頭痛の分野で最近注目を集めているのが、低髄圧性頭痛や椎骨動脈解離といった頭痛です。先日、山形大学の細矢高亮教授の講演を聞きました。
細矢教授は、椎骨動脈系の病変のほとんどは動脈解離なのではないかと考え、研究を進めてきました。血管をMRI (CE-SPGR) や血管造影で評価することにより、Wallenberg症候群の約半数で possible or definiteの動脈解離を証明しました。論文のタイトルは「Prevalence of vertebral artery dissection in Wallenberg syndrome: neuroradiological analysis of 93 patients in the Tohoku District, Japan.」で、雑誌は1996年のRadiat Medです。
こうした解離の場合、外径が予後に関係するので、MRIのCE-SPGRやBPAS (Basi-parallel anatomic scanning: 脂肪抑制 heavily T2WI, 20mm cilvus後縁に平行に撮像) といった外径をみる撮像法が大切になります。
これまで、証明が難しかった分野ですが、画像診断法の進歩により明らかになった部分が多いようです。
解離の誘因は、頭部を激しく動かすことで、整体やヨガ、ゴルフやサッカーのヘディングなどがハイリスクとなります。演者の経験では、ビートたけしの真似(首を動かす仕草)で解離を発症した症例があるそうです。解剖学的に模型を作ると理解しやすいとのことです。
私の大学の教授の発言でも、「ラジオ体操は危ないよなぁ」と。
講演で他に面白かったのが、perioptic subarachnoid space (perioptic SAS) の話。MRIのFast-STIRで評価するそうですが、asymmetricalなのが病的で、拡張は check valveの機序による拡張で、狭小化は眼窩病変を示すそうです。初めて聞いた話でした。演者には、他にFisher症候群における脳神経の造影効果を最初に報告した実績があります。
講演が終わってから、意見交換会 (飲み会) へ。演者と、私と、同僚と、私の大学の教授が同じ卓を囲みました。
私の大学の教授が海外で初めて椎骨動脈解離を知った時の話や、昔の気脳室撮影の手技、血管造影の黎明期の話(頸部から動脈を穿刺しており、失敗も日常茶飯事だった)など興味深く聞きました。
細矢教授はとても気さくな方で、「放射線科診断医は金の卵、放射線治療医はダイヤモンド」と学生に入局の勧誘をされているとのことでした。放射線治療専門医は全国で400~500人程度 (http://www.jastro.jp/)。米国では「Docotor of doctor」と呼ばれ、億の収入を誇る放射線科医も、日本ではあまりに地位が低すぎ、なり手不足のようです。
講演全体を通して、一つの分野を築いた人への憧れを感じました。
ディープインパクトの引退まで、残り2戦。その勇姿を目に焼き付けるべく、11月26日、東京競馬場に出陣しました。第1レースから見ていましたが、朝から人が非常に多かったです。途中、シンボリショパンという面白い名前の馬を見つけて、応援馬券を100円購入しました。結果は振るいませんでしたが・・・。
第10レースがディープインパクトの出番。人が一杯で、ディープの姿はほとんど見えず、目の前を通る瞬間ジャンプして見ることが出来ました。レースは後で映像でも確認しましたが、4コーナーで最後尾から先頭に上がってくるディープの姿はとても頼もしいものでした。
凱旋門賞のことがあったので、池江調教師は気が気でなかったのでしょう。武豊がインタビューで「池江先生にキスしたいです」と冗談を言うと、場内がどっと沸きました。後、有馬記念を残すのみですが、優秀の美を飾って欲しいものです。
悲しかったのは、レースが終わった後大量に投げ捨てられたゴミ。外した観客の「○○(騎手)、死ね」という言葉。
レース後、岡山から遊びに来た親友達と自宅で鍋をしました。友人達がクラシックを聴くようになっていて、好きな作曲家などの話をして、非常に楽しい夜を過ごしました。
11月24日は、学生時代所属していた部活の納会でした。親しかった後輩が卒業することとなり、飲み屋→飲み屋→ボウリング→飲み屋→ラーメン→カラオケと、名残を惜しんで朝5時まで遊んでいたわけです。
