Category: 医学と医療

多発性硬化症と緯度の話

By , 2015年1月6日 6:52 AM

2014年12月号の Annals of Neurology誌に興味深い論文が掲載されていました。ごく簡単に紹介します。

Seasonal variation of relapse rate in multiple sclerosis is latitude dependent

多発性硬化症は高緯度地域に多いことが知られています。その原因はよくわかっていませんが、日光への暴露依存性ビタミンD代謝産物である血清 25-hydroxyvitamin D (25(OH)D) 濃度が関係しているのではないかと言われています。一方で、再発に季節性があるかどうかは、2000年の meta-analysisではあるとされたものの、研究によってばらつきがあります。

そこで、著者らは MSBase Restryという多発性硬化症のデータベースを用いて、これらについて調べました。

その結果、再発には、北半球南半球いずれも年間を通じた周期性があり、春に多く秋に少ないことがわかりました (Figure 1: ちなみに、北半球と南半球で再発した人数が大きく違うのは分母が違うためで、北半球は 8411名、南半球は 1400名のデータを解析しています)。この季節性変動は統計学的に有意であり、再発ピークは北半球で 3月7日、南半球で 9月5日でした。また、紫外線放射が最も低くなる時期と再発がピークとなる時期のタイムラグは、高緯度ほど短くなっていました。

著者らは、高緯度地域に住んでいる患者ほど年間を通じてビタミンDレベルが低く、冬になって紫外線放射が低下すると、25(OH)Dレベルやその他紫外線放射が介在した半減期の長い免疫調整効果が、早く閾値まで低下してしまうためではないかと推測しています。

 

Figure 1

Figure 1

この研究の Figure 1を見ると、多発性硬化症の再発にはっきりとした季節性変動があることがわかります。この季節性は、紫外線に依存するビタミンDが次のように関与していると考えられるようです。

冬になって紫外線低下→ビタミンDから紫外線依存性に合成される 25(OH)Dレベル低下→25(OH)Dレベルや紫外線が関与した免疫調整効果がある閾値を下回る→多発性硬化症再発

言われてみると、そうかなと思わされますが、まだ仮説の段階です。多発性硬化症とビタミン Dについては注目を集めている分野でもあり、今後の研究を待ちたいと思います。

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L-dopa

By , 2014年12月30日 10:34 AM

パーキンソン病の第一選択薬の L-dopaが臨床的に用いられるようになって約 50年ということで、Movement disorders誌で特集が組まれていました (2014年12月30日現在、early viewで読むことができます)。L-dopa開発において、歴史的に重要な 4名の研究者についての文献を紹介したあと、興味を持った論文にリンクを貼っておきます。

Four Pioneers of L-dopa Treatment: Arvid Carlsson, Oleh Hornykiewicz, George Cotzias, and Melvin Yahr

L-dopa治療の 4人のパイオニアについて。四人とも medical doctorであり、最初の 3人は薬理学のトレーニングを受け、研究も薬理学におけるものであった。4人目は臨床神経内科医である。

1. Arvid Carlsson
インドシャボクの根は、市場で寄生虫、下痢、精神病の治療薬として売られていた。Siddquiらは 1939年に降圧作用を報告し、それは Vakilにより確認された。1950年代初旬には、Ciba研究所がインドシャボクの根からレセルピン、ヨヒンビン、アジュマリンなど多くのアルカノイドを分離し、レセルピンを降圧薬 Serpasilとして販売した。レセルピンは統合失調症や躁うつ病のような精神疾患にも臨床研究が行なわれ、用いられるようになった。それらが一般的に用いられるようになってから時を経ず、自殺やパーキンソン病様症候群の報告が相次いだ。
Carlssonはレセルピンの鎮静作用に興味を持ち研究を始めた。彼はドパミンが脳内に十分な量存在し、それがレセルピンで著明に減少すること、ドーパが正常レベルまで回復させることを確認した。1957年にレボドパがレセルピンによる寡動を改善することを動物実験で示したのは、彼の最も重要な実験である。彼はドパミンが神経伝達物質であることを主張した。彼の元で学んでいた学生 Bertlerと Rosengrenはウサギの線条体に多量のドパミンが存在することを示した。Carlssonは 2002年にノーベル賞を受賞した。

