Category: 音楽

まさか

By , 2013年6月14日 8:11 AM

2011年4月23日のブログで、「弦が切れたとき」という話を書きましたが、第 5回仙台音楽国際コンクールの入賞者記念ガラ・コンサートで、成田達輝氏の弦が切れるハプニングがありました。Youtubeで動画が見られます。

・NARITA Tatsuki, Violin Section Prizewinners’ Gala Concert of the 5th SIMC

動画の 10分くらいのところで弦が切れます。彼は爽やかに「3分ください」と言い残し、弦を張り替えるため楽屋に消えました。

SIMC 仙台国際音楽コンクールボランティアブログにこの時の話が載っています。

成田さんの演奏中、弦が切れるアクシデントが・・・・・・・・。
3分後、ステージに戻ってきた彼は少しも慌てず、恩師の言葉でフォローしました。
「人生、上り坂と下り坂。そして、もうひとつ “まさか” があります。」
うーん、大物!これからが楽しみな逸材です。
成田さんはその言葉を指揮者のヴェロさんにも説明していました。
ヴェロさんは理解したのでしょうか・・・・・・・・余計なお世話ですが・・・・・・・・・。

「人生、上り坂と下り坂。そして、もうひとつ “まさか” があります」というセリフは、残念ながら Youtube動画ではカットされていました。7月に、成田達輝氏と会う予定があるので、この話は聞いてみたいと思います。

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仙台国際コンクール

By , 2013年6月8日 11:13 PM

第 5回仙台国際コンクールのヴァイオリン部門が終わりました。

クラシック音楽情報誌 月刊「ぶらあぼ」

第5回仙台国際音楽コンクールヴァイオリン部門の入賞者が決まりました。

第1位 16 リチャード・リン Richard LIN 男 アメリカ/台湾
第2位 21 成田 達輝 NARITA Tatsuki 男 日本
第3位 33 富井 ちえり TOMII Chieri 女 日本
第4位 26 アンナ・サフキナ Anna SAVKINA 女 ロシア
第5位 10 キム・ボムソリ KIM Bomsori 女 韓国
第6位 32 スリマン・テカッリ Suliman TEKALLI 男 アメリカ

聴衆賞
1日目 16 リチャード・リン Richard LIN 男 アメリカ/台湾
2日目 26 アンナ・サフキナ Anna SAVKINA 女 ロシア
3日目 10 キム・ボムソリ KIM Bomsori 女 韓国

審査員特別賞
15 リ・ゼユ・ヴィクター LI Zeyu Victor 男 中国

応援していた成田達輝氏が優勝を逃して残念です。でも、彼くらいの実力なら、コンクールのお墨付きは必要ないでしょう。お疲れ様でしたと伝えたいです。

嬉しいことに、このコンクール、Youtubeで演奏を聴くことが出来ます。

コンクール動画 YouTube 配信

成田達輝氏、特に予選でのヴァイオリン協奏曲(モーツァルト)、ロマンス(ベートーヴェン)は素晴らしい出来栄えでした。このコンクールに出場した、ほとんどの演奏家を聴きましたが、個人的には成田氏の演奏が一番好きです。

ページの作りを見ると、ガラ・コンサートも動画がアップされそうな雰囲気ですね。今から楽しみにしています。

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成田達輝リサイタル

By , 2013年5月24日 8:23 AM

某医師とともに御招待いただき、成田達輝氏のヴァイオリン・リサイタルを聴いてきました。

ベートーヴェン:ヴァオイリン・ソナタ第 8番 ト長調 Op.30-3

フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第 2番 ホ短調 Op.108

シマノフスキ:<神話>Op.30より <アレトゥーサの泉>

フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調

成田達輝 (Vn) / テオ・フシュヌレ (Pf)

2013年 5月 10日 19:00開演 トッパンホール

ベートーヴェンは、現代風の演奏。淀むところなく、駆け抜けていきました。こういうスタイルには好感が持てます。ただし、フランス音楽を聴いているような軽さが少しだけ気になりました。

