2016年4月24日、女川に行ってきました。
4月23日に仙台に宿泊し、4月24日午前9時24分発の JR仙石東北ライン特別快速・石巻行に乗って、まず石巻へ。仙石線は、東日本大震災で駅や線路が流された後、山側にルートが変更されていました。野蒜付近では、山の間から、旧野蒜駅周辺が見渡せました。石巻駅 10時16分着。石巻では駅向かいの石巻市役所の横に石巻市立病院が建設中であるのが、到着したホームから見ることができました。
石巻市立病院1
石巻市立病院2
向かいのホームに渡って 1o時37分石巻線女川行き。津波の被害のなかったところでは所々海沿いを走っており、景色が綺麗でした。11時2分に女川駅に着きましたが、Suicaは使えず、現金精算となりました。「Suica・PASMO・パスネット処理連絡票」というのを貰い、後で Suicaの扱える駅で入場記録を取り消して貰うのですね。
女川駅
新築された女川駅は、改札の向かいが土産物屋で、その上は温泉ゆぽっぽになっていました。土産物屋で震災関連の写真集や、本「寄り添い支える 公立志津川病院 若き内科医の 3・11 (菅野武著、河北選書)」を買いました。店内には、震災直後に石巻日日新聞が発行した壁新聞の現物が展示されていました。温泉も入りましたが、くつろげる座敷が併設されており、ゆったりできました。
石巻日日新聞
駅の屋上は展望台になっており、街が一望できました。街の中心部にはシーパルピアというテナント型の商店街があり、飲食店、案内所、レンタカーショップ、コンビニなど、必要なものがすべて揃うようになっていました。唯一足りなかったのはコインロッカーくらいでしょうか。荷物の多い方は御注意を。
女川駅展望台からの風景
女川では、少しだけ ingressをやったのですが、工事中で閉鎖された道路が多く、かなり迂回して歩く必要がありました。震災直後に訪れた女川町立病院は、現在、女川町地域医療センターとなっていました。
女川町地域医療センター看板
女川町地域医療センター
昼食は、海鮮丼などを食べられる店が数件あり、ウニ丼をおいしく頂きました。観光客が多くてかなり混むので、温泉で少し時間を潰して 13時頃に入るのがミソですかね。その時間だと割と空席があります。
昼食
その後、女川ビールが飲めるガル屋という barにふらりと入ったら、店員が ingressの Tシャツを着ており、周囲に座っていた集団が ingressトークで盛り上がっていました。
女川ビール
時間がなかったので、「希望の鐘」はまた次回にして、14時55分発の石巻線に乗り15時20分石巻着、15時24分石巻発 16時48分仙台着でした。帰りの電車で「寄り添い支える~」を読み、胸が熱くなりました。
他の地域に少し遅れ、現在復興真っ只中の街。また近いうちに行こうと思います。
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(参考)
・5年後の311 (スライド後半に当時の女川の写真)
新しくノートパソコンを購入しました。
これまでは、Let’s note CF-SX3を使っていたのですが、SSDが 256 GBしかなく、講演に向けて動画編集をしていたら容量がなくなったのが原因です。
新しく購入したのは、Let’s note CF-SZ5で SSD 512 GBのオーダーメイドです。高かったけれど、仕事のための投資なので仕方ありません。なけなしの貯金は減っていく一方です。
OSは Windows 10 Proより以前の Windows 7の方が使いやすかった気がするけれど、これは慣れでしょうか。
スペックを下記に書いておきます。
CPU: インテル® Core™ i7-6500U プロセッサー2.50GHz (ターボ・ブースト2.0利用時は最大3.10GHz)
SSD: 512 GB
メモリー: 16 GB
ドライブ:ブルーレイ
バッテリパック (L): 約20.5時間駆動
OS: Windows 10 Pro 64 bit
色々と忙しくて、ブログの更新が 3ヶ月近く滞ってしまいました。この 3ヶ月くらいの間にあったこと。
8月30日~9月5日に 1週間の夏休みを追加で頂きました。8月30日は酒井健治さん作曲のヴァイオリン協奏曲を成田達輝さんが演奏 (世界初演) するのをサントリーホールに聴きに行って、夜は酒井健治さん、成田達輝さんらと食事をしました。素晴らしい誕生日になりました。その後は実家に帰省し、連日大山乗馬センターにひたすら通いました。