2. Oleh Hornykiewicz
Hornykiewiczは医学部卒業後、薬理学の研究に向かった。彼は Carlssonらの研究に刺激を受け、パーキンソン病患者のドパミンレベルを研究した。彼は遺体の脳を得て、パーキンソン病患者の線条体ではドパミンが著明に減少していることを 1960年に報告した。彼はパーキンソン病患者の重症度と、線条体のドパミン消失の程度が相関することを報告した。1960年11月に Hornykiewicsは内科医の Walther Birkmayerに連絡を取り、Hoffmann La Rocheから提供された L-dopaを投与する研究を1961年7月から開始することにした。Birkmayerは L-dopa 50~150 mgを生理食塩水に溶解し、パーキンソン病及び脳炎後パーキンソニズムのボランティア 20名に投与した。結果は印象的であり、Birkmayerと Hornykiewiczは、後に次のように書き残している。
「L-dopaの単回静脈内投与で無動は完全に消失するか、大幅に改善した。起き上がることのできなかった寝たきりの患者、座った時に立てなかった患者、立った時に歩けなかった患者が、L-dopaを投与すると楽に出来るようになった。彼らは正常な動きで歩きまわり、走ったりジャンプしたりさえ出来た。小声でよく聞き取れない発語は、正常者のように力強く明瞭になった。短時間の間、彼らは運動をすることができたが、これは他のどのような薬剤でも出来なかったことである。」
L-dopaは初回量から効果があり、寡動に対する効果は 3~24時間継続したと報告された。振戦や筋強剛に対する効果は明らかではなかった。MAO阻害薬 isocarboxazidの前投与で、抗無動効果は延長した。これらは最終的に、遺体の脳における線条体のドパミン欠乏の報告の 11ヶ月後に報告された。
その後、Rudolf Degkwitzもレセルピンによるパーキンソニズムに対する L-dopaの効果を報告し、ほぼ同じ時期に Barbeau, Sourkes, Murphyが L-dopa 100~200 mg経口投与 2時間後の筋強剛が改善すること、D-dopaでは改善しないことを報告した。
2000年に Arvid Carlsson, Paul Greengard, Erick Kandelにノーベル賞が贈られた後、250名以上の著名な科学者が Hornykiewiczが外れていることについてノーベル賞委員会に公開質問状を送った。

3. Geroge C. Cotzias
1966年に George Cotziasはパーキンソニズムのある患者に、最初は D, L-dopaを、最終的に L-dopaを漸増して経口投与した。この実験は、D, L-dopaの 2時間毎の内服を少量で開始し、数週間かけて認容可能な上限まで漸増することで、患者の運動症状や障害の改善に著明な効果がある、という素晴らしい結果に終わった。結果は 1967年の New England Journal of Medicineに掲載された。Nutritional Biochemicals Corporationは、 D-dopaは毒性がラセミ体混合物 (D-dopaとL-dopa)の 50%だが、治療効果がないことを発見した。D-dopaに効果がないのであれば L-dopaのみとすることで投与量を半分にすることができ、その分副作用を軽減させることができる。Cotziasらは、パーキンソン病における L-dopaの長期治療効果を発表した。これらの発見により、1970年に FDAは L-dopaをパーキンソン病の治療薬として承認した。Guggenheimがこのアミノ酸を空豆から分離した約 60年後のことであった。
ちなみに、この研究は試行錯誤の末に生まれたもので、パーキンソン病患者の黒質緻密部ではメラニンを欠くので、それを補充しようとして beta melanophre-stimulating hormoneを投与して、患者の皮膚が黒くなった失敗もあった。
1963年に Bartholiniらが Ro 4-4602が少量で末梢でのドーパ脱炭酸酵素を選択的に阻害し、それをドパミン前駆体 L-dopaと共に投与することでドーパの脳への移行を高めることを見出していた。Corziasらは、alpha-methyldopa hydrazine (carbidopa) を 1968年に使い始めた。Alpha-methyldopa hydrazineを併用することで、症状をコントロールするための L-dopaは少量でよく、効果発現も早く、心血管や胃腸への副作用も少なかった。しかし、L-dopa誘発性低血圧、不随意運動、精神症状には効果がなかった。1972年の Corzias の New England Journal of Medicine論文 “Levodopa in Parkinsonism: potentiation of central effects with peripheral inhibitor” により、L-dopaを末梢ドーパ脱炭酸酵素阻害薬と併用することが一般的になり、現在でもそうされている。彼は L-dopaの効果を高めるため、末梢組織で O-methyltransferase を阻害することも提唱し、現在使用されている Catechol-O-Methyl transferase阻害薬が開発されることとなった。
Cotziasらはまた、L-dopa誘発ジストニアの最初の報告をしている。彼らは L-dopaをやめるとジスキネジアが消失し、再導入するとまた出現することを見出した。
Cotziasらは、apomorphineの研究も行い、その数年後の apomorphine皮下注射製剤開発につながった。この製剤を通じて、Cotziasは最初の経口 apomorphine、ついで N-propylnoraporphineの研究を行うようになった。
Cotziasは James Ginosと共に、合成ドパミンと同じようにドパミン受容体に作用するドパミン類似物を研究した。これらの研究は、別の研究者による piribedilや bromocriptine、その他のドパミンアゴニストの開発につながった。

