ベートーヴェンの全集を聴き始めましたが、最初は交響曲。もう少し深く勉強したいと思い、池袋のYAMAHAにスコアを買いに行きました。スコア売場をさまよっていると、「ヴァイオリン協奏曲のファクシミリ (=自筆譜のコピー) あります」との表示を見つけました。さっそく店員さんに声をかけると、見本を見せてくれました。
ベートーヴェンの筆跡が「私を買って?」と訴えかけてきました。値段は120000円。製本が非常に悪く、各ページ毎に微妙に紙の大きさが違い、本は崩壊しそうです。でも、限定10セット・・・。
しばし悩みましたが、「Es muss sein!」と決断。「買います。」とお姉さんに伝えました。ついでにベーレンライター版の交響曲スコアも購入。
お姉さんに、「カルテットのファクシミリもありますか?」と聞いたところ、「わかりませんが、交響曲ならあります。」とのこと。1曲10万円弱としても、交響曲9曲で・・・。「今度来たときに考えます」と答えて店を後にしました。
そして、昨日宅急便で楽譜が届きました。中にはお姉さんから手書きの手紙が・・・。いろいろ相談したCDの情報とかが同封されていました。
働けど、働けど、貯金が貯まらないのはこういった事情があるからです。郡山の病院で一緒に働いていたK先生の婚約者(夫)から、「結婚はかかるから、今は金のために働いているよ。」と聞きました。私の場合、結婚資金は当分たまりそうにありません。ま、その前に相手でしょうが。
宣(よ)きかな
己が父祖を好みてしのぶ者は
彼らのかずかずの業績と偉大さとを、喜びもて
聞く者に語り伝え、しかして喜びの心を抱きつつ
この、うるわしき系譜の末に
わが連なるをさとる者は (ゲーテ)
このような文章から本書「田原淳の生涯(須磨幸蔵、島田宗洋、島田達生編著、ミクロスコピア出版会/考古堂書店)」は始まります。
田原博士が心臓の研究を始めた頃、心臓を伝わる刺激は神経によるものか、筋肉によるものか不明でした。また、どのような経路を伝わるかも明らかではありませんでした。心臓にあるヒス束、プルキンエ線維などの構造物も役割が不明だったのです。田原博士の業績を列挙します。
(1)房室間連結筋束の全走行と組織像を解明し、刺激興奮の伝達を司る系とみなし、刺激伝導系と命名
(2)刺激伝導系の起始部に網目状の結節(田原の結節=房室結節)を発見
(3)左右両脚の走行の正確な記載
(4)プルキンエ線維が刺激伝導系の一部であること、また仮腱索が刺激伝導系であることを発見
(5)筋原説の正当性を決定的にする
(6)線維の太さと刺激伝導速度などに関する推論
(7)リウマチ性心筋炎患者におけるアショッフ結節の発見
田原博士は東大に主席で入学し、卒業後は東大皮膚科に入局しました。実家の九州に帰る前にドイツの Ludwig Aschoff教授のもとに留学。弁膜症で肥大した心筋はなぜ麻痺を起こしやすいかをテーマに研究を始めました。しかし、病理学的に証明できず、ヒス束に目を向けました。しかし、ヒス束についてはほとんどわかっておらず、研究を続けるうちに未知であった刺激伝導路の全貌を明らかにすることができたそうです。ちなみに Ludwig Aschoffの孫は現在ウルム大学神経内科の教授であるそうです。
田原博士は、1903年に私費でドイツに留学し、1906年には帰国していますから、わずか 3-4年でこのような偉大な業績を積み上げたことになります。
本書には、田原氏が Aschoffにあてた手紙のコピーや、田原家の家系図の他、田原氏の病理標本のスケッチなど図表も満載です。驚くべきは、田原氏のスケッチと、今日の電子顕微鏡写真がほぼ一致していることです(本書では並べて比較できるようにしてあります)。
当時は日露戦争があり、日本は世界の中で微妙な立場にありました。そうでなかったとしたら、ノーベル賞は間違いなかったのではないかと著者は述べています。
心筋間をどのように興奮が伝達するかは、最近かなりわかってきました。本書でも、最新の知見が紹介されています。心筋間の伝導の中心となるのは、ギャップ構造という特殊な連絡通路です。心筋梗塞などで心筋が障害されると、この通路は閉じて障害が広がるのを食い止めるそうです。ギャップ構造を形成するのは、コネキシン (Cx) というタンパク質で、コネキシンには 20種類ほど知られています。心筋には Cx43, Cx40, Cx45が存在し、伝導度が違うのだそうです。コネキシンの分布は心臓内で違い、房室結節で伝導速度が遅れるのは、そこに多く分布する Cx45の伝導度が低いためで、通常の心筋では Cx43が主体です。プルキンエ上流は伝導度の高い Cx40が中心だそうです。心電図がまだほとんど知られておらず、ギャップ構造も知られていなかった時代に、解剖学的特徴だけで、伝導の遅い部分と早い部分があることを推察した田原博士の先見の明には恐れ入ります。ちなみに、Cx43欠損マウスは、出生後まもなく不整脈で死亡するそうです。
