最終章である第8章は神経症候学的序論です。「故意におこしえない客観的症状について、その法医学における重要性について (1904年)」、「臨床における問診および主観的症状に関する 2, 3 の考察 (1925年)」が収載されています。かの Charcot がヒステリーと器質的疾患の鑑別に四苦八苦していたように、神経学に関わる臨床家達にとって、ヒステリーと器質的疾患の鑑別は悩ましい問題でした。Babinski は過去の知見をまとめ、自分で考え出した診察法と合わせて一つの体系を作りました。今日でもヒステリーと器質的疾患の鑑別は甚だ困難なことがあり、ヒステリーと間違えて器質的疾患を見逃したり、ヒステリーの患者を器質的疾患と誤診して過剰な治療を施してしまったりすることも稀に見かけます。自戒を込めて、Babinski が述べた一つの体系を紹介しておくのは、大切なことなのかもしれません。
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英文校正サービスのEditage社のブログで面白い記事がありました。
論文を書くときなど、パソコンでは綺麗に見える画像をプリントしてみると、それほど綺麗ではないことがたまにあります。オンライン投稿でなければ、論文を投稿するときには、プリントアウトした画像添付するのが一般的です。その画像がそのまま論文に載るとすれば、綺麗に印刷した画像を添付して投稿したいものです。そのやり方がEditage社のブログに書いてありました。
What is the way out, then? Assuming that you have obtained proper permission, you may just be able to get away if you reduce the size of the image at least by half. However, it is best to re-draw an illustration or to have it professionally edited in an image-editing software package such as Photoshop. And save the photographs that you intend to use in your paper as tiff files at higher resolution. The manual that comes with the camera will tell you how to do that. Many websites will also guide you—all I want to do in this blog is to alert you.
どうやらファイル形式を高解像度の tiff にすると印刷したときに綺麗なのだそうです。ちょっとした豆知識ですね。
さて、Babinskiの小脳に関する研究は、1899年に「最初の観察例」「小脳性アジネルジー」、1902年に「静止時における意志的平衡と運動時における意志的平衡。これら両者の分類。アジネルジーとカタレプシー」、「アディアコキネジー」と題された一連の論文から始まります。これは Mouninou という名の患者が契機となっており、H.M. というイニシャルで論文に登場します。これらの集大成として、Babinski は 1913年にトゥルネーとともに「小脳疾患の症状とその意義」という論文を著しています。
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第6章は小脳症状についてです。特にオリーブ橋小脳萎縮症 (OPCA) について扱われます。OPCA という疾患概念を提唱したのは、デジェリーヌとその弟子のアンドレ・トーマです。デジェリーヌは Babinski の8歳年上で、シャルコーの僚友 Vulpian の弟子です。デジェリーヌは脳梗塞に伴う舌下神経麻痺で「デジェリーヌ症候群」として、またDejerine-Sottas 症候群に名前を残しています。有名なのは彼の妻 Augusta Klumpke (1859-1927) が女医では初めてのアンテルヌとなり、女性の医学分野への進出を象徴する人物であったことです。
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第 5章は「腱および骨反射」です。著者(萬年先生)がパリに滞在中の思い出が書かれています。
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Babinskiは、Charcotが課題として残した、器質的疾患とヒステリーの鑑別についても精力的に取り組みます。元々、神経内科の発展の歴史はヒステリーと密接に関連しています。梅毒患者が大きな社会問題となっていた時代、男性患者を収容するためにビセートル病院、女性患者を収容するためにサルペトリエール病院がパリに作られました。これらの病院には精神病患者も多数収容されました。Charcotがサルペトリエール病院に赴任したとき、ヒステリー患者なのか器質的疾患があるか鑑別するのは大きな問題でした。Charcotは多発性硬化症や筋萎縮性側索硬化症を記載したり、Parkinsonが報告した Parkinson病を再評価し、再び光を当てたり、偉大な業績を残しましたが、ヒステリーの診断においては汚点を残しました。Charcotは催眠術により鑑別を試みたのですが、自分では催眠術を行わず、弟子に行わせ、弟子達は師匠の意向に添うように患者を訓練しました。公開講義などでは、患者は金を受け取って、催眠術にかかったふりを演技したと言います。しかし、精神医学の分野で、Charcotの弟子であったフロイトがヒステリーをテーマに業績を残します。Babinskiも負けてはおらず、1900年に「器質性片麻痺とヒステリー性片麻痺の鑑別診断」という論文を発表し、本書の第 4章で取り上げています。そこに掲載されている鑑別表が、現在でも通用する程素晴らしいので紹介します。
