Category: 医学と医療

診察のとき子供を泣かせない技

By , 2011年8月25日 7:47 AM

小児科の先生のブログで読んだ、診察のとき子供を泣かせない技。色々と奥が深いですね。

まちの小児科うら話-診察のとき子供を泣かせない技-

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長崎大学病院第一内科抄読会

By , 2011年8月22日 7:17 AM

長崎大学病院病院第一内科の抄読会、ネットで見ることができるのですが、面白いです。コンパクトにまとまっているし、タイトルの付け方が秀逸すぎます。過去に遡って楽しみました。

長崎大学病院第一内科 今週の抄読会

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豊倉康夫

By , 2011年7月21日 11:02 PM

Brain Medical 2011年 3月号の連載「日本の脳研究者たち」に、豊倉康夫先生のことが書かれていました。非常に面白い論文だったので一部紹介しますが、是非原著を読んで頂きたいです。

「豊倉康夫 1923-2003 (岩田誠著, Brain Medical Vol. 23 No.1 2011)」

豊倉先生は親の反対を押し切って東京帝國大學医学部に進んだのですが、九州から上京するとき、1000語ほどのドイツ語単語カードを用意し、覚える毎に汽車の窓から捨てていったといいます。「関門トンネルの中にも、須磨の海岸にも、大阪の街の雑踏の中にも、水車小屋の上にも、白い紙片は少しづつ散って行った。最後のカードは大井川の鉄橋を渡る頃、投げた。それは河の流れに消え、汽車は轟々と音を立てて東京へ急いだ。その先は覚えていない。私は深い眠りに落ちた」

卒業後、豊倉先生は沖中重雄第三内科教授に弟子入りし、沖中内科の第一期生の一人となりました。そして、1964年東京大学神経内科の初代教授に選ばれました。豊倉先生は 41歳で引き受けることに悩み、同級生の萬年甫先生に相談した逸話が残っています。

ちなみに、東京大学神経内科は 1894年に衆議院議員長谷川泰氏による趣意書が出され、かの Charcotの弟子である三浦謹之助を教授として設立する動きがあったものの、その時は実現しなかったのです。

豊倉先生の功績は筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の陰性徴候を見出したとか、「神経内科」誌を創刊したとか、SMONを命名し原因を解明したとか、Babinski徴候についての研究成果纏めてを歴史的に残る講演として発表したとか、Parkinsonが Parkinson病を報告した原著を翻訳して出版したとか、枚挙に暇はありません。また、古典的な原典論文を収集し、論文にリストに載せた話はこのブログでも以前触れました。教育者としても優れ、豊倉先生の元からは、30名以上の内科教授、他科を含めると 40名以上の教授が誕生したといいます。

こうした優れた医師の功績を後進の医師達は忘れる訳にはいきませんね。そういった意味でも、この論文は優れた価値があると思います。

最後に、自分の備忘録として、気に入ったいくつかの箇所を引用しておきます。

・豊倉は臨床の場における観察の重要性について「臨床の場では、同じ性質の現象が繰り返し現れてくるが、それを見逃さないように」と教え、さらに次のように付け加えた。「一度見たことにあまり意味をつけるな。ただ良く覚えておけ。二度見たら何かあると思え。それは残念ながら、大体 99.9%は本に書いてあることが多いが、稀には誰も気付いていないこともある!三度見たら只事ではない。それは、常に何物かである!」

・豊倉はラテン語を能くし、しばしばラテン語の成句を引いて、弟子たちを導いたが、臨床観察の重要性についてよく引用したのは、veritas nunquam latet (真理は決して隠れはしない) という言葉であった。豊倉は、恩師沖中重雄が書いた、「書かれた医学は過去のものである。目前に悩む患者の中に明日の医学の教科書の中身がある」をしばしば引用して臨床の大切さは繰り返し説き、沖中が「教科書がある」ではなく、「中身がある」と述べたことの重要性を指摘した。

