めでたいのだか、めでたくないのだかわかりませんが、誕生日を迎えました。年齢は秘密ですが、1の位と 10の位を足すと 9になります。
とりあえずお祝い気分でいたら、こんな記事を見つけて、独身の私としては少し萎えました。
takのアメブロ薬理学などなど 子供が持つde novo変異と疾病リスクは受胎時の父親の年齢が高いほど上昇する
記事に「自分の遺伝子をできるだけ無傷で子供に伝えたい場合は、若い間に精子を冷凍保存しておく必要があるかもしれません」とあるので、明日ラボに行ったら -80℃の冷凍庫に大量保存しておこうと思います。ただし他の研究員に見つかったら大騒ぎになること必死です。ラボには、下記のように DNAを抽出出来るキットが大量にあるので、「私のではない」としらを切っても、簡単に DNA鑑定されてしまうのです。9歳だったら犯人がバレても少年法が守ってくれるのに・・・。
・DNAを抽出してみた ( DNA抽出キット, 1500円/3回)
※後半は完全にネタです
暑くて目が覚めるのは嫌なので、夏場は冷房をつけて寝ます。
しかし、数日前、汗だくで夜間目が覚め、エアコンの温度を下げて、全裸になって床に寝ました。そして温度を下げ続けて設定を 22℃としましたが、全然涼しくならず・・・。水分を大量摂取しながら、「ひょっとして、甲状腺機能亢進症になったかなぁ・・・。そういえば、救急外来で『動悸がする』と受診してきた患者さん、問診で『エアコンを 18℃にして水は一日 2L飲みます』と言うので、甲状腺機能亢進症を疑って翌日検査したら診断ドンピシャだったし・・・。俺は頻脈はないけれどどうだろうなぁ」と心配していました。
翌日午前 3時頃、やはり暑くて目が覚め、エアコンの側に行くと、冷風が出ていないのに気付きました。数年前に引っ越して一度もフィルターの掃除をしていなかったので、「フィルターが詰まったのかな」と思って開けてみると、埃がビッシリ詰まっていました。さすがに冷房がないのは辛いため、何とかしようと掃除機で埃を吸って、フィルターをセットし直しました。やはり電源を入れた直後は冷風が出るのですが、何故かすぐに風が出なくなってしまいます。結局、この日も全裸で汗だくになって、朝まで床で転げまわって過ごしました。
そして今日、午前 2時にやはり暑くて目覚めました。フィルターを外して冷房を運転させてみると 30分くらいで運転ランプが点滅して風が出なくなります。マニュアルを引っ張りだして読むと、「暖房運転で運転ランプが点滅するときは、霜取りモードになっています」と書いてありました。冷房運転で運転ランプが点滅するときは何のエラーか説明なし。
朝 4時くらいまで格闘するうちに、「冷房運転で『強』にして可能な限り運転→運転が停止したら再起動してドライモード」にすれば、エアコンが継続して作動することが発見しました。何とか寝られるくらいの室温にはなります。
これから寝ようと思うのですが、こうして得たノウハウを使ってやり過ごそうと思います。
もう一つ、ラボで同僚達が「窓を開けて寝れば冷房いらないくらい涼しいよ」と重大なヒントをくれました。エアコンに期待が出来ないと判断したら、そうするつもりです。
今夜こそは、久々の安眠を得たいものです。
おやすみなさい。
8月13~19日の 1週間、夏休みをいただきました。例によって、備忘録的な日記など。
8月13日 (月)
将棋の橋本八段(ハッシー)らと熱海の温泉「大観荘」へ。入り口には、横山大観や谷崎潤一郎の写真が飾ってありました。素晴らしい旅館で、部屋、及び温泉からは熱海の海が一望出来ました。宴会時の日本酒は「磯自慢」が用意してあり、みんなグビグビと飲んでいました。料理は、味は良かったですが、一般的な男性だと量的に物足りなさが残る感じでした。
部屋に戻ってから、持ち込んだ酒「日南娘」「日南娘黒麹」「佐藤(黒)」「北洋 雫の潤い 大吟醸」「残波」などを飲みながら、将棋を指しました (※持ち込みは別途 3000円かかります)。部屋に備え付けてあるマッサージ機が大人気で、将棋を指さずにマッサージばかり受けている人もいました。将棋に飽きて、みんながカードゲームを始めたところで、2日前の当直疲れが出て眠くなった私は、別室に移動して寝ました。
8月14日 (火)
一部の方たちは、早朝 5時の日の出の時刻に温泉に入ったらしいですが、私は朝食を摂ってから、温泉へ。温泉から出て支度を終えると、送迎バスで熱海駅に向かいました。
ところが、駅につくと、大雨の影響で新幹線が運休。ハッシーは「せっかく発売日の朝 5時に並んで乗車券を取ったのに・・・」と落ち込んでいました。駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいるうちに、新幹線が動き始めたとの報を入手し、「こだま」で大阪に向かいました。
大阪には夕方到着し、リーガロイヤルに荷物を預けて関西将棋会館へ。その後、「銀のて」に焼肉を食べに行きました。「銀のて」はハッシー推奨の焼肉屋で、大塚愛の歌「和牛塩タン680円」の舞台になったらしいです。塩焼きも、タレ焼きも、滅茶苦茶旨かったです。「指し過ぎ」との声をチラホラ聞きながら、キタにある饂飩屋「香川」に行きました。ハッシーおすすめのカレーうどんは、別腹にしっかりと収まりました。飲み会の後の締めには最高ですね。
8月15日 (水)
