Category: 東日本大震災

科学

By , 2011年10月25日 10:34 PM

研究所の図書館で、特に目的無く、並んだ雑誌を眺めていることがあります。最近は、震災関連の特集が多いです。例えば、精神科系の雑誌は軒並み「被災者の心のケアをどうするか」を議論しています。

科学系の雑誌を見ていて興味を引いたのが「科学」という、そのままの名前の雑誌。何と、寺田寅彦達が始めた雑誌らしいです。10月号は「東北地方 太平洋沖地震の科学」という特集でした。

科学」のサイトを見ると、無料公開記事があることに気付きました。これが実に興味深いのです。

・記事1:青山道夫・大原利眞・小村和久著「動燃東海事故による放射性セシウムの関東平野への広がり」(『科学』1999年1月号)

動燃は 1997年に事故を起こしていますが、何とその日は 3月 11日。何かの運命を感じます。このときに「セシウム」の拡散が既に議論されています。

・記事2:石橋克彦著「原発震災──破滅を避けるために」(『科学』1997年10月号)

この 1997年の論文を読んで驚愕しました。(原発は違えど)今回の福島の原発事故で起こったことを見事に言い当てていたからです。

 原発震災──破滅を避けるために

津波に関して中部電力は、最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる。

原発にとって大地震が恐ろしいのは、強烈な地震動による個別的な損傷もさることながら、平常時の事故と違って、無数の故障の可能性のいくつもが同時多発することだろう。とくに、ある事故とバックアップ機能の事故の同時発生、たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない。したがって想定外の対処を迫られるが、運転員も大地震で身体的・精神的影響を受けているだろうから、対処しきれなくて一挙に大事故に発展する恐れが強い。このことは、最悪の地震でなくてもあてはまることである。

(略)

そこは切り抜けても、冷却水が失われる多くの可能性があり(事故の実績は多い)、炉心溶融が生じる恐れは強い、そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される。

これは、まさに我々が 3月以降経験してきたことです。この著者について Wikipediaを調べてさらにビックリ。

 石橋克彦

雑誌『科学』(岩波書店)1997年10月号で論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表。大地震によって原子力発電所が炉心溶融事故を起こし、地震災害と放射能汚染の被害が複合的に絡み合う災害を「原発震災」と名付けて警鐘を鳴らした。以後、日本国内における原子力発電所の耐震性を最新の地震学の知見で見直す必要性や、東海地震想定震源域の真上に立地している浜岡原子力発電所の閉鎖、原発依存からの段階的な脱却、高レベル放射性廃棄物の地層処分を、地震が多い日本国内で実施する計画に関する懸念などを一貫して主張し続けている。2001年には国の原子力安全委員会耐震指針検討分科会委員に就任し、『発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針』の改訂に関わったが、改訂案が了承される直前の2006年8月になって、内容を不服として委員を辞任した。「原発震災」への懸念は、2011年の東日本大震災で引き起こされた福島第一原子力発電所事故で現実のものとなった。

彼は、今回の原発事故をどんな思いで見ているでしょうね。

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目の前のひとつの命

By , 2011年10月18日 7:37 AM

以前、「診察のとき子供を泣かせない技」で紹介したブログですが、管理人の方が震災の時にどのように過ごしていたかが最近更新され、胸が締め付けられるような思いで読みました。是非ご覧下さい。

まちの小児科うら話-目の前のひとつの命-

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ロート製薬

By , 2011年10月9日 12:02 PM

ロート製薬の復興支援計画が話題になっています。

ロート製薬の復興支援計画が本気すぎてスゴい!!

テレビで繰り返し CMを見るより、こうした社会貢献のニュースを聞く方が、よっぽどその企業に好印象を持ちますね。

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救命

By , 2011年10月4日 7:43 AM

救命 東日本大震災、医師達の奮闘 (海堂尊監修, 新潮社)」を読み終えました。被災した、或いは震災直後から現地に乗り込みボランティアをした九名の医師が体験を綴っています。先日紹介した「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」という本が病院に所属する医師としての目線だったのに対し、こちらは個々の医師としての目線で書かれています。津波で病院の屋上まで避難しそこで患者さん達と一晩を過ごした医師、「(酸素)ボンベの切れ目が命の切れ目」という現実、その中でそれぞれが震災を必死で生き、職務を全うしている姿が伝わってきました。

