7月29日は、運動障害研究会で発表した後、部活のOB合宿のため、新幹線で軽井沢へ。軽井沢駅から先は、御代田駅まで電車の予定でしたが、電車が1時間なかったため、タクシーで「コテージ ニュー吉田」へ向かいました。タクシーの運転手が御代田出身とのことで、いろいろと案内してくれました。今や裏通りと化した中山道を走ってくれたことも、良い思い出になりました。
コテージに着くとすぐにバーベキュー。ベロンベロンに酔っぱらって、ヴァイオリンの師の前で、メタメタの演奏をしました。早朝ヴァイオリンの先生は帰りましたが、残った部活の先輩・後輩、N響第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンの方達と合奏を楽しみました。最終的に、チェリストがいた方がもっと盛り上がることが明らかになり、来年は元N響チェリストが参加することが決定しました。これも、先輩がN響のヴァイオリニストの方と結婚したこと、大学の部活に芸大生が以前よく遊びに来ていたことなどから広がった話です。
演奏家の方々といろいろ話してみて、非常に大変な仕事だと思いましたし、皆さんとても真摯に音楽と向き合っていることを実感しました。N響のヴァイオリニストの方に、「この演奏家はすごい」という人がいるかと聞いたところ、F.P.ツィンマーマンの名前が挙げられました。その他にも、N響の方が共演しながら涙が出るくらい感動した歌手の話を教えて頂きました。
軽井沢の後は、東京に寄って不動産屋へ行き、東京での住処を練馬の新築物件に決定しました。9階の部屋ですが、新宿まで遮るもののない夜景が非常に綺麗です。一ヶ月後の誕生日は、東京かドイツどちらかで迎えることになりそうです。
近代外科学の父と言われるビルロート(1829-1894)の伝記「ビルロートの生涯 (武智秀夫著、考古堂)」を読み終えました。医学生にとってはなじみ深い名前ですが、その人生については知らないことだらけ。本の中では当時の有名な医学者が多数登場しました。
ビルロートの親友にはゲオルク・マイスナーがいます。マイスナー神経叢で有名です。また、グレーフェ徴候で有名な眼科医グレーフェのもとも一時期熱心に訪れました。病理学者メッケルや生理学者ミュラーとも仕事をしていました。
ウィルヒョウとはベルリン大学病理解剖学教授選挙を戦い敗れています。その後、眼科兼外科でチューリッヒ大学教授になりました。数年後、眼科はホルネル(ホルネル徴候で有名)に譲って外科に専念することになったようです。医学教育にも力を注ぎ、「学生は放っておくと講義に出ない」などと、思わず苦笑いするようなことも言っています。
ビルロートはランゲンベックのもとで外科を勉強しましたが、ランゲンベックは森鴎外の「隊務日記」でも「爛剣魄骨」として登場します。
ビルロートの学士論文は「両側の迷走神経を頸部で切断した後の肺の変化の性質と原因」というものです。「血管の発生について」という論文で教授資格を得ています。
彼の先駆的な仕事として、「手術結果を追跡調査し統計をとること」をはじめ、患者の体温を記録すること(温度板)などがあります。何より、一番の仕事は、初めて胃ガン患者の胃切除手術を成功させたことです。その胃切除の方法をビルロートⅠ法と名付けたのは、コッヘルという甲状腺外科医で、彼の名前を冠したコッヘルという有名な手術器具があります。ビルロートはその後ビルロートⅡ法という術式を編み出しました。ビルロートⅠ法、Ⅱ法とも今日でも日常的に行われていますが、日進月歩の医学の中で、100年以上術式が残っているのは、きわめて異例といえます。ビルロートは他にも喉頭癌の手術を成功させ、人工喉頭の元となるアイデアで声を復元しようとしています。
歴史的には、胃ガン患者に最初に胃切除を行ったのは、ジュール・ペアンだそうです。手術器具でペアンというものがありますが、最も良く使われる器具の一つです。
ブラームスが弦楽四重奏曲第1,2番をビルロートに捧げ、さらにはビルロートと部下のミクリッツがピアノ連弾で弾けるように、交響曲の第1,2番をピアノ連弾様に編曲したという逸話も紹介されていました。ビルロートはピアノ、ヴァイオリン、ビオラを演奏し、ピアノの一オクターブより二つ指が届いたそうです。
ビルロートはウィーンで旧フランク邸に住んでいたことがありますが、フランクは音楽愛好家の医師で、ベートーヴェンの難聴を診察しています。ビルロートがブラームスに宛てた手紙の中で、「いつも興味あることだと思うんだが、フランクとベートーヴェンはこの家で交際していた。そして100年後の今日、同じ屋根の下で君と僕が交わっている。ベートーヴェンはこの庭の小道を散歩したことだろう。」と記されています。ビルロートの家では、ハンスリックやヨアヒムなどが呼ばれ、ブラームスの新作の演奏が行われていたとのことでした。
音楽と医学が交わるところに存在した医師で、医学史の上でも重要な人物。興味がある方は読んでみてください。「ビルロートの生涯(武智秀夫著、考古堂刊)(ISBN 4-87499-998-0)」で、アマゾンなどで買えます。
本の中で、ビルロートが好んだ言葉は「Nonquam re-tororsum(決して振り返るな、いつも前へ)」だったと紹介されていました。先駆的な業績を挙げた人に相応しい言葉です。
もう8月にもなろうかというのに、いつまでも雨が降り続いています。今年は、春に雪が降り止むのも遅ければ、梅雨入りも遅く、梅雨が明けるのも遅いように感じます。
