Category: 感染症

タミフルを考える

By , 2007年3月25日 2:51 PM

インフルエンザの治療薬オセルタミビル(商品名;タミフル, 以下タミフル)がマスコミに格好のネタを与えています。特に10歳前後において、タミフル内服後、転落死が相次いでいる問題です。

しかし、科学的検証はなされず、ヒステリックな反応が目立ち、「薬害」を想像させる報道の数々がなされています。

そもそも、我々医師にとって、副作用のない薬はないのであって、どのような薬剤が重篤な副作用を起こしても不思議はありません。薬剤の使用はメリットとデメリットによって決められます。従って、放っておいても治る程度の風邪には、私はほとんど薬を出しません。患者は薬を出す医師が良い医師と考えるでしょうが、医師にとってはそうではありません。

そのため、タミフルのメリットとデメリットを天秤にかける必要がありますし、情報を開示して、患者と医療関係者が選択出来るようにするのが先決だと思います。少なくとも薬剤としては有用ですし、全て禁止にはすべきではありません。

さて、転落死は本当にタミフルのせいなのでしょうか?

タミフルを内服せずに2階から転落した事例があり、患者が助かったため、どのような心理状態だったかの記録が残っています。「何かに追われている気がした」という言葉は、「せん妄」に類するものと言えます。

 西日本で先週末、インフルエンザにかかった男子(14)が、自宅2階から飛び降り、足を骨折していたことがわかった。タミフルは服用していなかった。

主治医によると、この男子は15日、38度の熱があり、翌日いったん熱が下がったものの、17日未明に自宅2階から飛び降りたとみられ、玄関先で倒れているところを発見された。

病院搬送時に熱があり、検査でB型インフルエンザに感染していたことがわかった。男子は「夢の中で何かに追われ、飛び降りた」と話しているという。

タミフル服用後の「飛び降り」事例が相次ぎ、薬との因果関係が疑われているが、服用していない患者の飛び降り例はこれまであまり報告がないという。このケースは来月、厚労省研究班会議で報告される予定。 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000301-yom-soci)

また、インフルエンザ脳症を扱ったサイトでも、インフルエンザ脳症でどのような高次機能障害が起こったか記載されています。

1.両親がわからない、いない人がいると言う(人を正しく認識できない)。
2.自分の手を噛むなど、食べ物と食べ物でないものとを区別できない。
3.アニメのキャラクター・象・ライオンなどが見える、など幻視・幻覚的訴えをする。
4.意味不明な言葉を発する、ろれつがまわらない。
5.おびえ、恐怖、恐怖感の訴え・表情
6.急に起こりだす、泣き出す、大声で歌いだす。

問題は、一般的な熱せん妄なのか、インフルエンザ脳症によるせん妄なのか、タミフルによる高次機能障害なのか、それ以外なのかになります。熱せん妄なのか、インフルエンザ脳症によるせん妄かの鑑別は難しそうです。タミフルの影響 (直接せん妄を起こさせる、或いは間接的に熱せん妄の閾値を下げる可能性) については、タミフルを飲んだ群とそうでない群を比較する必要があります。

「インフルエンザ」というマニアックな医学雑誌で「抗インフルエンザ薬の有効性」と題した鼎談が行われていました(抗インフルエンザ薬の有効性. インフルエンザ 7: 263-272. 2006)。

A型インフルエンザの子供にオセルタミビルを投与すると、翌日には少なくとも半分の子供の熱が下がって、その2日後にはほとんど90%以上の子は解熱してしまいます。

(中略)

オセルタミビルは異常行動や幻覚などの問題があると報道されたのですが、基本的に精神神経症状は、オセルタミビル群とプラセボ群で、両方とも同じくらい出ています。これは治験のときのデータです。

また、別にFDAレポートもあり、タミフル内服後の精神症状について詳細に検討しています。しかし、薬剤と異常行動との関係を証明するには至っていないようです。

 タミフル内服後の精神症状の報告は、1999年から 2005年8月29日までに 126例存在し、2005年8月29日から 2006年7月6日までに、129例存在します。既往歴や情報不足などから 26例を除外し、129例の中から 103例について検討しました。103例のうち 95例は日本の報告でした。17歳未満が (67%)、男性が 74%でした。死亡した 3例にはタミフルが影響している可能性がありました。しかし、インフルエンザ脳症との鑑別は困難でした。