・1956年の夏、急性扁桃炎で熱を出した豊倉は、ペニシリンの注射を受けた直後、ペニシリンショックのため人事不省に陥ったが、東京大学病院内の出来事であったため、迅速な処置と人工呼吸によって一命を取り留めた。この時の、ショックに陥ってから意識を失うまでの状況と、蘇生が成功して意識が戻り始めた時の状況を、豊倉は詳細に記載、分析し、意識回復期には、しばしば周囲の人からまだ意識が無いと思われていたのに、自らの意識が戻っていて言葉も理解できていることを伝えようにも全くそれができなかったことなど、実際の体験者でなければ解らないことを、明白に示したのである。この体験から、豊倉は、医師や看護師は、「昏睡状態で意識が無いと思われる患者に対しても、大きな声で励ましの声をかけ、手を握り締め、安心感を与えることがいかに大切か」ということを、覚えておかねばならないと繰り返し教えた。

・筆者に教室の主宰者としての心構えを示した。「教室員になにか優れたところ、いいところがあったら、直ちにそれをプラス評価しなさい。しかし、教室に何か欠けるところ、悪いところがあっても、直ぐにあれは駄目な人間だと思ってはいけない。マイナス評価するには 10年待ってからにしなさい」

・豊倉の人柄をよく示すものは、彼が教室員に対して好んで語ったいくつかの言葉である。中でも豊倉が最も好んだ言葉、「百年後のために あせらず 背伸びせず」を自らの手で大書し、東京大学神経内科の医局に掲げた。彼の好んだもうひとつの言葉は、ラテン語の成句「non sibi sed omnibus (自らのためにではなく、すべての人々のために)」であったが、これこそは、豊倉の人生全体を貫いた大きな思想である。

・彼は、自らの死期の近いことを悟った 2003年の初め、自らの手で色紙に、「飲みたまえ 飲みたまえ、 われも飲みたし語りたし」と書き、自分亡き後にはこの色紙を掲げて皆で飲んでほしいと、妻に告げた。その言葉どおり、豊倉を偲んでその葬儀に集まった親族、友人、そして弟子たちは、その色紙の前で、在りし日の豊倉の思い出話に、時間の経つのも忘れるほど語りあった。

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SWEDDs

By , 2011年7月19日 8:09 AM

Parkinson病は、中脳黒質のドパミン神経細胞を主体とした変性を生じ、典型的には筋強剛 (rigidity) や静止時振戦 (resting tremor)、運動緩慢 (bradykinesia)、姿勢保持障害 (postural instability) といった Parkinson症状を呈する疾患です。ドパミン神経細胞の脱落が症状の原因となっていますので、ドパミンを内服で補充する治療などが行われ、それなりの治療効果を得ることが出来ます。

Parkinson病の鑑別診断としては、Parkinson症状を来す多岐に渡る疾患、すなわち各種変性疾患、薬剤性 Parkinsonism, 脳血管性 Parkinsonism・・・などが挙げられます。神経内科医は、頭部 MRIや脳血流 SPECT, 心筋 MIBGシンチといった検査を使い、診断を勧めていきます。海外では、放射性物質を使って脳内のドパミン・トランスポーターを調べる “DaT SPECT (dopamine transporter single photon emission computed tomography)” という検査を保険適応で行う国もあるそうですが、残念ながら日本では保険適応ではなく、自費診療であってもごく一部の病院でしか検査できません。この DaT SPECTでParkinson病の患者さんを調べると、ドパミン神経細胞の脱落を反映した所見が得られます。

近年、こうした診断技術の進歩と共に新しい概念が話題になってきています。それは “Scans without evidence of dopaminergic deficit (SWEDDs)” という概念です。わかりやすく言うと、どうみても Parkinsonなのだけど、”DaT SPECT” の正常だという症例が報告されるようになったのです。これらの患者さん達は、これまで全て Parkinson病と診断されてきましたが、DaT SPECTの結果から想像されるとおり、治療としてドパミンを投与しても効かず、Parkinson病とは別の病気ではないかといわれています。当然「SWEDDsとは何なのだろうか?」という疑問が出てきますが、Parkinson病ではない幾つかの疾患 (本態性振戦、鬱病、脳血管性 Parkinsonism、心因性 Parkinsonism, ドパミン反応性ジストニア、supranigral parkinsonism) の寄せ集めだろうという意見があります。

最近 SWEDDsに関する興味深い論文を読みましたので、紹介します。

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Oral Case Presentation

By , 2011年7月7日 7:24 AM

英語での症例発表について、医学書院で勉強になる連載があったので紹介しておきます。

英語で発信!臨床症例提示 -今こそ世界の潮流に乗ろう-
Oral Case Presentation

齋藤中哉(ハワイ大学医学部医学教育部客員教諭)

[第1回]Aim high! You can do it.
[第2回]There’s a first time for everything.
[第3回]Keep up the good work!
[第4回]Practice Makes Perfect!
[第5回]Put first things first!
[第6回] Be proactive, not reactive
[第7回] Take a deep breath and relax.
[第8回] Realize thousands and millions of details.
[第9回] Never give up!
[第10回] Mutual teaching and learning is fun!