4. Melvin D. Yahr
Yahrはモンテフィオーレ病院の Houston Merrittのもとで神経学を学んだ。そしてMerrittがコロンビア大学の神経内科部門の責任者になったとき、Yahrはそれに加わった。Yahrがコロンビア大学で fellowshipプログラムを始めたときの臨床 fellowが Margaret Hoehnで、Hoehnはコロンビア大学で治療を受けているパーキンソン病患者数百人の臨床データの評価を命じられた。Hoehnと Yahrは L-dopa前時代におけるパーキンソン病患者の自然経過と死亡率を記載した。その論文で彼らが紹介した、パーキンソン病のステージ分類である Hoehn-Yahr scaleは、今日でも広く使用されている。
Yahrは Ehringerと Hornykiewiczによるパーキンソン病患者での線条体ドパミンレベルの低下について、また Birkmayerと Hornykiewiczによる L-dopa投与でのパーキンソン病患者の劇的な改善についての報告を知っていた。しかし、効果が無いという報告も複数あるなど、L-dopaの効果については意見が分かれていた。Cotziasらが 1967年に報告した研究は、印象的な抗パーキンソン病効果を示したが、D, L-dopaを 4-18 g/day内服するなど高用量であり、吐気や血液学的異常やアテトーシスなどの副作用のある治療レジメンであった。この結果にも関わらず、Yahrは自分の目で確認するまでは懐疑的であり続け、その後 L-dopaに対する治療の潜在的な重要性を確信するようになった。Cotziasらの研究はオープンラベル試験であり、Yahrはその限界に良く気付いていて、プラセボ効果や効果判定へのバイアスがあるのではないかと思った。この問題を解決するために、Yahrは二重盲検法プラセボ対象前向き臨床試験を行うことにした (※パーキンソン病における最初のプラセボ対照試験)。この試験では、60名のパーキンソン病患者 (56名の特発性パーキンソン病患者と 4名の症候性パーキンソニズム) が4~12週間入院し、プラセボないしはプラセボ+L-dopaを投与量毎に毎日 5~10錠内服した。その後、プラセボ錠は、至適効果が得られるまで 24~48時間毎に 0.5 gの L-dopaに置き換えられた。患者は、L-dopaは総量 8 g/日、もしくは認容できない副作用が生じるまでの量を内服した。治療効果のあった 9名のサブグループでは、L-dopaが急に中止されてプラセボに置き換えられた。入院中、患者は各種評価を受けた。また、退院後、4~12ヶ月間外来でフォローされた。
この研究では、49名 (81%) が二重盲検期間中に著明な治療効果を経験し、4名を除く全員 (91%) が 4ヶ月の治療で少なくとも 20%の改善を認めた (平均 59%の改善)。改善は、パーキンソン病の全ての運動症状に及んだ。治療効果は治療約 2~3週間後に投与量が 5 g/日となったところで始まり、投与量、治療期間と共に増した。L-dopaからプラセボに置き換えられて約 2日間で治療効果は消失した。吐気、嘔吐、不整脈、低血圧が主な急性期の副作用であったが、これらは通常自然に消失した。対照的に、慢性的な治療は 37名に不随意運動を引き起こした。著者らは、L-dopaはパーキンソン病に対して効果的であり、それまで行なわれていた他のどんな内服治療や手術療法にも優ると結論づけた (Yahr MD, Duvoisin RC, Schear MJ, Barrett RE, Hoehn MM. Treatment of parkinsonism with levodopa. Arch Neurol 1969;21:343-354)。
こうして、L-dopaの時代が到来した。臨床医は、Cotziasの 1967年と 1969年の報告、Yahrの 1969年の報告を元に、パーキンソン病の治療に L-dopaを使い始めた。数年以内に、ほとんどの患者が L-dopa治療を受けるようになり、現在世界で数百万人のパーキンソン病患者がこの治療の恩恵を受けている。

