Category: 医学と医療

どこまでやるか

By , 2007年11月2日 9:05 PM

ある主訴を抱えた患者が来院したとき・・・。

外来でどこまでの検査をするか、ひとまず悩みます。学会報告レベルの稀な病気まで見逃さないように?そんなことは多分出来ません。でも、万に一つの病気を見抜けなかったことが訴訟になったりします。

そこは、患者と相談して「こういう可能性を考えていて、今日の時点で出来ることはここまで。」と丁寧に話をします。昨日の外来では、看護師に「先生A型でしょ?」と聞かれました。O型ですし、非常にずさんな生活を送っています。部屋なんて廃墟と化していて、他人に見せられないくらい。

でも、丁寧に説明しても、みんながみんな理解出来るとは限りません。

そんな悩みは私だけかと思っていたら、いつもお世話になっているブログで、その問題が議論されていました。

日々是よろずER診療-ただの腸炎のはずが?(2)-
患者が、腹痛を訴えて、時間外診療を受診します。 時間外診療の日常のありふれた光景です。 私たち医療者は、そのありふれた症状の中から、重篤な経過をとりそうな患者かそうでない患者を的確に選別することが期待されています。それがいかに難しいことか! この難しさを、私たち医療者は、もっと社会に伝える必要があると私は常々思っています。 そこで今回のエントリーは、そのことを主テーマに症例を提示します。

この難しさを、理解していない人たちは、 人間がもともと認知の歪として持ち合わせている「後知恵バイアス」という歪に基づいて、ある医療の結果が出たことから、時間を遡って、

「あのとき、前医が

○○○を疑い、△△△をしていれば、 ・・・・・・予見可能性

×××という悪しき結果は、回避できたはずだ。 ・・・・・・・結果回避義務

ところが、前医はそれを行わなかった。

だから、前医には過失がある。」

という批判を、無神経に行ってしまいます。

この言い分は、法律上の過失認定で使われてるロジックで、医療過誤も法律に基づいて行われる以上、裁判官は、たとえ無理やりにでも、この型に、我々の診療を当てはめて、賠償を命じます。異論もあるでしょうが、「前医」の立場に立つことが多い現場の人間の一人として、私は少なくともそう感じています。

一般に、私たち医療者が真摯に考えれば考えるほど、とほうもない数の予見可能性が生じしてしまいます。

例えば、腹痛の女性を、アトランダムに予見可能性を考えてみると・・・・・
ウイルス性腸炎、回腸末端炎、急性虫垂炎、虫垂癌、腸結核、帯状疱疹、大腿ヘルニア、消化管穿孔、悪性リンパ腫、大腸癌、小腸潰瘍、クローン病、O-157による細菌性腸炎、カンピロバクター腸炎、エルシニア腸炎、膀胱炎、腎盂腎炎、アレルギー性腸炎、卵巣出血、月経痛、子宮外妊娠、正常妊娠、卵巣頚捻転、OHSS、腎動脈瘤、腸骨動脈瘤、大動脈解離、腹部大動脈瘤、腹部アンギーナ、上腸間膜動脈閉塞、上腸間膜動脈症候群、スキルス胃がん、膵炎、脾動脈瘤、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、大腸癌、過敏性腸症候群、便秘、尿管結石、急性冠症候群、うつ病、一過性直腸痛、糖尿病性ケトアシドーシス、転換性障害、鉛中毒、砒素中毒、家族性地中海熱、ポルフィリア、サラセミア、FHCS、PID、胆石発作、胆のう炎、肝癌破裂、腹部外傷(DV)、遊離胆嚢の捻転、総胆管結石、尿膜管遺残、大網捻転、腹直筋血腫、内ヘルニアの絞扼性イレウス、腸管異物、膣異物、痔核、胃アニサキス・・・・・・

いかがでしょうか? 事前確率を考慮せずにランダム挙げるとこんな感じです。きりがありません。
はたして、そのすべての予見可能性に、対応することが可能でしょうか?