これらの検討から、現時点ではインフルエンザに罹患した時点で、タミフル内服の有無に関わらず、異常行動を起こすリスクがあると考えるべきです。

今後、インフルエンザ患者にはザナミビル (商品名;リレンザ, 以下リレンザ) が処方される可能性が高くなり、現に在庫が尽きつつあります。しかし、インフルエンザへの罹患そのものが異常行動のリスクなのであれば、リレンザによる異常行動と報道される事例も増える筈であると予言しておきます。

この記事について、筆者には製薬会社との利害関係はありません。

—-
追記です。アマンタジン(商品名;シンメトレル)という薬剤があり、A型インフルエンザに有効とされています。しかし、耐性化が進んでいるようです。昨年、パーキンソン病治療のためアマンタジンを内服していた老人が大量にA型インフルエンザで入院してきて、大変でした (ちなみに、この薬剤、高齢者だと結構せん妄の原因になるのです)。あまり効きそうにないですね。

後日、同僚の医師からメールが来ました。内容を引用します。

 インフルエンザで高熱を出して、我輩も中学校2年生の時におかしくなりました。
何かが天井から落ちてきて、追いかけられる夢を見て、恐れおののいていました。
その時に、「さかべこ」が来ると言って母親を困らせたそうです。
「さかべこが来るから、早くいかな」と言ったところで、母親が「何言ってんの」
と言い、我にかえりました。自分では、「さかべこ」と言っていた記憶すらありません。
ただ、あの怖い夢だけは覚えています。
ちなみに、当時の一番中の良かった友人は「坂部」君でした。
タミフルが原因でないことは、自分が良くわかります。

(参考)

M. Studahl. Influenza virus and CNS manifestations. J Clin Virol 28: 225-232, 2003

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梅毒の歴史

By , 2007年3月11日 10:59 AM

「梅毒の歴史 (C. ケテル著, 寺田光徳訳, 藤原出版)」を読み終えました。量、内容ともに重い本でした。

梅毒は、その激烈な症状と、周囲の偏見により患者を苦しめてきました。また、予防についても、貧しさから売春を生活の手段とする売春婦や無知な若者、ストレスにさらされる兵隊から性をとりあげることは、人権を含めて困難でした。そして、発見のための方法や、家庭内に入り込んで配偶者に移された梅毒の治療についてなど問題は山積みでした。

梅毒は Treponema pallidumによって起こります。Pallidumは蒼いという意味で、例えば脳の淡蒼球という部位は、ラテン語で globus pallidusと言います。トレポネーマ自体は、Treponema pertenue, Treponema carateumとして紀元前1000年代にユーラシア大陸に存在し、ゴム腫に侵された骨-骨膜障害が示されています。

コロンブスは 1493年3月31日にアメリカからスペインに帰国しました。彼は 4月20日にバルセロナに入り、6人のインディアンを披露しました。このためか、梅毒の起源について、コロンブスがアメリカから持ち帰ったとまことしやかに言われています。

ところが、彼らの誰かが梅毒に感染していたという記録はありません。そして第2回目の航海は 1496年なので、コロンブスが新大陸から梅毒を持ち帰ったとは言えないのかもしれません。むしろ、その間にアントニオ・デ・トレスが 1494年に 26人、1495年春に 300人の男女をアメリカからスペインに持ち帰っています。

梅毒の最初の記載は、フォルノヴォの戦い (1495年7月5日) の記録にあり、いずれにしても流行は 1495年以降と言えそうです。筆者の立場は、むしろアントニオ・デ・トレスらの艦隊がアメリカから持ち帰った女性が、スペイン人らに「利用」されて、梅毒が広まったというもののようです。

フランスのシャルル 8世のイタリア遠征で、大量のフランス人兵士が梅毒に感染したと言われています。フランス人は「ナポリ病」、イタリア人は「フランス病」と呼びました。

このことについての文章が面白いので引用します。

病に最近襲われたばかりの国では伝染病だとの疑いをかけた-たいていは正しい-隣国の名をそれぞれの病に付与することとなった。そのため呼称は瞠目すべき多様さを示している。モスクワの人々はポーランド病、ポーランド人はドイツ病、ドイツ人はフランス病と言う-フランス病という名はイギリス人にも、イタリア人にも (このことが問題を難しくしている) 歓迎された。フランドル人やオランダ人は「スペイン病」と言い、マグレブ人の呼び方と同じである。ポルトガル人は、「カスティリヤ病」と名付けているのに対して、日本人や東インドの住民は「ポルトガル病」と呼ぶ。スペイン人だけが黙して語らない。奇妙なことだが・・・。