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さて、第3章が、彼を彼たらしめた、かの有名な足指現象で所謂「Babinski徴候」です。Babinski徴候に似た診察法として Chaddock反射などが知られていますが、Babinski徴候ほど有名なものはありません。著者のガルサン教授にまつわる逸話を紹介します。
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「神経学の源流1 ババンスキーとともに-(萬年甫訳編、東京大学出版会)」を読み終えました。
本書の第一章は「ババンスキーとシャルコー」と題されています。冒頭部分を紹介します。
第1章 ババンスキーとシャルコー
「ババンスキーの研究がなかっったなら今日の神経症候学はどうなっているだろう。」ギラン・バレ・ストロール症候群で知られるジョルジュ・ギラン G. Guillainはババンスキーに対する追悼の辞の中でふかい感慨をこめてこう語っている。神経学史上それほど大きな存在であったその人がどのような生涯を過ごしたかをまずふりかえって見よう。
ジョゼフ・フランソワ・フェリックス・ババンスキー Joseph Francois Felix Babinskiは、1857年 11月 2日パリに生まれた。そこに生まれ、そこで死んだので生粋のフランス人と思う人もあるかもしれないが、実はポーランド系である。ポーランド系で、フランスで不滅の業績をあげたものに、音楽家のショパン F. Chopin、物理学者のマリー・キュリー Marie Curie、哲学者のベルグソン H. Bergson等があるが、このババンスキーも当然これらの人々と同列に加えられるべき巨匠である。
彼の父アレクサンダー Aleksanderは科学的素養をゆたかに積んだ技師であったが、1848年ロシアの圧政に対するポーランド人の反乱の際にこれに加わった。利あらずして戦に敗れ、シベリアに流されるのを避けてパリに亡命した。1855年にはアンリ Henriが、2年後の 1857年には弟のジョゼフ Josephが生まれた。しかし、ポーランドで新たな反乱がおこったときくや、愛国者アレクサンダーは家族を残してポーランドに向かった。1864年決定的に敗北し、ほうほうの態で家族のもとに戻ったが、落ち着く間もなく翌年彼はペルーに職を求めて海を渡っている。そこでも運悪く内乱が渦をまいていた。任務を終えてパリに帰ると、またもや戦乱が彼をまっていた。その後彼は鉱山学校の図書司の地位を得たが、後年パルキンソン病にかかり、1899年に世を去っている。
Babinskiの父が Parkinson病だったというのは、何か奇遇な気がします。Babinskiが神経学を志すのに、何か影響はあったのでしょうか?
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「脳と音楽(岩田誠著、メディカルレビュー社)」という本に、ウィルヘルム・ヒスが書いた「バッハの墓所の発掘調査」という報告書の日本語訳が収載されています。その報告書には、バッハの頭蓋骨の詳細などが書かれています。著者のウィルヘルム・ヒスは、心臓のヒス束を見つけた医師の父親で、親子で同じ名前なので、ウィルヘルム・ヒス(父)と記載されることが多いようです。
さて、少し古い記事なのですが、産経新聞にバッハの顔復元との記事がありました。最近復元されたバッハの顔は・・・。
2008.2.29 09:19
ドイツの音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)の「本当の顔」を最新の法医学技術を利用して再現する作業が終了し、3月21日からドイツ・アイゼナハの博物館「バッハの家」で樹脂像が公開されることになった。博物館関係者が28日までに明らかにした。
遺骨をもとにした初の胸像が1894年に作られた後、この胸像をもとに1908年にライプチヒのトーマス教会前に全身像が完成、これがバッハの姿だと思われてきた。しかし、同博物館はこれらの像の顔が以前からあった肖像画に大きく影響されたとみて、所蔵するバッハの頭蓋(ずがい)骨の複製から科学的に頭部を再現することにした。
エジプトのラムセス2世の顔を復元したことで知られる英ダンディー大学の学者らが犯罪捜査に使われる法医学の手法を駆使して完成させた。だが、「本物」の顔も肖像画や像と似ているようにも見える。
3月21日はバッハの誕生日で、今年は全身像完成から100年となる。(共同)
元記事に当たって頂ければ、写真が見られますが、お世辞にもイケメンとは・・・。
医学論文を読み書きするとき、パソコンにインストールした辞書 (Atlas翻訳パーソナル 医学辞書) を使用していたのですが、ネットで簡単に使えるサイトがあります。翻訳ソフトより使い勝手が良いかも・・・ (^^)
SPACE ALC
例文が豊富で、医学英語もかなり載っているので重宝しています。
このサイト、下記のニュースで有名になりましたね。例文は多い分、ユニークなものもたくさんあるみたいです。
2008/11/18 18:00
学習情報サイト「スペースアルク」のオンライン英和・和英辞書「英辞郎」で、「お父さん」と検索すると、すごい例文が出てくるとネットで話題となっている。
英辞郎の特徴として、かなり多くの例文が表示されることが挙げられる。例文が多ければ、その言葉の用法を沢山知ることができて、実に便利なのだが、「お父さん」と検索して出てきた例文の中に以下のようなヘンテコものが含まれているのだ。
・お父さん! 気でも狂ったのかよ? そんなことしたら、おれは彼に殺される!
・お父さん、二束三文だったんだから、あのとき浦安の土地買っときゃよかったのに。
・「お父さん、下着姿でうろつくのはやめて」「あ、ごめん」
辞書の例文として変な内容の例文にネットでは「お父さん、災難ばかりw」「これはひどいwwww」などのコメントが寄せられている。ちなみに、「お母さん」と検索してみても以下のような例文が表示された。
・分かった! それならお母さんに電話したくない!
・分からないよ。いまだになぜお母さんが出て行ったのか分からないんだ。どこにいるかも分からないんだよ。
・君のお母さんに良識がわずかでもあれば僕と結婚させたいと思うはずだ。
ヘンテコな例文は、どうやら「お父さん」に限ったことではなさそうだ。気になった言葉で検索してみれば、おもしろい例文を見られるかもしれない。