まったくその通りだと思います。いつも悩んでいる問題です。結局のところ、どうやったってリスクを回避出来ないのだから、臨床をすることは、リスクを背負うことなのだと思います。

このブログの面白い記事に下記のものもあるので、読んでみてください。

日々是よろずER診療-合併症を算数する(続編)-
合併症を発症する確率がpである検査を、1/p回行った場合、

63%の確率で、少なくとも一回は合併症に遭遇する。

(中略)

合併症を発症する確率がpである検査を、5/p回行った場合、

99%の確率で、少なくとも一回は合併症に遭遇する。

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アルツハイマー病の分子病態

By , 2007年10月27日 8:21 AM

10月 23日、Metroporitan Neurology Conferenceに参加し、「アルツハイマー病の分子病態-根本療法を求めて-」を聞いて来ました。演者は岩坪威教授でした。非常に勉強になる話で、私が理解した範囲でここに記します。

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医学の古典を読む

By , 2007年10月20日 9:38 AM

「医学の古典を読む(諏訪邦夫著、中外医学社)」を読み終えました。

麻酔科の教授が、関連分野の古典的論文を紹介した本です。「肺と血液ガス」「循環」「脳・神経・筋肉」「薬物と薬理学」「統計学」といった内容が扱われています。

第 1部「肺と血液ガス」の第2話は「血液酸素解離曲線とボーア効果」です。血液酸素解離曲線の右方移動、左方移動を見つけたのがクリスチャン・ボーアですが、原子模型を 26歳で作り上げたニールス・ボーアの父であることを初めて知りました。それを報告した論文の共著者は他に 2名おり、一人は「Henderson-Hasselbalchの式」で有名なハッセルバルフ、もう一人は「クローの円柱モデル」や COを用いる肺拡散法を考案したクローだということです。

第 1部第 7話は「PCO2電極なしに PCO2を決める」ですが、ここでアストラップの論文を紹介しています。時々病院で先輩医師に「先生アストラップは?」と言われることがあります。意味不明で問い返すと、血液ガス分析のことなのだとか。何故そういう表現をするかがこれを読んでわかりました。アストラップ法の原理は、採取した血液を 3つに分け、そのうち 2つを既存の濃度の CO2ガスで平衡させ、pH-CO2直線を書きます。残ったサンプルの pHを測定すると、CO2濃度が計算出来るのだとか。アストラップが 1960年に開発し、10年くらい使われたそうですが、現在では CO2を直接測定出来る電極が開発され、用いられなくなりました。慣用的に表現が残っているのですね。

第 2部「循環」第 10話は「細動脈の力の平衡-臨界閉鎖圧の概念」です。この論文を書いたのは Burtonですが、彼は他に Handbook of Physiologyの巻頭に「生理学者にとって目的論は情婦みたいなもので、もたずにはいられないくせ、人前には出したがらない。(Teleology is like mistress. One cannot live without, but would be ashamed to be seen in the public.)」と書かれているそうです。含蓄のある言葉だと感じました。

第 2部の第 11話「スワン・ガンスカテーテルはなぜ 1970年か」では、スワン・ガンスカテーテルの開発秘話が紹介されていました。臨床では、よく「ガンツ入れる?」という会話をしますが、英語では「put a Swan in」などと表現します。スワンは心臓病学者で、ガンスはそれに協力したエンジニアなので、アメリカ人はスワンの方を呼ぶらしいのです。日本人が「ガンツ」というのはその方が呼びやすいからでしょうが、実際には「ガンス」「ガンズ」と発音するのが正しいことが、根拠を持って本書に記されていました。

第 3部「脳・神経・筋肉」の第 18話「クラーレは脳に作用しない」では、論文著者が被験者となり、体を張った実験であることが記されていました。クラーレは神経筋接合部に作用する筋弛緩薬ですが、意識を消失させる作用があるかを調べた実験です。意識下で筋弛緩をかけているので、非常に苦しかった筈です。実験開始後 34分で最大の麻痺となり気管挿管されています。その後投与をやめましたが、57分の時点では、「分泌多量に苦しむ (周囲は気づかない)」と記され、非常に辛い実験であったのではないかなと思います。実験中に「I felt I would give anything to be able to take one deep breath.」と述べています。実験中、被験者の意識は保たれたままでした。