フォーレ、シマノフスキ、フランクの演奏は、聴いていて何も不満な点はなく、ただただ音楽に浸って楽しみました。成田氏の演奏は、意図が伝わってくるので、聴いていて面白いです。また、卓越した技術があり、安心して聴くことができます。

私がこの日一番衝撃を受けたのは、アンコール曲、サン=サーンス作曲「序奏とロンド・カプリチオーソ (通称ロン・カプ)」です。中学校 2年生の時、この曲を発表会で弾いて一時ヴァイオリンをやめたので、私にとって思い出の曲です。成田氏の演奏は私の持っていた曲のイメージを良い意味で覆しました。この曲としては、私が過去に聴いた中で最も素晴らしい演奏だったと思います。

そんな成田達輝氏がファースト・アルバムを出すことになりました。何と、ロン・カプが収録されています。これは絶対「買い」ですね。

成田達輝 CD

成田達輝 CD

発売日の 9月 21日まで待てない方、エリザベート・コンクールの記念 CDに、成田達輝氏の演奏が収録されています。こちらを楽しみましょう。

2012年エリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門 (Queen Elisabeth Competition of Belgium – violin) (3CD+bonus CD) [輸入盤] [CD]

(関連記事)

ポリーニ・パースペクティヴ 2012
YAKINIKU

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Fiddler’s neck

By , 2013年5月1日 7:43 AM

首筋フェチのヴァイオリン弾きには外せない論文を見つけたので紹介します。 2012年9月の Dermatology online journalからです。

Fiddler’s neck: Chin rest-associated irritant contact dermatitis and allergic contact dermatitis in a violin player

Jennifer E Caero1 BA, Philip R Cohen2,3,4 MD
Dermatology Online Journal 18 (9): 10
1. The University of Texas Medical School at Houston, Houston, Texas
2. Department of Dermatology, University of Texas Health Science Center, Houston, Texas
3. Department of Dermatology, University of Texas MD Anderson Cancer Center, Houston, Texas
4. Health Center, University of Houston, Houston, Texas

Abstract

Fiddler’s neck refers to an irritant contact dermatitis on the submandibular neck of violin and viola players and an allergic contact dermatitis to nickel from the bracket attaching the violin to the chin rest on the violinist’s supraclavicular neck. A 26-year-old woman developed submandibular and supraclavicular left neck lesions corresponding to the locations of the chin rest and bracket that was attached to her violin that held it against her neck when she played. Substitution of a composite chin rest, which did not contain nickel, and the short-term application of a low potency topical corticosteroid cream, resulted in complete resolution of the allergic contact dermatitis supraclavicular neck lesion. The irritant contact dermatitis submandibular neck lesion persisted. In conclusion, violin players are predisposed to developing irritant contact dermatitis or allergic contact dermatitis from the chin rest. We respectfully suggest that the submandibular neck lesions from contact with the chin rest be referred to as ‘fiddler’s neck – type 1,’ whereas the supraclavicular neck lesions resulting from contact of the bracket holding the chin rest in place be called ‘fiddler’s neck – type 2.’ A composite chin rest should be considered in patients with a preceding history of allergic contact dermatitis to nickel.

ヴァイオリンの顎当てによる接触性皮膚炎を fiddler’s neckと呼びます。

今回の症例は 26歳女性です。ニッケルのイヤリングで湿疹の既往があります。左顎下部に 15 x 15 mmの高色素斑、左鎖骨上部に掻痒感のある、紅斑、湿疹の隣接があり、これらは融合傾向を示しました。楽器を構えてもらうと、左顎下部は楽器の顎当てが当たる場所で、鎖骨上部は顎当てを固定するニッケル製の器具が当たる場所でした。fiddler’s neckと診断し、desconide 0.05%クリームの塗布による治療を行いました。顎当てを固定する器具に金属を含まないヴァイオリンを使用することで鎖骨上部の皮疹は改善しましたが、顎下部の皮疹は残存しました。

Onderらが 97名のオーケストラ奏者、20名の歌手を調べたところでは、最も皮膚疾患の多かったのはヴァイオリン奏者で、33名のヴァイオリン奏者中 6名で fiddler’s neckを認めました。また、Gamblicherらによると、ドイツの音大生 412名のうち、21.6%に楽器関連皮膚疾患があり、最もリスクが高かったのが弦楽器奏者及び撥弦楽器奏者でした。

