Category: 雑感

ウクライナのヴァイオリニストたち

By , 2022年2月27日 6:52 PM

2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻しました。一方的な侵略行為で、国際世論からは厳しい批判の声が上がっています。病院付近にクラスター爆弾が打ち込まれたり砲弾にさらされる子供たちのインタビューが流れたり、報道を見るたびに気が滅入ります。あまりできることはないのですが、ささやかながらウクライナ大使館に募金をしました。このブログは政治的主張をする場ではないので、これ以上のことは書きません。代わりに、いかにウクライナの地が素晴らしいヴァイオリニストを生んできたかを書きたいと思います。特に、オデッサは巨匠を多く輩出しています。

ここでは、10名紹介します。全て、私がCDを持っている演奏家たちです。特に最初の6人は、巨匠として歴史的に名を残した有名なヴァイオリニストたちです。

ナタン・ミルシテイン

私が最も好きなヴァイオリニストの一人です。ウクライナのオデッサ出身で、アウアーの弟子となりました。曲の輪郭がくっきりと浮かびあがってくるような演奏に特徴を感じます。1953年のライブ録音には、学生時代何度涙を流したことか数え切れません。

同じくウクライナ出身のピアニストのホロヴィッツ、チェリストのピアティゴルスキーと共に三銃士と呼ばれました。この三人でアメリカに亡命した話は「ロシアから西欧へ―ミルスタイン回想録」という本に詳しく描かれています。今では手に入りくくなってしまいましたが、どこかで見かけたら、音楽ファンの方は是非読んでみるとよいと思います。

ミルシテインはパガニーニの24のカプリスを編曲して、「Paganiniana」という形で発表もしており、自作自演の録音が残されています。

・Nathan Milstein ‘Paganiniana’

バッハのシャコンヌも、彼の得意とした曲でした。

・Bach BWV 1004 Chaconne Nathan Milstein Violin – Complete

レオニード・コーガン

ウクライナのドニプロペトロウスク出身。ソ連ではオイストラフと並ぶ二大巨匠の一人として有名です。彼の演奏からは、一切の甘えを排除して音楽に向き合う厳しい姿勢を感じます。クリアな演奏が持ち味です。妻はエミール・ギレリスの妹で、ヴァイオリニストでした。夫婦共演の録音も残されています。

私はコーガンにはまっていた時期があり、サイン入りポスターのコピーを引き伸ばして部屋に飾っていました。Tritonというレーベルから30枚のCDが出ていますが、Yahoo!オークションでは、現在1枚あたり2万円以上の高値で取引されています。全30枚手元にもっているのがちょっとした自慢です。

パガニーニの難曲を演奏するコーガンはまるで鬼神のようです。

・Leonid Kogan – Paganini – Nel cor più non mi sento (HD)

ダヴィッド・オイストラフ

ウクライナのオデッサ出身。モスクワ音楽院で教鞭を取ると共に、数々の名演を残しました。ソ連を代表するヴァイオリニストでした。明るく温かみのある演奏で、私はオイストラフが太陽、コーガンが月、というような印象を持っていました。

息子のイーゴリもヴァイオリニストで、親子でバッハのドッペルコンチェルトを共演した録音が残されています。

・David Oistrakh & Igor Oistrakh – Bach Concerto for Two Violins in D minor (complete)

ミッシャ・エルマン

ウクライナのキエフ近郊の出身で、アウアー門下でした。エルマンといえば美音派として有名でしたが、残念ながら残された録音は技術的に衰えた晩年のものばかりで、全盛期の美音を聴くことはできません。

・Mischa Elman plays Massenet Meditation from Thais 1962

トーシャ・ザイデル

ウクライナのオデッサ生まれで、アウアー門下。演奏としてはあまり印象に残るものはありませんが、ヴァイオリニストの江藤俊哉氏の名前が、トーシャに由来するというのが、有名な話です。

・Toscha Seidel (violin) – Zigeunerweisen (Sarasate) (1918)

アイザック・スターン

ウクライナ西部のクレメネツ出身です。映画「屋根の上のヴァイオリン弾き」で演奏を務めたことでも有名です。日本の音楽界への影響力も強く、宮崎国際音楽祭の初代音楽監督も務めました。2000年に80歳記念音楽会がサントリーホールで開かれ、私も聴きに行きました (舞台上で共演者たちが Happy birthdayを演奏していたくらいしか覚えていませんが・・・)。演奏は割とオーソドックスだったように思います。

・Isaac Stern playing Bach’s Chaconne in D minor for solo violin Single File

ユリアン・シトコヴェツキー

ウクライナのキエフ生まれ。私は The art of Sitkovetskyという数枚組のCDを持っていました。

バッハのゴルトベルク変奏曲を弦楽器用に編曲して演奏するなどした有名なヴァイオリニスト、ドミトリー・シトコヴェツキーは彼の息子です。

・Yulian Sitkovetsky plays La Campanella by Paganini

オレグ・クリサ

ウクライナのウハネ生まれ、リヴィウ育ち。何枚かCD持っていましたが、あまり印象に残っていない・・・ (すみません)。

・JOHANNES BRAHMS. Sonata for Violin and Piano No. 3, in D minor, op. 108

ヴィクトル・ピカイゼン

ウクライナのキエフ生まれ。CDは持っていましたが、あまり印象に残っていない・・・(すみません)。

・Violin Concerto in D major

アナスタシア・チェボタリョーワ

ウクライナのオデッサ生まれ。チャイコフスキーコンクールで最高位を収め、岡山県の作陽音楽大学でも教鞭を取りました。アイスクリームのCMで、お馴染みかもしれません。

・アナスタシア・チェボタリョーワ AYA 明治乳業 彩

彼女はロシア音楽を得意としていて、 ロシア民謡を何曲か録音しています。

・Anastasia Chebotareva – Two Guitars / Две Гитары

名著「二十世紀の名ヴァイオリニスト」が手元にあれば、もう少しましな文章が書けたのですが、2021年の大地震で家族が本の下敷きになって死にかけてから、めぼしい本は全て貸倉庫に送ってしまいました。もし、他にもウクライナ出身で有名なヴァイオリニストがいましたら、コメント欄で教えてください。

