Category: 神経学

間葉系幹細胞治療と ALS

By , 2014年1月8日 6:37 PM

Muscle & Nerve誌に、Hadassah Hebrew Universityから “Rare combination of myasthenia and ALS, responsive to MSC-NTF stem cell therapy” という論文が受理されており、すでにオンラインで公開されています。

内容をごく簡単に纏めると下記のようになります。

・重症筋無力症 (抗 AChR抗体陽性, PSL 10 mg + pyridostigmine 60 mg + azathioprine 125 mgにて治療) の既往のある 75歳の男性が筋萎縮性側索硬化症 (ALS)  及び前頭側頭型認知症 ( FTD) を発症した。

・autologous enahanced mesenchymal stem cells (MSC-NTF, Brainstorm®, Petach Tikva) を用いた ALSに対する Hadassah clinical trial (NCT01051882) の inclusion criteriaを満たさなかったが、倫理委員会の承認を経て、特別に MSC-NTF療法を行うことにした。MSC-NTFは髄腔内投与され、右上腕 24ヶ所に筋肉注射された。治療前後には、azathioprineは中止した。副作用は、微熱、頭痛、錯乱がみられたが、一過性であった。1ヶ月後には、認知機能、構音障害、筋力低下が改善し、車椅子生活だったのが独力で 20 m歩けるようになった。ALSFRS-Rは 36点から 44点に改善し呼吸機能の改善もみられた。

・6ヶ月後、筋力低下及び認知機能低下が進行したため、MSC-NTFの再治療が行われた。症状は治療 3日後には改善し、2ヶ月後には全神経機能は有意に改善していた。ALSFRS-Rは 30点から 43点に改善し, 重症筋無力症に対する QMG-scoreは19から 14点に改善した。下垂足も部分的に改善した。

・ALSと重症筋無力症の合併は稀である。本症例は、抗サイログロブリン抗体や抗核抗体も陽性であり、自己免疫が背景にあるといえる。また、髄液蛋白の軽度上昇もあったこと (糖尿病や過去の免疫グロブリン治療の影響を受けているのかもしれない ) や抗 AChR抗体の存在から、傍腫瘍症候群などの免疫介在性の要素の存在も考える必要がある (一応、悪性腫瘍の検索はしてあり、見つからなかった)。

・胚性幹細胞 (embryonic stem cell, ES細胞) と間葉系幹細胞 (mesenchymal stem cell; MSC) は、両者とも免疫調整作用、神経栄養/神経保護作用を持つが、ES細胞より MSCの方が悪性化しにくい。MSCはいくつかの小さなパイロット研究が行われており、ALSの神経安定化および進行性多発性硬化症の視神経再生、多系統萎縮症での有望な結果が示唆されている。

・神経疾患における幹細胞治療の臨床的な効果を維持するためには、反復した治療が必要なのかもしれない。

・早期に現れた効果は、神経再生よりも免疫介在性もしくは神経栄養性機序によるものと推測される。

ALSに対してここまで効果が見られたのであれば、期待したくなりますね。髄腔内投与や筋肉注射であれば、手技的には簡単に出来そうです。

この患者さんが自己免疫疾患を合併していたことで、色々と疑問が湧いてきます。ALSにおいて、免疫学的異常の背景があるかないかで治療効果が変わってきたりするのでしょうか。抗 VGKC抗体陽性の ALS患者さんを治療したことがありますが、そういう場合は、どうなのでしょう。また、ALSを起こす遺伝子異常はいくつも報告されますが、変異のある遺伝子によって効果の違いはあるのでしょうか。

論文を読むと、期待が高まるのですが、あくまで 1例報告です。Hadassah clinical trial (NCT01051882, A Phase I/II, Open Label Study to Evaluate Safety, Tolerability and Therapeutic Effects of Transplantation of Autologous Cultured Mesenchymal Bone Marrow Stromal Cells Secreting Neurotrophic Factors (MSC-NTF), in ALS Patients.) は、2013年3月に終了しており、結果の公開を首を長くして待ちたいです。

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Alemtuzumab

By , 2013年12月30日 7:42 PM

多発性硬化症治療薬の Alemtuzumabについて、何度かお伝えしてきました (ブログ記事1, ブログ記事2) が、どうやら今回米国では承認されなかったようです。そして、FDAはさらに別の試験デザインで臨床試験を行うことを要求したようです。どうなっていくのでしょうか・・・。

Sanofi says U.S. regulators reject MS treatment Lemtrada

PARIS Mon Dec 30, 2013 2:21pm IST

(Reuters) – Sanofi SA’s Lemtrada multiple sclerosis treatment has failed to win approval from regulators in the United States, dealing a setback to a drug which was at the heart of the French drugmaker’s $20 billion takeover of U.S. biotech firm Genzyme.

The U.S. Food & Drug Administration (FDA) rejected Lemtrada for launch in the world’s biggest drug market on the grounds that Genzyme had not shown its benefits outweighed its “serious adverse effects”, Sanofi said on Monday.

The FDA also demanded Sanofi carry out further clinical trials using different designs and methods prior to approval, Sanofi said. The company responded by saying it strongly disagreed with the decision and planned to appeal. (以下略)

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シャルコーの世紀

By , 2013年12月30日 7:18 PM

シャルコーの世紀 臨床神経学の父 ジャン―マルタン―シャルコー没後百年記念講演会 (ジャン―マルタン―シャルコー没後百年記念会・編, メディカルレビュー社)」を読み終えました。1993年7月16日に行われた、「 ジャン―マルタン―シャルコー没後百年記念講演会」の講演会の記録です。神経学の歴史に興味がある方にとっては、他では読めない話がたくさん収載されていて、御薦めですね。(なかなか手に入らなかったので、amazonの古本で買ったら、水谷ってハンコが押してあったのですが、まさかあの???(謎))

とても勉強になったので、簡単に内容を紹介ておこうと思います。

開会の辞 萬年徹

短い開会の辞が述べられる中で、フランソワ・ラブレーの研究家、渡辺一夫東京大学名誉教授の「研究が精緻となり、また、非常に最先端の新しいことを求めて常に進んで行く。確かに、そのような研究に興味と命を懸けるというのは大変なことであろう。また、研究の進展にとってはそういう態度が必要なことであろう。しかしながら、そこで得られた知識が何のために用いられるかを忘れてしまったら、いかなる優れた科学者の論議といえども、中世の神学者の “針の先に何人天使が乗れるか” という途方もない論議と何ら変わることはないのではないか。その時、それは人間たることと何の関係があるのか」という言葉が引用され、時として、行われる研究の立ち位置が問い直されることの重要性が述べられます。

シャルコーと力動精神医学 江口重幸

以前、「精神科医からのメッセージ シャルコー 力動精神医学と神経病学の歴史を遡る」という本を紹介したことがありましたが、その著者である江口重幸先生による講演です。シャルコーの大催眠理論をまず紹介し、精神医学への影響について触れています。

シャルコーのヒステリー 松下正明

シャルコーとヒステリーについて概説されます。それには、まずシャルコーがいたサル・ペトリエール病院について理解する必要があります。

よく知られているように、シャルコーが終生自らの臨床と研究の場としたサルペトリエール病院は、女性の患者だけを収容する病院でした。患者といっても、精神病や神経疾患、あるいは奇形に病む女性だけでなく、老女、浮浪者や乞食、犯罪者など、社会にあぶれ、社会に適応出来なかった女性をも収容していました。十九世紀当初、五千人から八千人の女性が入院していたと言われます。当時、パリの人口は五十万人であったとされており、その数字から言えば、精神病者や神経病者だけが入院していたのではなかったことは明らかで、その巨大さとともに、その異常さに驚かざるを得ません。そのような環境で、シャルコーがなぜ、ヒステリーの現象に注目するようになったのでしょうか。