7月22日は、「Fighting Vascular Events in Tokyo」という抗血小板薬についてのフォーラムに参加。その後、私の下で勉強した研修医と上野で待ち合わせ。私が店長と仲良くなっている隠れ家的な居酒屋があり、そこの個室で七輪で魚を焼きながら、焼酎を飲みました。その医師は、研修を終え、現在国立の大学病院勤務で医師3年目ですが、「朝7時半出勤、帰宅は午前1~2時、土日休日なし」と、私が研修医だったときのようなハードな生活をしていました。体重も10kgくらいやせたそうですが、仕事自体はやりがいがあるとのことで安心しました。「普段食事をとっているのか?」と聞いたところ、「昨日は朝はカロリーメイトで、昼と夕方はパン(院内に売っているパンで、自販機内から落ちてくる様から『自殺パン』とよばれているとか)」と言っていたので、とりあえず腹一杯食べさせました。
その後、研修医と別れ、東京プリンスホテルのパークタワーで一泊したのですが、とても綺麗でサービスが行き届いたホテルでした。起床後、バーンスタインの「答えのない質問」というDVDの第2話を見てから、ヴァイオリンのレッスンへ。
ヴァイオリンのレッスンでは、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番(バッハ)からFugaを見て頂きました。直された内容は、①Dominant→Tonicとなるときに、Tonicの方が強くなってしまっている、②前の音を押さえている指との関係で、次の音を押さえないから、音がバラバラになってしまう、③低音の声部がクリアに聞こえない・・・など、前回無伴奏パルティータ第1番のレッスンを受けたときと同じような課題でした。進歩がないというか・・・。結局3時間くらい先生の家で演奏したり話し込んだりしていました。うち1時間くらいは芸術論についての議論で、非常に勉強になりました。「音楽家が何を考えて演奏活動をしているか」ということまでは、なかなか知り得ないことです。代わりに私も「医師が何を考えて医療を行っているか」などお伝えしました。
レッスン後家を探しに不動産屋に寄りました。楽器可だとなかなか難しいものです。どこも夜8時までの演奏が限度のようです。もう少し探す余地があります。
7月1日に郡山に遊びに来た友人が、また7月15日、16日と遊びに来ました。暇を持てあましていたこと、競馬で大勝し、遠征費用が生み出されたためです。本日その友人は岡山に引っ越すため、郡山で会うのはこれが最後でしょう。友人は東京でのプログラマーとしてのキャリアを終え、地元岡山のIT業界で働いていくそうです。
友人とは、福島競馬場で馬券を買ったり、飲み歩いたり、麻雀を打ったり、これ以上ないくらい遊び尽くしました。飲んで潰れて横になったときに、いろいろ語りました。将来のビジョン、自分がキャリアアップするために何がしたいかを聞いて、私も頑張らなければと思いました。
バーンスタインがハーバード大学で講演した「答えのない質問」というDVDを購入しました。バーンスタインは「Young people’s concert」という音楽番組で、非常にわかりやすく音楽を解説していたので、見るのが楽しみです。
とうとう、ワールドカップもイタリアの優勝で幕を閉じました。敗退したチームも決して内容的に劣っていた訳でなく、世界最高レベルの選手の集まる大会を堪能しました。
さて、そのワールドカップ期間中に、私の両親がたまたまドイツ→ザルツブルグ→ウィーン旅行中だったそうです。ドイツで泊まったところが、偶然アルゼンチン対ドイツ戦の行われた街。ドイツの勝利に深夜までクラクションが響いていたとのことでした。とても手のかかる子供を持って、さぞかし子育てが大変だったと思いますし、その分たくさん良い思いをして欲しいと思います。
私自身も旅行の計画を立てている最中です。「ヨーロッパ医科学史散歩(石田純郎著、考古堂)」「バッハの街(マルティン・ペッツォルト著、東京書籍)」などを参考にして、自分自身を高める旅にしたいです。ボンとライプツィヒは相当距離がありますが、両方外せない街です。毎年楽器を持って遊びに行っているのですが、今回は移動が多いので迷います。ヨーロッパに楽器を持っていくと、とても響きが良いのです。そういったところで音を出すと、奏法が変わるのがわかります。とはいえ、なかなか荷物も多いですし・・・。
(追記)
「ヨーロッパ医科学史散歩」の著者、石田純郎先生から、下記のコメントを頂きました。
拙著を参考に旅行に行かれることを
光栄に思います。
7月1日、幼なじみの友人が、横浜から我が家に遊びに来ました。彼は今後岡山県の実家に戻り、仕事を続けるようです。これまでは、毎月のように私が彼の家に遊びに行っていたのですが、寂しくなります。私に麻雀、競馬、といった遊びを教えてくれた師でもあります。良く飲んで語り合ったのを思い出します。
7月1日は、猪苗代湖、五色沼といった名所をまわり、7月2日に、一緒に福島競馬に遊びに行き、楽しみました。結局二日間飲み歩き、7月3日の朝、氏は帰っていきました。次に会うのはいつになるか、いずれにしても、岡山の実家付近で会うことになるでしょう。
サッカーの中田選手が、引退を発表しました。同い年ということもあり、また、彼の日記を昔から読んでいて、知性にあふれた人だなと思い、ずっとファンだったので残念に思います。しかし、引き際というのは自分で決めるものですし、今後の人生を楽しんで欲しいなと思います。
昨日7月7日は、特殊疾患療養病棟で私の送別会をして頂きました。9月1日付けで大学病院に戻ることとなるためです。今後7月下旬には、研究会での発表、軽井沢でのプロを交えた音楽合宿、8月上旬には発表会(無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番(バッハ)からFuga演奏予定)、8月下旬ドイツ旅行、引っ越し・・・。過密な日程が続きます。