梅毒は瞬く間に世界中に広まりました。1607年に死亡した戦国武将の結城秀康も梅毒 (シナ潰瘍) だったと言われています。

当時は治療法がありませんでした。水銀療法かグアイヤックによる治療が主体で、いずれにしても大量に発汗させて毒素を出すのが治療とされていました。サウナのようなところに閉じこめられて、治療のせいで死亡した人もたくさんいたそうです。最終的には、水銀治療が中心となりましたが、今日ではあまり効果がないとされています。詐欺まがいの治療が横行した時代でした (この点は、現在の日本の新聞の広告欄で宣伝される健康食品と変わりません)。

罹患予防にコンドームが開発されましたが、性行為後にかぶせるのが使用方法でした。

乞食を閉じこめるための政策として、1656年パリ総合救貧院が建設され、男性用はビセートル、女性用はサルペトリエールとして知られるようになりましたが、梅毒患者が多く収容され、人体実験のようなものも行われていました。

こうした暗黒時代は 1800年前後まで続きました。

19世紀に入ると、リコールが登場します。彼はデュピュイトランの弟子で、ナポレオン 3世付きの医者でしたが、様々な業績を残しました。例えば、囚人に淋病を移植し、梅毒が発生しなかったことから、梅毒と淋病は違う疾患であることを示しました。

19世紀後半には、リコールの弟子であるフルニエらにより、統計学的、理論的考察がされるようになります。梅毒の原因探しが始まります。

1877年にパストゥールにより伝染病の性質が明らかにされたことにより、伝染病の研究が加速します。1878年にクレープスが下疳の中に梅毒螺旋虫 (エリコモナス) を発見したと主張しました。1905年ジーゲルが梅毒患者の血液と病変部に原生動物を発見し、シトリクテズ・ルイス (梅毒封入体) と命名しました。シャウディンとホフマンが諸臓器にそれを追認しました。このスピロヘータはトレポネーマ (ねじれた) ・パリドゥム (蒼白い) と命名されました。

1906年には、ボルデが非トレポネーマ抗原反応、その後ワッセルマンやナイサー、ブルックらが溶血反応による診断を開発し、ボルデ=ワッセルマン反応と呼ばれることになります。そして、野口英世らは、つかの間の培養に成功します (長期の培養は現代でも不可能とされています)。

治療の面では、1905年にアトキシルという砒酸剤が生まれますが、毒性のため放棄されます。一方、エールリッヒは、梅毒の病原体のみを排除する「魔法の弾丸」を求め、5価の砒素を3価とし、1909年に日本人秦左八郎の協力で、606回目の化合物を作るに至り、サルヴァルサン、通称「606」が誕生しました。さらにエールリヒはネオ-サルヴァルサン、通称「914」を開発しました。梅毒に大打撃を与えることは出来ず、水銀に対してすら優位性を示せませんでしたが、明るい兆しが出始めました。

1877年にパストゥールがカビと細菌の関係から抗生剤の登場を予感し、1928年にアレクサンダー・フレミングがペニシリウム・ノタトゥムを発見しました。そして 1939年にオクスフォード大学の研究チームが精製に成功しました。1943年にマホネー、アーノルド、ハリスが梅毒治療を成功させ、「奇跡の砲弾」が見つかりました。

梅毒は一旦激減しましたが、その後それ以上減ることはありませんでした。性病の恐怖が去り、若者の間で感染者が増加し始めたからです。

ちなみに、benzathine Penicillin G 240万単位一回筋注で梅毒の治療は終わりですが、日本では手に入りません。アジスロマイシン 2g 1回内服で良いとする報告もありますが、耐性菌の問題があるようです。日本で梅毒の治療をするには、認可されている薬の問題などで、ちょっとした工夫が必要です (「抗菌薬の使い方,考え方」岩田健太郎, 宮入烈著, 中外医学社, 参照)。

1980年に天然痘撲滅宣言がされましたが、翌年、1981年にロサンジェルスでカリニ肺炎が同性愛者に多発しました。1983年にパリのパストゥール研究所で新種のレトルウイルスが検出され「LAV: Lymphadenopathy associated virus」と名付けられました。これはHTLV-Ⅲとも呼ばれますが、現在ではHIVと呼ばれています。感染症の制圧に近づきつつあった人類は、新たな敵に会いました。このウイルスに罹患すると、免疫が破綻するため、これまで制圧したはずの感染症も重篤化するのです。

人類が梅毒制圧に要したのは約 450年。本書の結びの言葉はこうです。「エイズ・ウイルスについてもこれと同様なことを言えるようになるのに五世紀の期間を必要とすることがないよう祈ろう。」