#NoWarInUkraine #StandWithUkraine

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地震

By , 2021年2月25日 10:29 PM

2021年2月13日23時8分に福島で震度6強の地震がありました。東日本大震災の余震だと言われています。私が住んでいる地域は、震度6弱でしたが、それでもかなり揺れました。住んでいるマンションは一部壁が崩落し、自宅も壁にヒビがたくさん入りました。

地震発生当時、妻は寝室にいて、私はリビングでした。本棚がいくつか倒れ、妻は下敷きになりかけました。キッチンも大変なことになっていて、電子レンジが棚から落下し、マイクロウェーブが漏れるようになったので、後日買い替えになりました (悲しいことに、落下って保証が利かないんですね)。結構皿も割れました。鍋料理を終えた後だったのですが、鍋の最中だったら熱湯を浴びていたと思うとゾッとします。

電子レンジが転落しています (手前)。冷蔵庫、食器棚ともに、右側の壁沿って配置していたのが、左側に飛び出してきました。

調味料も落ちて割れました。

地震直後、妻は寝室 (子供を私に託して一人でくつろいでいました) から飛び出してきて、悲鳴を上げながらリビングの机の下に潜り、私はソファーの上で揺れが収まるのを待っていました。妻が潜った机の方に向けて、棚からウイスキーの瓶が降り注ぎましたので、下に潜っていなかったら危なかったでしょうね。幸い、娘は荷物の少ない和室で寝ていたので、危険な目には合いませんでした。猫がなかなか見当たらなくて、私はガラスが散らばる中探しに行って、指を切りました。酔っていたせいか、アドレナリンが出ていたせいか、血まみれになっているのに気が付きませんでした。猫は寝室のベッドの下に潜り込んでいて、様子を探りに出てきたところを妻が発見し、なんとか確保できました。

リビングです。棚が開いて、中から様々なものが落下してきています。

寝室です。本棚は手前に倒れていましたが、不安定で危ないので、猫を探すときにベッドの上に上げました。この奥に猫が隠れていました。

地震後数日はエレベーターが止まり、高層階まで階段だったのは大変でした。被害の小さい家も多かったようで、ドラッグストアは全然品切れになっていなくて、当面の水や娘のレトルト食品などをスムーズに買うことができました。10 kgくらいの荷物を持って階段を上るのは大変でしたが・・・。

現在は、私の書斎と寝室を除き、なんとか復旧しつつあります。本棚の危険性に気がついたので、本を断捨離して、残った本を収める本棚はきちんと壁に固定することにします。小さい余震は数日続きましたが、最近やっとそれもおさまってきました。

約3000~4000枚のCDが書斎にありましたが、棚が倒れて廊下にまで広がっています。ジャケットはかなり割れていました。

廊下です。左が書斎、右が寝室です。右端に倒れた本棚が見えます。

書斎です。本とCDで足の踏み場もありません。音楽家の写真を額に入れて飾っていたのですが、それらが割れて、ガラスの破片が混ざっています。

以上、近況報告でした。家族全員無事で本当に良かった。

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娘の誕生

By , 2020年5月23日 5:50 PM

2020年5月23日6時30分頃、娘が生まれました。40週5日での出産で、身長 51.5 cmに対し、3532 gと大きめです。

妊娠がわかって以降、土曜日に空いているクリニックを選び、毎回受診は付き添ってきました。ただ、つわりがひどくて、グレープフルーツジュース以外、水も食べ物も受け付けなくなってしまいました。尿中ケトンが3+のこともありました。聞くところによると、この状態では入院することもあるらしいのですが、主治医からそんな話も出ず、私が自宅でカーテンレールからぶら下げた輸液を点滴することも何度かありました。まさに「家庭医療」です。あとは、片頭痛も悪化し、それで吐くこともありました。片頭痛は妊娠初期に悪化し、後期に改善すると論文では読みますが、まさにそんな感じでした。

つわりは20週以降も続きましたが、グレープフルーツジュースから炭酸水に嗜好が変わった頃から、少しずつ食べられるものが出てきて、30週以降は割と普通に食べていました (とはいっても、妊婦なので生ものとかは避けていましたが)。つわりのおかげで、体重は妊娠前より減っていたようです。まさに妊娠ダイエット。妊娠週数がある程度すすんでからは、自宅近くの総合病院に通院となりましたが、有給を使ったりして受診には付き添っていました。しかし、新型コロナウイルスが流行するようになり、付添禁止に。院内感染を防ぐためには仕方のないことです。

5月5日に診察があり、5月6日に性器出血があり、「おしるしじゃないか」と騒いでいたら、内診による出血だったようです。ただ、その時の内診で子宮口が 3-4 cmに開いていたし、たまに腹痛もあったので、いつ生まれても良いようにという体制はとっていました。この頃から、たまに陣痛らしき腹痛があり、今か今かと待っていて、結構焦らされている気分でした。

5月22日の夜はいつもと雰囲気が違って、おしるしの量も多いし、この日かなというのはありました (とはいっても、数日前から連日夜間に陣痛があり、ずっと「今夜かな」とは思っていました)。5月23日午前2時過ぎに陣痛が10分間隔1時間となり、病院から連絡するように言われた基準を満たしたので、連絡した上で救急外来に行きました。破水もしていないし、病院まで 300 mくらいなので、徒歩にしましたが、あいにくの雨でした。午前3時に病院に着いて、迎えに来た助産師と病棟に上がり、新型コロナウイルス対策で待合室待機となった私は、10分くらいして帰るように指示されました。妻とはLINEで連絡を取り合っていましたが、文章が「痛い痛い」しかなくなり、やがてそれすら来なくなりました。妻によると、痛くてLINEできなくなったそうです。職業柄、厳しい事例ばかり耳に入ってきますが、なにはともあれ、母子ともに無事で良かったです。面会禁止なので、退院日に初めて会える予定です。今から楽しみです。