余談ですが、1930年頃 WPW (Wolff-Parkinson-White) 症候群が発表されていますが、1910年にWilsonが報告しているので、WWPW (Wilson-Wolff-Parkinson-White) 症候群というのが正確ではないかなどという話も載っていました。
野口英世などと並ぶほどの業績を残した日本人がいたことを風化させないためにも、本書は貴重だと思います。
先日、同僚の内科医師から聞いた話です。私の大学で当直をしていて、埼玉で10件以上受け入れを断れた救急車を受け入れたそうです。
埼玉というのは、日本で一番人口あたりの医師数が少ない県です。東京から医師がバイトに出かけるため、見かけ上病院に医師が充足しているように見えます。でも、その歪みが露呈することがあり、たらいまわしは珍しいことではないようです。救急隊も埼玉で無理でも東京まで搬送できるため、大きく問題化していないのかなと思います。
奈良県では、2006年3月に大淀病院の産科医が妊婦死亡のため逮捕され、防衛医療の狼煙があがりました。10月には重症の産科患者の受け入れ可能な病院がないという状況にまで陥ってしまいました
・元検弁護士のつぶやき-奈良妊婦死亡事故ー朝日の報道(毎日を追記)-
・ある産婦人科医のひとりごと-奈良の妊婦死亡、産科医らに波紋 処置に賛否両論-。
さらには、奈良県立病院で産科医が、過酷な労働条件について病院に5人で手当1億円の請求をつきつけました。
「当直について労働基準法は『ほとんど労働する必要がない状態』と規定しており、実態とかけ離れていると指摘。当直料ではなく、超過勤務手当として支給されるべきで、04、05年の当直日数(131~158日)から算出すると、計約1億700万円の不足分があるとした。(元検弁護士のつぶやき-産科医が改善要求-より引用)」
これは、奈良県の産科が1年で崩壊したともとれます。内科でも手薄な地域は危ないのではないかと危惧しています。奈良県は、他県に派遣している医師を奈良県に戻し、対応するとしています。しかし、それよりも他県から奈良に派遣されている医師の方が多い可能性があり、対抗措置として医師を引き上げられたらどうするのかと心配です。
今週は連日飲み会でした。
まず月曜日、電車の中でたまたま同僚と会いました。彼は冗談で痴漢の真似をして私を触ってきたのですが、ひとしきり笑った後、2人で新宿で飲みました。もちろん、最初痴漢が同僚だとわかるまでは、とてもびっくりしました。
火曜日は、アルテリーベという店で、プロの音楽家がオペラの有名な部分を歌っているのを聴きながら飲むことが出来ました。すごく盛り上がって、最後は全員で踊っていました。私は最後に舞台の上で一気のみをさせられてしまいました。たまに客が演奏出来る日があるらしいので、今度是非演奏してみたいと思います。
水曜日は病棟の先生と2人で飲みに行きましたが、途中で郡山時代一緒に働いた女医さんと、その夫と合流しました。女医さんも夫も神経内科医ですが、夫の方が5分おきに「うちのかみさん可愛いだろ?」と惚気ていて、非常に腹が立ちました。二次会は、ジパングという高級バー。70万円もするワインなども置いてありました(我々が飲んだのは、安いワインでした)。全員、時期はずれていても、郡山の同じ病院で働いたことがあり、思い出話に華が咲きました。
木曜日は、病棟の送別会。若いDrだけで集まって、1時過ぎまで飲んでいました。
こんなに連日飲んだのは、久しぶりです。この1週間は偶然当直がなく、明後日は、今月唯一の完全な休日です。でも、来週火曜日は症例検討会で発表しなければならず、準備に費やすことになりそうです。何かと忙しい日々が続きます。
さて、久しぶりに音楽の話題です。「ベートーヴェン(ジャン・ヴィトルト著)」の作品目録を見ると、ベートーヴェンがピアノソナタと弦楽四重奏曲を生涯を通じて書き続けたことがわかります(一方ヴァイオリンソナタはある時期以降書かなくなりました)。これらを聴いていくと、年齢と共に、徐々に彼の作曲の方向性が内面に向いていくのがわかります。
前回のドイツ旅行で、ボンのベートーヴェンハウスに行ったときに、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲(第16番)の最終楽章の自筆譜が展示されていました。
その冒頭には「Der schwer gefasste Entschluss (ようやくついた決心)」と書かれ、その右に二つの小さなスケッチがありました。一つは1小節のスケッチで、下に「Muss es sein?(=Must it be?=そうあらねばならぬのか?)」とあり、その右には4小節のスケッチの下に「Es must sein!(そうあらねばならぬ)」と書かれていました。
これは何を意味しているのでしょうか?上記のヴィトルトの本では、ベートーヴェンの手紙を引用して、説明していました。その手紙の内容は以下の通りです。
