Der schwer gefasste Entschluss

By , 2006年10月22日 3:14 PM

さて、久しぶりに音楽の話題です。「ベートーヴェン(ジャン・ヴィトルト著)」の作品目録を見ると、ベートーヴェンがピアノソナタと弦楽四重奏曲を生涯を通じて書き続けたことがわかります(一方ヴァイオリンソナタはある時期以降書かなくなりました)。これらを聴いていくと、年齢と共に、徐々に彼の作曲の方向性が内面に向いていくのがわかります。

前回のドイツ旅行で、ボンのベートーヴェンハウスに行ったときに、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲(第16番)の最終楽章の自筆譜が展示されていました。

その冒頭には「Der schwer gefasste Entschluss (ようやくついた決心)」と書かれ、その右に二つの小さなスケッチがありました。一つは1小節のスケッチで、下に「Muss es sein?(=Must it be?=そうあらねばならぬのか?)」とあり、その右には4小節のスケッチの下に「Es must sein!(そうあらねばならぬ)」と書かれていました。

これは何を意味しているのでしょうか?上記のヴィトルトの本では、ベートーヴェンの手紙を引用して、説明していました。その手紙の内容は以下の通りです。

ごらんのとおりです。なんと私は不幸な人間でしょう!この弦楽四重奏曲を書くのが困難だったからというのではなく、私の考えていたものが何かもっと違った、もっと偉大なものであったのに、これしか書けなかったからです。その原因は、私があなたにそれを約束していたこと、そして私に金が必要だったこと、しかるにこれらのことが全部私にこのうえなく苦しく迫ってきたこと、にあります。以上が『Es muss sein』という言葉のもとにご理解願わねばならぬことなのです。

イマイチ良くわからないなぁ・・・と思っていたら、11月号の「String」という雑誌に面白いことが載っていました。

ホルツは、ベートーヴェンが、デンプシャーが先日のシュパンツィヒ弦楽四重奏団による音楽会に後援してくれなかったから、もう今後どんな曲も書かないといっていると話し、もし仲をとりもつとするならば、我々のクァルテットに50フローリン寄付してくださいと言った。するとデンプシャーは、どうしても必要ですか(Muss es sein?)と聞いたらしい。この日の出来事をあとでベートーヴェンに伝えると、ベートーヴェンは大いに笑って、そう、どうしても必要だ、と言いながら、即興で、『Muss es sein?』に曲を付けたという。このような冗談から作られた曲が、作品≪135≫のフィナーレに使われることとなったのである。すなわちお金の請求が、ベートーヴェンの最後の四重奏曲のテーマとなったわけだ。

この非常に曖昧な語句に振り回されましたが、結局は笑ってしまうような些細なエピソードが原因だったのですね。

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カオスから見た時間の矢

By , 2006年10月22日 2:26 PM

「カオスから見た時間の矢(田崎秀一著、講談社ブルーバックス)」という本を読み終えました。非常に内容の難しい本でしたが、未知の世界を知ることが出来ました。本のテーマは、「原子や分子や、場合によっては微視的運動が可逆的なのに、それらが集まった巨視的物体はなぜ不可逆的に振る舞うのか?」というものです。読むのには、最低限高校物理くらいの知識は必要そうです。

第1章では、気体分子の運動が示されますが、これはビデオでみると順再生なのか逆再生なのか我々は知ることができません。つまり逆転した運動が起こっても不思議ではなく、分子の衝突は可逆と言えます。

第2章では、微視的運動を巨視的規模で扱える現象が示されます。それはスピン・エコーという現象で、現在MRIなどに応用されているものです。この実験では、10の19乗個もの核磁石が相互しながら行う実験も可逆であることが示されます。

第3章は、ギッブスの見方です。これは統計集団として気体を扱うというものです。ダイレクトメールの例が示してあります。つまり、ダイレクトメールを送ったとき、個々の受け手の反応はわからなくても、集団としての振る舞いがわかればよいというものです。

第4章はカオスです。カオスというと、我々は文学的な表現での「混沌」としか知りません。しかし明確な定義がしてあります。
「『吾々の眼にとまらないほどのごく小さい原因が、吾々の認めざるを得ないような重大な結果をひきおこすことがあると、かかるとき吾々はその結果は偶然に起こったという』このような運動をカオスと呼ぶ」
わかりやすい例では、パチンコ玉の振る舞いが予測出来ないのも、我々が知り得ない初期条件の微妙な違いによるもので、カオス的と言えます。このパチンコ玉は分子同士の衝突と置き換えられます。

こういった知識を元に、拡散、分布といった概念を、パイこね変換というモデルで考察します。正直、この辺で落ちこぼれてしまいました。しかし、個々の分子運動は可逆的であっても、カオス的に振る舞うため、集団としては不可逆的となり、時間の矢の向きが読み取れるようになると理解しました。

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