歯科医江澤庸博先生の章での「(身元確認の資料として)デンタルデータベースを作ってはどうか」、川越一男先生の章での「(震災後に無線が混乱して情報伝達が出来なかったので)テレビのアナログの周波数帯に医療の専用チャンネルを作ってはどうか」といった提言は、次に起こりうる関東、南海での大震災に備える上で重要だと思います。

震災以外にも、興味を引く話がありました。震災前既に平成24年3月31日での退職が決まっていた田老診療所の黒田仁先生の、退職が決まるまでの市とのゴタゴタです。黒田先生は外来60人/日、入院患者10名、訪問診療、老人ホームを担当し、休日は第三土曜日の28時間のみ。7時過ぎ~23時頃までの勤務に加え、夜間の呼び出しもある職場で身を粉にして働いていました。医師二人体制を目指して作られた診療所だったのに、黒田先生が一人で何とか支えていたのです。なのに宮古市議会では「現在、市の診療所の医師数は充足しておりますが・・・」とした市長の答弁があり、一方市の医師募集サイトではこの診療所への募集をしていなかった、こうした市の姿勢に心が折れたのだそうです。医師が去る地域がどういう地域なのか垣間見た気がしました。そしてこうした地域で働く医師がどんな気持ちで働いているかも少しわかりました。

色々な意味で、読んでみて頂きたい一冊です。

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外務省GJ

By , 2011年9月15日 7:35 PM

外務省のサイト、こんな素敵なコーナーがあります。外務省 good jobです。

「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集(7月27日現在))

例えば、ポーランドでは・・・

 ポーランド

3月17日,ある邦人がタクシーを利用して料金を支払おうとしたところ,運転手が「日本人なら料金はいらない。これが今日本のために自分ができる精一杯のことだから」と言って料金を受け取りませんでした。その邦人はそのタクシー代を赤十字に寄付しました。

スペインでは・・・

 スペイン

7歳の女児ダニエラ・リオさんが,これまで乗馬のために貯蓄していた貯金を被災者救援に使って欲しいと日本大使館に送付。
3月15日,ボノ下院議長が,日本への弔意メッセージを表明。全議員が起立の上,拍手が1分半続きました。

きっとこのサイトを纏めていた人は、仕事をしながら温かい気持ちになったに違いありません。

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新世界

By , 2011年9月14日 8:03 AM

以前、ズービン・メータ『第九』~ 復興支援演奏会 in ミュンヘンについてお伝えしました。

最近、東日本大震災チャリティー・コンサートの第二弾、チェコフィルによる新世界 (指揮:イオン・マリン) の CDを聴きました。心に沁み入る、とても良い演奏でした。この曲の二楽章の主題は、「遠き山に日は落ちて」などの愛唱歌に編曲されたことでも有名ですね。

実はチェコフィルは、震災の時日本ツアーの真っ只中だったのですが、地震のほとんどないチェコに住む彼らは、余震に耐えられず、大統領判断により政府の用意した飛行機により帰国してしまったそうなのです。しかし、彼らはそのことに心を痛めていたようです。その後の経過がライナーノートに書いてあります。

  3月の下旬、親戚の見舞いに行っていた大阪で、僕は一本の電話をとりました。それはチェコ・フィルの総裁からのものでした。「楽団総員の申し出で、愛する日本へのチャリティー・コンサートを行いたい。それにはチェコの政府も前向きで、プラハ城内で行うことが出来そうだ。」というものでした。当初日本への思いからなるコンサートなので、団員の総意として指揮者には是非小林研一郎氏の起用を」という強い希望がありましたが、あいにくスケジュールが合いませんでした。そこで、オーケストラと近い指揮者たちの中でイオン・マリン氏が担当することになり、このコンサートの実現となったのです。実に発案から 1週間ほどのスピーディーさでした。(江崎友淑)

CDの収益金の一部は義援金として日本赤十字社に寄付されます。是非、聴いてみてください。

Amazon: ドヴォルザーク:交響曲第 9番「新世界より」

(追記)
このコンサートを BSフジで聴かれた方のブログがあります。本当は樫本大進の演奏もあったそうなのですが、CDには収録されていません。そこが少し残念でした。

日々雑録 または 魔法の竪琴-東日本大震災チャリティ チェコフィル演奏会 樫本(Vn), マリン(指揮)-

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石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命