Fiddler’s neckには下記の 2つの病態があります。

①type 1: 一次接触性皮膚炎 (irritant contact dermatitis) で主として顎当ての当たる顎下部左側に見られるものです。色素沈着を伴う、或いは伴わない苔癬化として記載されます。病因としては、頸部における楽器の圧迫、顎当てと皮膚の摩擦、衛生、楽器自体が挙げられます (これらは fiddler’s neck type 2も増悪させるかもしれません)。治療は原因から遠ざかることです。楽器を弾く限り原因から遠ざかることは難しいですが、顎当てと首の間にクッションを置くのは一つの方法です。

②type2:アレルギー性接触性皮膚炎 (allergic contact dermatitis) で、多くは顎当てを固定する器具に含まれるニッケルによって起こります。通常、鎖骨上部左側に起こります。掻痒感のある紅斑で、不明瞭なあるいは水疱性のあるいは両者を伴った浸潤性、落屑性皮疹であるかもしれません。治療は原因から遠ざかることです。顎当てを固定する金属の器具を覆うように包帯を用いることや、根本的には器具を金属を含まないものに交換するといった方法があります。

 そういえば、私の妹にもあった気がします。わりと頻度が高いようなので、次からはヴァイオリン或いはヴィオラ奏者の首筋をもっと注意深く観察しておきたいと思います。若い女性ヴァイオリン奏者の首を眺めすぎて通報されないようには気をつけます (^^;

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クリスマスBMJ

By , 2013年4月10日 7:53 AM

British Medical Journal (BMJ) は、超一流医学雑誌ですが、毎年クリスマス特集号でネタ系論文を掲載しています。一例として下記に紹介します。

BMJクリスマス号

医師の中で一番ハンサムなのは外科医

減塩を推奨する政府・医療機関は、減塩ができていない

最近、2011年のクリスマス BMJにベートーヴェンの難聴と作曲スタイルの論文が掲載されていることを知り、読んでみました。

Beethoven’s deafness and his three styles

論文を読んだ後、AFPニュースで詳細に紹介されているのを見つけました。

難聴が生み出したベートーベンの名曲たち、オランダ研究

2011年12月22日 18:37
【12月22日 AFP】ドイツの作曲家ベートーベン(Ludwig van Beethoven)が生み出した名曲の数々に、聴力の衰えが深く反映されているというオランダの研究チームによる論文が、20日の英医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(British Medical JournalBMJ)」に掲載された。

ベートーベンが楽器や人の話し声の高音が聞こえづらいと最初に訴えたのは1801年、30歳のときだった。1812年には、ほとんど叫ぶように話さないとベートーベンには聞き取れなくなり、1818年には筆談でのコミュニケーションを始めている。1827年に死去したが、晩年には聴力はほぼ完全に失われていたとみられる。

ライデン(Leiden)にあるオランダ・メタボロミクスセンター(Netherlands Metabolomics Centr)のエドアルド・サセンティ(Edoardo Saccenti)氏ら3人の研究者は、ベートーベンの作曲活動を初期(1798~1800年)から後期(1824~26年)まで4つの年代に区切り、それぞれの時期に作曲された弦楽四重奏曲を分析した。

研究チームが着目したのは、各曲の第1楽章で第1バイオリンのパートが奏でる「G6」より高い音の数だ。「G6」は、周波数では1568ヘルツに相当する。

難聴の進行とともに、G6音よりも高音域の音符の使用は減っていた。そしてこれを補うかのように、中音域や低音域の音が増えていた。これらの音域は、実際に曲が演奏されたときにベートーベンが聞き取りやすかった音域帯だ。

ところが、ベートーベンが完全に聴力を失った晩年に作られた曲では、高音域が復活している。これは、内耳(骨伝道)でしか音を聞けなくなったベートーベンが作曲の際、演奏された音に頼ることをやめ、かつての作曲経験や自身の内側にある音楽世界に回帰していったためだと、研究は推測している。(c)AFP

【参考】サセンティ氏らによる実演付きの研究結果説明の動画(ユーチューブ)(英語)

