モーツァルト生誕250周年
最近の天気ですが、郡山は雪はたいしたことがないものの、風が非常に強く、停車中の車が風で揺れます。また、歩いていてなかなか前に進めない人も見かけます。少なくとも、台風が来たとき以上に風が強く感じます。一方、猪苗代に行くと、車の高さを超える雪が、道の両側に積もっていて、異世界に来たかのようです。
1月27日はモーツァルト生誕250周年だったということで、ここで触れぬ訳にはいきません。現在、モーツァルトの全集を聴いていますが、全く心地よいものです。それほど知られていない曲にも、それなりの魅力があります。
シモン・ゴールドベルグは、「ベートーヴェンの音楽はしばしば天国に到達するが、モーツァルトは天から時々我々のところに降りてくるように感じる」と述べていますが、全く同感です。ベートーヴェンの音楽は、葛藤の末にある高揚感が魅力で、そのための方法論としての音楽形式(特にソナタ形式)を完成させましたが、モーツァルトはそのような方法論は必要最低限として、自分の音楽を確立させたと思います(後々検討してみるに、最低限としてでなく、かなり先進的です)。もちろん、モーツァルトもそのような方法論を身につけるために非常に努力した跡が、曲からわかります。
250周年とはいっても、モーツァルトの音楽自体が変わるわけでなく、単なるmemorial yearにしかすぎないのですが、2年前にザルツブルグ音楽祭に行ったとき、既に人々の興味が今年の250周年に向いていたことを覚えています。