9月13日は内科専門医試験でした。仕事が忙しく、勉強を始めたのは前日東京に向かう新幹線の車内。内科認定医試験は無勉強で通りましたので、内科他科の勉強をきちんとしたのは国家試験以来・・・。ごっそりと知識が抜けており、99%落ちたという手応えでした。ただし、知人から試験問題再現のバイトを教えていただき、100問近く概要を暗記して帰っていたので、交通費+ホテル代くらいにはなりそうです。来年頑張ります。
9月18~19日は角館で神経機能回復セミナーに参加しました。とても勉強になりました。
あとは 10月17日に DVD収録があり、7月頃からその準備に追われていました。というか、この仕事以外ほぼ何もできませんでした。3時間以上喋るのですが、6時間くらいかけて収録。カメラが回ると頭が真っ白になるものです。色々と反省しました。収録後にプロ棋士のハッシーと飲んで、愚痴を聞いてもらいました。その時に、カメラの前で喋るのに注意する点など色々質問しました。彼は何度もテレビ出演していて経験豊富だったので勉強になったのですが、収録前に聞くべきでした。
10月18日は楽器の合わせ。レスピーギ作曲、「リュートのための古風な舞曲とアリア第 3曲」を弾きました。半年ぶりに楽器のケースを開け、カラオケ屋で一人練習をしてから参加。合わせの途中に楽器の D線が切れてしまい、全部 G線で代用しました。1年くらい弦を張り替えていなかったからですかね・・・。
その他、某ガイドライン作成に systematic reviewの部分で関わることになったので、10月24日は東京医科歯科大学でガイドライン作成法の研究会。GRADE systemの話でした。日本の診療ガイドラインには質の低いものが少なくなく、GRADE systemのようにきちんとした方法論を用いて、全体の質を上げていかないといけないなと思いながら聞いていました。
JMECCという内科救急の講習会にも参加しました。秋田県の医療過疎地で月 1回行っている当直では、3次救急まで対応しなければいけない場合があるので、良い勉強になりました。
現在行っている仕事に関しては、Cochrane DTA (diagnostic test accuracy) reviewにエントリーしている 1本目の論文が protocol openに近づいているのと、タイトル登録にこぎつけた 2本目の論文があります。あとは、ガイドライン作成の準備と、知人から頼まれた和文総説 1本、年明けの講演の準備 (主催者がマスコミに案内状を送るようです) など、臨床以外の部分でかなり忙しくなっています。「何もすることがないよりはマシ」と思って頑張ります。当然、プライベートに関しては、非リアです (´・ω:;.:…
ブログは、Cochrane DTA reviewのデータ解析やガイドライン作成が本格的に始まったらまた滞ると思いますが、それまでは可能な範囲で更新していきたいと思います。
8月3日の当直中、悪寒、下痢、吐気があり、体温を測定したら 38℃台でした。今年 4回目の発熱です。
仕事が一段落したところで、今日は昼過ぎに早退し、ゴロゴロしていました。咽頭痛が加わってきましたが、解熱はしてきており、このまま安静で様子を見ます。
まぁ、ウイルス感染でしょうね。
7月25日 (土) ~31日 (金) に夏休みを頂きました。
7月25日は沖縄行きの飛行機に乗るため、仙台空港へ。ところが台風が沖縄に直撃するとのことで、飛行機が欠航。福岡沖縄便が運行していることを突き止め、金銭的にかなりの負担ではありましたが、仙台福岡便と福岡沖縄便を予約しました。仙台福岡便では、裏富士、天橋立、鳥取砂丘などの名所を上空から見ることが出来ました。この航路では、左側の座席、つまり A席がオススメですね。福岡沖縄便は、数時間遅れでの運行でしたが、無事夜には沖縄に着くことができました。その日は妹夫婦の家で手料理をごちそうになりました。
7月26日は、ブセナ海中公園に行きました。台風の影響で、残念ながらグラス底ボートは運休。海中展望塔では様々な種類の魚を見ることができましたが、階段を降りて魚を眺めるだけで 1000円程度の入場料は少し高いかなと思いました。ここの観光を終えてからは、地元で有名な「なかむらそば」で沖縄そばを頂きました。午後は、トレッキングをするため、読谷村の観光施設内にある「おきなわ乗馬クラブ」に行きました。珊瑚の欠片が打ち上げられたビーチを馬に乗って歩くのは、沖縄でないとなかなか経験できません。スタッフもとても親切でした。ただし、この乗馬クラブでの外乗は、相当な経験者 (おそらく 150鞍以上) でないと引き馬なんですね。その点が物足りなく感じました。夜は「GOSAMARU」で焼肉をごちそうになりました。肉は最高ですし、おもてなしが行き届いています。素晴らしいお店でした。