一つには、実際に、サルペトリエール病院に収容されていた女性にヒステリーの患者が多かったという事実があります。当時のフランスはまさに産業革命が進行中であり、(略) 多くの労働者は昼も夜も低賃金で働かされ、都市の人口の大部分は貧困層で占められることになります。(略) そのような惨憺たる状況のなかでは、人は狂気になり、あるいはヒステリー発作を呈する他、なすすべがなかったとも言えます。

シャルコーがヒステリー患者に注目する第二の理由として、病院に収容された女性の数が多い一方、医者の数は少なく、一人の医師はおよそ五百人の患者を担当していたと言われていますが、そのような状況では、医師の興味を引くには、ヒステリー発作のはなばなしさが必要であったという説もあります。

ヒステリー研究におけるシャルコーの業績の第一は、「そのような狂気、中毒、老い、貧困、売春、犯罪などのレッテルを貼られた女性の大集団のなかから、それと紛らわしい神経疾患やあるいは詐病とは異なるものとして、ヒステリーを一つの独立した心の病期として確立した」ことです。また、女性のみならず、男性ヒステリーと子供のヒステリーの存在を強調しました。さらに、外傷ヒステリー、外傷性麻痺の概念を確立しました。シャルコーのヒステリー研究には、多くの批判があることは事実ですが、この講演は次のように纏められています。

しかし、後世からの批判としてはいくつかの問題点が指摘されるとしても、シャルコーによって、ヒステリーが医学の世界に持ち込まれ、科学の対象として、また男女ともに侵される疾患単位として明確に位置づけられたことは、精神医学史上、忘れられることではありません。フロイトもまた、そのことを強調し、シャルコーを高く評価しています。また、シャルコーによるヒステリーの詳細な記述があって、初めてその後のヒステリー研究が成り立ったことを考えれば、内村 (※演者の数代前の教授で「精神医学の基本問題」という本を著し、現代精神医学の出発点にある人物としてグリージンガーとシャルコーを挙げた) ならずとも、現代精神医学の源流の一つにシャルコーを見ることは正当と言わざるを得ません。未だなお、ヒステリーの病態が十分には解明されていない現代にあって、シャルコーのヒステリーを取り上げてみることに現代的意義があると考えられる次第であります。

シャルコーと日本の神経学 岩田誠

日本における臨床神経学の夜明けを開いた先達として、三浦謹之助、佐藤恒丸、川原汎の三人の名前が挙げられます。三浦謹之助先生はシャルコーの下で学び、東京帝國大学内科教授となり、1902年に精神科の呉秀三教授とともに日本神経学会を設立しました。日本神経学会の機関誌「神経学雑誌」の一巻一号の冒頭論文は、三浦謹之助先生の書かれた筋萎縮性側索硬化症の論文となっています。佐藤恒丸先生は、1906~1911年にかけて、シャルコーの火曜講義 (※1887~1888年度半ばまでになされた講義) の日本語訳を出版しました。川原汎先生は、三浦謹之助先生より 4年先輩として、東京大学医学部を卒業し、名古屋大学医学部の前身である愛知医学校で内科学を講じ、1897年に日本最初の臨床神経学の教科書「内科彙講 第一巻 神経係統編」を出版しました。

岩田誠先生は、一橋大学の野中教授が Harvard Buisiness Reviewに発表した The Knowledge Creating Companyという論文を元に、知について考察します。知は明示的な知 (explicit knowledge) と暗黙の知 (tacit knowledge) の部分に分けられるといいます。Medicineに当てはめると、それぞれ Scienceと Artに対応します。近代医学は、如何にして tacitな部分から explicitな知を引き出してくるかを使命としてきました。知の伝播過程では、暗黙知を社会化 (Socializaton) し、明示的な知に変える分節化 (Articulation) が行われます。一方で、明示的な知は容易に伝播しますが、これが結合 (Combination) の過程です。明示的な知として獲得されたものは、それを受け取った人の暗黙知に取り込まれる内面化 (Internalization) がなされます。新しい知の体系が形成されていくためには、これらによる暗黙知と明示知の間での螺旋、「知の螺旋」を形成する必要があります。この螺旋は、シャルコーが臨床神経学という新しい知の体系を築きあげていった過程をよく説明します。シャルコーは、神経病に関する多くの経験を積み、暗黙知として蓄えていきました。そしてそれを、臨床症状の観察と剖検の対比という方法論や、顕微鏡による観察などで、明示的な知に変えていく作業を行いました。暗黙知の部分を明示知として世に示すためには、臨床講義が効果的でした。一方で、彼は沢山の文献を読み、明示的な知の結合を行いました。こうして得た新たな明示知を、自らの経験の中に生かし、自らの暗黙知をより大きくしていく努力、すなわち明示知の内面化に努めました。しかし、これと同時に、暗黙知の部分をそのまま暗黙知として伝える社会化の作業も怠りませんでした。

このような考察をした上で、何故、当時シャルコーの神経学が日本に根をおろさなかったか、次のように述べています。

 ここでもう一度ベルツの警告に戻りましょう。ベルツの指摘 (※「日本人は科学を学ぶということを果実をもぎ取ることのように考えていて、その科学の果実を実らせる科学の樹を育てるに至る過程を学ぼうとしない」) は、決して某国立大学総長が述べられたような医学における基礎研究の重要性を強調したものではありません。彼が学者の精神の仕事場を覗き込まねばならないと言ったのは、まさに Medicineにおけるこの暗黙知の部分を学ばねばならない、という意味だったと思います。当時の日本の Medicineは、すでにこの暗黙知の部分を忘れて明示知のみを重視する、すなわち明示的な知のやりとりだけを科学的であると信じるに至っていたのでしょう。不幸なことながら、その当時、臨床神経学においては明示的な知の部分はあまりにも少なく、神経疾患においては分節化困難な暗黙知の部分のみが目についたであろうと思われます。さらに、臨床病理対応研究という方法論は、実践するには極めて時間のかかるものであったがために、せっかちな日本人の好みには合わなかったのではないでしょうか。それに加え、神経系の構造の複雑さ、そしてヒトの神経系に対するアプローチの困難さのために、臨床神経学は明示的な知の世界からほど遠く、科学的ではないと誤解されてしまったのでしょう。三浦、川原、佐藤という立派な先達がおられながら、日本に臨床神経学が根を下ろせなかったのは、このような理由によるのではないでしょうか。

Medicineを明示的な知だけから成るものと思い込んでしまったところに、日本における Medicineの最初のつまずきがありました。そして残念ながら、そのつまずきは今日に至ってもなお、続いているようです。このままでは、わが国の Medicineは世界の孤児になってしまうのではないでしょうか。シャルコーと日本の神経学を考えるこの機会に、私はMedicineにおける暗黙知 (tacit knowledge) の重要性を再認識し、今こそ本気で科学者の精神の仕事場を覗き込むべきであるということを強調したいと思うのです。

シャルコー教授と三浦謹之助 三浦義彰

三浦義彰先生は、三浦謹之助先生が 50歳の時に生まれた、次男です。家族でなければ知らないような逸話が紹介されています。

 さて、三浦謹之助ですが、一八六四年、元治元年の生まれで、一九五〇年、八十六歳で亡くなりました。福島の郊外、高成田の生まれです。父親、道生は眼科医で、その家には白内障の手術のため、沢山の入院患者がいました。眼の悪い患者さんのために、トイレや風呂場にやたらと大きな字で男とか女とか書いてあります。謹之助は、小学校六年くらいから福島の小学校に出たわけです。その頃、叔父になる三浦有恒が東京に出ていて、福沢諭吉の『学問のすすめ』を送ってくれたのですが、そのなかに “人は八時間働き、八時間眠り、あとの八時間は身の回りの用を足すこと” と書いてあったそうで、謹之助はそれを死ぬまでよく守っていて、決して徹夜などしない人でした。

また、その頃、明治天皇の東北ご巡幸がありまして、それを小学生として初めて洋服というものを作ってお迎え申し上げたそうです。ところが、このお二方、福沢諭吉は、後に父の患者さんになりましたし、明治天皇もお亡くなりになる時は父が拝診しておりまして、父は深い因縁を感じたと申しております。