L-dopa開発の歴史は、朧気ながらどこかで読んだことがありましたが、このように詳しく読むのは初めてだったので、勉強になりました。Yahrの業績は、Hoehn-Yahr scaleくらいしか知りませんでしたが、この時代にきちんとしたデザインの臨床試験を組んで薬剤の評価をしていたのは素晴らしいことだと思います。

(以下、その他に興味を持った論文)

Mortality in Parkinson’s disease: A 38-Year Follow-up Study
38年間のフォローアップで、パーキンソン病の標準化死亡比は 2.02であった。死因は肺炎、脳血管障害、心血管病が多く、SMRsはそれぞれ 3.55, 1.84, 1.58であった。

Behavioral Effects of Levodopa
近年、L-dopa誘発性行動障害が問題になっている。そのスペクトラムに含まれる、非運動症状の日内変動の神経心理学的側面、反復常同行動、ドパミン調節障害、精神症状と幻覚、軽躁/躁、衝動制御障害についての総説。

Clinical Spectrum of Levodopa-Induced Complication
L-dopaの副作用についての総説。レボドパ誘発性合併症の危険因子、臨床像 (motor fluctuations (wearing-off, sudden offs, dose failure, on-off fluctuations), Levodopa-induced dyskinesia (high-dose dyskinesia, chorea, dystonia, myoclonus, ocular dyskinesia, respiratory dyskinesia), low-dose dyskinesia (off-period dystonia, diphasic dyskinesia), non-motor fluctuations (autonomic symptoms, sensory symptoms))。

Levodopa: Effect on Cell Death and Natural History of Parkinson’s Disease
L-dopaに神経毒性があり、神経変性や臨床症状を促進するのではないかという議論が昔からなされている。確かに in vitroでは L-dopaは神経細胞の変性を引き起こすが、パーキンソン病患者の脳で同じことを起こすかどうかはわかっていない。In vivoにおいては、L-dopaがパーキンソン病動物モデルのドパミン作動性神経へ毒性を持つという結果は観察されていない。しかしながら、これらの動物モデルはパーキンソン病を忠実に再現したものではない。臨床試験では、毒性を示唆するいかなる所見も得られていないが、薬剤の効果が進行している神経変性をマスクしている可能性がある。さらに画像検査において、L-dopaではプラセボやドパミンアゴニストと比較して、ドパミン作動性の機能が大きく低下することが知られており、毒性があるという考えに合致する (ELLDOPA trial) (ただし、受容体のダウンレギュレーションを見ている可能性は否定出来ない)。病理学的には、L-dopaがドパミン作動性神経細胞の脱落を促進するという事実は知られていないが、バイアスを排除したきちんとした試験デザインにより得られた所見ではない。このように、L-dopaに毒性がないという確固たる根拠はないのが現状である。従って、臨床医は (その有用性のため) L-dopaを継続することが推奨されるものの、臨床的に満足にコントロールできる最小の量を用いられるべきである。

The medical treatment of Parkinson disease from James Parkinson to George Cotzias
Parkinson病の治療法開発の歴史。

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蘭学事始

By , 2014年12月28日 8:13 AM

蘭学事始 (杉田玄白著, 片桐一男訳, 講談社学術文庫)」を読み終えました。

杉田玄白が日本の蘭学黎明期を綴った、あまりにも有名な本です。南蛮流、西流外科、栗崎流外科、桂川流といった、日本に存在する西洋医学の流派の解説から始まります。それは日本が鎖国する前に入ってきたものであったり、あるいは鎖国後に出島から入ってきたものであったりします。しかし、多くが口伝によるもので、西洋の本を読んで学んだ者は皆無でした。一つには、日本で横文字が禁止されていたことがあります。この辺りの事情について、杉田玄白は次のように綴っています。