妻と娘は約5日間入院予定で、どうせ会いにも行けないので、自宅で羽根を伸ばすつもりです。ただ、妻からのLINEがひっきりなくて、携帯電話が手放せない・・・。

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約3年ぶり

By , 2020年5月1日 9:39 PM

201782日にブログを更新して以降、放置状態が続いていました。著書の執筆その他で、ブログを更新する気分にならなかったというのがあります。これまでのことをざっと振り返りたいと思います。

2017年は10815日にドイツ旅行をしました。毎年ヨーロッパ旅行はしていたのですが、私が働いている病院に見学にきたドイツ人を原発近くの避難区域に連れて行ったら、遊びに来いということで、この年はドイツとなったのです。

その旅行では、フランクフルトに到着後、ベルリンに向かいコンサートへ。1010日にPhilharmoie Berlinでモーツァルトのカルテット、ブラームスのゼクテット、メンデルスゾーンのオクテットを聴いたのですが、Modigliani Qartettが演奏したモーツァルト弦楽五重奏曲第4番が絶品でした。その後、ハイデルベルクに行き、ドイツ人医師と飲みました。そのドイツ人医師との会話で良く覚えているのが、私が「夏休みが6週間というのは本当か?」と聞いたら、「本当だよ。日本人が1週間というのは本当か?」と答えられました。普段は、朝730分から16時過ぎまでの勤務で、当直が月5回とのことでした。さらに、「そんなに恵まれているのに、どうしてドイツの医者はストライキなんかするんだ?」と聞いたら、「ドイツ人はストライキが好きなんだ」との返事で、爆笑しました。さて、ハイデルベルクを発った後は、マルクトブライトでアルツハイマーの生家を訪れ、帰り道にヴュルツブルクでレントゲン博物館に行きました。帰国前にフランクフルトでもう一度、先のドイツ人医師と寿司屋に行きました。知らずに取った宿が、売春婦の多い繁華街で治安が悪く、怖い思いをしました。

2018210日は、LUGDUNUM Bouchon Lyonnaisで食事。その時の女性と42930日に岡山県の私の実家に挨拶に行き、825日に入籍しました。91618日沖縄旅行、次いで92228日イタリア旅行でした。妻は出会ったときは11歳下の初期研修医で、2018年の4月に都内の大学病院の小児科に入局しましたが、結局半年足らずで福島県についてくることになりました。

結婚式は2019714日にサン・パウというスペインレストラン挙げました。岩田誠先生が祝辞をくださり、プロ棋士の橋本崇載八段が乾杯の挨拶をしてくれて、ヴァイオリニストの成田達輝さんは祝福の演奏動画 (結婚行進曲を独奏にアレンジ) を贈ってくださいました。結婚式翌日から、71523日、スペインにハネムーンに行きました。マドリード、バルセロナ、バレンシア、マラガと回りましたが、一番印象に残っているのが、バレンシアのホテル「ラス アレナス バルネリオ リゾート」に泊まった日です。綺麗なビーチでゴロゴロして過ごして、こんなに時間がゆっくり流れる日常がこの世にあるのかと感じました。

2020年は415日に中外医学社から単著で神経学の本を出版しました。加えて、5月下旬頃にめまいについての翻訳本が出版される予定です。今年は、数年越しで準備してきたことが、次々と世に出ていく年となります。

唯一の懸念が、新型コロナウイルス感染症 (covid-19) です。2020年頭に中国の武漢に大流行した後、世界中に広まりました。日本でも東京、札幌、大阪、京都、名古屋、福岡など、大都市を中心に流行が止まらず、非常事態宣言が発令されました。福島では、現時点で70名ほどの感染報告があります。他人との接触を最低限にすることが求められる感染症なので、経済に与える影響も深刻です。医療機関では、マスクやガウンが足りなくなっています。私の従兄弟がもともと輸入業をしていたこともあり、私も従兄弟が海外から買い付けた医療資材を医療機関と繋ぐボランティアを最近始めました。N95は妻が過去に研修した病院や千葉県東部の基幹病院、あるいは福島県の病院と話が進み、防護服は香港で買い付けの話を進めているところです。一日も早い収束を願っています。

(追記)

約3年ぶりにブログを更新する前に、wordpressのplug-inを更新したら、サイトにアクセスできなくなりました。Counterize IIというplug-inが原因だったようです。アクセス解析のplug-inを入れかえたら、アクセスできるようになりました。ただし、これまでのアクセスログは失われました。更新していた頃は 400~800/day, 更新をやめてからも200 /dayくらいのアクセスはあったようです。友人の馬券おやじ氏に修復頂き、やっと更新できると思ったら、ブログのデータベースが古すぎたのか書き込みできず。データベースのアップデートを行いました。しかし問題解決せず、テキストエディタに問題があるということがわかりました。これも馬券おやじ氏が直してくれて、晴れて更新となりました。

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近況と発熱と

By , 2017年8月2日 7:05 PM

バタバタしていて、ブログ更新がなかなかできていません。読んだ論文の紹介を続けるのはなかなか難しそうです。その分、出来上がる教科書を楽しみにしていただければ。

5月4日~7日

岡山県の実家に帰省しました。両親とも70歳を越え、そろそろ終活を考えているようでした。まだ親孝行していないのに、申し訳ないです。せめて、孫の顔をみせてやりたいなと思います。未だ結婚の予定はないのですが・・・。

