Category: 医学と医療

夜間の診療制限

By , 2007年4月14日 10:09 PM

当直医の負担を減らすために、夜間の診療制限を始める病院が出てきています。素直に評価出来ます。

病院は公共施設なのだから、24時間診療するべきだという意見があるのはわかります。しかし、医師数が足りていない現実があります。医師は昼働いて、夜当直して、次の日の昼働いていて、何とか病院が持っているのが現状です。夜間に患者が殺到すれば、数時間の仮眠すらとれずに翌日の診療を行わざるを得ません。こうした条件での作業効率の低下は、飲酒と同レベルだという報告があります。もちろん労働基準法違反です。

24時間診療にこだわり、交代勤務を導入するためには、8時間交代としても、医師数を現在の相当数増やす必要があります。また、事務、薬剤師、検査技師等も 24時間体制にすると、人件費で病院が倒産します。医療費の著しい国民負担増加を受け入れられるのなら、医学部の定員を増やし、15年後くらいには実現出来るかもしれません。

ちなみに、アメリカでは、受診に際して診療予約をとる必要があり、だいたい予約が取れるのに数日かかるため、風邪での受診はあまりしないようです。医療費が高いというのもありますが。

伊関友伸のブログ-急患医療:“お気軽受診”の市外患者増え「診察を断る場合も」--大崎市 /宮城-

大崎市は同市医師会に委託し平日夜間と土曜午後・夜間に行っている急患医療で、市外の患者が増えていることから、栗原、美里、加美など隣接6市町に「医療機関の状況によっては診察を断ることもある」などと文書で申し入れた。病院の適切な利用を住民に啓発するよう求めている。

急患医療は旧古川市以来12年目。市の単独事業で年間1億円を負担し、古川地域の8病院が週1・5回の割合で担当。隣接市町は無負担。

制度が知れわたるとともに、ちょっとした風邪でも「夜間の方が空いている」といったお気軽受診が市内外問わず増え、実質徹夜して翌日勤務に就く医療スタッフの心身を蝕(むしば)んでいるという。

(参考) アメリカの医療 (風邪の診療)
アメリカと日本の医療システムの違い
アメリカ事情 from Mitsuko

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Metropolitan neuroscience club

By , 2007年4月13日 12:40 AM

4月10日に、第 3回 Metropolitan neuroscience clubに参加しました。講演は「臨床実地における針筋電図の有用性」でした。針筋電図の評価は、医師国家試験には「神経原性=高振幅で低頻度、筋原性=低振幅で高頻度」と出題されますが、これは最近では誤りとされています。誤診の元となる大いなる誤解が国家試験的常識となっているのもおかしな話ですが、針筋電図では「recruitment」などを正しく評価していく必要があります。

講演されたのは、園生雅弘先生で、電気生理学では世界的に有名な研究者です。普段抄読会を一緒にしている電気生理専門の I先生が、公演後のレセプションで、園生先生を紹介してくれたので挨拶しました。また、園生先生のお弟子さん達も紹介してくれました。おかげで園生先生主催のメーリングリストにも加入させて頂けるようです。

園生先生に、「Fasciculationはどこ由来か?」と質問したところ、Rothらの論文のことに言及されていて、興味深かったです。また、ALS患者に対するテンシロンテストについても質問してみると、「僕もやってみようと思ったことあるよ」とのことでした。

会が終わった後、I先生と朝まで飲みに行きました(そればっかりですが)。

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第2回抄読会

By , 2007年4月13日 12:14 AM

4月6日に、有志で第2回抄読会を開きました。

私が選んだ論文は、「Cambell WW. Statin Myopathy: The iceberg or its tip?. Muscle Nerve 34: 387-390, 2006」でした。

この論文は、Statinの総論に触れた後、最近問題になっている自己免疫疾患との関係について述べています。Statinには Th2 shift作用があります。いくつかの機序による免疫系への影響、抗炎症作用、催炎症作用などが絡まり合い、pleiotopic effectは予想困難ですが、関節リウマチやSLE、多発性硬化症などの改善作用がある一方、重症筋無力症を悪化させるリスクなどが示唆されています。

また、Statin Neuropathyが Statin Myopathy同等に存在するとする報告があり、否定的な見解も多いのですが、新婚の K先生が最近経験したと教えてくれました。

論文の主旨としては、現在では Statin Myopathyが副作用の主体であるが、Statin Neuropathyや他の神経筋合併症が明らかになってくるならば、Statin Myopathyは副作用として氷山の一角に過ぎないのではないか?とのことでした。