幕府創業の前後、西洋のことについては、いろいろなことがあって、すべて厳しい御禁制が出されていた。そのため、渡来を許されていたオランダでさえも、通用している横書きの文字を読み書きすることは禁止されていた。それで、通詞 (通訳官) たちも、ただオランダ語を片仮名で書き留めておく程度で、口で覚えて通弁の用を足すくらいで年月を経てしまった。そんなことで、誰一人として、横書きの文字を読み習いたいという人もいなかったということである。

しかるに、万事その時がくれば、おのずから開け整うものであろうか。有徳廟 (八代将軍吉宗) の御時、長崎の阿蘭陀通詞西善三郎、吉雄幸左衛門、もう一人名を忘れてしまったが、なにがしという人びとが寄り合って相談したところでは、「これまで通詞の家で、一切の御用向きを取り扱うのに、あちらの文字というものを知らないで、ただ暗記していることばだけで通弁して、入り組んだ多くの御用を、どうにかこうにか 弁じつとめてはいるものの、これではあまりにも不十分な状態である。どうかわれわれだけでも横文字を習い、あちらの国の書物を読んでもよい許可をいただいたらどうだろうか。そのようになれば、今後は万事につけ、あちらの事情も明白にわかり、御用も弁じよくなるはずである。これまでのようでは、あちらの国の人にいつわりだまされるようなことがあっても、これを問いただす手段もないことである」と、三人は相談して、このことを申し出て、「なにとぞ御許可をいただきたい」と幕府へお願いしたところ、聞きとどけられ、「至極もっともな願いの筋である」ということで、すぐに許可をいただいたということである。これこそ、オランダ人が渡来するようになってから百年あまりして、横文字を学ぶことのはじめであるということである。

これを読むと、江戸時代中期までの蘭学が、どういう状況であったかがよくわかります。杉田玄白が、ターヘル・アナトミアを手に入れた直後に骨が原で腑分けがあり、そこで見たものは、「ターヘル・アナトミア」に描かれた図と全く同じでした。その翌日から、前野良沢や中川淳庵らと、ターヘル・アナトミアを翻訳した「解体新書」の執筆に取り掛かったのは、あまりにも有名な話です。

本書には、「解体新書」執筆にあたるエピソードが多数登場します。有名な逸話が多いのですが、その中で私が知らなかったのは、前野良沢が執筆に専念するあまり、本務を怠って、主君に告げ口されていたことです。ところが主君の奥平昌鹿公は、「毎日の治療に精勤するのも勤務である。また、その医療のため役立つことにつとめ、ついには天下後世の人民のために有益となるようなことをしようとするのも、とりもなおさず、その仕事を勤めるということである。彼はなにかしたいと思うところがあるように見うけられるから、好きなようにさせておくべきである」と答えたそうです。懐の広い主君だったのですね。その他、杉田玄白が「諸君が事業の完成をみる日には、わたしは地下に眠る人になって、草葉の蔭からその成果を見ていることだろう」と語ったことをきっかけに、桂川甫周が杉田玄白に「草葉の蔭」というあだ名をつけたというエピソードには笑いました。凄いあだ名ですね。

横文字の許可、「解体新書」の出版などを経て、蘭学が日本全国に広まっていきました。本書には、こうして生まれた蘭学者たちの人物評も多数載っています。私の地元津山出身の宇田川玄真、宇田川玄随なども評されていました。

さて、最後にお願いがあります。私は、杉田玄白が書いた別の本も読みたいと思っています。解体新書は昔読みましたが、まだ読んでいないのが「形影夜話」という本です。杉田玄白が、行灯の光で出来た自分の影との対話を記しています。現在絶版であるものの、希望する方が多ければ、復刊される可能性があります。下記のリンクより、リクエストを出して頂ければ嬉しいです。

杉田玄白 形影夜話

 

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視神経炎

By , 2014年12月17日 6:07 AM

特発性視神経炎は、視神経脊髄炎の初発症状のことがあり、視神経炎脊髄炎で見られるような抗Aquaporin-4 (AQP-4) 抗体などが陽性になることがあります。特発性視神経炎で抗AQP-4抗体、抗Myelin-Oligodendrocyte Glycoprotein (MOG) 抗体、抗glycine receptor α1 subunit (GlyR) 抗体がどのくらい検出されたかを調べた論文が、JAMA neurology誌に掲載されていました (2014年12月15日 published online)。

Antibodies to Aquaporin 4, Myelin-Oligodendrocyte Glycoprotein, and the Glycine Receptor α1 Subunit in Patients With Isolated Optic Neuritis