一八七七年、西南の役の直後ですが、人力車で二週間の旅をして、叔父三浦有恒を頼って東京に出て参りまして、東京で生活を始めました。父の十二、三歳頃と思われます。

一八七八年に、東京大学医学部予科に入り、一八七七年に医学部本科を卒業するまで、叔父の所や寄宿舎におりました。その頃、月七円の費用がかかったそうですが、祖父道生は早く亡くなりまして、その見よう見まねで母の里子が白内障の手術を無免許でいたしました。今だったらたちまち捕まっていたわけです。そのアルバイトの費用とドイツ語の翻訳をして、どうやら卒業いたしました。

その他にも、色々と三浦謹之助先生の知られざる逸話が出てきます。シャルコーについても、「シャルコー達が病院で賑やかな飲み会をして婦長から大目玉を食らった話」だとか、「松方コレクション (※西洋美術館のコレクションに多く含まれます) の松方氏が万国博に参加したときにシャルコーやゴンクールらが参加していたこと」、「シャルコーがポルトガル王・ブラジル皇帝から贈られた尾長猿を飼っていて、どんなイタズラをしても決して怒らなかった逸話」「飼っていたインコに『ハラキリ』と名付けていたこと」などが述べられています。

三浦謹之助先生には、侍医にならないという話があったようですが、「自分はサルペトリエールでシャルコーが大変大勢の患者さんを診ていたのを見た。しかも、それはどちらかというと下層階級の患者さんが多かったのですが、そういうのを見て非常にためになった。侍医になると、あまり多くの患者さんを診ることができなくなる。そうすると勘が鈍る」と断っていたそうです。

名前は良くけれど、どのような人物だったかよく知らない三浦謹之助先生の人となりが伝わってくる講演でした。

シャルコーの業績に見る運動から失語症までの大脳機能局在 ジャック・ガッセル

まず、大脳局在説が唱えられてから確立するまで、生理学、解剖学、臨床のそれぞれの視点から概説します。シャルコーは、当初ヒトの感覚あるいは運動の現象は、皮質下の構造のみが問題であると考えていたようです。1875年になってから、大脳皮質の役割に気付き始め、その二年後に「私は、いつの日にか、大脳半球皮質の特定の領域に限局した病変によって生じた麻痺を見るだろうと信じています」と記すようになりました。

シャルコーは動物実験から得られた結果では、ヒトについては結論が出せないと考えていました。1883年には「ヒトの脳の機能に関しては、臨床病理対応研究、すなわち患者の生前に観察された症状と剖検で明らかになった病変との対比以外の方法では、決定的な研究が出来ないことは明々白々です。動物でなされた実験結果は研究の指針とはなりますが、いかなる場合にもヒトの生理学にそのまま当てはめてはなりません」と述べています。彼にとって、解剖学は臨床との関係においてのみ興味の対象であったと推測されます。

シャルコーは、虚血性血管障害の病理学的検討から、血管支配に基づいて、いくつかの臨床解剖学的成果をあげました。また、二次変性の研究を行いました。彼は、大脳皮質の局在について多くの講義を行いましたが、なぜかほとんどが出版されませんでした。

余談ですが、「ジャクソンてんかん」は、シャルコーが命名したというのは、初めて知りました。1883年の論文に登場するそうです。

失語症については、シャルコーは「語盲」「運動失語」「失書」「語聾」の四大臨床型を定義しました。ここにも、臨床像と解剖所見の対比が見られるそうです。

シャルコーの症候学 ドミニク・ラプラヌ

「シャルコーが神経学に専念するようになった頃、彼の神経症候学がいかに未熟なものであったか」「神経症候学を築き上げていく過程におけるシャルコー自身の寄与」「神経症候学を築き上げていくに当たり、様々な伝説的な考えや誤解を取り除くために、彼がいかなる努力を払ったか」をテーマに詳しく語られます。結びの部分では、問診の重要性が強調されています。

私は、問診によって診断ができなければ、後のことをしても診断がつくはずがない、というスローガンを半ば強制的に叩き込まれて教育されました。このスローガンの出所がシャルコーにあったかどうかについては知りませんが、サルペトリエール病院の伝統として伝えられてきたことですから、その可能性はあると思います。近年の画像技術の進歩により、このスローガンは万能ではなくなりましたが、まだ多くの場合に通用するものであります。

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fasciculationの起源

By , 2013年12月29日 7:07 PM

やや古い話になりますが、2007年に仲の良い先輩たちと抄読会をしていて、fasciculation  (線維束性収縮) の起源についての話題になりました。Fasciculationは、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) などでしばしばみられますが、他の疾患でもみられます。

第2回抄読会

電気生理検査専門の I先生は、Fasciculationの Originについて調べてきました。以前は前角細胞由来とされていましたが、FasciculationもF波を持つことがわかり、末梢由来だと考えられるようになり、Cancelationを利用した実験で、8割は末梢由来だとする報告も出てきました (Rothら)。一方で、中枢由来とする報告 (幸原ら)も存在し、諸説あるようです。

それ以来、なんとなく意識はしていた問題なのですが、2013年12月号の JAMA Neurology誌 (旧 “Archives of Neurology”) に ALSと “Benign Fasciculation Syndrome” における fasiculation (FPs) の起源についての論文が掲載されていたので、興味深く読みました。

Origin of Fasciculations in Amyotrophic Lateral Sclerosis and Benign Fasciculation Syndrome

Importance Fasciculation potentials (FPs) may arise proximally or distally within the peripheral nervous system. We recorded FPs in the tibialis anterior using 2 concentric needle electrodes, ensuring by slight voluntary contraction and electrical nerve stimulation that each electrode recorded motor unit potentials innervated by different axons.

Observations Time-locked FPs recorded from both electrodes, suggesting a spinal origin, were most frequent in benign fasciculation syndrome (44%) (P < .001) and amyotrophic lateral sclerosis without reinnervation (27%). Fewer time-locked FPs were found (14%) in the reinnervated tibialis anterior in amyotrophic lateral sclerosis (P < .001).

Conclusions and Relevance We conclude that in chronic partial denervation FPs are more likely to arise distally and that FPs in benign fasciculation syndrome more frequently arise proximally.

【過去の研究】

①前角由来とする報告

Fasciculations: what do we know of their significance? (Desai J, 1997)

Fibrillation and fasciculation in voluntary muscle. (Denny-Brown DB, 1938)

②末梢神経由来とする報告

Effects of denervation on fasciculations in human muscle: relation of fibrillations to fasciculations. (Forster FM, 1946) : 神経ブロックをしても残存することが根拠

Fasciculations and their F-response. Localisation of their axonal origin. (Roth G, 1982) : F波を用いて評価

(※ Rothは、約 80%が末梢の軸索由来で、約 20%が末梢神経系のより中枢側由来であると推測)

The origin of fasciculations. (Roth G, 1982) : collision法 (衝突法) を用いて評価

Firing pattern of fasciculations in ALS: evidence for axonal and neuronal origin. (Kleine BU, Neurology) : 発火パターンを解析

③皮質由来

Neurophysiological features of fasciculation potentials evoked by transcranial magnetic stimulation in amyotrophic lateral sclerosis. (de Carvalho M, 2000)

④脊髄由来

Complex fasciculations and their origin in amyotrophic lateral sclerosis and Kennedy’s disease. (Hirota, 2000) : “complex fasciculation” が上脊髄由来だと推測

Synchronous fasciculation in motor neuron disease. (Norris FH Jr, 1965) : 体の両側で同時に起こる fasciculationを記録して検討。中枢での興奮性が関与し、脊髄起源が示唆される。

今回、著者らは単一の筋肉 (前脛骨筋) の 2ヶ所に 1 cm以上離して記録電極 (concentric needle electrodes) を置いて、time-locked FPsを調べることで、fasciculationの起源を検討しました。2ヶ所の記録電極が、それぞれ別々の神経支配の筋肉を記録していることを、支配神経の電気刺激や、随意的な筋肉の弱収縮など、いくつかの方法で確認しました。