途中、「Lipid raft」などに言及した部分があり、良くわからなかったので、郡山時代の同僚にメールを送り、色々教えて頂きました。その後、「細胞内物質輸送のダイナミズム (米田悦啓、中野明彦共編、Springer出版)」の該当部分を読み、理解することが出来ました。

電気生理検査専門の I先生は、Fasciculationの Originについて調べてきました。以前は前角細胞由来とされていましたが、FasciculationもF波を持つことがわかり、末梢由来だと考えられるようになり、Cancelationを利用した実験で、8割は末梢由来だとする報告も出てきました (Rothら)。一方で、中枢由来とする報告 (幸原ら)も存在し、諸説あるようです。ALSの患者の下痢にワゴスチグミンが有効であった経験や、ALSの電気生理検査でしばしば疲労現象が見られることから、テンシロンテストを行って呼吸機能を評価したらどうなるだろうか?などと議論が盛り上がりました。

K先生は「Ash S, et al. Trying to tell a tale: Discourse impairments in progressive aphasia and frontotemporal dementia. Neurology 66: 1405-1413, 2006」を紹介しました。Frontotemporal dementiaの中に、PNFA (progressive nonfluent aphasia)やSemD (semantic dementia)、SOC/EXEC (social comportment and executive functioning)といった病型がありそれを検討した論文です。私も読みたいと思って手元に持っていましたが、読まずにいたので、良い機会になったと思います。SOC/EXEC患者では、物語の全体像が見えないという障害があります。一方で、病人ではなくても、資料を渡したときに全体をパラパラと眺めて把握してから読み始める人と、最初から一字一句追って読み始めて全体を把握出来ない人がいるので、もともとの病前の傾向はどうなのだろうかと感じました。

抄読会が終わってから、例によって朝まで飲み会・・・。

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先輩との会話

By , 2007年4月8日 2:18 PM

みぐのすけ:「東北の医師不足は深刻ですね」

A医師:「俺の同僚がね、磐城の病院なんだけど、ここ数年で休日0日だって。当直もあるのに。」

みぐのすけ:「どうしてですか?」

A医師:「5人いた内科医が3人辞めちゃったんだよ。」

みぐのすけ:「どうして彼はやめないんですか?」

A医師:「もう1人を残して辞めるわけにはいかないでしょう。」

みぐのすけ:「じゃあ、2人で同時に辞めれば・・・」

A医師:「そういかない事情があるんだよ。」

みぐのすけ:「?」

A医師:「もう1人が院長なんだよ。」

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インフルエンザでの異常行動

By , 2007年4月8日 2:09 PM

11名の異常行動の報告。これらはインフルエンザに罹患し、タミフルを内服していなかった患者です。

タミフルを内服しなくても、異常行動は珍しくないようです。

 服用なしでも異常行動11件 飛び降り、転落死も (2)

 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2007年4月5日】
厚生労働省は4日、インフルエンザ治療薬タミフルを服用しなかったインフルエンザ患者などでも、飛び降りなどの異常行動が少なくとも計11件あったことを明らかにした。同日開かれた薬事・食品衛生審議会の調査会に報告した。

11件は、厚労省が先月23日から今月2日までに、医療機関などの報告や公表例で情報を入手した。内訳は10代が10件でいずれも男性、10歳未満は女児1件。10代男性の1件は、自宅9階から転落して死亡した。

転落死の男性は3月27日、心肺停止の状態で医療機関に運ばれ、死亡確認時の検査でインフルエンザ(A型)が陽性と判明した。目撃情報がなく転落時の状況は不明。タミフルの服用はなく、市販のかぜ薬を飲んだらしいが詳しいことは分かっていない。

別の10代男性は3月12日、かぜの症状で39度の熱を出し、2階の自室で寝ていたが、「怖い人に追われる夢を見て」2階の窓を開け庭に飛び降り足を骨折した。

ほかの事例(10代男性)は3月7日にA型インフルエンザと診断されたが、本人と家族の希望でタミフルは処方されなかった。翌8日夜に39.8度の高熱が出て、突然走りだしマンションのドアから飛び出したが家族が止めた。

調査会に出席した長野県立こども病院の宮坂勝之(みやさか・かつゆき)院長は「短い期間にこれだけの報告があった。タミフルの副作用だけでなく、インフルエンザでも異常行動が起こることを示す比較材料となる。ほかにもこうした事例がないか調べる必要があるだろう」と話した。