5月9日

ちょっとしたきっかけで、国家試験用の問題週 Question Bankに眼を通すことがあったのですが、髄液検査について問う問題で「検査後の安静」が正解とされていました。2006年の JAMA論文では、安静に意味はないばかりか、統計学的有意差はないものの頭痛が増える傾向があるというメタアナリシスが示されています。そのことを Facebookで書いたら、Question Bankのバイトをしている医師から「次回の改訂で手を入れる」という連絡をいただきました。私は髄液検査後はすぐに動いて良いと説明しています。これを期に、根拠のない風習が改善されていくことを望みます。

5月14日

5月一杯で閉店することになった shogi-barへ。その後、ハッシーと3時頃までサシ飲みしました。

5月31日

飲み会帰り、道路と歩道の間に張ってあるチェーンに足を取られて転倒し、顔面を強打。左顔面に傷を残しました。眼鏡も壊れ、作り直しになりました。安全のためのチェーンが却って危険という一例。

6月9-11日

京都で開かれた米国内科学会日本支部総会に行きました。例年のように前泊して、なか原で食事。申込んだのは下記のセッションです。

6月10日
10:00-11:30 1-C1-1 C1会場 最新論文20選2017年度版:忙しいあなたのために(平岡 栄治)
11:50-12:40 1-C5-2LS C5会場 (ENGLISH)Noon Lecture  Don’t Be Tongue-Tied! Tips for Speaking Up at an International Conference (Lunch included)(Noboru Hagino)
13:00-14:30 1-C3-3 C3会場 女性の腹痛 診断がなかなかつかないその腹痛、どう付き合う?(後藤 美賀子)
6月11日
9:20-10:50 2-C1-1 C1会場 “できる内科医のための認知行動療法(CBT)入門” エピソード3(木村 勝智)
14:00-15:30 2-C1-2 C1会場 内科医のための結核診療入門(大藤 貴)

特に、上田あきら先生による “Don’t Be Tongue-Tied! Tips for Speaking Up at an International Conference” と題されたセッションにカルチャーショックを受けました。

6月17日

白河総合診療アカデミーに参加。飲み仲間である麻生飯塚病院の清田先生と少し話しました。

6月21日

都内で編曲したシトコヴェツキー自身による、バッハのゴルトベルク変奏曲のトリオ版を都内のヤマハホールで聴きました。素晴らしい演奏でした。前半の “3声のインヴェンション BWV 787-801 (J.S. Bach)” はいまいちでしたが、後半のゴルトベルク変奏曲は圧巻でした。この曲はイギリスからパート譜を買い寄せており、上手なヴィオラ弾きがいたら、やりたいと思っています (チェロは確保済み)。

6月26日

福島市音楽堂でモルゴーア・クァルテットを聴きました。ドビュッシーの「弦楽四重奏曲第1番ト短調作品10」で始まり、エマーソン・レイク&グレック・レイクの「タルカス」、キース・エマーソン、グレッグ・レイク&ピート・シンフォールドの「悪魔の経典#9」が演奏されました。アンコールはサティの「ジムノペディ」、グレッグ・レイクの「Still…Your Turn Me On」、ロバート・フィリップ「Peace – An End」でした。「タルカス」や「悪魔の経典#9」はリズミックなノリノリの曲だったのですが、ライブ感がすごかったです。このクァルテットは福島出身のメンバーがいることもあって、結成初期から毎年福島県でのコンサートを続けているそうで、福島市音楽堂はまさにホームでした。震災の2011年には、6月に被災者慰問コンサートもされているようです。このプログラムで満員になるというのは、彼らが福島にクラシック文化を育ててきたということになるんでしょうね。

7月2日

知人が経営する甚三紅に行きました。素晴らしい料理、日本酒をいただきました・・・が羽目を外しすぎました。

7月8日

都内ブレーメンハウスで、ジョン・チャヌ氏のサロンコンサートを聴きました。コンサートを通じて、ヴァイオリンで歌うとはどういうことかを教えられました。クロイツェル・ソナタではおぼつかないところも少しあったけれど・・・。

7月14日

阿武隈急行の企画「あぶQビアガー電」に行きました。これは、阿武隈急行内でビールを飲み、あぶくま駅となりの建物でバーベキューをして戻ってくる企画です。経営難とも噂される阿武隈急行も色々頑張っているんですね。また来年も行きたいです。

7月21日

ホテルはまつで、岩田誠先生が認知症について講演されました。認知症の方にどう接するかという話で、こういう視点の話はなかなか聴けないので、とても貴重だと思います。下記の本に内容がまとまっていますので、是非様々な方に読んで頂きたいです。

脳を守ろう――脳梗塞・認知症を予防するために (岩波ブックレット) 

臨床医が語る 認知症と生きるということ

臨床医が語る認知症の脳科学

上手な脳の使いかた (岩波ジュニア新書)

7月24~29日

北九州の産業医大に、「産業医学基礎研修会集中講座」を受けに行きました。私は定期的に福島第一原発の近くで総合内科外来をしており、原発作業員を診療することが多く、産業医学に興味を持ったためです。労務環境をいかに安全にするかという話に、自分は医学の一面しか知らなかったんだなぁと勉強になりました。会場で、東京時代に教えた学生に会いました。懐かしく思いました。

6月17日に清田先生に会った時、「僕はその日に産業医大に講演に行っているから会おうよ」と言われ予め飲む約束していたのですが、彼は救急科の教授から飲み会に誘われたという流れ、なぜか私が産業医大の救急部の飲み会に参加することに。知り合いが増えるのは楽しいものです。

この遠征の間に、岩田誠先生の「ホモ ピクトル ムジカーリス―アートの進化史」という本を読み終えました。科学的思考を用いながら、科学という枠を離れた内容。こういった分野にまで教養のある人間になりたいです。