7月27日は沖縄から福岡空港に飛んで、新幹線で岡山へ。帰省しました。親の健康相談を聞きながら、もう結構な齢なんだなぁと実感しました。
7月28日は、大山乗馬センターに行って、レッスン (指導されたのは、つま先を外に開いてふくらはぎをしっかり締めることなど) を受けた後に、5 kmの外乗に出かけました。丁度雨が上がったばかりで涼しく、湖畔に立ち込める靄が幻想的でした。いつも、乗馬の帰りは境港で海産物を買って帰るのですが、この日は乗馬を遅めに始めたため、境港は閉まっていました。残念。
7月29日は岡山空港から羽田空港に飛んで、知り合いのプロ棋士と大井競馬場に出かけました。馬券は外れましたが、最終レースまで遊んで、歌舞伎町のしゃぶ叙で閉店時間まで一緒に食事をしました。業界の違う友人との付き合いは刺激になります。
さて、夏休みはあと数日残っていますが、散々遊んだので、溜まった仕事を片付けないといけません。医療系の DVD出演の準備、Cochrane systematic reviewのプロトコル書きなど、期限のある仕事が目白押しです。ということで、当面の間バタバタしてブログはほとんど更新できなくなりますが、ご容赦ください。
6月29日に仕事を終えた後、30日午前 2時頃の夜行バスに乗って成田空港に移動。同日 Birminghamに旅立ちました。7月1~3日に開かれたCochrane DTA workshopに参加するためです。
3日間みっちりと勉強し、診断精度研究について、非常に勉強になりました。参加者は世界各地から 40名くらいでした。 2日目には 15人くらいと講師陣でパキスタン料理を食べに行きました。
ちなみに、Jon Deeks教授は、Cochrane libraryに interventionだけではなくて、diagnostic test accuracy (DTA) を加える事を認めさせるきっかけとなる働きかけをした方です。Cochrane DTA Handbookの著者でもあります。最後は、その Deeks教授 (みんな Jonって呼んでました) のサインの入った修了証明証を受け取りました。
EBM時代、こうした勉強をしておくのは非常に価値のあることだと思います。そして、海外の研究者に名前を覚えて貰えました (アジア人は私一人だったので目立ちました)。
7月3日は 15時くらいに終ったので、Birmingham美術館を訪れ、7月4日朝一の飛行機で日本に帰ってきました。おみやげに、TALISKER 57° 2本と、日本では手に入りにくい TALISKER DARK STORMを 4本買ったのですが、非常に重かったです。免税範囲を超えていたので申告したら、税金は 2200円の税金でした。日本では希少なウイスキーが手に入ったと思えば、安いものです。
7月5日帰宅後、冷蔵庫と IHクッキングヒーターを自宅で受け取りました。これでウイスキー用の氷がいつでも手に入るし、(飲みに来た人が) つまみを作ることも出来ます。料理をしない人間にとって、冷蔵庫 470 Lはかなりのサイズですが、地酒保存用としますかね・・・。
7月6日は時差ボケにそれほど苦しむことなく出勤。また、当直でした。
私は以前、李啓充先生の「アメリカ医療の光と影」という連載のファンでした。ブログに紹介したこともあります。
その著者である李啓充先生が、なんと福島県の大原綜合病院にいらっしゃっているようです。
李 啓充(大原綜合病院内科)
(略)
かくして,私は,村川君との縁があっただけに,福島の状況に一層感情移入するようになった。やがて,「小さな子どもを持つ医師が放射能被害を危惧して福島を離れ,医師不足がさらに深刻化している」と聞いたとき,福島への感情移入が「子育て後の身の振り方」についての思案と合体することとなった。「もう人生の第4コーナーを回っているから少々放射能を浴びても影響は些少。私のような年寄りが行かなくて誰が行く」と思うようになったのである。
同じ福島県で働く医師として親近感があります。連載を通じて多くのことを教えてくださった先生ですし、どこかでお会いできるのを楽しみにしています。
2o15年6月13日 (土)、フンボルト協会 2015年度年次総会のため京都府立医科大学に行ってきました。
フンボルト協会は、ドイツに留学する研究者や学生に対して奨学金を交付しています。私は今のところ留学の予定はないのですが、フンボルト協会の奨学金でドイツ留学をしたことがある知り合いに誘われたので、聴きに行くことにしました。音楽家の診療について、憧れの研究者がドイツにいるので、ドイツに留学することが絶対にないとは言い切れませんしね。