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Early sign

By , 2007年4月4日 10:34 PM

t-PA療法の適応を決定する項目の一つである、CTでのearly sign。経験した症例では、神経内科医数名、放射線科医で協議しても意見がわかれ、MRI撮像後にretrospectiveに検討してもやはり意見が割れました。

少しでも標準化しようと、MELT JapanASIST Japanのサイトで、それぞれ練習問題が載っています。結構難しいです。医師の皆さん、暇つぶしにどうぞ。

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横になれば休めた

By , 2007年3月30日 12:17 AM

最初は怒りがこみ上げましたが、その後何とも言えない嫌な気分になりました。

小児科医の過労死事件に対して、東京地裁は「空き時間に横になれば、体を休めることはできた。過労にはあたらず、自殺と業務との因果関係は認められない」との判決を下しました。

過労死した医師の99年3月の勤務時間は、勤務医開業つれづれ日記-【速報】 一転、 医師自殺は過労死と言えない…遺族の訴え退ける判決-によれば、宿直8回、休日出勤6回、24時間以上の連続勤務が7回、休日は月に2日とのことでした(医師の宿直には代休はなく、連続して通常勤務です)。

このくらいの労働をしている医師は他にも多いと思います。短期間であり、かつ自分である程度労働強度の調整が出来るのであれば、耐えられるでしょうが、いつまで続くかわからない中、強制された労働であれば、耐え難いものであると思います。一生この生活が続くのかと思うと、鬱的になる気持ちもわかる気がします。

それにしても、この労働環境に対して、「空き時間に横になれば、体を休めることはできた」とは良く言えたものです。小児科は特に夜間の患者数が多く、日によっては内科の倍の患者が当直帯に受診します。横になる時間があるかも疑問ですし、数十分横になれたから疲れが取れるものでもありません。

最悪のパターン、昼働いて、夜当直して、翌日も勤務して、やっと家に帰ったら、また病院に呼び出されということも時々あります(その翌日が更に当直だと死にますね)。

上記のサイトをみた、多くの医師が、コメント欄に「心が折れた」と記しています。これが過労と認可されないのであれば、自分の身は自分で守るしかなくなってしまいますね。

医師の遺書の最後の言葉です。

間もなく21世紀を迎えます。
経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。
不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、
その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。
この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。

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タミフルを考える

By , 2007年3月25日 2:51 PM

インフルエンザの治療薬オセルタミビル(商品名;タミフル, 以下タミフル)がマスコミに格好のネタを与えています。特に10歳前後において、タミフル内服後、転落死が相次いでいる問題です。

しかし、科学的検証はなされず、ヒステリックな反応が目立ち、「薬害」を想像させる報道の数々がなされています。

そもそも、我々医師にとって、副作用のない薬はないのであって、どのような薬剤が重篤な副作用を起こしても不思議はありません。薬剤の使用はメリットとデメリットによって決められます。従って、放っておいても治る程度の風邪には、私はほとんど薬を出しません。患者は薬を出す医師が良い医師と考えるでしょうが、医師にとってはそうではありません。

そのため、タミフルのメリットとデメリットを天秤にかける必要がありますし、情報を開示して、患者と医療関係者が選択出来るようにするのが先決だと思います。少なくとも薬剤としては有用ですし、全て禁止にはすべきではありません。

さて、転落死は本当にタミフルのせいなのでしょうか?

タミフルを内服せずに2階から転落した事例があり、患者が助かったため、どのような心理状態だったかの記録が残っています。「何かに追われている気がした」という言葉は、「せん妄」に類するものと言えます。

 西日本で先週末、インフルエンザにかかった男子(14)が、自宅2階から飛び降り、足を骨折していたことがわかった。タミフルは服用していなかった。

主治医によると、この男子は15日、38度の熱があり、翌日いったん熱が下がったものの、17日未明に自宅2階から飛び降りたとみられ、玄関先で倒れているところを発見された。

病院搬送時に熱があり、検査でB型インフルエンザに感染していたことがわかった。男子は「夢の中で何かに追われ、飛び降りた」と話しているという。

タミフル服用後の「飛び降り」事例が相次ぎ、薬との因果関係が疑われているが、服用していない患者の飛び降り例はこれまであまり報告がないという。このケースは来月、厚労省研究班会議で報告される予定。 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000301-yom-soci)

