「定跡からビジョンへ(羽生善治、今北純一著、文藝春秋)」という本を読みました。
で、羽生さんの本は将棋のことを知らなくても読めるようになってますけど、共感できる言葉がたくさん。
「(釣った鯛を)じっと見ていてもすぐには何も変わりません。しかし、必ず腐ります。どうしてか?時の経過が状況を変えてしまうからです。だから、今は最善だけど、それは今の時点であって、今はすでに過去なのです。」
「日本ほどノーベル賞の受賞者を芸能人扱いするところはないですね。受賞者をあちこちのテレビ番組に引っ張り出すわりには、話題はほとんど本人にまつわる生活習慣やエピソードが中心で、受賞対象になった研究テーマについては誰も関心を示さない。最近のテレビを観ていると、エコノミストや評論家と称する人たちがしょっちゅう登場しては、目先の景気のなりゆきの当てっこをしていますね。大学の先生がバラエティ番組に出演したり・・・経済学者が、野球のメジャーリーグやサッカーのワールドカップのコメントをしたりするわけです。」
「日本が抱えている問題はそこに集約されます。『世間から笑われる』『世間様に申し訳ない』『そんなことをすると世間を狭くする』とか。つまるところ、行動を律するもとが世間の目というか、他人の目で、自分の目ではないのです。」
「『所属はしているけれど帰属はしていない』というのは至言です」
「これからは、個人が豊かになり、その集合体としての組織が豊かになるようにしないと、いつまでたっても閉塞状況から抜け出せません」
「私はプロになって二十年近くになり、いろいろと経験をしているし、訓練をしてきましたが、そうでありながら、『どんなに訓練を積んでも、ミスを避けられない』ということを実感として感じています」
今朝当直が終わって、家に着いてから、昼まで将棋の番組を見て、それから葉加瀬太郎と古澤巌がバッハのドッペルをジャズ風にアレンジしたCD(Time has come, HUCD-10021)を聴いていました。そうしたら、宅配便業者がベルを鳴らし、ドアを開けると大きな荷物を抱えて立っていました。
待ちに待ったベッド。今まで床で寝てたし、当直の日はベッドがあるからむしろ心待ちでしたが、やっと我が家にもベッドが入ります。寝心地確認したい女性は是非連絡くださーい(爆)。
今日の失敗談ですが、ベッドのシーツを買いに行って、掛け布団のカバーも勧められて購入(シーツとおそろいの方がかっこいいし)。セットで枕カバーも勧められて買って帰ったのですが、シーツにカバーを掛けていて、枕を持っていないことに気付きました。
うちの大学病院には、教授の回診日には人がどこからともなく湧いて出て来ますが、金曜日には、病棟は研修医と極少数の指導医を除くと私一人です。そのため、救急対応は全て私がします。急患の度に外来棟に呼ばれ、他科からの依頼に他科病棟に呼ばれます。同時に、点滴が入らないと研修医からの電話が入ったりします。外来棟と病棟が非常に離れていて、道路を渡らなければならず、移動に時間がかかるのが痛いところです。
少し前には、VIP、脳梗塞新規発症、髄膜炎疑いの他科依頼2人を同時に診察する必要に迫られました。VIPの診察時は、当初、海外の要人の家族で日本語が話せないと聞いていましたが、偶然私の下で働いていた研修医の父が通訳として付いてきていて、非常に助かりました。誤診してたら国際問題に発展していたかも・・・。
といったことで、昨日も私一人しか病棟にいなかったため、普段の業務に加えて、以前紹介したエルサルバドル人医師にマンツーマンで、相手する必要がありました。しかも英語。なかなか伝わらず、文法的に支離滅裂な英語を話しましたが、最終的には気に入ってもらえて、メールアドレスを聞かれました。お互いにコミュニケーションを取ろうとする努力があれば、伝わるものです。日本の女性の方がよっぽど伝わらない・・・?
今日は教授の誕生日。医局でみんなでケーキを食べました。教授の回診をみていると、考え方の根本から次元が違うことを痛感させられます。例えば、「てんかんは皮質から神経線維を伝って不随意運動が起こるけれど、多発性硬化症などの白質病変があると、異常な興奮が伝わらなくなって、てんかんは改善するのでしょうか?皆さんでそういった報告を知っている人はいますか?てんかんの研究家達が言うように、皮質には横走線維があるのでしょうか?」「パーキンソン病の人に、右手で手回内回外試験、左手で指タップをした後、手を逆にしてやってもらうと、右手で手回内回外試験をしながら右手で指タップをする。これは一種の保続ではないでしょうか?」常に疑問を提示され、如何に自分たちがわかっていないことをわかったつもりでいるか痛感させられます。論文や教科書では得られない知識が多く、勉強になります。しかし、教授回診の際は20人以上の医師が周りをとりかこみ、教授の側に近寄ることも非常に困難な状況です。
エルサルバドルから当科に勉強しにきている内科医がいます。いくつかの症例を英語で説明してあげていますが、なかなか難しいものです。一方、自分で英語で説明したことが、通じた瞬間はとてもうれしく感じます。同僚に、アメリカの大学を出て、日本の医学部を卒業した医師がいるので、普段は彼が付き添って教えています。通訳もしてくれます。
エルサルバドルでは、MRIの検査が困難で、髄液検査の際も、日本のように頭部CTを撮影せず、眼底チェックのみで済ませるなど、国による医療の違いを教えてもらいました。