新幹線で帰京。みんな爆睡するかと思いきや、ビールを飲んだり、割と元気でした。
8月16日 (木)
午前中はさいたまで外来をしました。午後は往診のクリニックが休みだったので、ラボにふらりと顔を出して、細胞培養などをしていました。
8月17日 (金)
暇だったので、久々に大学の医局に顔を出しました。午後は上野の東京都美術館を訪れ、絵を鑑賞する綺麗な女性たちマウリッツハイス美術館展で来日したフェルメールの絵「真珠の耳飾りの少女」などを鑑賞しました。ものすごく混んでいたので、機会があればオランダを訪れた時にゆっくりと鑑賞したいと思いました。
絵を見てから、新幹線に乗って郡山へ。福島県で働く医師たちの近況を聞きながら飲みました。福島県立医大はだいぶ平静を取り戻しているみたいでした。雅山流、裏雅山流、愛宕の松、伯楽星といった日本酒がいつの間にか空き、”シャンデリアの君”の家に御邪魔して、さらに「獺祭」「人気一」を飲みました。私が持参した「千両男山 復興弐号 フェニックス」も少し口をつけました。震災復興支援のためファンドに出資した菱屋酒造の酒ということで、感慨ひとしおでした。
8月18日 (土)
午前 7時過ぎに家を出て、秋田の当直に向かいました。あまりに時間があったので、山形経由を選択。山形新幹線で新庄まで行って、奥羽本線で一路北へ。横手駅で途中下車して、食い道楽、ゆうとハシゴして横手やきそばを食べました。駅前に温泉「ゆうゆうプラザ」があったので、そこでのんびり。疲れを癒してから当直に入りました。
8月19日 (日)
当直を終えて東京へ。そのままラボに直行し、翌日以降の実験の仕込みなどをしました。長かった夏休みが終わりました。
巷には英語の教材があふれています。センセーショナルなタイトルの本が繰り返し売れながらうまくいかない人が多いのは、ダイエットと似た感がありますね。
電通大学の先生が説得力のあるスライドを公開しています。これを読むと、結局は勉強量なのだと思いました。コツコツ英語に触れるのが面倒くさい人にとっては、学習時間を稼ぐには、留学が一番手っ取り早いのかもしれません。
チケットを頂いたので、8月1日に研修医を連れてプロ野球を見に行って来ました。プロ野球を実際に観戦するのは小学生の時以来です。
着くのが若干遅かったため、外野立見席は満席で、1塁側内野立見席での観戦でした。最初は空調が寒いくらいと思ったのですが、観客が増えて熱気が増してくると気にならなくなりました。ビールが美味しく、ビールの売り子さんも綺麗でした。
医局で草野球チームをやっているので、守備位置など参考にならないかと思ってみていたのですが、守備範囲など条件が違いすぎて、そのまま参考になるかは不明ですね (^^;
8月1日(水) 巨人 vs. 中日
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1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
計 |
安 |
失 |
中日 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
10 |
1 |
巨人 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
2 |
11 |
0 |
試合は引き締まった好ゲーム。ファインプレーがいくつもあり、結果は巨人が終盤追いついて引き分けでした。9回裏の攻防では、一球毎、観客の盛り上がりが凄かったです。
終了後、研修医を連れて飲みに行きました。進路相談に乗ったり、医学ネタで語り合ったりして、0時頃帰りました。
寺田寅彦の随筆が好きでよく読みます。最近、あっと思う随筆を見つけたので紹介したいと思います。
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙なぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。
同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。
学者の立場からは通例次のように云われるらしい。「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」
しかしまた、罹災者の側に云わせれば、また次のような申し分がある。「それほど分かっている事なら、何故津浪の前に間に合うように警告を与えてくれないのか。正確な時日に予報出来ないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう云ってくれてもいいではないか、今まで黙っていて、災害のあった後に急にそんなことを云うのはひどい。」
すると、学者の方では「それはもう十年も二十年も前にとうに警告を与えてあるのに、それに注意しないからいけない」という。するとまた、罹災民は「二十年も前のことなどこのせち辛い世の中でとても覚えてはいられない」という。これはどちらの云い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである。
災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。(以下略:リンク先で全文読めます)