また、インフルエンザ脳症を扱ったサイトでも、インフルエンザ脳症でどのような高次機能障害が起こったか記載されています。

1.両親がわからない、いない人がいると言う(人を正しく認識できない)。
2.自分の手を噛むなど、食べ物と食べ物でないものとを区別できない。
3.アニメのキャラクター・象・ライオンなどが見える、など幻視・幻覚的訴えをする。
4.意味不明な言葉を発する、ろれつがまわらない。
5.おびえ、恐怖、恐怖感の訴え・表情
6.急に起こりだす、泣き出す、大声で歌いだす。

問題は、一般的な熱せん妄なのか、インフルエンザ脳症によるせん妄なのか、タミフルによる高次機能障害なのか、それ以外なのかになります。熱せん妄なのか、インフルエンザ脳症によるせん妄かの鑑別は難しそうです。タミフルの影響 (直接せん妄を起こさせる、或いは間接的に熱せん妄の閾値を下げる可能性) については、タミフルを飲んだ群とそうでない群を比較する必要があります。

「インフルエンザ」というマニアックな医学雑誌で「抗インフルエンザ薬の有効性」と題した鼎談が行われていました(抗インフルエンザ薬の有効性. インフルエンザ 7: 263-272. 2006)。

A型インフルエンザの子供にオセルタミビルを投与すると、翌日には少なくとも半分の子供の熱が下がって、その2日後にはほとんど90%以上の子は解熱してしまいます。

(中略)

オセルタミビルは異常行動や幻覚などの問題があると報道されたのですが、基本的に精神神経症状は、オセルタミビル群とプラセボ群で、両方とも同じくらい出ています。これは治験のときのデータです。

また、別にFDAレポートもあり、タミフル内服後の精神症状について詳細に検討しています。しかし、薬剤と異常行動との関係を証明するには至っていないようです。

 タミフル内服後の精神症状の報告は、1999年から 2005年8月29日までに 126例存在し、2005年8月29日から 2006年7月6日までに、129例存在します。既往歴や情報不足などから 26例を除外し、129例の中から 103例について検討しました。103例のうち 95例は日本の報告でした。17歳未満が (67%)、男性が 74%でした。死亡した 3例にはタミフルが影響している可能性がありました。しかし、インフルエンザ脳症との鑑別は困難でした。

これらの検討から、現時点ではインフルエンザに罹患した時点で、タミフル内服の有無に関わらず、異常行動を起こすリスクがあると考えるべきです。

今後、インフルエンザ患者にはザナミビル (商品名;リレンザ, 以下リレンザ) が処方される可能性が高くなり、現に在庫が尽きつつあります。しかし、インフルエンザへの罹患そのものが異常行動のリスクなのであれば、リレンザによる異常行動と報道される事例も増える筈であると予言しておきます。

この記事について、筆者には製薬会社との利害関係はありません。

—-
追記です。アマンタジン(商品名;シンメトレル)という薬剤があり、A型インフルエンザに有効とされています。しかし、耐性化が進んでいるようです。昨年、パーキンソン病治療のためアマンタジンを内服していた老人が大量にA型インフルエンザで入院してきて、大変でした (ちなみに、この薬剤、高齢者だと結構せん妄の原因になるのです)。あまり効きそうにないですね。

後日、同僚の医師からメールが来ました。内容を引用します。

 インフルエンザで高熱を出して、我輩も中学校2年生の時におかしくなりました。
何かが天井から落ちてきて、追いかけられる夢を見て、恐れおののいていました。
その時に、「さかべこ」が来ると言って母親を困らせたそうです。
「さかべこが来るから、早くいかな」と言ったところで、母親が「何言ってんの」
と言い、我にかえりました。自分では、「さかべこ」と言っていた記憶すらありません。
ただ、あの怖い夢だけは覚えています。
ちなみに、当時の一番中の良かった友人は「坂部」君でした。
タミフルが原因でないことは、自分が良くわかります。

(参考)

M. Studahl. Influenza virus and CNS manifestations. J Clin Virol 28: 225-232, 2003

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日本医師会の広告

By , 2007年3月21日 7:38 PM

2007年3月18日に日本医師会が打った新聞広告。いささか遅すぎた感もありますが・・・。

今、日本の産婦人科・産科の半分は、 お産を受け入れられない、という事実があります。
地域の産科が、次々と閉鎖に追い込まれています。
それにより、将来50万人の「お産難民」が発生する可能性があります。

