最近は、「ブラームスの音符たち (池辺晋一郎著、音楽の友社)」という本を読んでいます。ブラームスは、近代外科学の父「ビルロート」の親友であったことも有名です。医師として少し親近感がわきます。
彼は「髭のあるブラームスと髭のないブラームス」という例えどおり、堅苦しいアカデミックな雰囲気の曲と同時に、聴きやすい曲も多く作曲しています。バッハからブラームスくらいまでの時代の曲は、表面上とても心地良く聞こえるように書いてありながら、曲の中にさまざまな工夫、トリックを見ることが出来ます。バッハ以前の音楽は、曲の構造としてはやや単純で、ブラームス以降は例外はあるものの、すこし取っ付きにくい作曲家が多い印象があります。論文を書くときは、だいたいバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタかベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴きながらで、心が落ち着きます。
音楽について勉強して、ある程度曲の構造が見えるようになると、建築物を見るような「構造美」を知ることが出来、新しい感動があります。井福部昭はピカソの言葉を引用して、「鳥の声は聞いているだけで心地良い。音楽もそれで良いではないか」と述べていますが、確かにそうではありながら、人によっては、より知的好奇心を満たす鑑賞の仕方もあると思うのです。そもそも、井福部昭氏が、音楽を深く知った上で鑑賞していた人なのですから。
モーツァルトのCD全集は、ようやくオペラを残して全部聴きました。今は、オペラを聴いていますが、本当は解説本を読みながら聴きたいところです。車での通勤途中に聴いているので難しいところですが、いずれまた聴きなおしたいと思っています。結構、いろいろな曲が気づかないように使いまわされていたり、他の作曲家の曲と似ている部分があったり、聴いていて飽きません。
話は変わりますが、実家の近くから、狂牛病の牛が見つかって少し驚いています。
(参考)http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/04/h0419-2.html
ロシアやフランスのそこそこの大病院で、脳梗塞治療を受けてきた患者に遭遇しました。
現時点での日本での診断のスタンダードは、
①病歴・診察所見で脳卒中(脳出血・脳梗塞など)を疑う
②CTで出血が除外出来れば、梗塞を疑って治療を開始する
③後日MRIを施行する(可能なだけ早期)
といったものです。
ロシアから来た患者は、CTもMRIもなく、脳梗塞として治療されていました(脳出血と脳梗塞は、正反対の治療です)。脳梗塞と脳出血は、画像検査を行わないと区別出来ないとされていますので、要は必要な検査を行わず、イチかバチかの治療だった訳です。CT1枚とれれば、危ない橋を渡らずに済んだわけですが、それがロシアのスタンダードの医療なのでしょう。彼が持って来た紹介状は英語でした。
一方、神経学の総本山フランスで治療を受けた患者は、CTを施行されていましたが、MRIは施行されていませんでした。神経内科医が数ヶ月に1度程度遭遇する程度の非典型例の脳血管障害は、見逃して良いということでしょうか。紹介状は何故かフランス語(苦笑)。さっぱりわかりませんでした。日本語で返信してみましょうか・・・。
正月以来、帰省することが出来、友人には会うことが出来なかったものの、家族で楽器を合わせたり、家庭料理を食べたりすることが出来ました。岡山はとても暑く、郡山よりは気候が温暖だと実感しました。
岡山から郡山の新幹線の中で、「物理屋になりたかったんだよ(小柴昌俊著)」という本を買い、あまりの面白さに新幹線の中で一気に読んでしまいました。物理学の本は、高校生時代に、「ホーキング宇宙を語る」と「神と新しい物理学(ポール・デイヴィス著)」という本を読んで以来ですが、初心者にもわかりやすく読むことが出来ました。彼はノーベル物理学賞を受賞していますが、若い頃音楽家を目指したことがあったり、後年、音楽家との親交もあるようです。
一冊を通じて面白かったのですが、特に興味深かった部分を引用します。
たしかに、わたしたちは幸運だった。でも、あまり幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それはちがうだろう、と言いたくなる。幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえられるか捕まえられないかは、ちゃんと準備していたかいなかったかの差ではないか、と。
また、こんなことも書いてありました。
わたしは、モーツァルトとアインシュタインをくらべたとき、モーツァルトのほうがほんとうの意味での天才だと思っている。なぜなら、たとえアインシュタインが相対性理論を思いつかなかったとしても、ほかの人が論理をたどっていって同じ真理にたどりつくことは可能だ。ところが、モーツァルトがつくったあのすばらしい曲は、彼以外のほかのだれにもつくれないではないか。