51名の特発性視神経炎のうち自己抗体が検出されたのは 23名であり、そのうち抗 GlyR抗体が検出されたのが 7名いました。4名は他の抗体 (抗MOG抗体 3名、抗 AQP-4抗体 1名) との overlapで、抗 GlyR抗体単独は 3名でした。コントロール群として、視神経脊髄炎患者の中に抗 GlyR抗体陽性はいませんでしたが、多発性硬化症患者の 8%で抗 GlyR抗体が陽性でした。健常コントロール群でこれらの抗体が検出された人はいませんでした。

今回の研究における特発性視神経炎の抗体別臨床的特徴は table 1に纏められています。抗 GlyR抗体については、解析対象となった患者も少ないですし、その臨床的意義はまだよくわかっていないというのが結論のようです。

Table 1

Table 1

なお、抗GlyR抗体は、2013年に stiff-person症候群や筋強剛とミオクローヌスを伴う脳幹脳炎で検出された抗体です。その研究において、コントロール群の中に抗 GlyR抗体陽性かつ視神経炎を発症した患者がいたことが、今回の研究のきっかけになったそうです。

視神経炎では、今後は抗 GlyR抗体のことも考えなければいけないのですね。勉強になりました。

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ワーグナーと片頭痛

By , 2014年12月11日 7:56 AM

2013年のクリスマスBMJにワーグナーの頭痛についての論文が掲載されていると紹介しました。

クリスマスBMJ ワーグナー

2014年10月号の Cephalalgia誌に、同じ著者達がより詳細な検討を加えた論文を発表しました。

Phenotype of migraine headache and migraine aura of Richard Wagner.

著者は 3人とも名字が Göbelですが、一家で書いた論文なのでしょうか。

この論文では、ワーグナーの家族歴が示され、どうやら母、ワーグナー、その子どもと 3世代に渡って頭痛持ちだったようです。片頭痛は家族歴があることが多いので、納得ですね。ワーグナーの 2番めの妻コジマ (リストの娘) は日記をつけており、そこには家族全員の健康状態、頭痛についてが詳細に綴られていました (論文 table 1に一覧表あり)。そして、どうやらコジマ自身も片頭痛でした。

論文によると、ワーグナーの頭痛の記載は 28歳から 67歳に渡って存在し、発症時期は片頭痛として矛盾しません。また、ワーグナーには視覚前兆もあったようです。著者らは、ワーグナーの頭痛が、国際頭痛分類3β版における「前兆のない片頭痛」と「前兆のある片頭痛」の診断基準をそれぞれ満たすとしています。

ワーグナーのオペラ「ジークフリート」には片頭痛を思わせる描写が登場し、その作曲時点でワーグナーは頭痛に苛まれていたといいます。疾患が作品に影響を与えることがあるのですね。こういう知識を持ってオペラをみるのも感慨深いものです。

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The Future of Research in Parkinson Disease

By , 2014年12月5日 4:18 PM

JAMA neurologyにパーキンソン病の最先端の研究について簡単に纏められていました。いくつか知らない研究があったので参考になりました (iPS細胞を用いた治療には触れられていませんでした)。

The Future of Research in Parkinson Disease

☆パーキンソン病の原因、いつどこで変性が始まるのか

黒質の細胞体ではなく軸索の末梢から変性が始まり逆行するという “dying back” 仮説

αシヌクレインがプリオン音蛋白のように振る舞うというシード仮説

 

☆どうやってパーキンソン病の予防、進行抑制、改善させるか?

下記のような研究が行なわれている

<神経保護作用、疾患修飾作用>

  • Isradipine:L型カルシウムチャネル拮抗作用薬。動物モデルでのドパミン産生神経細胞の保護作用。
  • Inosine:抗酸化作用
  • AZD-3241:Myeloperoxidase阻害薬。ミクログリアの活性化を制御するかもしれない。
  • RP103:抗酸化薬として作用する脳由来の神経成長因子などが増加する。
  • Pioglitazone, exenatide:サイトカイン誘導性アポトーシスから保護するかもしれないglucagon-like peptide 1 receptor agonistである。
  • グリア細胞由来神経保護因子とneurturin: 臨床試験での有効性証明できず