8月1日

発熱しました。とはいっても、max 37 ℃台後半で、鼻汁、軽い咽頭痛、右頸部リンパ節腫脹、咳、痰といった症状です。最近多忙だったことを思い、8月2日は仕事を休みました。発熱に関しては、その都度ブログに書くようにしています。ブログ内検索をすると、発熱の頻度がわかるためで、個人的興味です。

10月上旬に夏休みが取れそうで、どこに行こうかと考えています。ドイツに行きたいなと思いつつ、原稿書きが終わらなければ、文豪のようにどこかの温泉に 1週間閉じこもって執筆活動に勤しみたいとも考えています。一名でも泊まれそうな良い温泉ないですかねぇ。だいたい 2名以上からなんですよね・・・。

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初熱

By , 2017年1月9日 5:22 PM

明けましておめでとうございます。

1月2日、ビジター会員となっている大山乗馬センターで乗馬をしました。なんと、1日乗り放題コース。午前 12 km, 午後 18 km、トータルで 30 kmちょい乗りました。

1月3日新幹線ひかりグリーン車 (正月は普通車が取れないんですね) に抄読会の準備をしていたのですが、なんだか身の置き所のないような倦怠感。名古屋駅で隣に乗ってきた女性の髪が良い匂いだったので、それを胸いっぱいに吸い込み (※すみません)、なんとか誤魔化しながら乗り切りました。東北新幹線でビールを飲んだもののまずくて、大体そういうときは発熱の前触れです。

1月4日午前2時頃、寒気で目が覚めました。37℃台の発熱です。筋痛は、乗馬の筋肉痛のせいではっきりせず。その後、段々と鼻汁、咳、痰が加わりました。どうしても休めない仕事があったので、出勤し、職場でインフルエンザ迅速検査をしましたが陰性。ただ、インフルエンザ迅速が陰性というのは、インフルエンザではないという証明には全くならないんですよね。それは、感度が非常に低いからです。下記のサイトをごらんください。私が Birminghamでコクランの診断精度研究の講義に出た時に用いた論文を解説しています。

「熱が出てすぐはインフル検査をしない」は妥当か?

ということで、この時期に発熱、flu-like symptomがあったら、インフルエンザ患者として扱うべきです。私は、臨床診断のみで診断書まで書きますし、患者に仕事を休むように指導しますが、自分が休めるかといえば、外来と当直次第ですね・・・(汗

その後、熱はダラダラと続き、やっと 1月9日 37.0℃まで下がりました。

ガイドラインの資料の締切が 1月10日、講演が 1月14日、という差し迫った事情があり、連休中はずっと仕事をしていました。早く体調を戻さないと。

2月の講演 2件は準備が全くできていなくて、プラスして和文総説の締切もあります。ずっと師走が続いている感覚になります。

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ここ半年

By , 2016年12月30日 3:07 PM

ここ半年あちこちに出かけました。ブログで近況を報告することもめっきりなくなってしまったので、年末にまとめて投稿。

①秋田からの当直帰り

2016年9月17日、いつものように秋田県で全科当直をしました (東京で働いていた頃は月に 2回行っていましたが、現在では月 1回です)。この日は、気分を変えて、ちょっと大回りして帰ることにしました。

盛岡 11:07→一ノ関 11:47 (東北新幹線), 一ノ関 12:45→気仙沼 14:09 (大船渡線), 気仙沼 14:55→17:26前谷地 (気仙沼BRT), 前谷地 17:36→18:11 小牛田 (石巻線), 石巻 18:00→仙台 18:46 (仙石線)

一ノ関駅で下車したのは初めてでした。一ノ関出身の建部清庵や大槻玄沢ゆかりの展示品を集めた一関市博物館があるのですが、この日は時間的に無理。絶対いつか行こうと思いました。一ノ関も気仙沼もポケモンGoに力をいれているようで、どちらも駅にその看板がありました。

気仙沼から前谷地に行く途中、未だに防波堤建築や区画整理の工事をしている場所が多数あり、震災から 5年以上経ってもまだまだ復興への道は遠いのだなと思いました。そして、私が震災直後にボランティアに行った地域を通ったとき、なんか故郷を通っているような感覚になりました。

②夏休み

9月23日

研究会のため、尼崎へ向かいました。ホテルについてからは、編集中の雑誌に投稿された原稿の査読などしており、妹の夫と会って、駅前の名代千代勝という店で少し飲みました。

福島空港 (11:45) ANA3176便 福島空港 (12:35)→伊丹空港(13:45)→大阪空港→(大阪モノレール)→蛍池駅→(阪急宝塚本線)→川口能瀬駅→(徒歩)→川西池田駅→(JR宝塚線)→尼崎駅→ホテル ホップイン アミング (Hotel Hopinn Aming) 泊

9月24日

尼崎総合医療センターで診断精度の研究会。私と同じように Cochraneで診断精度研究をしている医師達と意見を交換しました。あと会場で、メールのやり取りで共同研究をしている相手と初めて会うことができました。夜は韓国料理で打ち上げ。そこにいた優秀な研修医は、私がたまに研究会に顔を出す福島県内の病院に就職予定とのことでした。将来が楽しみです。

その日は神戸ポートピアホテル泊で、妹の夫とホテルのバーで飲み直しました。

9月25日

沖縄に旅行。本当は、婚前旅行のはずだったのですが、それを前にしてまさかの破局。別れることはあるまいとキャンセル不可で予約していたブセナテラスのデラックススイートルームで独り寝・・・orz

