Category: 雑感

年末年始の予定

By , 2012年12月31日 10:54 AM

年末年始の予定です。クリスマスイブに引き続き、年始から日当直と、イベントを悉く当直で祝うみぐのすけです。

12月31日 (月) 実験, 妹の夫の実家で飲み会

1月1日 (火) 日当直

1月2日 (水) 帰省

1月3日 (木) 大山乗馬センターで乗馬, 地元の友人と飲み会

1月4日 (金) 帰京, 実験 (培養細胞の世話など)

1月5日 (土) 秋田で当直

1月6日 (日) 妹夫婦と旅行 (南三陸 観洋泊)

1月7日 (月) 帰京, 実験 (培養細胞の世話など)

1月8日 (火) 病棟業務開始

1月6日は温泉に浸かって、被災地の酒蔵をいくつか回るとともに、自分がボランティアで行った地域がどうなっているか見てきたいと思います。

それでは皆様良いお年を。

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世田谷一家殺害事件

By , 2012年12月30日 10:30 AM

2012年12月30日は、世田谷一家四人殺害事件から丁度 12年目にあたります。

先日、成城警察署から私に電話がかかってきてビックリしました。叩けば埃のでる体なので、「どの出来事だろう?」と思いながら、聞かれてもいない犯罪をベラベラ喋りそうになり、「医師逮捕」の見出しの新聞記事を思い浮かべた頃、捜査員が「世田谷一家四人殺害事件について聞きたい」と言ってきました。12年前の 12月 30日のアリバイなんて覚えていません。ブログ記事があれば思い出す手がかりにはなりますが・・・。ひょっとして犯人として疑われているのかしら???

ところが真相は違いました。私の学会発表を聞いた聴衆が、「ひょっとして犯罪捜査に使えるのではないか?」といって匿名で警察に電話してきたらしいのです。そこで学会発表の内容を教えて欲しいとのことでした。

12月21日に、捜査員 2名に疾患についてと遺伝学の基本について 1時間ほど講義しました。無償で講義したお礼に、捜査員は私が女性にハレンチなことをして逮捕されるときに見逃すことを約束してくれました。

講義を終えた後、犯人の血液が残されていることを知り、全塩基配列を読んでみてはどうかと提案しました。サンプルには限りがあるので、デジタルデータを持っていた方が、あとから解析しやすいと思ったのです (科学技術のここ数年の劇的な進歩で、2013年には 10万円以下で、15分以内に解析できると言われています)。ところが、法的な問題が色々あるらしいです。

こうした凶悪事件について、「国会議員の 2/3以上の賛同が得られた事件についてのみ、遺伝子情報を自由に解析して捜査に用いることが出来る」とか法改正できないものかと思いました。

被害者のご冥福をお祈りすると共に、一刻も早く犯人が捕まることを願っています。

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エアコン

By , 2012年12月29日 4:42 PM

ついにぬくもりのある生活を取り戻しました。エアコンが直ったのです。これで明日、明後日の実験も、気合が入るというものです。

(参考)

眠れない熱帯夜

発熱

エアコン

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エアコン

By , 2012年12月20日 3:44 PM

夏から闘病中の私のエアコン。全然機能しなくなり、最近ではあまりの寒さに耳が痛くて朝目が覚めます。本日、電気会社の方が往診にいらっしゃいました。

「この 4回点滅して止まるのは、コンプレッサーの障害ですね。空気を圧縮して送り出す心臓部分だから、取り替えないとダメですよ」とのことでした。

応急処置をしてくださって、少し暖かい空気が出るようになりましたが、いずれ大掛かりな手術が必要なようです。そして、日程的には年明けになるかもしれません。

修理が終わるまで避難出来るような、エアコンの効いた女性の部屋を募集中ですm(_ _)m

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携帯電話紛失騒動

By , 2012年12月9日 11:36 AM

12月7日は六本木で研究会でした。研究会が終わった後、ロマンチックにライトアップされた街並みを眺めるカップル達を羨ましそうに見ながら、日付が変わるまで軽いヤケ酒を飲みました。タクシーで自宅に着いて、コンビニで締めの料理を買って温めている間に携帯 (sim-free iPhone 4S, Docomo) を見ようと思ったら・・・なんと無いのです。タクシーを降りるまでは確かにあった筈。

自宅に戻って、iCloudを使って位置確認をしたら、自宅前で反応がありました。しかし、遠隔操作でアラームを鳴らして外に出て探しても見つからず。やがて電池が切れたのか、誰かに電源を切られたのか、位置確認にも反応しなくなりました。