<遺伝子治療>

ProSavin:ドパミン合成に必要な 3つの酵素 (tyrosine hydroxylase, dopa-decarboxylase, GTP cyclohydrolase-1) を、レンチベクターを用いて導入する遺伝子治療。運動スコアが軽度改善したが、実験的治療である。

<抗シヌクレイン>

PT200-11, quinpramine, PBT434, rifampicinなど:・αシヌクレインの凝集抑制

PD01など:αシヌクレインに対する抗体を誘導するワクチン

PRX002など:αシヌクレインに対する抗体を用いた免疫治療

 

☆新しい治療

・L-Dopaの新しい投与経路:貼り薬、ポンプ、吸入薬、腸管内持続投与

・pimavanserin tartrate: serotonin 2A inverse agonistで、FDAが最近承認した。第3相試験では、安全で認容性が良く、運動症状を悪化させることなく levodopa誘発性精神病に効果があった。

・深部脳刺激 (DBS)

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脳卒中の降圧

By , 2014年11月30日 10:25 AM

Neurology Clinical Practice誌の 2014年10月号に、脳卒中における血圧管理についての総説が掲載されていました 。急性期と亜急性期や、血栓溶解療法の有無などに分けて、わかりやすくまとまっています。良い総説だと思いました。なお、無料で公開されています。

Blood pressure management in stroke

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第11回神経難病における音楽療法を考える会

By , 2014年11月29日 7:19 PM

2014年11月21日、第11回神経難病における音楽療法を考える会に参加してきました。

第11回神経難病における音楽療法を考える会

今回の講演で一番楽しみにしていたのは、古屋晋一先生による「Musician’s dystoniaとその治療」でした。経頭蓋電気刺激法と鏡像運動を用いて、健側に保たれた運動イメージを患側に移すという治療についてです。この治療法は、論文が Annals of Neurologyに掲載されNature Japanで特集されるなど注目を集めています。素晴らしい講演を聴いた後、古屋晋一先生の研究室に、見学させて頂けるように御願いをしました。

古屋晋一先生については、素晴らしい本を書かれています。興味のある方は是非読んでみてください。

ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム

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Painful and painless channelopathies

By , 2014年11月20日 8:05 AM

Lancet Neurologyに掲載されていた、疼痛に関する遺伝子異常についての論文 (2014年5月7日 published online) を読みました。

Painful and painless channelopathies.

感覚神経に発現しているリガンド結合型及び電位依存性イオンチャネルの異常により、痛覚を感じなくなったり、痛覚過敏や自発痛を起こすことが近年わかってきて、その原因遺伝子がいくつか同定されています。この論文には、現在わかっている遺伝子と表現型をまとめた表が掲載されていて、わかりやすいです。

Table1

Table. 1

こうした  channelopathyの中で、神経内科医が一番見かけることが多いのは、small-fiber neuropathyだと思います。原因不明の small-fiber neuropathyにおいて、Na(v) 1.7 channelのミスセンス変異 (チャネルの開閉が障害されて gain-of-functionとなる) が 30%にも上るということがこの総説に書いてあってびっくりしました (引用論文はこちら)。その他、Na(v)1.8 channelの異常でも small fiber  neuropathyを発症することがあるようです。治療には、ガバペンチンやカルバマゼピンといった抗てんかん薬やメキシチレンを用いることが多いですが、それぞれの原因と考えられるチャネルへの antagonistの開発も進んでいるようでした。

もう一点興味深かったのは、こうした遺伝子の多型が、疼痛の感受性の個人差に影響しているかもしれないというものです。慢性疼痛を引き起こす様々な疾患で、痛みの感じ方と遺伝子多型の関係が調べられています。関連がありそうだとする多くの報告があるものの、その効果はあまり大きくなさそうだということです。

この分野は、最近 10年くらいで研究がめざましく進歩しており、勉強になる総説でした。

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Alemtuzumab

By , 2014年11月19日 6:24 AM

何度かブログで紹介した多発性硬化症治療薬 Alemtuzumabがついに FDAに承認されたようです。

Genzyme’s Lemtrada Approved by the FDA

この薬剤は、種々の副作用のため承認延長されていた過去があるだけに、もし将来日本で使えるようになったとしてもかなり躊躇します。難治症例向けですね。

アメリカでも、色々な条件付きでの使用となるようです。

(参考) 過去のブログ記事

① Alemtuzumab (2013.2.10)

② Alemtuzumab (2013.11.11)

③ Alemtuzumab (2013.12.30)

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