大脳半球を分離する-そのニ

脳梁全切断患者への画期的な実験 右大脳半球は視知覚能力がすぐれる

(5)人は複数の心をもつ

複数の心の同時並列的な関係 意識が心の一つを選びとる

(6)心のかたち

参考・引用文献

あとがき

Post to Twitter


ルバイヤート

By , 2012年10月21日 12:01 PM

「ルバイヤート (オマル・ハイヤーム作、小川亮作訳、岩波文庫)」を読み終えました。ペルシア語で四行詩を「ルバーイイ」といい、ルバイヤートは、日本語に直訳すると「四行詩集」となります。

オマル・ハイヤームは、1040年頃ペルシアに生まれました。詩人としてのみならず、優れた数学者、天文学者であったことが知られています。彼はイラン=イスラム文化を代表する詩人でありましたが、イスラム教を信仰していませんでした。本書のあとがきにそのことが記されています。

そもそもイスラム教は異民族たるアラビア人の宗教であって、オマルのこの宗教に対する反感は、彼の哲学思想たる唯物論・無神論の当然の帰結であるばかりでなく、イラン人としての彼の民族的感情をも交えた人間性の深所からの叫びであった。(略)

要するにオマル・ハイヤームはイスラム文化史上ユニークな地位を占める唯物主義哲学者であり、無神論的反逆をイスラム教に向け、烈々たる批判的精神によって固陋な宗教的束縛から人間性を解放し、あらゆる人間的な悩みを哲学的ペシミズムの純粋さにまで濾過し、感情と理性、詩と哲学との渾成になる独自の美の境地を開発したヒューマニスト思想家であった。

さて、この詩集では、人生の無常などが詠われていますが、酒に関する記述が非常に多いのが特徴です。イスラム教は酒を禁じていましたが、彼はそれに猛然と反発しています。

わが宗旨はうんと酒のんでたのしむこと、

わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。

久遠の花嫁に欲しい形見は何かときいたら、

答えて言ったよ-君が心のよろこびをと。

さらに、オマル・ハイヤームはイスラム教を信仰しなかったばかりでなく、仏教徒やゾロアスター教徒も皮肉ってます。

いつまで水の上に瓦を積んでおれようや!

仏教徒や拝火教徒の説にはもう飽きはてた。

またの世に地獄があるなどと言うのは誰か?

誰か地獄から帰って来たとでも言うのか?

宗教はともかく、次のように酒を詠んだ詩は、酒飲みにはぐっときますね。

愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、

酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。

おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、

地に傾けてその酒をおれに注いでくれ。

さて、岩波文庫版「ルバイヤート」は、小川亮作氏がペルシャ語の原典から訳したものですが、いくつかの翻訳が存在します。まず、この「ルバイヤート」を世界に広めたのは、イギリス人のフィツジェラルドによる翻訳版です。フィツジェラルドによる翻訳は読みませんでしが、ジャスティン・ハントリー・マッカーシーが英訳したものを、片野文吾氏が日本語訳した本がちくま学芸文庫から出版されていたので、同じ詩を岩波文庫版と比較してみました。

岩波文庫版

墓の中から酒の香が立ちのぼるほど、

そして墓場へやって来る酒のみがあっても

その香に酔痴れて倒れるほど、

ああ、そんなにも酒をのみたいもの!

ちくま学芸文庫版

願わしきは心ゆくまで飲まんことなり、心ゆくまで飲める酒の芳香、我眠れる土の辺りにただよひ居て、昨宵の酒宴の為に尚眩暈みつつ我墓を訪ふ者の、我墓の香気の為のみにて酔ひ倒れるることあるまで、さばかり痛く酔はんかな。

この二つの翻訳、私は最初はちくま学芸文庫版の方が、文学っぽくて良いのかなと思ったのですが、岩波文庫版の方を読むと、その翻訳には深い理由があったようで、感銘を受けました。長いですが、岩波文庫版からの解説を引用します。