12月8日出勤前に再度探してもなくて、練馬警察署にも行ってみましたが、やはりありませんでした。レシートを頼りに、タクシー会社にも電話してみましたが、私が乗った車両番号の車に携帯は落ちていないとのことでした。その日はそのまま日当直に出かけました。

当直を終えて、12月9日昼前に練馬警察署に出頭するを訪れると、なんと iPhoneが届けられていました。

重症の患者さんを担当していて、いつ急変の連絡が来るかもわからない状況だったので、早く見つかった良かったです。3ヶ月分の定期券もくっつけていたので、二重に助かりました。どなたかわかりませんが、警察に届け出てくださった方に深謝いたします。

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発熱

By , 2012年12月5日 6:30 PM

発熱してしまいました。

夏からエアコンが壊れているため、暖房もなく、ガタガタ震えています。

あまりに寒いので、とりあえず、エアコン修理の依頼をしてみました。とはいっても、エアコンが直るのは当分先でしょうね。

悲しいことに、明日と明後日が外来、明々後日が救急当直です。代わりはいません (´;ω;`)ブワッ

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IDカード

By , 2012年11月21日 6:57 AM

 国内留学から大学に戻って丁度 3週間になりました。大学で後輩から「migunosuke先生が国内留学したのに刺激を受けて、○○で勉強することにしました」という声を複数聞いて、非常に嬉しく思いました。2年見ない間にみんなすっかり成長していて、このまま若い医局員たちで医局を盛り上げていきたいところです。

 後輩たちに勉強したいオーラが充満しているので、私と後輩達のみでの抄読会を提案したところ、快諾をいただきました。医局の抄読会は、神経内科領域のみの新着論文という縛りがありますが、私が主催する抄読会では、その縛りを取ろうと思います。色々な科の領域の論文でも良いし、古い歴史的な原著論文を読むのも楽しいと思います。後輩たちには「Play Boy以外だったら何でも良いよ」と伝えてあります。みんなどんな論文を読んでくるか楽しみです。面白い論文があったら、ここで紹介出来ると良いなと思います。

 また、外来、病棟では、診断や治療に頭を悩ませつつ、久しぶりに臨床にどっぷり浸かるのを楽しんでいます。

 ただ問題なこともあります。それは、私の IDカードがまだ出来ないこと。医局秘書さんに聞くと、申請はしているらしいのですが、あまりに遅すぎます。私に IDカードを渡すことを危惧する上層部の意向があるのではないかと心配してしまいます。まず実際問題困るのは、IDカードがないと移動できない空間が多いことです。夜間一旦外に出てしまうと入れないし、日中でもスタッフ専用ルームへの出入りができません。病院職員が IDカードをかざして通るのを待って、ささっと一緒に入っているのですが、防犯カメラに映る姿があまりに不自然です。病院で何か事件があったら、真っ先に疑われるのは私です。また、IDカードがないと図書館に入れないので、調べ物ができません。大学事務員にとっては些細な問題ですが、私にとっては結構大きな問題なので、是非ご配慮頂きたいところです。

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Nature

By , 2012年11月9日 7:30 AM

Nature誌の “Editorial” に森口騒動を通じたメディア批判が掲載されました。

 Bad press

掲載された当時から、ネットでは相当反響が大きく、賑わいました。

日本語訳をした方も複数います。下記のサイトでわかりやすく纏めてくれているので、紹介しておきます。

“Bad press”―Natureに掲載された日本のメディアに対する批判

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国内留学を終えて

By , 2012年11月4日 2:58 PM

10月31日をもって、2年間の国内留学を終えました。

基礎研究は全くの初心者の状態で国内留学し、当初は実験失敗の連続でした。一日一善という言葉はありますが、一日一つは大きな失敗をしでかし、皆様に大きな迷惑をかけました。私がしでかした失敗で、一冊本が書けます。

しかし、ラボに行って 1年くらいすると、徐々に実験がうまくいく事が増え始め、手を動かすことが楽しくなりました。国内留学を終える頃には、他の研究者達と同じくらいのペースでデータを生み出すことが出来ていたのではないかと思います。2年間でこれだけスキルアップしたので、もう少し時間があればもっと色々なことが出来たのかもしれませんが、臨床医としてのスキルを落とすわけにはいきませんので、戻るには丁度良い時期でしょう。