この講座は英語でのプレゼンテーションですが、日本語でのプレゼンテーションに置き換えても役立ちそうです。

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12病院

By , 2011年7月2日 10:19 AM

久々の受け入れ不能症例の報道。骨盤骨折からの出血が死因となったようで、早く適切な処置できていれば・・・と悲しい気持ちになります。

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アスピリン

By , 2011年6月25日 9:47 AM

アスピリンは父親のリウマチの痛みを軽減させるために、Felix Hoffmannが見つけたそうです。父親のために開発したというのは初めて知りました。

 How Was Aspirin Invented?

In 1894,a German chemist named Felix Hoffman was looking for a way to treat his father’s arthritis pain. Along with a researcher named Arthur Eichengrün, he came across Gerhardt’s experiments, and replicated them, creating acetylsalicylic acid, or aspirin. This was the first drug that was not an exact copy of something found in nature, but synthesized in a laboratory. This synthetic drug was the start of the pharmaceutical industry.

Hoffman gave some of the as-yet unnamed aspirin to his arthritic father, who experienced a reduction in pain. Bayer decided to patent and market aspirin, along with another drug that Hoffman had synthesized, heroin.

一方で、彼がヘロインも合成していたことにびっくり。まぁ、コカ・コーラの起源もコカイン入りの薬用酒だったみたいようですし、麻薬の害が知られるまでは、色々試行錯誤の歴史があったんですね。

 ザ コカ・コーラ カンパニー

19世紀末期のアメリカでは、医者不足から代替医療・殊に自然療法や万能薬が広く庶民に多く受け入れられ、自然療法医や薬剤師は自らの治療法や薬剤の売り込みに躍起になっていた。

その一方で、1867年に人工的な炭酸水の製造法が発明されると、当時は何らかの効能があると思われていた炭酸水を客の注文に応じて調合して飲ませるソーダ・ファウンテンが薬局に併設されるようになった。こうして売り出された炭酸水には、当然薬効を謳うものも多く万能薬同様に売り込み競争が激しかった。

そんな自然療法家の一人に、ジョージア州アトランタを拠点に活動するジョン・S・ペンバートン (John S. Pemberton) がいた。南北戦争で負傷したペンバートンはモルヒネ中毒になっており、中毒を治すものとして当初注目され始めたコカインを使った薬用酒の開発を思いついた。この種の薬用酒には既に類似品が多く出回っていたので、ペンバートンは、ワインにコカインとコーラのエキスを調合したフレンチ・ワイン・コカを精力増強や頭痛の緩和に効果のある薬用酒として1885年から売り出した[1]。

フレンチ・ワイン・コカは「ドープ(dope=麻薬)」と言う渾名で人気を博したが、やがてコカインの中毒が問題となるとともに、禁酒運動の席巻によりフレンチ・ワイン・コカが売れなくなる恐れが出てきた。そこでワインに代えて炭酸水の風味付けのシロップとして売り出すことにして、ペンバートンのビジネスに参加した印刷業者のフランク・M・ロビンソンによってコカ・コーラと名づけられた。このコーラは1886年5月8日に発売されている[2]。


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理化学研究所

By , 2011年6月19日 11:11 PM

6月19日は理化学研究所の誕生日。1917年6月19日に理化学研究所は誕生しました。

先日、理研の研究者から面白い話を聞きました。利根川進センター長が、「日本人は折角良い研究をしているのに情報発信が足りない」と苦言を呈していたというのです。確かに、税金を使って研究する以上、社会にその成果を知らしめるのは当然のことですし、マニアックな領域の研究でも正当に社会から評価されるためには広報に力を入れなければなりません。