論文の内容はこの通りです。少し補足すると、ベートーヴェンのカルテットは通常 3つの時期 (前期、中期、後期) に分けられますが、この論文では 4つに分けています。すなわち前期 1798-1800年 (作品 18), 中期1 1805-1806年 (作品 59), 中期2 1810-1811年 (作品 74, 95), 後期 1824-1826年です。中期の作品 59と、作品 74, 95はスタイルが異なり、作曲時期も違うため、分けたようです。 

論文にある Figure 2を見ると、著者らの主張が一目瞭然です。

Fig 2

Fig 2

(追記) 昔、ベートーヴェンの耳疾についてブログに書いたことがありますので、興味のある方は御覧ください。

耳の話

さらに、ロマン・ロランが書いた本に、ベートーヴェンが伝音性難聴であったことを示唆する記述がありました。併せてどうぞ。

ベートーヴェンの生涯

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神戸市室内合奏団

By , 2013年3月13日 8:10 AM

招待券を頂いたので、3月10日に知人と神戸市室内合奏団のコンサートを聴きに行って来ました。

神戸市演奏協会 第 373・374回公演

神戸市室内合奏団

定期公演 第 22回東京公演

古典派と歩む一年~アンサンブルの極みを目指して~

「ふたりの天才と若き日の作品」

シューベルトが受け継いだ”明るく、照らされた、美しい”もの

2013年3月10日(日) 14:00 開演/紀尾井ホール

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 交響曲 第 29番 イ長調 KV201 (186a)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト フルート協奏曲 第 2番 ニ長調 KV314 (285d)

フランツ・シューベルト 交響曲 第 5番 変ロ長調 D485

指揮:石川星太郎、フルート:藤井香織、神戸市室内楽合奏団

一曲目の冒頭、繊細さが要求されるところですが、完璧な出だしで、すぐに合奏団のレベルの高さが分かりました。この曲は細かく動くフレーズが多いのですが、全く乱れたところがありませんでした。1985年生まれの若い指揮者は曲を完璧に把握した上にそれを表現する手段を知っており、「モーツァルトがそうであったように、天才は若い時から天才なんだなぁ」と感じました。

二曲目、藤井香織さんは歌い方が上手でした。音が明るくて、聴いていて心地よかったです。ただ、強く吹き込んだときに全体的に音程が高くなりやすく、楽器の特性があるので難しいのかもしれませんが、もう少し低くとるべき音は低くとった方が、調性感がクリアになって綺麗なのかなと思いました。こうした素晴らしい tuttiでヴァイオリン協奏曲も聴いてみたくて、ヴァイオリニストの成田達輝さんとか招いたコンサートとか企画してくれないかなぁ・・・。

三曲目はシューベルト。コンサートのサブタイトルにもある「シューベルトが受け継いだ”明るく、照らされた、美しい”もの」というメッセージが良く伝わって来ました。

この合奏団はボッセ・ゲルハルト氏が過去に音楽監督だったらしいですが、こんなにレベルの高い合奏団に育てたというのは、ボッセ氏の数多い業績のうちでも特筆すべきものの一つでしょう。 また機会があれば聴きに行きたいと思いました。

最後に、それぞれの曲を Youtubeで曲紹介をしておきます。

・Mozart – Symphony No. 29 in A, K. 201 [complete]

 

・Mozart – Flute Concerto No. 2 in D, K. 314 / K. 285d [complete]

・Schubert: Symphony No.5 – Harnoncourt/WPh(2010Live)

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YAKINIKU

By , 2013年3月7日 7:39 AM

3月6日、来日中の成田達輝氏と、医師仲間 2人とで「翔山亭」に焼肉を食べに行きました。成田氏は、2010年のロン=ティボーコンクール、2012年のエリザベートコンクールでそれぞれ 2位に入賞した新進気鋭のヴァイオリニストです。

・ロン・ティボー国際音楽コンクール(成田達輝)