ブセナホテル

ブセナホテル

沖縄では妹夫婦との行動となりました。この日は、ブセナテラス近くで甥っ子達と遊覧船に乗り、名護市の居酒屋で食事しました。

9月26日

妹家族と古宇利島に行きました。恋人たちの聖地と書いてあって、何やねんと思いました。途中の道の駅で、琉球犬に会えました。

その後、念願の美ら海水族館へ。沖縄美ら海水族館が日本一になった理由という本を読んで是非行きたいと思っていました。また、魚はエロいという本でも予習してましたね。蘊蓄を語る相手なく、一人で回りましたけれど (しつこい)。いるかのショーがすごかったのと、その直後にピカチュウをゲットしたのが記憶に残っています。あと、歯型のついた鮫が泳いでいて、鮫社会で生きるのは大変なんだなぁと思いました。

歯型のついた鮫

歯型のついた鮫

夜は、妹の夫が予約してくれたやんばるダイニング 松の古民家へ。やんばる若鶏のつみれやゴーヤとか入った鍋でアグー豚のしゃぶしゃぶでした。スタッフの接客が良く、とても居心地の良い居酒屋でした。締めは沖縄そばを入れてくれました。

そして、ブセナテラスのデラックススイートルームで独り寝 (しつこい)。

ブセナホテル

ブセナホテル

ブセナホテル

ブセナホテル

9月27日

那覇空港でレンタカーを返して空の人へ。

飛行機:那覇 (12:40)→博多 (14:20):ANA1276便, 新幹線:博多 (15:17)→熊本 (15:55)

熊本でレンタカーを借りて、2016年4月14~16日にかけての地震で甚大な被害を受けた阿蘇へ。熊本市内は豪雨で、冠水した道路をジャブジャブと音を立てて通りながら、阿蘇への山越え道路へ。本来使える道路は地震のため通行止めとなっており、迂回ルートを通ることになりました。外輪山から阿蘇のカルデラ盆地を下って内牧へ。阿蘇プラザホテルに到着しました。このホテルは、震災の影響で営業中止していましたが、7月1日から営業再開したのだとか。公式サイトに次のような記載がありました。

【営業再開のご案内】
今回の熊本地震により被害にあわれた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。
また皆さまよりたくさんの励ましのお電話、メールを頂き誠に感謝いたします。
おかげさまで当館は7月1日より営業再開の運びとなりました。
7/16~8/31は毎年恒例のガーデンプールもオープン致します。
皆さまには大変ご不便をおかけいたしましたが、どうぞ阿蘇プラザホテルを今後もごひいきによろしくお願い申し上げます。

※(7/06追記)展望露天風呂の修復が完了致しました!
最上階大浴場・貸切風呂については未だ修復が完了しておらず、工事完了次第の再開を予定しております。
現在未定ですが、分かり次第改めてご案内させて頂きます。

また、今回の地震により阿蘇市内方面への交通機関に影響が生じております。
お手数ではございますが、交通アクセスページをご確認いただきまして、当ホテルへお越しください。
皆さまのお越しを、従業員一応笑顔でお待ちしております!

震災やそれに伴う観光客減少で色々打撃を受けた地域なので、お金を沢山落とそうと思って街をぶらぶらしましたが、使うところがなく・・・それは断念しました。温泉は気持ちよかったです。

9月28日

朝一で阿蘇ハイランド乗馬倶楽部に乗馬に出かけました。カーナビに入れると、別の場所が表示されたので、迷いましたが、無事到着。阿蘇ハイランド乗馬クラブは、山の中を抜け牧場を見ながら阿蘇を一望できる場所までトレッキングができます。一方、同じ経営のエルパティオ牧場は草原の中をトレッキングできるのだそうです。また阿蘇を訪れることがあったら、エルパティオにも行ってみたいと思いました。そしてなんと、姉妹店は沖縄や那須にもあるのだそう。沖縄は私が以前行った沖縄乗馬クラブです。当時は初心者は外乗させてくれなかったのですが、経営が替わってからは馬をトレーニングしてできるようになったそうです。那須の牧場も近いですし、これらも是非行きたいと思いました。

乗馬を終えてからは、内牧駅へ。地震のせいで駅は閉まっていました (その後、解体されたそうです)。

内牧駅

内牧駅

内牧駅から阿蘇駅へ。その後、山越えをして熊本に戻りました。外輪山を越える時、見下ろした阿蘇盆地がとても綺麗でした。

14時15分の新幹線で鹿児島へ。鹿児島ワシントンホテルプラザにチェックインして、水族館のいおワールドに行きました。やっぱり、いるかは可愛いですね。

夜は、Facebook友達の女医砲先生とその知り合いのヴァイオリニストと笑神で食事。その後、一人で天文館を攻めました。

9月29日

ゆっくりするはずでしたが、「鹿児島中央 8:09 隼人 8:46着 隼人 9:02発 嘉例川 9:26着 9:56発 (路線バス) 鹿児島空港 10:07着」というルートを通るよう、鐵ヲタの chunchukulin先生 (別名 しゃんでりあの君) から指令を受け、何故か早起きする羽目に。ただ、早起きしたかいがあって海の向こうに見える桜島と太陽がとても綺麗でした。

嘉例川駅では、有名な猫がいて、和みました。

鹿児島 (12:10)→羽田 (13:55):ANA624便

羽田からは新幹線で帰りました。恋人と別れたときはどうなるかと思ったけれど、充実の旅行になりました。

③10月の 3連休小旅行

10月8日(土)

朝楽器の練習をして、一ノ関博物館へ。ここは一ノ関駅から20 kmくらい。バスだとバスプールから9番、厳美渓下車、徒歩5分です。一ノ関は、建部清庵や大槻玄沢ゆかりの地なんですね。建部清庵が杉田玄白と交わした手紙を纏めた「和蘭医事問答」、そのほか大槻玄沢が翻訳した「重訂解体新書」など、医学史好きの心をくすぐる展示品がたくさんありました。受付で資料を数点購入し、申請書に記入してから、何点か資料の写真を撮らせて頂きました。ここはまた訪れる予定です。