ルバーイイはもと民衆的な起源を有するもので、人々が愛誦した民謡の形式であった。だから今日でもこの詩形を別にタラーネ (歌) と呼ぶ人さえある。それは、普通は、シナ詩の絶句体のような、起承転結の表現様式と押韻形式 (aabaの脚韻) とをとり、またたまには全詩脚同一韻の aaaaの形式をもとる一連四行の詩形で、各行は、日本語のような音の数や英詩のような音の強弱の原理ではなくて、古典ギリシア詩のような、音の長短の原理に基づき組み合わされた独特のリズム構成を有する三つ半の詩脚から成り、その最後はいずれも半分の詩脚で終わっている。だから四行を通じて見れば、完全な詩脚が一二と半分のものが四つあるわけである。各詩脚はいずれも長音歩三単位の長さに等しく (長音歩一つは短音歩二つの長さに等しい、以下長音歩を単位音歩、短音歩を半音歩とも称する)、その長短の組み合わせには、長長短短、長短長短、長長長の三通りがあり、また最後の詩脚は長音歩一つまたは一つ半の長さである。したがってこれらの詩脚の種々の配置によって、各行には長音歩十単位のものが一二、十単位半のものが一二、合計二四の構成様式が可能なわけである。(※文章にするとわかりにくいが、本書解説の図を見ると理解しやすい)

ルバイヤートはリズム構成が大事で、岩波文庫版の翻訳は、すべてリズム構成をルバーイイに合わせてあったのですね。それを知って読むと、より深く楽しむ事ができました。

さて、この詩集を読み終えて、イスラム文化について Wikipediaでお勉強していた私は、リンク先を辿るうちに、「Wikipedia-イスラーム世界の性文化」という興味深いサイトに辿り着いたのでした。←ルバイヤート関係ないし (爆)


Post to Twitter


どうして弾けなくなるの? <音楽家のジストニア>の正しい知識のために

By , 2012年10月19日 8:15 AM

紹介が遅くなりましたが、9月中旬に「どうして弾けなくなるの? 音楽家の<ジストニア>の正しい知識のために (ジャウメ・ロセー・リョベー、シルビア・ファブレガス・イ・モラス編、平孝臣・堀内正浩監修、NPO法人ジストニア友の会)」を読み終えました。

ジストニアは運動障害の一種で、筋緊張の異常のため、異常姿勢をとったり、さまざまな運動のコントロールが困難になります。ある種の熟練者に見られる特殊なジストニアもあり、音楽家に生じるものを “musician’s dystonia” と呼びます。

音楽家のジストニアで最も有名な患者は、ロベルト・シューマンでしょう。過去にロベルト・シューマンの手に関する論文を少し紹介しました (シューマンの手<1>, <2>) が、その後、シューマンはジストニアであったという説が最も有力になっています。つまり、ロベルト・シューマンは、ジストニアのために演奏家を諦め、作曲家を目指したらしいのです。シューマン以外にも多くの演奏家がその道を諦めています。どのくらい多いかというと、音楽家のジストニアはプロの音楽家の 5%に見られ、その半数で音楽家の道を諦めなければいけない事実が、本書の序文に記されています。

音楽家のジストニアは、ヴァイオリニストやピアニスト、ギタリストの手に見られるだけではなく、声楽家の喉、管楽器奏者の口などにもみられます。こうしたジストニアの診療には、楽器演奏に対するある程度の知識がないと難しいようです。例えば、演奏家の手にジストニアが生じ、第 III指が屈曲した形になると、第 II指が伸展して第 III指の屈曲を代償しようとします。このとき、患指がどの指か見極めないといけません。そして、代償のため伸展した第 II指を患指と誤りボツリヌス治療をすると、第 III指の屈曲はますますひどいものになります。

