ビルロート
近代外科学の父と言われるビルロート(1829-1894)の伝記「ビルロートの生涯 (武智秀夫著、考古堂)」を読み終えました。医学生にとってはなじみ深い名前ですが、その人生については知らないことだらけ。本の中では当時の有名な医学者が多数登場しました。
ビルロートの親友にはゲオルク・マイスナーがいます。マイスナー神経叢で有名です。また、グレーフェ徴候で有名な眼科医グレーフェのもとも一時期熱心に訪れました。病理学者メッケルや生理学者ミュラーとも仕事をしていました。
ウィルヒョウとはベルリン大学病理解剖学教授選挙を戦い敗れています。その後、眼科兼外科でチューリッヒ大学教授になりました。数年後、眼科はホルネル(ホルネル徴候で有名)に譲って外科に専念することになったようです。医学教育にも力を注ぎ、「学生は放っておくと講義に出ない」などと、思わず苦笑いするようなことも言っています。
ビルロートはランゲンベックのもとで外科を勉強しましたが、ランゲンベックは森鴎外の「隊務日記」でも「爛剣魄骨」として登場します。
ビルロートの学士論文は「両側の迷走神経を頸部で切断した後の肺の変化の性質と原因」というものです。「血管の発生について」という論文で教授資格を得ています。
彼の先駆的な仕事として、「手術結果を追跡調査し統計をとること」をはじめ、患者の体温を記録すること(温度板)などがあります。何より、一番の仕事は、初めて胃ガン患者の胃切除手術を成功させたことです。その胃切除の方法をビルロートⅠ法と名付けたのは、コッヘルという甲状腺外科医で、彼の名前を冠したコッヘルという有名な手術器具があります。ビルロートはその後ビルロートⅡ法という術式を編み出しました。ビルロートⅠ法、Ⅱ法とも今日でも日常的に行われていますが、日進月歩の医学の中で、100年以上術式が残っているのは、きわめて異例といえます。ビルロートは他にも喉頭癌の手術を成功させ、人工喉頭の元となるアイデアで声を復元しようとしています。
歴史的には、胃ガン患者に最初に胃切除を行ったのは、ジュール・ペアンだそうです。手術器具でペアンというものがありますが、最も良く使われる器具の一つです。
ブラームスが弦楽四重奏曲第1,2番をビルロートに捧げ、さらにはビルロートと部下のミクリッツがピアノ連弾で弾けるように、交響曲の第1,2番をピアノ連弾様に編曲したという逸話も紹介されていました。ビルロートはピアノ、ヴァイオリン、ビオラを演奏し、ピアノの一オクターブより二つ指が届いたそうです。
ビルロートはウィーンで旧フランク邸に住んでいたことがありますが、フランクは音楽愛好家の医師で、ベートーヴェンの難聴を診察しています。ビルロートがブラームスに宛てた手紙の中で、「いつも興味あることだと思うんだが、フランクとベートーヴェンはこの家で交際していた。そして100年後の今日、同じ屋根の下で君と僕が交わっている。ベートーヴェンはこの庭の小道を散歩したことだろう。」と記されています。ビルロートの家では、ハンスリックやヨアヒムなどが呼ばれ、ブラームスの新作の演奏が行われていたとのことでした。
音楽と医学が交わるところに存在した医師で、医学史の上でも重要な人物。興味がある方は読んでみてください。「ビルロートの生涯(武智秀夫著、考古堂刊)(ISBN 4-87499-998-0)」で、アマゾンなどで買えます。
本の中で、ビルロートが好んだ言葉は「Nonquam re-tororsum(決して振り返るな、いつも前へ)」だったと紹介されていました。先駆的な業績を挙げた人に相応しい言葉です。