【対象患者】

・ALS

52例 (男性 29例, 女性 23例), 年齢 36~75歳 (平均 59.6歳), 初発症状からの平均期間 11.1ヶ月。bulbar 16例, axial 5例, upper limb 20例, lower limb 11例。

・Benign fasciculation

11例, 年齢 38~70歳 (平均 58歳)。筋力低下がなく、筋電図で normal MUPを呈した。また、 2年間の観察期間で進行がなかった。筋痙攣を有する者はいた。代謝性疾患や薬剤性障害はなかった。

【結果】

・ALS (前脛骨筋に神経原性変化があった患者)

1096個の fasciculationを記録した。同時記録の 2ヶ所のうち、1ヶ所のみで fasciculationが観察されたのが 941個 (85.7%), 2箇所で観察されたのが 155個 (14.3%) であった。

・ALS (前脛骨筋に神経原性変化がなかった患者)

544個の fasciculationを記録した。同時記録の 2ヶ所のうち、1箇所のみで fasciculationが観察されたのが 394個 (72.7%), 2ヶ所で観察されたのが 150 (27.3%) であった。

・Benign fasciculation

234個の fasciculationを記録した。同時記録の 2ヶ所のうち、1箇所のみで fasciculationが観察されたのが 129個 (55.1%), 2ヶ所で観察されたのが 105個 (44.9%) であった。

【考察】

 神経原性変化がない ALSの前脛骨筋や benign fasciculationでは、異なる神経に支配された 2ヶ所の筋肉で同時に発火する頻度がより高く、これは中枢 (おそらく 脊髄の motor neuron pool) に由来すると推測される。一方で、神経原性変化がある ALSの前脛骨筋では、異なる神経に支配された 2ヶ所の筋肉で別々に発火する頻度が高く、(それぞれ別の末梢神経系が同期することなく発火していることから) より遠位由来と考えられる。隣接した運動神経に混線して刺激が伝わってしまうエファプス伝達により、2ヶ所の筋肉で同時に発火してしまう可能性については、(神経損傷を伴わない) benign fasciculationでも 2ヶ所同時に発火する頻度が高いので、可能性は低い。

Fasciculationの起源って、奥が深いのですね。大部分が末梢神経由来で、一部中枢性の要素もあるというのは理解していましたが、ALSの病期によって異なるというのは面白いと思いました。Benign fasciculationを検査して、エファプス伝達を除外しているのも上手いやり方だと感じました。

電気生理検査を専門にしている人たちから話を聞くと、針筋電図で見られる安静時活動の起源というのは、結構アツい問題です。fasciculation以外にも議論はあり、例えば “fibrillation potential” や “positive sharp wave” といった脱神経電位は、一般的には末梢神経障害や炎症性筋疾患で見られることで知られていますが、脳血管障害でも見られることもあるなんていうのが、ちょっとしたネタになったりします。

知り合いの電気生理ヲタクの医師と酒を酌み交わすときは、こういうマニアックな話題がいつも肴になります。

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神経学の源流 3 ブロカ

By , 2013年12月27日 1:50 PM

神経学の源流 3 ブロカ (萬年甫・岩田誠編訳, 東京大学出版会)」を読み終えました。「神経学の源流1 ババンスキーとともに-」、「神経学の源流 2 ラモニ・カハール」に続く三作目です。

ガル Franz Joseph Gall (1758.3.9~1828.8.22) による「骨相学」からブームとなった脳の局在論が、ブイヨ Jean-Baptiste Bouillaudらの主張を経て、Broca,  Edouard Hitzig らによって確立していくまでの流れが生き生きと伝わってきて楽しめました。また、古典的な失語症研究の流れを知ることができました。

何よりも、Brocaらの重要論文の全訳を読むことが出来たのが、本書から一番恩恵を感じた点です。

とても内容の深い本であり、「哺乳類による辺縁大葉と辺縁溝」という論文以外は解剖学的知識もあまり要求されないので、失語症に関わる多くの方に読んで欲しいです。

以下、備忘録。

・ピエール・ポール・ブロカ Pierre Paul Broca (1824.6.29~1880.7.7) はボルドーの東 60 km、ドルドーニュ川沿いの小さな町「サント・フォワ・ラ・グランド Sainte-Foy-la-Grande」 で生まれた。父親は開業医、母親は牧師の娘であった。一家はカルヴァン派の信徒だった。

・サント・フォワ・ラ・グランド出身の著名人に、高名な解剖学者ピエール・グラチオレ Pierre Gratiolet (1815~1865) がいる (脳の局在説には反対の立場であった)。

・ブロカはギリシャ語をきわめて得意とし、英語と独語をフランス語の如くこなし、デッサンに秀で、ホルンの優れた奏者であった。

・ブロカは 33歳の時に、アデール・オーギュスティーヌ・ルゴール Adele Augustine Lugol (1835~1914) と結婚した。オーギュスティーヌの父は、ルゴール液を作ったルゴール博士だった。ルゴール博士は、結核性リンパ腺炎や甲状腺疾患のヨード療法などで有名な医者だった。

・ブロカは、1880年2月に終身上院議員に選出された。1880年7月7日、右肩に疼痛を覚え、上院を途中退場して帰宅し、同日深夜ただ 1回の狭心症発作で死亡した (と書いてあるけれど、亡くなっているから心筋梗塞なんでしょうね)。享年 57歳だった。

・ブロカは、大脳皮質運動性言語中枢を発見したのみならず、ドゥシェンヌ・ド・ブローニュ Duchenne de Boulogne (1806~1875) より以前に筋萎縮症を筋肉の原発性疾患として記載しフィルヒョウ Rudolph Virchow (1821~1875) より以前に佝僂病を栄養性疾患と認定し、ロキタンスキー Karl von Rokitansky (1804~1878) より以前に癌の静脈性転移を報告した人としても評価されている。

・1868年、サント・フォワ・ラ・グランドから東に 40マイルほどに位置するクロマニヨン (Cro-Magnon) 洞窟から、鉄道敷設工事中に人骨が発見された。ブロかはこの人骨を調査し、人類学会に報告した (クロマニヨン人最初の報告)。

・ブロカの生まれた 19世紀の始め頃には、脳には “シルヴィウス溝” と “島” しか命名されていなかった。シルヴィウス溝は 1641年にバルトリン父子がシルヴィウスに因んで命名し、島は 1809年にドイツのヨハン・クリスチアン・ライルが「シルヴィウス窩」と題する小論文で最初に記載したと言われている。次に命名されたのがローランド溝で、1839年にブロカの師の一人であるルーレが、この脳回の存在を指摘したローランド (1773~1831) の名前を付した。前頭・頭頂・側頭・後頭葉の脳葉区分は、1838年にハイデルベルクの解剖生理学教授アーノルド (1803~1890) に拠る。

・Broca失語として最初に報告された患者 Leborgne (ルボルニュ) は「失語症 (Aphémie) の 1例にもとづく構音言語機能の座に関する考察」という 1861年の論文に登場する。その論文の第一部で、Brocaは構音言語の障害に対して “aphémie (αは否定接頭語、φημは私は話すの意)”  という言葉を与え、言語中枢が存在する回転 (=脳回) を論じている。第二部では、相手の言うことはわかるが、”tan” としか発語しない男性 Leborgneの症例が記載されている。Brocaは剖検脳を調べ、左第 2, 3前頭回を中心とした限局性の強い損傷を指摘した。また、この論文では、「内部のことについては、私は検索することをあきらめた。私はこの脳をこわすことなしに博物館に保存しておくことが大切であると考えたためである」という有名な記載が確認できる。