この日は、目的とするドイツ研究留学説明会の後、安成哲三氏による「地球の未来と科学の役割」という講演 (地球温暖化などについて)、砂原悟氏のコンサート「6つのピアノ小品集 (ブラームス)」があり、最後に会員総会がありました。私は会員ではないので、会員総会の時は京都散策をしていました。
それが終わってから、京都府立医科大学附属病院外来診療棟 4階の「オリエンテ」での懇親会に参加しました。本当は、非会員は参加できないのですが、知り合いの同伴者として参加させて頂いたのです。
懇親会には、さまざまな専門の研究者が参加していたので、普段聴けない話をたくさん聴くことができました。例えば、某大学の法学部の教授からは、1800年代のドイツ法について話を聞きました。私は法学には疎いのですが、アルツハイマーの時代にはドイツの法律には精神病患者の扱いについて明記されていたとか、ヘンデルの父親がヘンデルを法律家にさせたがっていたとか、そんな小ネタを喋ってみました。すると、その方はクラシック音楽が大好きらしく、盛り上がりました。
懇親会が閉会してからは、知り合いが iPS細胞研究所 (CiRA) の研究員を呼び出してくれて、4人で飲みました。丁度、私が興味を持っている神経変性疾患の研究をしていて、非常にためになる話が聴けました。
最近、通勤電車内で「医療関係者の方はいませんか?」という放送がありました。何事かと思って現場に駆けつけると、すでにナースが手当をしていました。診察してみるとそれほど重症ではなさそうで、大事に至ることなく、患者さんは救急車に乗って行きました。
電車を降りると同僚の姿。「何で行かなかったの?」と聞いたら、「だって、職業ばれるでしょ。先生、もう電車で酒飲めませんよ。電車で飲んでたら『あ、またあの医者酒飲んでる』って言われますよ」と言われました。確かに・・・。その矢先にこんなニュース。
医者の知り合いたちと Facebookで話題になったのですが、やはり電車の放送で出て行くのはリスクが高いですね。完全ボランティアだし、仮に出て行ってもできることは限られるし、訴訟で敗訴しても保険金が下りるかどうかよくわかりません。ヘタすると億単位の借金を背負うことになります。私も次からは出て行くかどうか微妙なところ・・・。
交通機関内ではある一定件数救急患者が発生するのだから、それを医師のボランティア精神にだけ委ねるというのは、どうかと思いますよ。医師は訴訟リスクを負っているわけですから。
そんな中、航空会社のルフトハンザは、このようなプログラムを用意しています。さすがと思います。ルフトハンザを使う機会があったら、これは契約しようかなと思いました。
機内で医療援助が必要となった場合、「Doctor on board」プログラムにご登録の医師の方に援助をお願いいたします。ご登録いただいた皆様にはルフトハンザより謝礼を進呈いたします。
- Miles & Moreの5,000アワードマイル
- 「Handbook of Aviation Medicine: and In-Flight Medical Emergencies(航空医学・機内医療援助ハンドブック)」1冊
- 今回より新しく追加: プログラム参加者用にデザインされた特製バッゲージタッグ「Doctor on Board」
- 今回より新しく追加: 次回のフライト予約でご利用いただける50ユーロ分のプロモーションコードを1回分、および定期的なキャンペーン
- 今回より新しく追加: ルフトハンザにてDeutsche Akademie für Flugmedizin(航空医学ドイツアカデミー)との提携による、ルフトハンザ医療サービスが提供するセミナー(有料)への参加。その際にはCME ポイントも取得できます。
賠償責任と保険
医療援助を行った医師の方は法的に保護されます。ルフトハンザ ドイツ航空がそのような事態に備え契約している責任保険の範囲で治療を受けた搭乗客からの賠償請求に対しては填補されますので、医師のお客様ご自身が責任を問われることはありません。ただし、故意による過失は除外されます。この免責は医師の方ならびに医療関係の援助者の方にも適用されます。
日本の交通機関も、こういう制度が出来ないものですかね。何かあっても、私はもう出て行きませんからね。(とかいって、また勢いで出て行ってしまうかもしれないなぁ・・・。)
6月2日に再度発熱しましたが、それほど高熱にならず、1日で解熱しました。現在は咽頭痛のみ。
家族性地中海熱 (FMF) をモジッて、勝手に福島熱 (FukushiMa Fever; FMF) と呼んでいますが、もちろんネタです。
2月にも 1度発熱していて、今年は割と良く熱出しているなぁ・・・と。しばらくは、体調管理に努めます。