また、”musician’s dystonia” は、診た瞬間診断が確定するわけではなく、ジストニアと紛らわしい他の疾患 (末梢神経障害など) の除外をしないといけません。ジストニアがある疾患に続発しておこる場合があるので、その基礎疾患 (神経変性疾患など) を見逃さないことも重要です。

これらの事を考えると、音楽家のジストニアの診療には、ある程度楽器の演奏に精通した神経内科医に求められる部分が大きい気がします。実は私の知り合いの先生が、こうした診療をしている医師を紹介してくれるとおっしゃってくださったので、折を見て勉強しに行こうか模索しています。音楽家のジストニアの専門的な治療が出来る医師は極めて少ないので、ヴァイオリンを弾く神経内科医として、少しでも力になれればと思います。

さて、音楽家の側から見て、演奏していて楽器を扱う部位に違和感を感じた時、それを克服するために無理をすると、ジストニアを発症ないし増悪させる可能性があります。一旦安静をとり、改善がないようなら、音楽家のジストニア診療に精通した医師の診断を受ける必要があると思います。音楽家生命に関わる疾患であり、適切な対処が求められる疾患でもあるので、もっと広くこの疾患の事が知られることを望みます。

[目次]
本書の必要性

第1章  音楽家のジストニアとは何か?
書痙と同じ疾患か?
音楽家のジストニアはいつ頃から知られていたか?

第2章  音楽家のジストニアとは
初期症状
もっとも特徴的な症状
どのような音楽家が発症するか?
どのような種類の楽器で発症するか?
発症しやすい身体部位はどこか?
症状が現れたときに音楽家はどのように対処したか?
感覚トリック
手のジストニアの特徴
楽器の種類による症状の特徴はあるか?
口唇(アンブシュア)ジストニアの特徴
声楽ジストニアの特徴
どのように進行するのか?
他の動作と副楽器演奏への症状の拡大
ジストニアの進行を防ぐことは可能か?

第3章  どのように診断するか?
病歴
診察所見
楽器演奏中の症状の評価
ジストニアの患指と代償指の診断
除外すべき疾患は?
その他の特発性ジストニアとの鑑別診断
偽性ジストニア
口唇ジストニアの鑑別診断における注意点
喉頭ジストニアの鑑別診断における注意点
どのような補足検査が必要か?

第4章  ジストニアの原因は何か?
精度の高い定型的反復動作、困難と動機づけ、基本的要素
なぜ一部の熟練した音楽家だけがジストニアになるのか?
発見された変化

第5章  ジストニアの心理学的側面
ジストニアの発症を促す心理学的要素は存在するか?
音楽家のジストニアへの対処法は?
ジストニアは心理的な問題を引き起こすか?
心理的な要因によりジストニアの回復が難しくなるか?
周囲の人々はジストニアを理解しているか?
ジストニアが回復すると、感情のバランスも安定するか?

第6章  予防対策

第7章  ジストニアの症状が出たときに何をすべきか?
ジストニアを改善させるための一般的な注意
内服薬
ボツリヌス毒素
神経リハビリテーション
興奮性の調整
外科手術

付録1 私のジストニア闘病記
マルコ・デ・ビアージ:ギタリスト
ジャンニ・ヴィエロ:オーボエ奏者
ジュリアーノ・ダイウト:ギタリスト
フランシスコ・サン・エメテリオ・サントス:ピアニスト

付録2 ジストニアをとりまく法律および労働に関する状況

あとがき
文献
一覧
索引

Post to Twitter


神経病理学に魅せられて

By , 2012年9月26日 7:19 PM

神経病理学に魅せられて (平野朝雄著, 星和書店)」を読み終えました。神経内科医であれば平野先生の名前を聞いた人はいないと思います。神経病理学の日本人パイオニアの一人で、 多くの業績を残しています。毎年、神経病理学の初学者向けにセミナーを開催しており、参加した神経内科医は多いと思います (私は毎回当直でまだ参加できていません・・・)。