・続いて、Brocaは 1861年に 2例目の患者を「第 3前頭回の病変によって起こった失語症 (aphémie) の新しい症例」として報告している。症例は Lelongという 84歳の脳卒中の土工。次の 5つの臨床的特徴がみられた。すなわち、①彼は人が彼に言うことはすべて理解していた、②彼は彼の語彙 (vocablaire) である 4つの言葉を明瞭に使い分けていた、③精神的に健全であった、④彼は数の勘定 (numeration ecrite) を少なくとも 2桁までは知っていた、⑤彼は言語の一般的機能 (faculte general du langage) も、発声 (phonation) や発音 (articulation) のための筋の随意運動性も失ったわけではなく、したがって彼が失ったのは構音言語 (faculte de langage articule) だけであった。剖検では、左第 2, 3前頭回に病変が見られ、後者の損傷が強かった。

・Brocaは “aphémie” の語を用いたが、Armand Trousseau (1801~1867) は、この語がギリシャのプラトンの対話篇の中にある “infamie” (汚辱、不名誉) の意味に通ずるという点から退け、代わって “aphasie” の語を用いることを提案した。Brocaは Trousseau宛の公開書簡を発表して自己の立場を主張するとともに、生涯 “aphasie” の語を用いなかった。

・1863年1月1日、ブロカはビセートル病院を去って、シャルコーやヴュルピアンのいるサルペトリエール病院外科に移った。

・Brocaは、1863年4月2日に人類学会で、自験例 2例、シャルコーの 4例、ギュブラーの 1例、トゥルーソーの 8例を検討して、すべての症例で損傷が左側にあったことを発表した。

・Gustave Daxは、1863年3月26日に、「思考の記号の忘却に伴って生ずる左大脳半球の病変」と題する論文を医学アカデミーに提出した。第 1部は父 Marc Dax (1770~1837) の手によるもので、剖検を伴わない 40例を根拠に、”左半球に損傷があると、必ずというのではないが、言葉の記憶に変化が起こる。しかし、この記憶が脳のなんらかの病変で変化するとすれば、その原因は左半球に求めなければならず、両半球がやられた場合もそうするべきである” と結論した。この第 1部の内容は、1836年7月の南フランス医学会で Marc Dax発表したという。第 2部には、ギュスターブ自身の症例と、ブイヨの文献 140例を加えて補足したものだった (※本書には、Dax父子の論文の全訳が収載されている)。ギュスターブは、亡父マルクが「失語症は左半球に損傷がある」ことの最初の発見者、自分を第二の発見者と主張した。ブロカの論文は引用されていなかった。Dax父子の論文の要約は、1865年6月25日発行の医科学週間新聞に掲載され、全文は1877年のモンペリエ医学誌に掲載された。

・1865年4月4日の医学アカデミーで、左半球優位についての優先権が、Broca, Daxいずれに帰するか、議論となった。Brocaは、1836年に Marc Daxが発表したとする痕跡が、あらゆる文献に存在しないことを指摘した (1836年7月1~10日に第 3回南フランス医学会が開催されたが、議事録は残っていない。ラ・ルヴュ・ド・モンペリエという雑誌には、学会で行われた論議の大要が載ったが、言語問題については何も記載されていない)。さらに、1877年5月15日にある論文を審査した際の報告後、質問を受けて、Brocaは Marc Daxと Gustave Daxの 2つの原稿のスタイルが異なることを指摘し、「Marc Daxの原稿が 1836年の学会のために用意されたが、学会には提出されなかったし、公表されなかった」ことを述べた。

・これに対して、 Gustave Daxは、1836年の発表後に、その論文は Dax父子によって写され、多数の同僚、同級生、友人、モンペリエの医学部教授などに配布されたとした。1879年にケゼルギュ R.Caizerguesの調べたところによれば、モンペリエの医学部長であった彼の祖父の残した書類整理中に、マルク・ダックスの論文の写しを発見したという。

・著者らは、「”失語症は左大脳半球に損傷” があるという命題についての優先権は、年月の上から見てマルク・ダックスにあるといえようが、現在残されている資料を見るかぎり、ブロカがマルク・ダックスの論文を “公表されなかった” と判定するまでの過程は、公正で妥当であったと思われる。いずれにせよ優先権をめぐる問題には、あらゆる場合に胡散臭さがつきまとうのが世の常で、この場合ダックス側にその匂いが強いように思われる」としている。

・1870年、大脳皮質機能局在説は、フリッチュとヒッチッヒによる「大脳の電気的興奮について」と題する論文により強力な支持を受けることとなった。ヒッチッヒ Edouard Hitzig (1838~1907) は、1875年にチューリッヒの精神科教授、精神病院 Burgholzli Asylumの院長となった。その翌年、Von Monakowが彼の門を叩いている。ヒッチッヒは、神経学はロンベルグ Rombergから、病理学はトラウベ Traubeとフイルヒョウ Virchowから、生理学はデュ・ボワ・レイモン du Bois-Reymondから、精神科はグライジンガー Griesingerとカール・ウエストファール Carl Westphalから大きな影響を受けたと言われている。ヒッチッヒは様々な人や組織と諍いを起こし、1879年にフォレル August Henri Forel (1848~1931) が後任としてやってきた時、病院はまさに混乱状態であったという。フリッチュ Gustav T. Fritsch (1838~1891) は、ヒッチッヒと同年の生まれでさるが、熟練者としてヒッチッヒに協力した。「大脳の電気的興奮について」は、ヒッチッヒが 32歳のときに書かれたもので、当時ベルリンの生理学教室に研究設備がなかったときに、最初自宅の婦人の裁縫台の上で実験していたという逸話が残っている。

・本書には、「大脳の電気的興奮性について (Ueber die elektrische Erregbarkeit des Grosshirns)」と題された論文の全訳が掲載されている。「一般的にいって、運動性の部分は前よりの方に、非運動性の部分は後ろよりの方にある。-運動性の部分を電気的に刺激するとそれと反対側の半身にいろいろの組合わせの筋収縮 (Muskelocontractionen) が起こる」「きわめて弱い電流を用いると、一定の限られた筋群に筋収縮が起こる。同じ場所ないしはそれにきわめて隣接した場所を、もっと強い電流で刺激すると、他の筋群さらには同側の筋群にも直ちに反応が表れる。しかし,限られた筋群を単独に興奮させるには、非常に小さな場所をきわめて弱い電流で刺激した場合に限られる。われわれはこのような場所を簡略に中枢 (Centra) とよぶことにしたい」「生理学的に非常に興味のある刺激因子について、是非とも一言ふれておきたい。それは陽極が必ず優勢であるということである」「われわれの実験動物の中の 2例では、こうした後続運動に続いて典型的な痙攣発作が起こった」「最後に、不思議に思うことは、非常に有名な学者を含む過去の多くの研究者たちが、なぜ反対の結果に到達したかということである。これに対してはわれわれの答えは唯ひとつ、”方法が結果をつくり出す” (“Die Methode schafft die Resultate”) ということである」などといった記載など。

・フリッチュとヒッチッヒの論文は、フェリア D.Ferrier (1843~1928) によるイヌやサルを用いた詳しい刺激実験によって裏付けられた。その後、マイネルト Th. Meynert (1833~1892) のもとに学んだ精神科医ヴェルニッケ (1843~1905) が重要な役割を担った。ヴェルニッケは、師マイネルトによる精神活動が連合線維に拠るとする考えを言語機能に応用した。1874年、ヴェルニッケは「失語症症候群 (Der aphasische Symptomcomplex)」という処女論文を書いた。ヴェルニッケは、そのなかで、感覚刺激が外界から脳に送られてそこで受容されると、大脳皮質にはその刺激の “記憶心像 (Erinnerungsbilder)” が残り、これは外界からの刺激がなくても想起されるようになると延べ、このような “記憶心像” は大脳皮質のなかで側頭-後頭葉領域に形成されると考えた。ヴェルニッケは、”音響心像” の生じる場は、師のマイネルトが聴覚線維の投射部位として “音響領野 (Klangfeld)” と名づけた場所すなわち側頭葉上部に相違いない、そしてそこから発した連合線維が前頭葉に至り、”心的反射現象 (psychishe Refleaction)” として発語現象が起こると考えた。そして、ヴェルニッケはこの “音響心像” の生ずる場が損傷を受けると、話された語の復唱が不能となり、語を理解することができなくなることを指摘し、今までに報告されたことのない 2例の自験例を記載した。第 1例は 59歳の女性で、人が彼女に話しかける言葉を全く理解できないにもかかわらず正しく話すことができた。また話し言葉の中に言い間違いすなわち錯誤がみられ、復唱も障害され、読み書きができないことも観察された。第 2例は 75歳の女性で、同様の症状を呈して死亡し、剖検で左上側頭回に軟化のあったことが確認された。