この 2年間、研究生活に身を置いてみて、過去に「D教授の言葉」という随筆で紹介した言葉の素晴らしさをますます感じました。現在読んでいる「ラモニ・カハール」という本の冒頭でも、萬年甫先生が「D教授の言葉」を引用していますね。

[増補] 神経学の源流 2 ラモニ・カハール (萬年甫編訳, 東京大学出版)

私が学生時代に読んで深い感銘を受けた文章のひとつに安騎東野氏の「D教授の言葉」がある。安騎東野という名が、柿本人麿が安騎野でよんだ「ひむがしの野にかげろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」(万葉集巻I)をただちに連想させ、この歌が私のすきなものであったので、この人の随筆にも興味をもち、「欧州の雀」、「向日葵」、「歩行者」、「農村復興」と次々に発行される著書には必ず目を通していた。「D教授の言葉」は「向日葵」の中にある。

それは昭和 14年に書かれたもので、安騎氏がベルリンに 2年在留し、それを終えて帰国直前の主任教授の D氏と一夕を過ごした時の会話である。話題は日本人の独創力をめぐって進む。D教授はいう。「私は日本人の独創力を本質的には高く考えている。それだのに日本には、例外的の 2, 3の人達を除けば、明日の文化を約束するような面白い芽が生えてきていないようですね。この点について、私は君とよく考えてみたいのです。私はこの点について、日本のどこが悪いのかはもちろん知らない。だがもし君の御参考になるのならば、自分の科学に態度なりまたは研究室の指導なりについてお話ししましょう」と前おきして、「科学というものは常に現象から始めなければいけないと私は思うのです。もちろんそんなことを新しくいえば、君はあたり前だといって笑うかもしれない。しかし時にそれが笑いごとでない場合があるのです。というのは往々若い科学者は、自分の眼で見た現象と、文献で読んだ知識を混同するのです。しかし、もしある科学者が彼の文献で読んだ知識と、自分の眼で見た現象とを同等に評価するようになったらば、私はその科学者の生命はもうその時終わったものと考えるのです。科学者は常に現象の発見からはじめて行かなければならないと思う。それからすぐそれについて考えてみて、研究をすべきだと思うのです。私は決して科学者に文献を読むなというのではありません。ただ私だけの考えでは科学者の文献を読む時期が問題なのです。私はこの時期について常に 2つの種類を分けるのです。第 1の種類というのは文献を現象の発見の道具として扱うものです。もちろん自然現象というものは四六時中自分の身辺に始終起こっているのですから、気をつけてさえいれば、面白いものを発見できないはずはないのですが、もしそれにを発見できないような場合には、というよりも自分の気づかなかった現象に他人が気づいているかもしれないから、そういう現象の発見ということには、文献は必要であるのです。ただこの時一番注意しなければならぬことは、この場合できるだけその現象に対する他人の解釈は読まないことです。いい換えれば緒論や結論は読んではいけないのです。ただ実験の成績、変化現象だけを読むだけで、たくさんなのです。この場合文献は辞書と同じもので、いくら辞書をひいたといっても、すぐうまい文章が書けるというものではないのです。だから現象の発見ということがやはり主たる目的なのです。自分の興味ある現象すら発見していないのに文献を読むということは全くの無意味です。現象を見てすぐ文献に取り付いてもまだ早いのです。その現象について考え、研究がほぼ目鼻がついてからはじめて読むべきなのでしょう。いやその時期にこそはぜひ読まなければいけないのです。この時期が私のいう第 2の種類なのです。この時こそ前人がそれについてどう考えていたかもある程度までは読むべきで、それによって自分の研究が科学全体でどの位置にあるかということをはっきりさせる必要があるのです。」東野氏は以上のことを認めながら、しかし現象についてある程度まで自分だけで研究してしまって文献を探して見たら、そんなことはもう前人が詳しくやってあったというようなことはないだろうかと質問する。それに対する答は明快である。「決して!もし 1人の人が本気で自分自身の考え方で研究していったとするならば、それらの仕事は各人各様の特質をもってくるはずです。私はこの指紋のような仕事を尊敬します。また将来の科学こそは、現在のこの指紋のような仕事によってのみ進められるのだと確信しています。もし他人の仕事と全く同じになるという危険を云々するならばそれはむしろ文献ばかり読んでいる人の仕事にだけそれがあると考えなければならないのだと私は信じるのです。・・・研究者それ自身は本質的に独創力のある人であったにしても、その人があまり文献を読みすぎたという態度の誤りで、その人の研究には時として一生芽をふかない場合もあるのです・・・。」