平野先生は京都大学第一外科 (荒木脳外科) に入局した後、30ドルと片道切符を持ってニューヨークに向かいました。そこで師事したのが Zimmermanでした。Zimmermanはドイツのエール大学に神経病理部門を創立した後、ニューヨークの Montefiore病院の基礎部門全体のディレークター及びコロンビア大学の病理学教授となった神経病理学の大御所です。Zimmermanは Albert Einstein医科大学の新設に際して、 Einsteinの元を訪れて彼の名を冠する承諾を得て、その大学の初代ディレクターにも就任しているそうです。

平野先生はニューヨークで多くの業績を積み重ねましたが、グアムに滞在し Guam ALS, Parkinsonism-dementia complex (PDC) の疾患概念確立に貢献しました。戦後初めてグアムの地を踏んだ日本人は平野夫妻だったと言われています。その時の仕事は Brain誌に掲載され、米国神経病理学会最優秀論文賞を受賞しましたが、いずれも日本人として初めての快挙でした。またニューヨーク時代、中枢神経の髄鞘構築を明らかにした Journal of Cell Biology論文は、多くの研究者から引用されています。

平野先生について、先輩から聞いた面白い逸話があります。平野先生は教育にも定評があり、多くの日本人が彼のもとに留学しています。ある日本人医師が「神経病理は全くの初心者で何もわかりませんが、勉強しに伺いたいのですが・・・」と問い合わせると、「経験がないのは問題ありません。(「何もわからない」ことに対して、) わかっているなら来る必要はありません」と言われたそうです。

本書は著者が回想するという形式をとっているため、教科書とは違って読みやすいです。神経内科専門医試験を受験するくらいの知識があれば楽しく読めると思います。最後に目次を紹介しておきます。

目次

まえがき

神経病理回想五十年

神経病理学入門までの思い出

  1. 学生時代
  2. 米国でのインターンと neurology residency
  3. 神経病理学に

グアムでの研究 (前編)

  1. グアム島へ
  2. Guam ALS
  3. Parkinsonism-dementia complex (PDC) on Guam

グアムでの研究 (後編)

  1. PDCの神経病理
  2. おわりに

脳浮腫の電顕による考察の回想

中枢神経の髄鞘の構造解析についての回想

  1. はじめに
  2. 末梢性髄鞘
  3. 中枢性髄鞘
  4. 脳浮腫に伴う有髄線維の変化の解析

小脳における異常シナプスの研究を振り返って

  1. Purkinje細胞の unattached spine
  2. 小脳腫瘍

筋萎縮性側索硬化症の神経病理学的研究についての思い出

  1. Bunina小体
  2. Spheroid

家族性 ALSの神経病理

  1. 後索型
  2. Lewy小体様封入体
  3. SOD1

神経系腫瘍の病理診断についての思い出

  1. 内胚葉性上皮性嚢胞
  2. 馬尾部の傍神経節腫
  3. Weibel-Palade小体

AIDSの神経病理についての思い出

あとがき

Post to Twitter


セレンディップの三人の王子

By , 2012年9月20日 7:53 AM

セレンディップの三人の王子 (エリザベス・ジャミソン・ホッジズ著、真由子 V. ブレシニャック、中野泰子、中野武重訳、パトリシア・デモリ画、バベル・プレス)」を読み終えました。

セレンディピティ- Wikipedia

セレンディピティserendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。

私が初めて「セレンディピティ」という言葉を知ったのは、「医学を変えた発見の物語」という本の一節からでした。「セレンディップの三人の王子」は、この「セレンディピティ」の語源となった物語です。セレンディップ (セイロン) の三人の王子が、竜を倒す強力な魔法が書かれた巻物を求めて旅をするのですが、その道中に起こるイベントに知恵と勇気を持って立ち向かい、予期しない幸運を得ることが出来ました。

子供向けに書かれた童話とはいえ、大人が読んでも楽しめる本でした。

Post to Twitter


Panorama Theme by Themocracy