第 3部「脳・神経・筋肉」の第 19話は「エーテルは飲んでも酔える」という笑える話です。これには裏話があって、北アイルランドでは、当時アルコール飲料密造が厳しかったことと、宗教的理由 (聖書がアルコール飲料を禁じている) ことがあり、エーテルが代用品として考えられたのだそうです。エーテルは、昔用いられた吸入麻酔薬です。論文では飲み方なども書いてあり、「エーテルを飲むときには鼻をつまんで飲む。水をなるべく飲まないのが”通”!」とされています。急性作用の項が面白いので、引用します。

作用は基本的にアルコールに類似するが、作用がずっと速い。
1) 興奮, 2) 混迷 (confusion), 3) 運動障害, 4)  意識障害

たいていの人は 1) の興奮レベル特に “高揚 (exhilaration)” のレベルで満足する。

表現は “叫ぶ, 歌う, 踊る” など。自覚的には”体が軽くなった感じ, 高く跳べそうな感じ, 空を飛べる感じ”といった異常認識も伴う。

副作用としては、作用時は唾液の分泌と嘔吐。さめてからは”調子が悪い, 脱力感, 虚脱感, うつ状態”など。上腹部痛も出現する。つまり、エーテルでも二日酔いする。

なお、レストランなどでアルコールを一杯おごる習慣と同様に、「エーテルを一杯おごる」習慣もあり、エーテルを飲む人達自身は「酒より楽しく、気持ちがよい」と述べているが、周囲の人達の評価は、「酒と比較すると “口喧嘩が多くなる  quarrelsome”」と描写している。またアルコールとエーテルをチャンポンすると、暴れたり他人に危害を加える頻度が高くなるとも。

実際にエーテルを飲むだとか、興奮するだとかいう話を読むと、昔遊んだ Final Fantasyというゲームで、エーテルというアイテムがあったことを思い出しました。

第 4話「薬物と薬理学」の第23話「ホタルの光で吸入麻酔を分析する」という論文は、日本人の上田一作氏が国立がんセンターで行った研究とのことです。論文のポイントは「吸入麻酔薬は、ATPによるルシフェリン発光を量依存的、可逆的に阻害する」というもので、吸入麻酔薬の作用機序の研究などに貢献したようです。確かに、反応が光でわかるのであれば、観察しやすいと思います。

第 4話第 24話「吸入麻酔薬の力価の表現」に興味深いトレビアが載っています。

 高地や飛行機の中でアルコールがよく効いて酔いやすいことはよく知られていますが、こちらはアルコールの代謝が酸素分圧に影響を受けるのが大きな要素であることが判明しています。

第 4部第 28話「モルフィン麻酔の創始」では、医療ミスが医学の進歩に大きく貢献した話が記されていました。転んでもただでは起きないとはこのことです。モルフィン (モルヒネ) は現在フェンタニルに取って代わられましたが、モルフィン麻酔開発段階で、その安全性を示しました。

モルフィン麻酔開発の途次に、”Give ten” という有名な逸話があります。1A 10 mgのモルフィンを 10 ml (100mg) 注射器に準備して、論文の第一著者ローウェンシュティン氏が研修医に “Give ten” と命じました。「10 mg 注射しろ」というつもりだったのですが、研修医は 10 mlつまり 100 mgを一度に注射しました。意外にも状態が良好だったのが、モルフィン麻酔の研究を進める要素になったというお話です。

第4話の第29話「大気汚染が妊娠異常を招く?」は痛ましい話です。昔は麻酔をした余剰ガスは手術室内に流れていました (今でもそういう病院はあるようです)。その結果、流産の率が手術室の看護婦と麻酔女医で高く、また流産が発生した場合の週齢が 2週間ほど低いことがこの論文で示されました。医療現場での危機意識も低く、「患者が吸っているエーテルの濃度を推測するのに、回路のガスを麻酔科医が吸ってみて『濃い』とか『うすい』とか議論していたくらいなのです」という記載が本書にあります。