ごらんのとおりです。なんと私は不幸な人間でしょう!この弦楽四重奏曲を書くのが困難だったからというのではなく、私の考えていたものが何かもっと違った、もっと偉大なものであったのに、これしか書けなかったからです。その原因は、私があなたにそれを約束していたこと、そして私に金が必要だったこと、しかるにこれらのことが全部私にこのうえなく苦しく迫ってきたこと、にあります。以上が『Es muss sein』という言葉のもとにご理解願わねばならぬことなのです。
イマイチ良くわからないなぁ・・・と思っていたら、11月号の「String」という雑誌に面白いことが載っていました。
ホルツは、ベートーヴェンが、デンプシャーが先日のシュパンツィヒ弦楽四重奏団による音楽会に後援してくれなかったから、もう今後どんな曲も書かないといっていると話し、もし仲をとりもつとするならば、我々のクァルテットに50フローリン寄付してくださいと言った。するとデンプシャーは、どうしても必要ですか(Muss es sein?)と聞いたらしい。この日の出来事をあとでベートーヴェンに伝えると、ベートーヴェンは大いに笑って、そう、どうしても必要だ、と言いながら、即興で、『Muss es sein?』に曲を付けたという。このような冗談から作られた曲が、作品≪135≫のフィナーレに使われることとなったのである。すなわちお金の請求が、ベートーヴェンの最後の四重奏曲のテーマとなったわけだ。
この非常に曖昧な語句に振り回されましたが、結局は笑ってしまうような些細なエピソードが原因だったのですね。
「カオスから見た時間の矢(田崎秀一著、講談社ブルーバックス)」という本を読み終えました。非常に内容の難しい本でしたが、未知の世界を知ることが出来ました。本のテーマは、「原子や分子や、場合によっては微視的運動が可逆的なのに、それらが集まった巨視的物体はなぜ不可逆的に振る舞うのか?」というものです。読むのには、最低限高校物理くらいの知識は必要そうです。
第1章では、気体分子の運動が示されますが、これはビデオでみると順再生なのか逆再生なのか我々は知ることができません。つまり逆転した運動が起こっても不思議ではなく、分子の衝突は可逆と言えます。
第2章では、微視的運動を巨視的規模で扱える現象が示されます。それはスピン・エコーという現象で、現在MRIなどに応用されているものです。この実験では、10の19乗個もの核磁石が相互しながら行う実験も可逆であることが示されます。
第3章は、ギッブスの見方です。これは統計集団として気体を扱うというものです。ダイレクトメールの例が示してあります。つまり、ダイレクトメールを送ったとき、個々の受け手の反応はわからなくても、集団としての振る舞いがわかればよいというものです。
第4章はカオスです。カオスというと、我々は文学的な表現での「混沌」としか知りません。しかし明確な定義がしてあります。
「『吾々の眼にとまらないほどのごく小さい原因が、吾々の認めざるを得ないような重大な結果をひきおこすことがあると、かかるとき吾々はその結果は偶然に起こったという』このような運動をカオスと呼ぶ」
わかりやすい例では、パチンコ玉の振る舞いが予測出来ないのも、我々が知り得ない初期条件の微妙な違いによるもので、カオス的と言えます。このパチンコ玉は分子同士の衝突と置き換えられます。
こういった知識を元に、拡散、分布といった概念を、パイこね変換というモデルで考察します。正直、この辺で落ちこぼれてしまいました。しかし、個々の分子運動は可逆的であっても、カオス的に振る舞うため、集団としては不可逆的となり、時間の矢の向きが読み取れるようになると理解しました。
18病院 (後日19病院に修正) から診療拒否され死亡された、脳出血の事例が問題となっています。
出産のため産科、小児科が必要で、さらには脳神経外科も必要でした。これらの診療体制が夜間整っている病院は、東京、大阪を除くと、各医療圏にどのくらいあるでしょうか?不十分な診療体制で診療することが、すぐに訴訟や医療事故報道に結びつく現状では、万全の体制でない病院は全て断るでしょう。ハイリスク症例を避けることが、訴訟や医療事故報道から身を守る風潮も出てきています。断った病院が悪いとは思えず、このような事例で受け入れる病院を整備していない国や自治体の責任でしょう。
県立医大が受け入れるべきという意見もありますが、大学病院といっても、当直のマンパワーは不足しており、ひっきりなしに受診する風邪などへの対応にもかなりの人手も割かれます。重症一人とれば、そこにかかりっきりです。今回のような事例では、産科、小児科、脳外科のうちどれかひとつでも対応出来ない科があったら受け入れは拒否だったでしょう。満床と断ったそうですが、ベッドもなかなか空かないのが現状です。
そもそも、総理大臣の演説で、まともに医療を論じた人物は最近いません。医療問題に興味を持っている政治家自体稀少と思います。今回の事例は医療崩壊の徴候と思いますが、マスコミの報道をみても、個々の医師や病院を攻撃するのみで、誰もそこに注目しないのでしょうか?