By , 2011年9月4日 5:48 PM

「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命 (久志本茂樹監修、アスペクト)」を読み終えました。ボランティアで本吉、渡波を訪れたときのことを思い出しながら、胸を熱くして読みました。各病院の震災直後の様子に一つずつ章を立ててあり、「崩壊した医療システムを、どうやって機能させたのか」を独立した章として扱っていました。

 最終章、「”そのとき”を知らない人へ、”そのとき”を知る人からの言葉」には、地震直後を乗り切り震災後半年が近づく中、大切なことが記されていました。

 復興とは遠い現実を、知ってほしい

こういう状況で、しかも存在すら忘れられたとなると、自暴自棄になりかねない。私がもっとも心配しているのは、これから自殺者が増えるのではないかということです。心のサポートは、精神科や心療内科の先生がしていますが、単純に精神を病んでいるのではないのです。仕事さえあれば彼らは立ち直れる。そのためには、まだまだ復興段階に入っていないこと、仕事がないということが、どれだけ被災者を苦しめているかということを伝えてほしい。そして、仕事を宮城県に持ってきてほしい。医師である私にはそこまではできない。ただこのままでは、本当に、せっかく助かった命なのに・・・

あとがきには、「私の街には、気仙沼市立病院の成田先生も、石巻赤十字病院の石井先生、小林先生、石橋先生も、また久志本先生もいません。でも、みなさんの経験を記録として残すことで、それを学んだ各地の医師が、先生たちと同じようになってくれるんですね」とあります。震災直後の現地を僕らは知らないし、医療現場でどのようなことが起きていたかも知りません。しかし、本書などでその時のことを知り、個々の医療従事者が起こりうることを想定しておくことで、次にこのような災害が起きたときに被害を最低限にくいとめることができるのではないかと思います。

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クロネコ

By , 2011年9月1日 7:04 PM

クロネコヤマト、震災後の話を読んで凄い感動しました。ぜひ、第一話から御覧ください。

クロネコヤマトの DNA

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Benefizkonzert

By , 2011年8月24日 8:08 AM

ズビン・メータによる東京での東北関東大震災被災者支援チャリティー・コンサートについて以前お伝えしました。

・Zubin Mehta – Beethoven Symphony No.9 Choral 4th mov – Japan Earthquake Relief Concert

同じ選曲で、ドイツでもチャリティーコンサートが行われ、CD化されました。売り上げは日本赤十字を通じて被災地に寄付されます。是非購入をお勧めします。

ズービン・メータ『第九』~ 復興支援演奏会 in ミュンヘン[SACD-hybrid]

CDのライナーノーツよりメータの挨拶を紹介しておきます。

ズービン・メータ「第九」 ~復興支援演奏会 in ミュンヘン

今日このような特別な場所に、旧友たちと共にお招き頂いたことを光栄に思っています。また、バイエルン国立歌劇場管弦楽団および合唱団、バイエルン放送交響楽団および合唱団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とその合唱団、私とは旧知の仲であるそれぞれの楽団員たちに感謝したいと思います。震災によって苦しい生活を送る多くの人々のため、そして残念ながら命を失った多くの人々への追悼の意をこめて、今日ここにいる皆様と共に、私たちに出来ることを行いたいと思います。

地震が発生したとき、私は日本におりました。ニュースが繰り返し報道され、目を背けたくなるような映像が次々に流れてくる中にあって、冷静に規律正しく生きる日本人の強さに敬服しました。苦しみを耐えて強く生きている日本の皆さんに、今なお平穏な日々が戻っていないことは、本当に残念でなりません。

しかし、日本という国が時と共に復興し、我々の訪日演奏会を喜んで迎えてくれる日が必ず来ると、私は確信しています。今日このステージ上にいる演奏者たちはみな日本のことを本当に良く知っているメンバーです。我々はこれまでにも頻繁に訪日し演奏会を行ってきましたが、そのたびに日本の聴衆は喜びを持って我々を歓迎してくれました。日本のためにできること、それが本日の演奏会です。今日ここにいるみなさんと共にこの想いを共有できることに感謝します。

                           2011年5月2日 ズービン・メータ

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復興かき

By , 2011年8月21日 3:03 PM

申し込んでいた復興牡蠣のオーナー証が届きました。震災により被害を受けた牡蠣の産地を救うためのプロジェクトです。1口 1万円でオーナーになることができ、復興後に三陸産の牡蠣が 20個届くそうです。詳しくは下記まで☆

復興かき

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