「休日・夜間急患センター」を訪れる救急患者の50%以上は、 赤ちゃんや子どもたちです。
しかし、夜間に子どもを連れて行っても小児科医がいない、 という事態が今、全国各地で起きています。

こうした問題の要因として考えられるのは、
まず、地方と都市部において、
医師数に格差が生じていること。
さらに、日本は人口1,000人当たりの医師数が、
先進国中、最も少ない国であること、
などがあげられます。

国は、5年後の平成24年3月末までに、
全国に現在38万床ある「長期療養者のためのベッド」を、
半分以下の15万床まで削減する方針を打ち出しています。

それにより、退院を余儀なくされる「医療難民」が、2万人。
在宅や施設での受け入れすら困難な「介護難民」が、4万人。
計6万人の「難民」が発生するおそれがあります。

WHOから「健康達成度世界一」と評価されてきた日本の医療は、 今や、崩壊に向かっています。
この国の医療が抱える危機を、乗り越えるためのタイムリミットは、刻々と近づいています。
あなたとともに私たち日本医師会は、医療の崩壊を食い止めたい。
医療の未来を守っていきたいのです。
あなたの声を、ぜひ、私たちにください。
私たちは、みなさんのご意見を、国に訴えかけてまいります。

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梅毒の歴史

By , 2007年3月11日 10:59 AM

「梅毒の歴史 (C. ケテル著, 寺田光徳訳, 藤原出版)」を読み終えました。量、内容ともに重い本でした。

梅毒は、その激烈な症状と、周囲の偏見により患者を苦しめてきました。また、予防についても、貧しさから売春を生活の手段とする売春婦や無知な若者、ストレスにさらされる兵隊から性をとりあげることは、人権を含めて困難でした。そして、発見のための方法や、家庭内に入り込んで配偶者に移された梅毒の治療についてなど問題は山積みでした。

梅毒は Treponema pallidumによって起こります。Pallidumは蒼いという意味で、例えば脳の淡蒼球という部位は、ラテン語で globus pallidusと言います。トレポネーマ自体は、Treponema pertenue, Treponema carateumとして紀元前1000年代にユーラシア大陸に存在し、ゴム腫に侵された骨-骨膜障害が示されています。

コロンブスは 1493年3月31日にアメリカからスペインに帰国しました。彼は 4月20日にバルセロナに入り、6人のインディアンを披露しました。このためか、梅毒の起源について、コロンブスがアメリカから持ち帰ったとまことしやかに言われています。

ところが、彼らの誰かが梅毒に感染していたという記録はありません。そして第2回目の航海は 1496年なので、コロンブスが新大陸から梅毒を持ち帰ったとは言えないのかもしれません。むしろ、その間にアントニオ・デ・トレスが 1494年に 26人、1495年春に 300人の男女をアメリカからスペインに持ち帰っています。

梅毒の最初の記載は、フォルノヴォの戦い (1495年7月5日) の記録にあり、いずれにしても流行は 1495年以降と言えそうです。筆者の立場は、むしろアントニオ・デ・トレスらの艦隊がアメリカから持ち帰った女性が、スペイン人らに「利用」されて、梅毒が広まったというもののようです。

フランスのシャルル 8世のイタリア遠征で、大量のフランス人兵士が梅毒に感染したと言われています。フランス人は「ナポリ病」、イタリア人は「フランス病」と呼びました。

このことについての文章が面白いので引用します。

病に最近襲われたばかりの国では伝染病だとの疑いをかけた-たいていは正しい-隣国の名をそれぞれの病に付与することとなった。そのため呼称は瞠目すべき多様さを示している。モスクワの人々はポーランド病、ポーランド人はドイツ病、ドイツ人はフランス病と言う-フランス病という名はイギリス人にも、イタリア人にも (このことが問題を難しくしている) 歓迎された。フランドル人やオランダ人は「スペイン病」と言い、マグレブ人の呼び方と同じである。ポルトガル人は、「カスティリヤ病」と名付けているのに対して、日本人や東インドの住民は「ポルトガル病」と呼ぶ。スペイン人だけが黙して語らない。奇妙なことだが・・・。

梅毒は瞬く間に世界中に広まりました。1607年に死亡した戦国武将の結城秀康も梅毒 (シナ潰瘍) だったと言われています。

当時は治療法がありませんでした。水銀療法かグアイヤックによる治療が主体で、いずれにしても大量に発汗させて毒素を出すのが治療とされていました。サウナのようなところに閉じこめられて、治療のせいで死亡した人もたくさんいたそうです。最終的には、水銀治療が中心となりましたが、今日ではあまり効果がないとされています。詐欺まがいの治療が横行した時代でした (この点は、現在の日本の新聞の広告欄で宣伝される健康食品と変わりません)。