以来、私はこの文章をことあるごとに思い出した。しかし、学生時代にはそれは活字の世界のことであり、あくまで二次元のものとしてしか受取れなかった。それが昭和 24年医学部を卒業して東大脳研究所に入り、小川鼎三先生のもとで研究生活をはじめて見ると、この言葉、ことに「まず現象から」、「文献を読む時期」、「指紋を押したような仕事」の 3つが三次元、四次元のものとして実感できるようになった。そしてこれに共感するからには、是非実行してみようと心がけた。

さて、私は 11月から大学病院に復帰する訳ですが、現象をみることの重要性というのは、臨床においても同じだと思います。そういう意識を持って、臨床現場に臨みたいと思います。

そして 11月 2日にかつて机を並べて実験した同僚から嬉しい連絡をもらいました。医学部編入試験を受け、見事合格したそうです。私を反面教師にして頑張って欲しいです。

最後になりますが、ご指導頂いた方々、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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研究費

By , 2012年10月30日 7:30 AM

いつの時代も、研究費は研究者の悩みですが、第一次大戦後のドイツ科学界を資金面で支えた日本人が、ショートショートで有名な星新一氏の父親、星一氏だったことを初めて知りました。

星一の国際貢献 ドイツ科学界を救った日本人

2012.10.20 09:02
星一が創立した星薬科大学(星薬科大学HPから)星一が創立した星薬科大学(星薬科大学HPから)

この度の山中伸弥氏に対するノーベル医学・生理学賞決定の朗報は、基礎研究に携わる研究者の悪戦苦闘に世間の関心が向けられた点からもまことに意義深い。そこで当欄では、かつてノーベル賞受賞者を輩出したドイツ科学界に惜しみない支援を続けた一人の日本人を紹介しておく。

その人の名は星一(ほし・はじめ)、「ショート・ショート」と呼ばれる掌編小説のジャンルを確立した作家、星新一氏の実父である。彼は若き日に渡米、苦学してコロンビア大学を卒業し、明治38年に31歳で帰国して製薬会社や薬科大学を創設。一方で後藤新平と親しかったため、後藤の政敵から仕組まれたさまざまな妨害と戦いながら、激動の時代を果敢に生き抜いた快男児である。

その彼が後藤から、第一次世界大戦に敗北したドイツの科学界が実験用のモルモット一匹を買う金にも難儀しているとの話を聞く。この時である。星はこれまでドイツ科学界から日本が受けた恩恵に報いようと、自分が援助する旨を申し出る。金額は200万マルク、この破格の支援金は横浜正金銀行を通じてドイツに送金された。

ドイツでは星の援助を有効に活用すべく、「日本委員会(星委員会)」を設立、委員長にフリッツ・ハーバー、委員にはマックス・プランクなど錚々(そうそう)たるノーベル賞受賞者が就任。かくて、風前の灯(ともしび)だったドイツ科学界は再建される。当時、世界から冷淡視されていたドイツの学者たちが東方の国からの格別の援助に感極まった様子が目に浮かぶ。

大正11年のこと、星はドイツ政府から招待を受ける。エーベルト大統領は晩餐(ばんさん)に招いて記念品を贈った。さらには星に名誉市民権を与えて謝意を表した。まさに国賓(こくひん)に準ずる待遇を受けたが、個人的な見返りは断っている。

星はさらなる援助の必要を感じ、インフレに影響されない邦貨で以後3年間にわたって追加支援した。以上、その推計総額は現在の邦貨で20億円を超える。

世界の進運に寄与する学問がいかに貴いものか。その学問の危機を国境を超えて救った日本人がいたことは、わが国の誇りとして後世に伝えたいものである。(中村学園大学教授 占部賢志)

ドイツの研究者たちの喜びようが目に浮かぶようです。

ちなみに、星新一氏の母方の祖父は、東京帝国大学医学部教授の小金井良精です。かの有名なワルダイヤーに認められていた方ですね。小金井良精は森鴎外の妹、喜美子と結婚し、星新一氏の母「せい」を産みました。このように、星新一氏の祖先を調べてみると、出てくる名前が一々凄すぎます。

星新一氏が父や祖父のことを伝記に書いているようなので、時間を見つけて読んでみようと思います。

明治・父・アメリカ (新潮文庫)

人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)

祖父・小金井良精の記 上 (河出文庫)

祖父・小金井良精の記 下 (河出文庫)

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