朝は大分冷え込むようになってきました。
昨日埼玉の病院に外来をしに行ったとき、タイムカードに後輩の名前を見つけたのです。しばらく連絡をとっていなかったため、本当に後輩かどうかわからなかりませんでした。同姓同名かもしれないと思っていたところ、看護婦さんから、相手も私の名前を見て何か言っていたと聞いて、本人と確信しました。国家試験前後には相談の電話を貰った後輩で、懐かしく感じました。
似たような経験もあって、郡山で患者を搬送したら、搬送先の医師が同級生だったことがあります。
新しい研修医制度では、研修医は皮膚科、麻酔科、外科など、我々過去の内科医が持たない知識を広く持つ一方、内科を半年しかまわりません。内科の中では2科しかまわらないこととなります(例えば膠原病と循環器科だけとか)。そのため、研修を終えた時点では、以前の研修過程を終えた内科医と比べて、内科一般の知識は不足していると思います(その後の経験で、その差はなくなっていきますが・・・)。
問題があることだと思い、勝手に研修医を集めて一般的な講義を始めたのですが、研修医からは評判が良いので、続けていこうかと思っています。糖尿病とか、頭痛とか、感染症の治療など内科一般としての知識をテーマに講義していますが、今後分野を拡大していかないとと思っています。
話は変わりますが、前の病院で働いていたとき、後輩から「何故論文を書こうという気になるのですか?」と、論文を書くモチベーションについて質問され、「俺が死んでも残るから」と答え、理解を得られなかったのですが、先日紹介した羽生さんの本を読み終えて、CVA(コーポレート・バリュー・アソシエイツ)という企業の創始者が、同じように考えているという記述を見つけました。何か自分の考えを代弁してもらっているかのようでした。下記は今北純一氏というビジネスマンが、その創始者と話したときのエピソードです。今北氏は「エア・リキード」という世界最大手の工業用・医療用ガスのグループに入り、エア・リキード・パシフィックの代表取締となった人物ですが、その会社を辞め、CVAに就職したそうです。
『あなたのモチベーションは何なのですか?』と聞いたら、「レガシィー(遺産)」という答えが返ってきたのです。財産としてのレガシィーかと思ったら、違うのです。『自分がこの世に生を受けて何を残せるか、という思いが自分のモチベーションになっている』と。つまり、人間は必ず死ぬ訳ですが、死んだ後にその人がいなくても機能する何かを残すことが彼の言うレガシィーであり、モチベーションだったのです。
医局の抄読会で、新しい抗凝固薬についての総説を読みました(J. I. Weitz, S. M. Bates. New anticoagulanjts, Journal of Thrombosis and Haemostasis, 3: 1843-1853, 2005)。
題材とした抗凝固薬ですが、ximelagatranを私の大学で治験していたとは知りませんでした。今後は、fondaparinuxとかidraparinuxといった薬剤、そしてximelagatranの代替薬となりうるdabigatranに注意を払っていかないといけません。一押しはdabigatran!教授から、私が脳梗塞になったら使ってね・・・と。
先週の症例検討会は、Mollaret髄膜炎だったのですが、教授のコメントによると、Mollaret教授は内科兼神経内科教授。そのせいで、Guillainの弟子のGarsanが神経内科教授になれなかったということで、Guillain学派にとって、Mollaretはウケが悪い様です。本からは知り得ない知識でした。