罹患予防にコンドームが開発されましたが、性行為後にかぶせるのが使用方法でした。

乞食を閉じこめるための政策として、1656年パリ総合救貧院が建設され、男性用はビセートル、女性用はサルペトリエールとして知られるようになりましたが、梅毒患者が多く収容され、人体実験のようなものも行われていました。

こうした暗黒時代は 1800年前後まで続きました。

19世紀に入ると、リコールが登場します。彼はデュピュイトランの弟子で、ナポレオン 3世付きの医者でしたが、様々な業績を残しました。例えば、囚人に淋病を移植し、梅毒が発生しなかったことから、梅毒と淋病は違う疾患であることを示しました。

19世紀後半には、リコールの弟子であるフルニエらにより、統計学的、理論的考察がされるようになります。梅毒の原因探しが始まります。

1877年にパストゥールにより伝染病の性質が明らかにされたことにより、伝染病の研究が加速します。1878年にクレープスが下疳の中に梅毒螺旋虫 (エリコモナス) を発見したと主張しました。1905年ジーゲルが梅毒患者の血液と病変部に原生動物を発見し、シトリクテズ・ルイス (梅毒封入体) と命名しました。シャウディンとホフマンが諸臓器にそれを追認しました。このスピロヘータはトレポネーマ (ねじれた) ・パリドゥム (蒼白い) と命名されました。

1906年には、ボルデが非トレポネーマ抗原反応、その後ワッセルマンやナイサー、ブルックらが溶血反応による診断を開発し、ボルデ=ワッセルマン反応と呼ばれることになります。そして、野口英世らは、つかの間の培養に成功します (長期の培養は現代でも不可能とされています)。

治療の面では、1905年にアトキシルという砒酸剤が生まれますが、毒性のため放棄されます。一方、エールリッヒは、梅毒の病原体のみを排除する「魔法の弾丸」を求め、5価の砒素を3価とし、1909年に日本人秦左八郎の協力で、606回目の化合物を作るに至り、サルヴァルサン、通称「606」が誕生しました。さらにエールリヒはネオ-サルヴァルサン、通称「914」を開発しました。梅毒に大打撃を与えることは出来ず、水銀に対してすら優位性を示せませんでしたが、明るい兆しが出始めました。

1877年にパストゥールがカビと細菌の関係から抗生剤の登場を予感し、1928年にアレクサンダー・フレミングがペニシリウム・ノタトゥムを発見しました。そして 1939年にオクスフォード大学の研究チームが精製に成功しました。1943年にマホネー、アーノルド、ハリスが梅毒治療を成功させ、「奇跡の砲弾」が見つかりました。

梅毒は一旦激減しましたが、その後それ以上減ることはありませんでした。性病の恐怖が去り、若者の間で感染者が増加し始めたからです。

ちなみに、benzathine Penicillin G 240万単位一回筋注で梅毒の治療は終わりですが、日本では手に入りません。アジスロマイシン 2g 1回内服で良いとする報告もありますが、耐性菌の問題があるようです。日本で梅毒の治療をするには、認可されている薬の問題などで、ちょっとした工夫が必要です (「抗菌薬の使い方,考え方」岩田健太郎, 宮入烈著, 中外医学社, 参照)。

1980年に天然痘撲滅宣言がされましたが、翌年、1981年にロサンジェルスでカリニ肺炎が同性愛者に多発しました。1983年にパリのパストゥール研究所で新種のレトルウイルスが検出され「LAV: Lymphadenopathy associated virus」と名付けられました。これはHTLV-Ⅲとも呼ばれますが、現在ではHIVと呼ばれています。感染症の制圧に近づきつつあった人類は、新たな敵に会いました。このウイルスに罹患すると、免疫が破綻するため、これまで制圧したはずの感染症も重篤化するのです。

人類が梅毒制圧に要したのは約 450年。本書の結びの言葉はこうです。「エイズ・ウイルスについてもこれと同様なことを言えるようになるのに五世紀の期間を必要とすることがないよう祈ろう。」

追記:本書には、多くの文学小説が登場しますが、梅毒であったシューベルトやパガニーニのことは書かれておらず、少しがっかりましした。しかし、彼らの置かれた時代のことはわかり、満足でした。

(参考)
進行麻痺

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