17:53一ノ関→(JR大船渡線・気仙沼行)→気仙沼 アコモイン気仙沼泊

アコモイン気仙沼は、震災復興のための作業員が普段使っている施設なのだそうです。復興が終われば、いずれ介護施設になるのではないかという噂を耳にしました。

夜は「ぴんぽん」という居酒屋へ。入口には「思い出の気仙沼線」と題して、震災前の気仙沼線を撮影した写真がたくさん貼られていました。また、壁には「つまずいたおかげで」というタイトルの、胸を打つ詩が飾られていました。「パイズリ」「センズリ」「マンズリ」「マンチュー」「パンティー」といった怪しい名前のカクテルや「チンポンウインナー」といったおつまみがありました。

10月9日(日)

仕事が溜まっていたため、この日は列車内でひたすら systematic reviewのための文献スクリーニングをしていました。数百件の論文をチェックしていると、頭痛がしてきました。景色は素晴らしかったです。

12:10 気仙沼→(JR大船渡線BRT・盛行)→13:31 盛, 14:00 盛→(三陸鉄道南リアス線・釜石行)→14:54 釜石

ホテルフォルクローロ三陸釜石に宿泊して、近くの「釜石はまゆり飲食店街」へ。ここはプレハブの飲食店街で、被災者たちの店が集まっていました。ただし、どの店も同じようなメニューで差別化がされておらず、ウリとなる地域の特産品もありませんでした。気仙沼だと、海の幸や地酒を前面に出して、メニューも店によって大きく違うので、そういう点を見習えば良いのにと思いました。2件回ったのですが、客は私しか居なくて、気がついたら健康相談に乗っていました。

10月10日(月)

ひたすら電車から海を眺めながら、文献スクリーニング。被災地支援のため、浜千鳥をたくさん購入し、また三陸鉄道のグッズをいくつか買いました。

7:41 釜石→(岩手県交通バス・釜石船越線・岩手船越行)→8:28 岩手船越, 8:50 岩手船越→(岩手県北バス・宮古駅前方面・宮古行)→9:54 宮古着, 11:05 宮古→(三陸鉄道北リアス線・久慈行)→12:43 久慈, 14:56 久慈→(JRリゾートうみねこ・八戸行)→16:58 八戸, 17:06 八戸→(東北新幹線)→18:29 仙台, 18:44 仙台→(東北新幹線)

④京都

10月21日、京都医療センターの神経内科医らと会食をしました。また、10月22日に京都医療センターにお邪魔して、音楽療法がおこなわれる部屋を見せて頂きました。そして、頭痛学会で集まっていた神経内科医らと弦楽五重奏を楽しみました。

⑤第9回NIRC (Neuro- Imaging Refresher Club)

11月5日、国立科学博物館に「ラスコー展」を見に行きました。ラスコーの壁画が再現され、一定の時間間隔で光で絵が浮かび上がるようになっていました。また、東京都美術館で「ゴッホとゴーギャン展」をしていたので、ついでに見ました。翌 6日は NIRCという神経放射線の研究会でした。とても勉強になりました。

⑥神楽坂

11月25日糖尿病関連の著作がいくつもある岩岡先生らと神楽坂で会食でした。私は何冊か岩岡先生の本で勉強していますが、特に「ここが知りたい! 糖尿病診療ハンドブック Ver.2」がお気に入り (そういえば、もうすぐ Ver. 3が出るのだっけか・・・)。

11月26日、サントリー美術館で「小田野直武展」を見ました。小田野直武は秋田県角館市出身で、解体新書の絵を書いています。平賀源内の教えを受け、遠近法などの西洋絵画の手法を取り入れました。また、司馬江漢の指導もしています。その後、上野の森美術館に移動し、「デトロイト美術館展」を見ました。

⑦伊豆

12月16日、下田海中水族館に行きました。ドルフィン・ビーチに入って、直接バンドウイルカに触ることができました。3頭いましたが、その 3頭であれば個体識別ができるようになりました。この体験のおかげでバンドウイルカは見ればわかりますが、その後のショーで見たカマイルカはマイルカとの鑑別が難しかったです。スタッフにとても親切にしていただいたのですが、唯一残念だったのは、小川鼎三先生のことを話しても通じなかったこと。

12月17-18日は伊豆で医師向けに神経疾患全般について 講演をしました。6時間の依頼だったのですが、質問が多く盛り上がり、つい熱が入って気がついたら 7時間30分も喋っていました。聴衆のレスポンスが良く、刺激を受けました。

12月18日、帰りに伊豆・三津シーパラダイスに行きました。閉園間際でしたが、何とかイルカのショーを見ることが出来ました。また、セイウチのショーは終わっていましたが、スタッフが私一人のために「バイバイ」とか、色々ショーをやってくれて、とても感動しました。

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ノーベル医学生理学賞

By , 2016年10月4日 5:57 AM

2016年の医学生理学賞は、大隅良典先生が受賞されました。昔、近い分野の基礎研究をしていた者として、とてもうれしいです。そういえば、オートファジー絡みの和文総説書いたことあるなぁ・・・。

Press Release

そして、なんと・・・2011年に私が書いたブログでのノーベル医学生理学賞予想は、大隅先生でした。時代を 5年先取りしてしまったぜ (違

ノーベル医学生理学賞 (日々不穏:2011年10月3日)

 今後、PD-1の本庶佑先生、CRISPER/Cas9の石野良純先生・Doudna博士・Charpentier博士などはおそらく受賞することになるのでしょうが、iPSの山中先生のときも話題になってから少し引っ張りましたから、1~2年先なんですかね。
Twitterで大隅先生の講義を受けた方から下記の投稿見つけました。ユニークですね。

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航空機での医師登録制度

By , 2016年6月1日 7:07 AM

以前、ルフトハンザの「Doctors on board」プログラムについて紹介しました。

医療関係者の方はいませんか?