医療従事者の健康被害の話は他にも類挙にいとまがありません。針刺し事故による感染症への罹患、昼夜を問わない勤務体系による睡眠障害などはある程度知られた話ですが、放射線被害も実は多いのではないかと思っています。例えば、心臓カテーテル検査などでは、医師がレントゲン照射野に手を置くため、手に放射線による皮膚障害や神経障害が多発し、痛みに悩む人が多くいます。それを防ぐために放射線被曝量を測定するバッジを付け、被曝量が一定量を超えるとその業務に関われないように管理します。しかし、そうすると医師不足で代わりにカテーテルをやる人がいなくなるので、バッジを外してカテーテルをしたりするのです (意味がない!)。また CT被爆による癌の危険性なども言われますが、患者が暴れるときは医療従事者が抑えて撮りますので、(いくら防護服を着ているといっても) 連日 CTによる被爆を受けることも起こります。過労死も問題となっていますし、それに準じる話も聞きます。ある若い心臓外科医は週 3-4日の当直をコンスタントにこなしていて、ストレスのため手術中に自分が致死性不整脈を起こしてしまい、目が覚めると CCUで、自分が手術中であった患者と隣のベッドで寝ていたそうです。医者の不養生では済まされない話のように思います。

第 5部「統計学」の第 30話「t-検定と “Student”」は、Student検定についてです。Studentはペンネームで、それが論文で用いることが許されたのが興味深いところです。Studentの本名は William S Gossetというそうです。Gossetはビールのギネス社で働いていたそうです。統計学には全く知識がないのですが、面白い逸話だなと思いました。

本書は麻酔科に関わる論文が主体ですが、他の科で働く医師にとっても興味深い本でした。

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演奏家の手

By , 2007年9月14日 10:16 PM

「演奏家と手」というテーマを考えると、様々なアプローチがあると思います。

医学的アプローチから、今のところ資料がそろっているのが「パガニーニの手」、現在資料を集めているのが「シューマンの手」。それらについては、今後の約束として、今日紹介するのは職業病としての手の症状です。

練習や演奏により体を痛め、悩んでいる演奏家は多いと思います。しかし、それに対する医学的知見は乏しいのが現状です。しかし、演奏家の手の症状についてまとめた論文を見つけました。発表したのは、世界最高の病院の一つ、Massachusetts general hospital (MGH) の医師達です。

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神経内科-頭痛からパーキンソン病まで-

By , 2007年9月14日 6:50 AM

「神経内科-頭痛からパーキンソン病まで-(小長谷正明著、岩波新書)」を読み終えました。

本書では、神経内科で扱うメジャーな病気がほぼ全て、わかりやすく解説されています。読んで頂ければ、私が普段している仕事の内容を理解して貰えると思います。

最初に簡単な神経系の解説があるので、読みやすくなっています。扱う病気は、頭痛、失調、末梢神経障害、脳卒中、脳神経麻痺、パーキンソン病、重症筋無力症、筋萎縮性側索硬化症、筋ジストロフィーなどです。

例にとって、顔面麻痺の項を紹介しましょう。本書のだいたいの雰囲気がわかる筈です。著者が顔面麻痺になったときの話です。ユーモアたっぷりの文章です。

 翌朝、洗面所で口をすすぐと、左口角から水が漏れる。歯医者で局所麻酔をされたあとの顔面神経が一時的にマヒしてこうなったなと思った。次の瞬間、エッと思って鏡を見る。左の唇はだらしなく開きかげんで、左頬にはエクボが弱々しくしかできない。口を開くと右側に引っぱられてゆがんだ口となる。左眼の閉じる力も弱い、顔を洗うと眼の中に水が入ってくる。ジャーンと頭のなかで音がする。顔面神経マヒだ、専門領域の病気になってしまった。ついこのあいだ、この病気についての論文を共同研究で発表したばかりだというのに、まさにブラックユーモアだ。つぎに考えたことは障害部位はどこか、中枢性か、末梢性かということだった。末梢性ならば片方のおでこにしわが寄らないが、脳のなかの神経支配の関係で、中枢性ならば両方に寄る。で、眉をつりあげてみる。なんと両側に寄る。ふたたびジャーンである。脳腫瘍とか、脳血管障害、脱随、肉芽腫などとまがまがしい病名が浮かんでくる。専門分野の病気というのはいやなものだ、知識がありすぎる。

朝食を並べている家人に言う。

「おい、ファチアリスレームングだ」

ドイツ語で顔面神経マヒのことだ。幸か不幸か家人も神経内科医である。さっそく、目を閉じろ、口を閉じろ、舌を出せ、あっちを見ろ、こっちを向けと診察をはじめる。

「あら、いやだ、ほんとうだ」

その診察のしかたは正しい方法ではないというと、うるさい患者ネェと返ってくる。問題のおでこの力はこころもち左側が弱いという。

そういえば、数日前から子供の声がやたら左の耳にひびいていた。これも症状であったのだ。

悶悶としてその日曜日を過ごし、あくる月曜日、もうどんなにつくろうとしても左側の額にしわは寄らない。中枢性の心配はもうしなくてもよい。症状が出そろうのに時間がかかったのだ。末梢性だから経過はいいだろう。ひと月もすれば治るであろうと思いはしたが、外出する気にならない。