・本書 (p148~149ページ) には、ブロカによる Broca失語の一例目の患者の CT写真が掲載されている。その写真の分析は、ブロカが残した病巣の広がりに関する記載を再確認するとともに、一方ではヴェルニッケ領域が侵されないで残っていること、他方で大脳基底核ことにレンズ核が大きな損傷を受けていることを示した。

・Brocaは、1878年、死の 2年前に「哺乳類による辺縁大葉と辺縁溝 (※本書に全訳収載)」と題した大部の論文を著した。この論文は、1950年にフォン・ボーニン von Boninによって再発見されるまで、72年間休眠を続け、この長い間にこの論文に言及したのはわずかにスーリー J. Souryとラモニ・カハールの 2人のみであったという。ボーニンが、”Essay on the cerebral cortex” のなかで、ペイペッツ Papezの有名な回路が不思議にもブロカの辺縁大葉を思い起こさせると指摘して、やっとブロカの名が返り咲いた。それ以後、”辺縁大葉” の名は “辺縁系 (limbic system)” と置換えられて、随所で用いられるようになり、今日に至っている。

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DaTSCAN

By , 2013年12月23日 5:10 PM

脳内ドパミントランスポーターを調べるための検査 DaTSCANが、2014年1月27日に保険収載されることになりました。先行していた欧米に比べ、認可されるのがやや遅かった感はありますが、Parkinson病/DLBの診断の精度が高まることが期待されます。これまでの行っていた MIBGシンチグラフィーの扱いをどうするか、頭を悩ませそうですね。さすがに両方やると高いでしょうし・・・。

ダットスキャン静注 (PDF)

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Drugs that made headlines in 2013

By , 2013年12月15日 4:10 PM

2013年12月5日の Nature Medicine誌に、2013年に話題になった薬達について纏められていました。製薬会社がしのぎを削る、現在販売攻勢が最も強い薬剤の一つでもある DPP-4阻害薬が Yellow light (黄信号) なんですね。びっくりしました。

こうしてまとめてみると、ALK阻害薬のように期待の高そうな薬剤が Green light (青信号) になっている一方で、Red light (赤信号) に軒並み神経疾患治療薬が名を連ねていることに、残念な思いです。

Drugs that made headlines in 2013

Green light

・PD-1 immunotherapy: メラノーマ

・LDK378: 非小細胞性肺癌 (target=anaplastic lymphoma kinase (ALK))

・Gilotrif (afatinib): 非小細胞性肺癌 (target=epidermal growth factor receptor (EGFR))

・Kynamro (mipomersen sodium): 家族性高コレステロール血症

・Tivicay (dolutegravir): HIV

・Adempas (riociguat): 肺高血圧症

・Serelaxin: 急性心不全

・Invokana (canagliflozin): 2型糖尿病 (特に腎障害患者での心血管系副作用のため、発売後に 5つのトライアルがなされる)

・Imbruvica (ibrutinib): マントル細胞リンパ腫, 慢性リンパ性白血病

・Sofosbuvir: C型肝炎

・Gazyva (obinutuzumab): 慢性リンパ性白血病

 

Yellow light

・Fecal transplants: 偽膜性腸炎

・DPP4 inhibitors: 2型糖尿病, ただし、saxagliptinおよびalogliptinは心イベントを減少させなかった

・Brisdelle (paroxetine): 抗鬱薬

・Duavee (conjugated estrogens/bazedoxifene): ほてり (hot flash)

・Suvorexant: 不眠症

・Ramucirumab: 転移性乳癌では効果を示せなかったが、胃癌では生存期間を延長した。

・Alirocumab: 高脂血症

・Vercirnon: クローン病

 

Red light

Dexpramipexole: ALS

・Tredaptive (niacin/laropiprant): 高脂血症

・Preladenant: パーキンソン病

・LY2886721: アルツハイマー病

・Drisapersen: Duchenne型筋ジストロフィー

・Gammagard: アルツハイマー病

・R343: 喘息

・MAGE-A3 vaccine: メラノーマ

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クリスマスBMJ ワーグナー

By , 2013年12月13日 10:09 PM

今年もクリスマス BMJの季節がやってきました。以前、Beethovenの難聴の話を紹介しましたが、今年はワーグナーの片頭痛の論文が載っていました。

Christmas 2013: Medical Histories

“Compulsive plague! pain without end!” How Richard Wagner played out his migraine in the opera Siegfried

BMJ 2013; 347 doi: http://dx.doi.org/10.1136/bmj.f6952 (Published 12 December 2013)
Cite this as: BMJ 2013;347:f6952

ワーグナーは、自身の片頭痛発作を作品 Siegfriedで描写しているというのですね。私はワーグナーの作品はほとんど聴きませんが、興味深く思いました。ワーグナーの作品が好きな方は、是非読んでみてください。

(追記)

知り合いの先生から、今年はワーグナー生誕 200周年だと教えて頂きました。あと、「眠れない時は『ニーベルングの指環』を聴くと、全曲終わるまでに眠くなる (※演奏時間 15時間)」という使えないアドヴァイスも・・・。

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ミトコンドリアのダイナミクス

By , 2013年12月7日 5:57 AM

2013年12月5日、New England Journal of Medicineにミトコンドリアのダイナミクスについての総説が掲載されました。とても良く纏まっていて、昨日見つけてその場で読了しました。

ミトコンドリアは、融合と分裂を繰り返し、数や品質の維持をしています。これらダイナミクスの異常で、疾患が引き起こされることがあります。この論文では、導入部でダイナミクスのメカニズムや重要性を説明し、後半にその異常が関与する疾患を説明しています。「常染色体劣性若年性パーキンソニズム」や「Charcot-Marie-Tooth病 type 2A」など、神経疾患もいくつか登場しますので、神経内科医が読んで楽しめるのではないかと思います。Table 1には、介在タンパク質と、その異常で引き起こされる疾患の一覧表があり、Figure 4には “Mitochondrial Disease in Humans” が纏められているので、全部読む余裕が無い方は、これらを眺めるだけでも勉強になるはずです。

Mitochondrial Dynamics — Mitochondrial Fission and Fusion in Human Diseases

Mitochondria fuse and divide in response to cell demands and environment. Alterations in mitochondrial dynamics underlie various human diseases, including cancer and neurologic and cardiovascular diseases. Defining the alterations may identify potential therapeutic targets.

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プリオン

By , 2013年11月20日 7:23 AM

2013年11月14日の New England Journal of Medicine (NEJM) に新しいタイプのプリオン病が報告されました。プリオンがこんなことを引き起こすとは想像していなかったので、読んで久々に鳥肌が立ちました。

A Novel Prion Disease Associated with Diarrhea and Autonomic Neuropathy

N Engl J Med 2013; 369:1904-1914November 14, 2013DOI: 10.1056/NEJMoa1214747

BACKGROUND

Human prion diseases, although variable in clinicopathological phenotype, generally present as neurologic or neuropsychiatric conditions associated with rapid multifocal central nervous system degeneration that is usually dominated by dementia and cerebellar ataxia. Approximately 15% of cases of recognized prion disease are inherited and associated with coding mutations in the gene encoding prion protein (PRNP). The availability of genetic diagnosis has led to a progressive broadening of the recognized spectrum of disease.