・Tatsuki Narita | Paganini | Violin Concerto No.1 | Cadenza | Queen Elisabeth

美味しい焼肉を食べながら、日本とフランスの音楽教育の違い、これまで共演した指揮者/オーケストラ、現在活躍中の演奏家など、様々なトークで盛り上がりました。

驚いたのが、新作ヴァイオリンとオールドヴァイオリンを弾き比べる実験に、成田氏が参加していたと告げられたことでした。この実験はニュースになり、このブログでも過去に紹介しました (論文はコチラ)。

成田氏に伺うと、ニスの匂いでは、どの楽器かわからなかったそうです。また、知り合いと「舐めてみたらニスの味でわかるかもよ?」なんて冗談を言っていたことを明かしてくれました。ちなみにその実験で成田氏が一番素晴らしいと感じた楽器は、ストラディバリだったそうです。

成田氏は今年日本でいくつかコンサートを予定しているようなので、時間を作って是非聴きに行きたいと思います。

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Milstein 83歳の録音

By , 2013年1月20日 9:04 AM

演奏家の演奏寿命にはかなりの個人差があります。特に、超絶技巧を要求される器楽奏者で、高齢になっても技量を維持するのは大変なことです。

私が大好きなヴァイオリンの巨匠、ナタン・ミルシテインの 83歳時の録音が残っているのを知りました。有名なバッハのシャコンヌです。83歳が弾いているとは思えない名演奏だと思います。

Milstein’s Last Public Concert at 83 Years Old: Chaconne (7.1986)

一方で、もう少し若い頃の演奏はこちらで聴くことができます。私が持っているビデオに収録されているのと同じものですが、1968年の録音のようです。聴き比べが楽しめます。

Bach BWV 1004 Chaconne Nathan Milstein Violin – Complete

ちなみに、1953年のライブ録音が、私は大好きです。

(参考)

シャコンヌ

シャコンヌ-オーケストラ編-

シャコンヌ-弦楽合奏編-

シャコンヌ-ギターとリュート-

シャコンヌ-管楽器-

シャコンヌ-声楽編-

シャコンヌ-チェンバロ編-

シャコンヌ-ピアノ編-

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脳梗塞と音楽能力

By , 2013年1月14日 6:38 AM

音楽能力が脳のどこに局在するかは、様々な学者が研究している興味深いテーマです。 Functional MRIなどの画像検査で脳のどこが賦活化されるか調べるのもひとつの方法ですが、脳の病気で失われた部分と音楽能力を比較するのも昔から行われている有力な方法です。

ある高名な指揮者が左中大脳動脈領域の広範な脳梗塞となり、その経過が 1985年の Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry誌に掲載されました。患者さんは匿名化されて “NS” と記されています (ただし論文での記載があまりに詳細であるため、私の師匠は経過を読んで、誰だかわかってしまったそうです)。最近その論文を読んだので簡単に内容を紹介します。

Spared musical abilities in conductor with global aphasia and ideomotor apraxia.

(Basso A, et al. J Neurol Neurosurg Psychiatry, 1985; 48: 407-12)

SUMMARY: A conductor suddenly developed global aphasia and severe ideomotor apraxia as a result of an infarct in the territory of the left middle cerebral artery. Although aphasia and apraxia remained unchanged during the following six years, his musical capacities were largely spared and he was still able to conduct. This case provides some evidence in favour of right hemisphere dominance for music.

ヴァイオリンとピアノを嗜み、ヴェニスの Feniceやミラノの La Scalaなどで長年指揮者を務めた NS氏は、1977年11月27日に脳梗塞を発症しました。アメリカのツアー中での出来事でした。症状は、軽度の右片麻痺、右同名半盲、全失語でした。また、高次脳機能評価では、観念運動失行などを指摘されました。論文に頭部CTが掲載されていますが、左中大脳動脈後枝領域を中心に広範に障害されています。

ところが、音楽能力はほぼ保たれました。ピアノ演奏は行うことが出来ましたし、初見演奏も可能でした。他人の演奏の小さな間違いをも指摘することができました。そればかりか 1982年2月から 6月までの間、指揮者としての活動を続け、音楽評論家から絶賛されました。オペラも指揮しています。ただし、言葉は完全に失われたままで、音名を述べたりすることは出来ませんでした。彼は 1983年4月21日に左片麻痺で 2度目の脳血管障害を発症しました。そして、5月4日に肺水腫を伴った心不全で死亡しました。