「それでも、いちおう大学に行って、念のため検査をしてもらったら」

「いやだ、自分の分野だからよくわかっている。治療法もわかっているし、たいした薬もいらない。大学に行ったらメイヤー教授に筋電図をされる。痛いからいやだ。アホなレジデントがルンバールだ、血管撮影だ、CTだなどといいかねない、だからいやだ」(略)

しばらく休むことにしたが、実験のあとかたづけと、そのあいだに家で整理するデータをとりに、明くる日、大学に出た。自分のオフィスに入ろうとした瞬間、となりの部屋からメイヤー教授があらわれた。

「おや、君の顔はどうしたの?」

廊下でかんたんに診察し、つぎの瞬間、のたまった。

ただちに、筋電図を!


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文藝春秋

By , 2007年9月13日 8:39 PM

先日、文藝春秋10月号を買いました。なぜなら特集は「最高の医療」。

その中に「病院を壊すのは誰だ」という論文が掲載されていました。医療崩壊について非常にまとまっていたので、要旨だけ紹介しようかと思ったのですが、ほぼ全文をアップしたブログがありましたので紹介したいと思います。是非読んでみてください。

産婦人科医療のこれから-ルポ医療崩壊 病院を壊すのは誰だ-

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第6回東京MS研究会

By , 2007年9月9日 10:47 AM

2007年9月7日、第6回東京MS研究会に参加してきました。

第6回東京MS研究会
平成9月7日(金)18:50~
ザ・プリンスパークタワー東京 B2「コンベンショナルホール」

講演
「衛生仮説と多発性硬化症」
国立精神・神経センター神経研究所 免疫研究部長 山村隆先生

シンポジウム テーマ:多発性硬化症と抗アクアポリン4抗体
講演1:「抗AQP4抗体測定系と抗体陽性例の臨床的特徴について」
新潟大学神経内科准教授 田中恵子先生

講演2:「Neuromyelitis opticaとAquaporin-4~診断及び病態における意義~」
東北大学大学院医学系研究科 多発性硬化症治療学講座 教授 藤原一男先生

残念ながら、最初の講演に間に合わず、シンポジウムからの参加となりました。非常に勉強になったので、聞いてきたいくつかの内容を紹介しようと思います。

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ベートーヴェンの肺炎説

By , 2007年9月6日 10:00 PM

馬券オヤジ氏からの情報。

 ベートーベン、肺炎治療で死期早める? 法医学者が仮説
2007年09月06日20時58分

ドイツの大作曲家ベートーベン(1770~1827)が死の約4カ月前にかかった肺炎の治療が死期を早めた可能性が高いとの仮説を、遺髪を鑑定したオーストリアの法医学者がまとめ、米カリフォルニアのサンノゼ州立大のベートーベン研究専門誌の最新号に掲載した。

仮説を発表したのはウィーン医科大のクリスティアン・ライター教授。00年の米研究機関による遺髪鑑定でベートーベンが鉛中毒だったとの結果が出ていたが、ライター氏は特殊なレーザーを照射する方法でさらに詳しく分析。毛髪が1日に0.3~0.4ミリ伸びる性質を利用し、肺炎などの治療が行われた約4カ月間について、鉛の量の推移を調べた。

ライター氏によると、医師が肺炎の治療に処方した薬には微量の鉛が含まれていた。その後、大量にたまった腹水を、腹部に針を刺して計4回抜いた。傷口にも鉛を含有するクリームが塗られた湿布が使われた。鑑定の結果、それぞれの治療直後に遺髪の鉛の量が著しく増えていたのが確認されたという。

医師はベートーベンの肝硬変が悪化していたのを知らずに、当時では普通だった方法で治療したという。ライター氏は「治療で体内の鉛の量が増加、肝臓が機能しなくなり、死に至った。別の治療を施していれば、数カ月以上長く生きたかもしれない」と主張する。