METHODS

We used longitudinal clinical assessments over a period of 20 years at one hospital combined with genealogical, neuropsychological, neurophysiological, neuroimaging, pathological, molecular genetic, and biochemical studies, as well as studies of animal transmission, to characterize a novel prion disease in a large British kindred. We studied 6 of 11 affected family members in detail, along with autopsy or biopsy samples obtained from 5 family members.

RESULTS

We identified a PRNP Y163X truncation mutation and describe a distinct and consistent phenotype of chronic diarrhea with autonomic failure and a length-dependent axonal, predominantly sensory, peripheral polyneuropathy with an onset in early adulthood. Cognitive decline and seizures occurred when the patients were in their 40s or 50s. The deposition of prion protein amyloid was seen throughout peripheral organs, including the bowel and peripheral nerves. Neuropathological examination during end-stage disease showed the deposition of prion protein in the form of frequent cortical amyloid plaques, cerebral amyloid angiopathy, and tauopathy. A unique pattern of abnormal prion protein fragments was seen in brain tissue. Transmission studies in laboratory mice were negative.

CONCLUSIONS

Abnormal forms of prion protein that were found in multiple peripheral tissues were associated with diarrhea, autonomic failure, and neuropathy. (Funded by the U.K. Medical Research Council and others.)

Abstractを日本語にすると、大体下記のような感じになります。

Background

ヒトプリオン病は、臨床病理学的表現型は多彩だが、一般的には認知症や小脳失調を中心とした、急速な多巣性中枢神経変性が関与する神経疾患ないし精神神経疾患を呈する。プリオン病の約 15%が遺伝性で、プリオン蛋白 (prion protein; PRNP) をコードする遺伝子変異が関与している。遺伝子診断の利用により、認識された疾患のスペクトラムは広がりを見せている。

Methods

我々は、イギリスの大家系における新しいプリオン病を調べるため、家系的、神経心理学的、神経生理学的、神経画像的、病理学的、分子遺伝学的、生化学的研究、さらに動物伝播研究と共に、20年以上の長期に渡り臨床的評価をしてきた。我々は、家系内 5名から得られた剖検ないしは生検サンプルと共に、家系内患者 11名のうち 6名を詳細に調べた。

Results

我々は、PRNP Y163X切断変異を同定し、成人初期に発症する自律神経障害と length-dependentの感覚優位軸索性末梢神経障害を伴った慢性下痢症が特徴的な表現型であることを見出した。認知機能低下とけいれんは 40~50歳代で出現した。プリオン蛋白アミロイドの沈着は、腸管や末梢神経を含む末梢臓器の至るところで見られた。末期の神経病理学的検査では、顕著なアミロイドプラーク、脳アミロイドアンギオパチー、タウパチーといった形で、プリオン蛋白の沈着が見られた。脳組織において、独特のパターンの異常プリオンタンパクの断片が見られた。マウスへの伝播実験は陰性だった。

Conclusions

末梢組織で見られる異常プリオン蛋白は、下痢、自律神経障害、末梢神経障害に関連があった。

内容を簡単に紹介。

[背景]

・プリオン病は、伝播しうる致死的な神経変性疾患で、遺伝性ないし後天性、もしくは孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病 (sCJD) として自然発生するものがある。

・伝播する物質プリオンは、正常な細胞表面蛋白プリオンが異常な折りたたみ構造をとって凝集した蛋白質である。プリオンの伝播は、正常なプリオン蛋白に結合して、それを鋳型としてミスフォールディングしていく、種 (seed) となるタンパク質の重合により起こると考えられている。

・常染色体優性のプリオン病は、PRNP遺伝子の変異によって起こり、これらの疾患はオーバーラップする 3つの疾患、Gerstmann-Straussler-Scheinker (GSS) 症候群、致死性不眠症、家族性クロイツフェルト・ヤコブ病に分類されてきた。

・他の神経変性疾患で異常沈着きたすタンパク質と対照的に、プリオン蛋白は glycosylphosphatidylinostil (GPI) anchorによって細胞膜につなぎとめられている。GPI蛋白結合部位を欠損したプリオン蛋白を発現させたマウスの実験では、感染性プリオンが伝播し、異常なプリオン蛋白が血管周囲に沈着する一方で、進行がとても遅く、多彩な臨床症状をきたすという、極めて興味深い結果が見られてきた。ヒトでは、stop-codonの変異がGPI anchorを欠く異常プリオン蛋白の原因となるが、報告は極めて限られる。PRNP Y145X変異ではアルツハイマー型認知症と脳血管にプリオン蛋白アミロイド沈着を伴った一例報告が、PRNP Q160Xでは認知症を呈した小家系の報告が、C末端の切断変異では GSS症候群の症例報告がなされている。

[方法]

・Immunohistochemical analysis

組織を固定して、組織ブロックをパラフィン包埋、ホルマリンによる前処理をした。組織は 7 μm厚に薄切し、hematoxylin and eosin, Luxol fast blue, periodic acid-Schiff, Congo red,thioflavin Sで染色した。免疫組織学的解析は、通常の avidin-biotin protocolに則って行い、プリオン蛋白 (KG9, 3F4, ICSM35, Pri-917), amyloid P component,glial fibrillary acidic protein, tau (AT8), tau-3R,tau-4R,amyloid-β, neurofilament cocktail, TDP-43,CD68,CR3/4, α-synucleinに対する抗体を用いた。

・Molecular genetic and protein studies

PRNPのゲノムDNAの全reading frameを解析した。脳ホモジネートは、SDS-PAGEで電気泳動し、immunoblottingを行った。

・Murine models

Tg (HuPrP129V+/+Prnp0/0)-152 mice (129VV Tg152mice), Tg (HuPrP129M+/+Prnp0/0)-35 mice (129MM Tg35 mice) を transgenic mouseとして用いた。

Inbred FVB/NHsd miceの脳内に、患者 IV-1から得られた脳 (前頭葉) を接種した。

[結果]

・Clinical Syndrome

臨床的に全ての患者は類似し、常染色体優性遺伝を示した (Figure. 1)。

全ての患者は 30歳代で発症する慢性下痢、それに引き続く混合性感覚優位及び自律神経ニューロパチーを呈した。水様性下痢は日夜数回起こり、腹部膨満感と体重変化を伴い、過敏性腸炎やクローン病と診断されていた。膀胱の脱神経による尿閉があり、自己導尿が必要で、2名の患者ではインポテンツが初期症状であった。別の初期症状は起立性低血圧で、ミネラルコルチコイドや非薬物対症療法に反応した。中等度に進行した患者では、体重減少、嘔吐、下痢は重度であり、2名では静脈栄養を要した。この治療により体重は安定し、嘔吐や下痢を軽減させるのに役立った。認知機能の問題やけいれんは 40~50歳代で出現した。平均死亡年齢は 57歳 (40~70歳) であった。

電気生理学的評価は 5名の患者に対して 11回行われ、進行性のlength-dependent, 感覚優位ポリニューロパチーであった。温度閾値は足では極めて異常だったが、手ではそうではなかった。運動神経の障害は進行期において、それほど重篤ではなく、脱神経の所見があり、下肢遠位の筋に強かった。臨床および電気生理学的検討では、遺伝性感覚および自律神経ニューロパチーを思い起こさせるもので、所見は家族性アミロイドポリニューロパチーに似ていた。

神経心理評価は 3名の患者に対して 8回行われた。患者が 50歳代の頃、最も顕著だったのが記憶機能と遂行機能の障害だった。2名は重症の患者は音韻性言語障害を呈した。頭部MRIでは進行期の患者 1名でテント上の全般的脳容積低下が見られたが、他の患者は正常であった。髄液検査では総tau (tau > 1200 pg/ml, 正常値 0~320 pg/ml) と、S100b蛋白 (2.17 pg/ml, 正常値 0.61未満), 14-3-3タンパク質の上昇を認めた。