彼の音楽能力と、音楽以外の能力には多くの解離があります。観念運動失行はあるけれど指揮はできる、文章は読めないけれど楽譜は読める、言葉は失われたけれど演奏はできる・・・。右半球の脳梗塞で音楽能力を失った過去の報告と併せ、著者らは音楽能力の多くが脳の右半球にあるのではないかと推測しています。

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東日本大震災復興祈念「会津第九演奏会2011」

By , 2012年12月31日 10:49 AM

Youtubeで第九の演奏を漁っていたら「東日本大震災復興祈念『会津第九演奏会2011』」という動画を見つけました。会津市民オーケストラによる演奏で、ちょっとアマチュアっぽさが漂う箇所はありますが、音楽的に自然な演奏です。私が郡山に住んでいた頃なら、足を伸ばして弾きに行ったかもしれません。

・東日本大震災復興祈念「会津第九演奏会2011」 第1・2楽章

・東日本大震災復興祈念「会津第九演奏会2011」 第3・4楽章

ちなみに、会津と第九の縁について、会津第九の会のサイトに載っていました。これは初耳でした。第九が初演された捕虜収容所の松江豊寿所長は会津出身だったんですね。

会津第九の会

今でこそ年末のシーズンによく耳にするこの交響曲第9番であるが、1918年6月1日に徳島県板東町(現・鳴門市)にあった板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜により演奏されたのが日本での初演である。
このとき収容所所長を務めたのが会津出身の松江豊寿(1872年-1956年)であり、第9代若松市長である。

豊寿は1872年6月に現在の会津若松市で会津藩士、松江久平の長男として生まれ、明治政府によって朝敵の汚名を着せられた会津藩士の悲哀を味わいながら育つ。
仙台陸軍地方幼年学校、士官学校を経て陸軍に入った豊寿は、1914年徳島俘虜収容所の所長に任命される。
時は第一次世界大戦、中国山東半島の青島(チンタオ)を攻略した日本軍は、駐留していたドイツ兵を捕虜として日本に護送した。1917年に12ヶ所の収容所が6ヶ所にまとめられ、豊寿は板東俘虜収容所の所長に就く。
この当時、捕虜に対する非人道的な扱いが一般的ななか、豊寿は武士の情けをもって接した。

豊寿の計らいにより所内での音楽活動は盛んに行われ、収容されているドイツ人捕虜たちが松江所長や地域住民との温かい交流に感謝して演奏したのが「交響曲第9番」である。

Wikipediaで板東俘虜収容所を調べると、日本での第九初演までを描いた「バルトの楽園」という映画があるそうです。是非見てみたいと思います。

板東俘虜収容所

1917年に丸亀、松山、徳島の俘虜収容所から、続いて1918年には久留米俘虜収容所から90名が加わり、合計約1000名の捕虜が収容された。収容所長は松江豊寿陸軍中佐(1917年以後同大佐)。松江は捕虜らの自主活動を奨励した。今日に至るまで日本で最も有名な俘虜収容所であり、捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行ったとして知られている。板東俘虜収容所を通じてなされたドイツ人捕虜と日本人との交流が、文化的、学問的、さらには食文化に至るまであらゆる分野で両国の発展を促したとも評価されている。板東俘虜収容所の生み出した“神話”は、その後20年余りの日独関係の友好化に寄与した。

板東俘虜収容所は、多数の運動施設、酪農場を含む農園、ウイスキー蒸留生成工場も有し、農園では野菜を栽培。また捕虜の多くが志願兵となった元民間人で、彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々であった。彼らは自らの技術を生かし製作した“作品”を近隣住民に販売するなど経済活動も行い、ヨーロッパの優れた手工業や芸術活動を披露した。また、建築の知識を生かして捕虜らが建てた小さな橋(ドイツ橋)は、今でも現地に保存されている(現在では保存のため通行は不可)。文化活動も盛んで、同収容所内のオーケストラは高い評価を受けた。今日でも日本で大晦日に決まって演奏される、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏されたのも、板東収容所である。このエピソードは「バルトの楽園」として2006年映画化された。

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