これに対し、他の研究者らは毛髪鑑定だけでは不十分でさらに詳細な分析が必要としている。

ベートーベンは肺炎治療以前に鉛中毒になっていたとみられ、長年苦しんだ聴覚障害と鉛中毒との関連も指摘される。

昔、「ベートーヴェンの遺髪 (ラッセル・マーティン著、高儀進訳、白水社)」を読みましたが、遺髪の鑑定者らのグループらの報告のようですね。論文の雑誌名がわからないのですが、暇なときに探してみようかと思います。

ベートーヴェンの遺髪があるのに、DNA鑑定結果が騒ぎにならないのは、アルコール性肝硬変なので、DNA鑑定では診断に至らないのかな?と思っています。また、耳硬化症だったとすれば、難聴の原因もDNA鑑定では診断が付かないでしょう。

この肺炎治療云々という話は、眉唾だと思っています。抗菌薬のない時代、肝硬変末期で肺炎になったとすれば、肺炎自体か、低アルブミン血症に伴う心不全の合併で短期間のうちに直接死因になっていた可能性が高いと思うからです。この全身状態の肺炎で、抗生剤なく4ヶ月の治療が続くというのは、考えにくいと思います。とはいえ、実際に論文を読んでみないとなんともいえないのですが。

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Josef Hassid

By , 2007年9月4日 6:30 AM

Josef Hassidというヴァイオリニストを知っている方は、ある程度のヴァイオリン音楽通と言えるかもしれません。

Josefについては、将来を嘱望された演奏家として、巨匠達の演奏を集めた「The art of violin」といったDVDで軽く触れられています。私は「音楽の神童達 (下) (クロード・ケネソン著、渡辺和訳、音楽の友社)」という本で彼の人生について読んだことがあります。

今回紹介するのは、早逝の名演奏家、Josef Hassidです。Hassidの精神疾患について、実際に医学論文が書かれています。一部引用しながら紹介します。

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Glenn Gould

By , 2007年8月27日 12:50 AM

今日は、ほろ酔い加減で「Glenn Gould」について語ります。Gouldは夏目漱石に傾倒していたとする逸話があり、日本人としては少し親近感が持てます。

私が初めてGouldの演奏を聴いたのは、「グレン・グールド/バッハ全集」というCDでした。当時は研修医で、今よりハードな生活をしており、バイト当直が週2日、大学当直が週1日、当直がない日も帰宅は毎日終電近くで、少ない睡眠時間も深夜に看護師からの電話で起こされる毎日、患者のことを考えるよりも自分を守ることで精一杯でした。3日連続当直で、睡眠時間が 3日で 3時間という時もありました。Gouldのゴルドベルク変奏曲 (J.S.Bach) は、そんな時期に聴いただけに、荒んだ心に染みこむように感じました。

どのくらい感動したかといえば、ピアノを衝動買いしてしまった程です。ピアノなんて弾いたことがないのですが、「ゴルドベルク変奏曲」の楽譜を買ってきて、最初のアリアの右手だけでも弾けるようになりたいと思ったのです。結局その夢は挫折して今に至ります。郡山時代はピアノ不可の部屋だったのですが、東京に戻ってからはピアノ可の部屋に移り、今私の横にオブジェとして存在します。調律頼まないとなぁ・・・。

最近、Gouldの CDをまた買いました。ベートーヴェンの協奏曲集なのですが、特に第5番(皇帝)が綺麗でした。ソロパートの旋律を紡ぐように演奏するところで心を打たれました。他の協奏曲についてはノーコメントとしておきます。

ゴルドベルク変奏曲については、1955年と 1981年の録音が知られています。ミッシャ・マイスキーによるチェロ組曲 (Bach) は、歳をとってからの録音の方がテンポが速いのに対して、Gouldのゴルドベルク変奏曲の場合は逆で、1981年は優しくゆっくり弾いているのが印象的でした。この曲は、最近ペライアの CDを買って、再び感銘を受けました。

さて、前置きはそのくらいにして、紹介するのは、Gouldの死因についてです。これは実際に医学論文が出ています。一部引用しますが、推敲していませんので、(ほろ酔い加減でもあるし) スペルミスなどあるかもしれません。是非原文に当たることをお薦めします。

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