アンカーを欠くプリオン蛋白を発現させたマウスで心筋症が見られたため、心臓の評価を行った。しかし、病歴や検査 (心電図、超音波検査) で心臓の障害が示唆された患者はいなかった。

・Molecular genetics

患者の DNAサンプルから PRNP遺伝子をシークエンスしたところ、新規のPRNP Y163X変異が同定された (c.489C→G, p.Y163X)。この変異は、prion蛋白の 129残基のバリンへの多型を伴っていた (Figure. 2)。PRNPの codon 129の多型は、健常人でも一般的に見られ、プリオン病の強力な感受性因子ならびに疾患修飾因子として知られている。患者 II-2, III-1, III-5は絶対的保因者と判断された。National Hospital for Neurology and Neurosurgeryにおいて、血縁関係のない遺伝性感覚性および自律神経ニューロパチーの患者 18名を調べたところ、変異は見つからなかった。そのため、この疾患は稀であると考えられる。4000名以上の患者とコントロールで検索しても、この変異は見つからなかった。

・Brain and peripheral-organ tissue disease

病理学的に、末梢組織では、 腸管、後根神経節細胞周囲、末梢神経の神経線維周囲、脳神経根の軸索と脊髄の後根と前根の軸索の間、リンパ網内系、門脈や腎臓尿細管、肺胞などにプリオン蛋白が見られた。末梢組織での異常プリオン蛋白は、孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病でも高感度の Western blotでは検出されていたが、免疫組織化学染色では検出されていない。(Figure .3)

中枢では、皮質 layer 1, 2にほぼ限局する軽度の海綿状変化がみられた。深部の皮質層の空胞形成は、孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病と違って顕著ではなかった。neurofibrillary tangleや neuropil threadの中に、プリオン蛋白のプラークや、相当量のタウ関連疾患の所見を認めた (こういう所見は GSSでも見られるとされる)。ミクログリアにプリオン蛋白を認めたが、アストロサイトでは認めなかった。新皮質に PAS染色でアミロイド形成を伴った蛋白沈着が確認され、血清アミロイドP陽性であった。(Figure. 4)

・Immunoblotting

PRNP Y163Xにコードされるプリオン蛋白は、安定なSDS抵抗性のオリゴマーを形成しているのかもしれない (※Figure. 5Cで epitope 142-158を認識する 抗体 ICSMでバンドが見られないのは、プリオン蛋白のオリゴマー形成により抗体が認識しなくなったものと推測される)。

・Absence of transmission to mice

患者脳を用いて、プリオン感染がマウスに伝播するか調べた。3種類の系統の 24匹のマウスのうち、接種後、実験終了の 600日目までに臨床症状を呈したものはなかった。潜在的な感染がないか、脳組織の Western blotや免疫組織化学的検討をしたが、そのような所見はなかった

[考察]

・PRNP Y163Xは、非神経症状を呈し、プリオン蛋白アミロイドが全身臓器に沈着し、進行が緩徐であるという点で、他のプリオン病と異なる。

・末梢の症状優位なので、初期に消化器科などを受診することがあり、診断が難しい。

・PRNP Y163Xと 129バリン多型の存在の関係についてはよくわかっていない。

・自律神経症状は急速に進行する致死性不眠症でも報告されているが、これはコドン 129メチオニン多型を伴った codon 178の変異で起こる。しかし、末梢神経障害は致死性不眠症では見られない。

・PRNP Y163X変異による自律神経障害は、臨床的、電気生理学的、病理学的検討から、末梢優位であるようだ。下痢は複合的な要因によるもので、自律神経の脱神経、あるいは異常プリオン蛋白が直接粘膜を障害し、吸収障害や細菌の増殖、腸管麻痺を起こすのかもしれない。

・下痢により、手術を行われた患者が複数存在した。そのことにより医原性にプリオンの感染が広がった可能性がある。マウスでは、実験的なプリオン蛋白の感染は確認されなかったものの、ヒトにおいては完全に否定はできない。

・末梢神経障害を伴った説明のつかない慢性下痢や、家族性アミロイドポリニューロパチーに似た説明の出来ない症候群を見たら、PRNPの検査を行うべきである。

この疾患が稀であるとしても、こういう患者さんを見かけたら、この遺伝子変異が鑑別になることは、覚えておかないといけないと思います。

プリオン病については、いくつかの診療経験が思い出されます。初めて診断したのは、医師になって 3年目の時、郡山での夜間の救急外来でした。3ヶ月前から進行する物忘れを生じた高齢者が、近医でアルツハイマー病と診断されてからすぐ痙攣ということで搬送されてきたのです。診断に苦慮したのでボスを呼んだら、ミオクローヌスを見てひと目で「これは孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病ですね」と診断し、検査する前から検査結果を言い当てられ、「神経内科医すげぇ」と思った記憶があります。別の患者さんで、孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病だと思って遺伝子を調べたら、冨士川流域家系だったことがあり、すごくシビアな告知となりました。また、中学生時代にイジメにあって頭蓋骨を割られ、人工硬膜を使うことになったら、そこからプリオン病に感染した若者の主治医をしたときに、やるせない気持ちになったのを覚えています。

さて、プリオン病つながりで、最近 2013年10月15日に、 British Medical Journalに興味深い論文が出ました。

Prevalent abnormal prion protein in human appendixes after bovine spongiform encephalopathy epizootic: large scale survey

BMJ 2013; 347 doi: http://dx.doi.org/10.1136/bmj.f5675 (Published 15 October 2013)

Cite this as: BMJ 2013;347:f5675

Abstract

Objectives To carry out a further survey of archived appendix samples to understand better the differences between existing estimates of the prevalence of subclinical infection with prions after the bovine spongiform encephalopathy epizootic and to see whether a broader birth cohort was affected, and to understand better the implications for the management of blood and blood products and for the handling of surgical instruments.

Design Irreversibly unlinked and anonymised large scale survey of archived appendix samples.

Setting Archived appendix samples from the pathology departments of 41 UK hospitals participating in the earlier survey, and additional hospitals in regions with lower levels of participation in that survey.

Sample 32 441 archived appendix samples fixed in formalin and embedded in paraffin and tested for the presence of abnormal prion protein (PrP).

Results Of the 32 441 appendix samples 16 were positive for abnormal PrP, indicating an overall prevalence of 493 per million population (95% confidence interval 282 to 801 per million). The prevalence in those born in 1941-60 (733 per million, 269 to 1596 per million) did not differ significantly from those born between 1961 and 1985 (412 per million, 198 to 758 per million) and was similar in both sexes and across the three broad geographical areas sampled. Genetic testing of the positive specimens for the genotype at PRNP codon 129 revealed a high proportion that were valine homozygous compared with the frequency in the normal population, and in stark contrast with confirmed clinical cases of vCJD, all of which were methionine homozygous at PRNPcodon 129.

Conclusions This study corroborates previous studies and suggests a high prevalence of infection with abnormal PrP, indicating vCJD carrier status in the population compared with the 177 vCJD cases to date. These findings have important implications for the management of blood and blood products and for the handling of surgical instruments.

イギリスで、摘出された 32441人の虫垂を調べると、16人で異常なプリオン蛋白が陽性でした。これは 100万人当たり 493人の頻度になります (世代間での差はなかったようです)。過去に報告されている変異型クロイツフェルト・ヤコブ病は 177例であることを考えると、何故これだけ多くの人が異常なプリオンを体内に持っているのに変異型クロイツフェルト・ヤコブ病を発症しないのか、謎です。もちろん、コドン 129の多型は関係しているのかもしれませんが、それ以外になにか理由があるのかもしれません。

これはイギリスのサーベイランスなので変異型クロイツフェルト・ヤコブ病がほぼ存在しないと言って良い日本では直接当てはまりませんが、外科医や病理医を中心とした医療従事者、手術を受ける他の患者への感染制御という意味では、大変インパクトの大きい報告なのではないかと思います。

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