そうした流れからか、Youtubeでの「RIKENチャンネル」が非常に充実しているのに最近気付きました。面白かったものを 2つ紹介しておきます。

・放射線の基礎
http://youtu.be/LKP9-AIb4Cw

・脳の中の「点と線」~神経回路とシナプスの謎に迫る研究最前線~
http://youtu.be/oodw5Dok1JA

興味のある方は、Youtubeの画面右側の関連動画で色々見られるので、そちらもどうぞ。

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第4回上肢の機能回復セミナー

By , 2011年5月24日 7:23 AM

5月20~22日、秋田県角館市で行われた第4回上肢の機能回復セミナーに行ってきました。参加者は見た感じ 30人くらいでしたが、Duke大学 Goldstein教授や、岡山大学神経内科阿部康二教授、鹿児島大学リハビリ科川平和美教授、東海大学篠原幸人名誉教授、和歌山県立医科大学板倉徹学長など錚々たるメンバーの講演を聴くことができました。特に Goldseinは日本の学会では呼べないくらいの人物で、彼が角館まで来るということは、主催者の人脈はもの凄いですね。

個人的には、国立精神神経センターの坂本崇先生のボツリヌスの話 (①音楽家を含めたジストニアに対するジストニアの有効性、②Botoxは拡散しやすく対側まで広がることがあるので、拡散しにくいボツリヌス製剤を開発中である。基礎実験データも含めて説明、③高価な薬なので世界中で類似品が販売されているが、中にはいかがわしい商品も多い、④2010年12月、四肢に対する Botoxが保険適応となったが、下肢は認可された量では効果が十分に得られないことがある)、篠原幸人名誉教授の CSPS2の話 (男性ではシロスタゾールの脳卒中予防効果が高い上に出血性イベントも少ないが、女性ではアスピリンの脳卒中予防効果が優れるかもしれない)、板倉徹学長の定位脳手術の話 (Stereotactic thalamotomy=振戦、GPiDBS= tremor, rigidity, akinesia, dyskinesia, Cell transport=akinesiaに対する効果) が面白かったです。

5月21日は足を伸ばして当直に出掛け、22日の昼頃帰宅しました。帰り道、はりやこいしかわ先生と盛岡のぴょんぴょん舎で焼肉とビール、まっこりを満喫し、盛岡からは話題の新幹線「はやぶさ」に乗ってワインを満喫しました (金銭的事情によりグランシートは回避)。家に帰る頃にはベロベロでした (^^;

非常に楽しい会でしたので、来年も楽しみにしています。関係者の方、お疲れ様でした。

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第52回神経学会総会

By , 2011年5月20日 9:58 AM

第52回神経学会総会で、名古屋に行ってきました。色々面白そうな講演があって迷ったのですが、結局下記の演題を聴いてきました。

 第 52回神経学会総会

5月17日
10:00~脳波ハンズオン
12:55~卒後教育セミナー (高次脳機能の診察・遺伝子研究の基礎・中枢神経感染症・末梢神経の病理)

5月18日
7:45~ 多系統萎縮症のはじまりは神経細胞からかグリア細胞からか
8:30~ Parkinson病基礎医学
10:20~ MND基礎医学
12:00~ ランチョンセミナー Parkinson病
15:00~ MNDシンポジウム
17:15~ポスター

5月19日
7:30~ 免疫抑制患者における神経疾患
8:30~ MND基礎医学
10:45~ Parkinson病基礎医学
12:00~ ランチョンセミナー Parkinson病
13:15~ 朝から晩まで神経内科 不随意運動・パーキンソニズム
14:45~ 神経変性をどう考えるか?
17:15~ ポスター

みっちり聴いて勉強になりました。でも早朝から夜まで座り続けていたので、腰が痛くなってしまいました (^^;

17, 18日は福島県立医大の先生を錦三丁目に連れて行って飲みました。繁華街で神経学会のネームプレートをつけたまま彷徨うオヤジ達を発見して、笑ってしまいました。外し忘れていたんでしょうね。

そういえば、街角で「婚活Bar」ってのを見つけました。店には入りませんでしたが、こんな Barがあるんですね。坊主 Barは知っていましたが、ビックリしました。

20日~22日は秋田県角館で「上肢の機能回復セミナー」があるので、そちらに参加してきます。

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