追記:本書には、多くの文学小説が登場しますが、梅毒であったシューベルトやパガニーニのことは書かれておらず、少しがっかりましした。しかし、彼らの置かれた時代のことはわかり、満足でした。

(参考)
進行麻痺

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抗菌薬の考え方,使い方

By , 2007年2月4日 9:05 PM

「抗菌薬の考え方,使い方 Ver. 2 (岩田健太郎、宮入烈著、中外医学社)」を読み終えました。本の著者は、亀田総合病院の感染症科部長。読み始めたらあまりに面白く、一気に読み終えました。

一般的な感染症の他、結核、HIV、マラリア、旅行者の下痢など興味深い項も扱っています。

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鳥インフルエンザ

By , 2007年1月27日 9:18 PM

 農林水産省は27日、岡山県高梁市の養鶏場で、26~27日に17羽の鶏が死に、高病原性鳥インフルエンザの疑いがあると発表した。同省と岡山県は、家畜伝染病予防法に基づき、この養鶏場に鶏の隔離を、発生場所から半径10キロ以内の養鶏場にも鶏や卵の移動自粛などをそれぞれ要請した。

同省によると、鶏が死んだのは、約1万2000羽の採卵鶏を飼育している養鶏場。現在、ウイルスの鑑定を進めている。

宮崎県の清武町と日向市の養鶏場では今月、強毒性の「H5N1型」の高病原性鳥インフルエンザが確認されている。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070127-00000313-yom-ent)

岡山県高梁市とは、私の実家の近くですね。先日、宮崎の鳥インフルエンザに関連して、私の元で研修していた宮崎大学出身の医師が、「発生地は大学の前の養鶏場で、おまけに僕の家の裏でした」と、メールをくれました。鳥インフルエンザがこんな身近な所で検出されるようになってきているとは・・・。

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結核

By , 2006年9月30日 8:39 PM

最近結核がブームです。私のグループの患者は、数名が結核と判明しました。神経内科に入院するくらいですから、主訴はそれぞれ外眼筋麻痺や発熱のみであり、呼吸器症状が全くなかったため、当初は結核とは思ってもいませんでした。

結核の診断は意外と難しいのです。典型的な肺病変があれば簡単なのですが、肺病変がはっきりしないことが多々あります。結核菌が全身に散らばった粟粒結核と呼ばれる病態は極めて重篤ですが、肺病変がはっきりしないと診断確定が甚だ困難です。

結核と診断するためには結核菌を証明しなければいけません。喀痰、胃液、尿、便、髄液などを採取し、顕微鏡で見て、菌が証明できれば簡単ですが、多くの場合できません。菌の培養の方が感度は高いのですが、結果が出るのに1ヶ月くらいかかります。PCR法は、論文で読むより感度が低い印象です。

そんな中、画期的な検査法が開発されました。それはQuantiFERONという検査で、結核菌特異蛋白に対するインターフェロンγの一種を見ています。感度、特異度ともにかなり高いものがあります。迅速な診断が可能です。昨年キットが開発され、今年から保険適応になり、私の患者たちもこの恩恵を受けることができました。まだ知っている医師が少ない検査なので、啓蒙活動をしなければいけないと思っています。

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ノロウイルス

By , 2006年1月19日 10:36 PM

今、ノロウイルスが猛威を振るっています。急性胃腸炎を起こすウイルスです。

丁度一ヶ月前の日曜日に当直した病院では、外来患者40人中20人が急性胃腸炎でした。今回の当直では、午前9時から午前5時まで断続的に受診があり、50人以上来院した患者の8割くらいが急性胃腸炎でした。診療中に整腸剤の在庫が病院からなくなるくらいの、かなりハードな当直でした。ほとんど一睡もせず働き、さらに連続して埼玉で外来後、大学病院で夜まで働き、疲労のため免疫力が著しく低下していそうな私ですが、これ程感染力が強いと言いながら、その当直では伝染ることなくすみました。

ノロウイルスは風邪同様、ウイルスなので抗菌薬が効きません。整腸剤を処方し、食事や水分が経口摂取が出来ない例には、点滴、場合によっては入院が必要になります。急性胃腸炎は私も何度か患ったことがありますが、非常につらい症状です。

診療する側から恐いのは、大量におしよせる腹痛患者の中に、1-2人違う腹痛が紛れていること。卵巣癌が虫垂を巻き込み腹痛を起こしていたり、消化管穿孔であったりといった腹痛をここ1ヶ月で経験しています。ほぼ全員が急性胃腸炎だと、つい「また、急性胃腸炎?ノロウイルス?」と診療してしまいますので、気持ちを引き締めています。

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