繰り返す津波被害について、本質を突いていると思いました。
ただ、現代は寺田寅彦の時代と比べ、映像を残せるなど情報技術は格段に進歩していますし、先日の震災を機に予測技術の開発も進んでいるようです。この不幸な繰り返しを何とか防いで、この文章を過去のものにしたいものです。
–関連記事 (寺田寅彦の別の随筆)–
物理学者の心
科学者と芸術家
大学時代の同期、ともの家に遊びに行って来ました。
ともとは、医師国家試験の勉強の時、お互いの家で毎日 10時間くらい一緒に勉強した間柄です。お互いに、一人だと遊んでしまうため、一緒に勉強していたのです。ちなみに、ともは受験勉強中に器用にもまりっぺを見つけ、卒後結婚しました。
お互い医師になってからは、彼が外科医になり、私が神経内科医になったということで、会う機会がめっきり少なくなり、2005年、2008年に会ったきりでした。
6月23日に外来を終えた彼の車であきる野の自宅にお邪魔しました。猫の「きなこ」と「あずき」がよく懐いてくれて、一緒に遊びました。猫じゃらしよりも実は指揮棒の方が猫は関心を示すというのが発見でした。夕食は、ホルモン焼きの「ふく」でとりました。バイトが新人でアタフタしてましたが、美味しかったです。
ともの家に戻ってから、私が持参したワイン、「Chateau Chasse-Spleen」と「Chambolle-musginy premier cru」を空けました。後者のワインは、妹の夫 methyl先生から頂いたものです。両方共素晴らしい味でした。
6月24日は、秋川渓谷に出かけ、温泉につかりました。それから、「花がき」で蕎麦を食べながら日本酒を飲みました。蕎麦は、茹で具合のムラが大きかったのですが、天ぷらは美味しかったです。それからともに送ってもらって帰りました。
数年ぶりの再会で色々話し合い、良い時間を過ごせました。今度は練馬に招待しようと思います。
「IMEがアホやから論文が書けへん」ということで、2004年頃から文章入力は ATOK16を使っていました。ATOK医療辞書も併せてインストールし、快適な環境でしたが、OSや Microsoft Officeが新しくなるにつれて、徐々に動きが悪くなってきました。
最近ノートパソコンを買い換えたのをきっかけに、ATOKも新しいバージョンを買ってインストールしようかなと思っていたら、知り合いから Google日本語入力の存在を教えてもらいました。
Google日本語入力
インストールは上記サイトからワンクリックで終了。これがサクサク動く上に非常に賢くてびっくりしました。難解な医療用語もほぼ一発変換です。ATOK (& ATOK医療辞書) を買う必要がなくなってしまいました。もし、デフォルトの Microsoft IME使っている方がいる方がいたら、是非乗り換えをおすすめします。
ここからは余談ですが、JustSystemのサイトで、「ATOK原子力辞書」というのを見つけました。原子力って、専用辞書が発売されるほど大きな分野なのですね。そこで、ATOK原子力辞書の収録用語例として紹介されている単語を Google日本語入力で変換させてみたら、かなりの割合で一発変換されました。医療以外のジャンルでも、テクニカルタームを結構カバーしているようです。
ゴールデンウィークは、長々と休みを取らせて頂き、非常に充実した日を過ごすことが出来ました。
4月30日 (月)
妹の夫 methyl先生とボーイング 787で岡山空港~私の実家へ。手巻き寿司をして、methyl先生が送ってくれた地酒を堪能しました。食卓を飾った酒は、愛宕の松メモリアル、日高見純米大吟醸、写楽 (備前雄町)、飛露喜特製純吟、伯楽星、弥右衛門酒星眼回・・・。贅沢でした。
5月1日 (火)
妹、methyl先生と 3人で大山乗馬センターに行き、妹夫婦がトレッキング、私は駈歩の練習をしました。それから境港で食事、蟹を購入しました。時間が余ったので、島根原子力館へ。1年ぶりでした。夜は鍋をつつきながら、日本酒の続きを飲みました。
5月2日 (水)
小学生時代からの親友、馬券オヤジ氏と四国旅行に出かけました。瀬戸大橋を渡って、うどん県でうどんを食べようとしたのですが、目的のうどん屋に渋滞が出来ていたので、郊外へしばらく走り、手打ちうどん渡辺に行きました。コシがあって美味しかったです。
そこから高速道路に乗って、みかん県坊ちゃん市へ。道後温泉につかり、隣にある道後麦酒館で地ビール全種類制覇しました。つまみの多くは四国の素材でした。温泉→ビールは鉄板ですね。このコースは楽しかったので、また来ようと思います。
5月3日 (木)
みかん県からうどん県を経由し、かつお県に行きました。かつお県のはりまや市では、とさ市場でかつおを楽しみました。そこから桂浜に行った後、噂の高知医療センターを経由して、一般道で北に向かいました。途中の大歩危 (おおぼけ) で乗った観光船は、船頭の解説が詳しく、なかなか楽しいものでした。
5月4日 (金)
帰京。ボーイング 787の予定が、機体トラブルでボーイング 737になったのは、残念でした。夜は将棋 Barへ。
5月5日 (土)
秋田で乗馬をしてから当直へ。乗馬は鞍を付けたり、蹄鉄の裏を掃除するところから始め、駈歩を楽しみました。終了後は林檎をあげると、凄い喜んでいました。馬とのコミュニケーションがとれるようになると、乗馬の楽しみが倍増します。