これに追随する流れが広がっているようです。まず、JALが「JAL DOCTOR登録制度」を開始。しかし、登録には日本医師会発行の医師資格証が必要で、日本医師会の会員以外が資格証を用いるには、発行手数料 5000円、年間使用料 6000円が必要。日本医師会の会員以外で登録しようという物好きな医師はいないでしょう。アホな制度を作ったものです。私は青組 (ANAメンバー) で良かった・・・。

JAL DOCTOR登録制度とは?

当登録制度は、医師資格証をお持ちの医師の方に任意でのお願いになります。
JALグループ便機内で急病人や怪我人が発生し、医療援助が必要となった場合、登録いただいた医師の方へ客室乗務員が直接お声掛けをさせていただく、国内航空会社では初めての取り組みとなります。
ご登録時に医師情報が登録されますので、JALグループ便ご予約の際にお得意様番号を登録いただくことで、緊急医療が必要な事態が発生した場合、客室乗務員が医師の方に速やかに援助をお願いさせていただくことが可能となります。
※飲酒や体調不良など、対応が困難な場合は、その旨を客室乗務員へお伝えくだされば、ご辞退いただくことも可能です。

続いて、ANAも同様のサービスを開始することが発表されました。

医師登録制度「ANA Doctor on board」を開始します

~安心してご利用頂けるよう医療サポート体制を強化します~
ANAは2016年6月より、昨今の高齢社会や訪日需要をふまえ、より安心してご利用いただけるよう、医師登録制度「ANA Doctor on board」を開始し、国際線を中心に医療サポート体制を強化致します。

ANAはこれまでも機内で医療対応が必要となった場合の対応策として、医療物品の搭載や国際線において「MedLink(※)」と提携し、24時間地上と連携しサポートできる体制を提供してまいりました。「ANA Doctor on board」の実施により、機内にて傷病者などが発生した際、客室乗務員が「ドクターコール」(アナウンスによる医療関係者の呼び出し)をせず、登録いただいた医師に協力依頼ができ、迅速な救急医療処置につながります。7月より募集を開始し、9月より国際線にて運用開始する予定です。

機内搭載の医療物品についてもこれまでより詳細に開示し、傷病をお持ちのお客様、医療対応に協力頂く医師の方々にも事前に確認いただけるように致します。

また、「ANA Communication Board」を活用することで、音声を含む各国の言語(定例用語)にて、医療行為発生時の初期対応に活用が可能となります。(ANA NEWS第16-022号 「ANAコミュニケーション支援ボード)の導入)

ANAはこれからもより安心してご利用いただけるよう各種サービスを拡充してまいります。
以上
※MedLink:航空の乗務員と乗客に医療サービスを提供しているMedAir社と契約し、24時間365日、緊急時の電話による医療ケアやセキュリティ専門家によるアドバイスを世界中どこにいても受ける事ができます。
【ANA Doctor on boardについて】
※ANAマイレージクラブ会員を対象に、医師免許と顔写真付きの身分証明書を申込書とともに事務局に送付頂き、所定の審査・確認を実施の上、登録となります。
※登録された医師ご本人の体調等の都合もあるため、協力は任意と致します。登録された医師がいない場合には、これまで通りドクターコールを実施致します。
※機内で実施頂いた医療行為に起因して、医療行為を受けられたお客様に対する損害賠償責任が発生した場合、故意または重過失の場合を除き、弊社が主体となって対応させて頂きます。

コンセプトは良いのですが、登録するメリットが見えないし、「損害賠償責任が発生した場合、故意または重過失の場合を除き」の「重過失」の定義がはっきりしないので、しばらくは見合わせようと思います。飛行機の中という経験のないシチュエーションで、専門外の疾患に対して、100%過失を犯さない自信はないです。今登録するなら、ルフトハンザです。ヨーロッパに行くときは、共同運航便を使えば良いし。

(参考)

善きサマリア人の法とは?ここに来て甚だしいJALと日本医師会の浅はかさ

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犬養木堂記念館

By , 2016年5月5日 10:06 AM

ゴールデンウィーク、5月3-5日に帰省しました。3, 5日は移動日だったので、出かけられたのは 4日のみでした。乗馬クラブは混んでおり、犬養木堂記念館に出かけることにしました。

犬養木堂記念館

犬養木堂 (犬養毅) といえば、憲政擁護運動で知られた政治家です。明治憲法と日本国憲法の違いはありますが、憲法記念日の翌日に訪れることができてよかったと思います (憲法を変えるとか変えないとかいう議論とは全然別のものです)。記念館には、木堂が撃たれたときに座っていた血痕のついた座布団や、孫文が武器弾薬を陳情した手紙、木堂の書などが飾られていました。また、木堂の演説の録音を聴くことが出来ました。

その後は、川崎医大の前を通り、大山名人記念館に行きました。

大山名人記念館

展示はワンフロアのみで、大山康晴ゆかりの品がいくつか展示されていました。彼が使用した盤駒、駒袋、眼鏡などです。棋書が自由に読めるようになっており、奥座敷では、若者が一人将棋盤を使って詰将棋を解いていました。大山名人が残した「助からないと思っても助かっている」という名言は、重症患者を診ているときなど、ふと頭に浮かぶことがあります。

夜は、福島県の行きつけの酒屋で買った「十四代 中取り純米吟醸 播州愛山」を家族で飲みました。行きつけの酒屋ではスタンプカードが貯まると定価で買うことができますが、ネットオークションでは 3万円もするんですね。調べてみてびっくりしました。あとは、地元の「御前酒 馨」、こちらも美味しかったです。

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