で、11月25日神経学会関東地方会に突入しました。昼くらいまではハイテンション。しかし、楽しかったのもそれまで。学会場に入場する時、受付で参加料を2000円払わないといけないのですが、前日遊びすぎて、財布の中には1500円。受付嬢に「安くはならないんですよねぇ」と言いながら、先輩に「金貸してください」と懇願。先輩から「恥ずかしい真似すんじゃねぇ」とは言われましたが、貸し渋りされることなく金を借りられました。無事入場。
上司と喫茶店でコーヒーを飲んでからは、猛烈な吐気が襲ってきました。経験したことはありませんが、きっと「悪阻」に匹敵します。
自分の発表する2つ前の演題でトイレに駆け込み吐きました。共同演者が、真っ青になっている中、何とか自分の発表には間に合いました。同僚達は「鬼気迫る発表だった」と述べていましたが、(自分で蒔いた種とはいえ)苦難を乗り越えることが出来、ほっとしました。発表自体に、問題はなかったと思います。
発表後、タクシーで駅まで戻った後、数度立て続けに吐きました。夜、家に帰ってからもはき続け、飲み会はキャンセル。酒の恐ろしさを改めて感じました。
「近代手術の開拓者(J・トールワルド著、尾方一郎訳、深瀬泰旦解説、小学館)」を読み終えました。
以前紹介した「外科の夜明け」という本の続編です。扱う内容は、脳外科手術、甲状腺手術、胆嚢摘出、喉頭癌などです。詳細な解説があり、医学的知識が無くても読むことが出来ます。
第1話は、「脳外科の門出」。脳に局在があるという説は、ガルの骨相学より始まっていますが、今から150年くらい前は、フルーレンによる全体説が主流でした。その後、局在論を唱えたフェリアと、全体論を唱えたゴルツらが激しい論争を繰り広げました。これはその頃の話。今から120年くらい前のことです。脳の一部を除去した猿を用いた実験で、フェリアが勝利を収める様子が描かれています。失語を発症し、左前頭葉、第2・3前頭回に軟化した患部を認めたブローカの症例(局在を示唆する)を裏付けるものでした。この当時には、てんかんのジャクソン・マーチで有名なヒューリングス・ジャクソンが「運動中枢」を提唱しています。パジェット、パストゥール、ウィルヒョウ、コッヘルなどが活躍した時代のことです。
第2話は、甲状腺腫摘出の話。1880年代までは、甲状腺腫の患者の多くが、気道を圧迫した腫瘍により、呼吸困難で死亡していたそうです。エドムンド・ロゼが防腐法、鉗子などの利用によって手術を成功させ、タブーを打ち破りました。彼以前の時代の甲状腺手術は、出血の合併症での死亡例が多く、また反回神経麻痺により声を失うこともあったそうです。「ビルロートの生涯」という本の紹介でも登場した、手術器具に名前を残した外科医コッヘルは、その技術を高めました。しかし、術後、甲状腺機能低下症が多発し、可能な場合は全摘から部分切除に術式が改められました。テタニーという合併症から、上皮小体(副甲状腺)を温存することが常識になり、その役割が研究されました。副甲状腺ホルモンが同定されたのはその後です。
一つの術式の確立の裏に、多数の患者の犠牲があったことを忘れてはなりません。近年、医療は安全なもので、完全な治療をすれば命は助かり、何かトラブルがあったら医療者に過誤がある筈だという風潮があります。しかし、このように実験的な治療の積み重ねの上にデータが蓄積されてきたものの、未知の部分もまだ多いのが実情です。
第6章は、喉頭癌です。ドイツのフリードリヒ3世(当時、皇太子)は、喉頭の腫瘍を発症しました。ドイツの医師団は、白金線で焼き切ったにも係わらず再発したため、癌と診断しました。
しかし、セカンドオピニオンを求めようということで、皇太子妃はイギリスからマッケンジーという医師を呼び寄せたのです。マッケンジーは癌ではないと診断しました。患者心理としては、良い方の診断を信じたい、また皇太子妃はイギリス出身で、マッケンジーの診断が支持されました。以後、明らかに癌としての経過をとったため、ドイツ医師団は何度も癌であり、今手術(世界最初の喉頭全摘術はビルロートが成功させた)すれば助かる見込みがあると進言しましたが、いずれも退けられました。皇太子妃はドイツ医師団を遠ざけました。
マッケンジーも徐々に癌と感じるようになっていたのかもしれませんが、自分のプライド、王妃から得た信頼などのため診断を変えることはしませんでした。
結局、皇太子は癌で死亡しました。死ぬ少し前に、父のヴィルヘルム1世が死亡したため、短期間フリードリヒ3世として皇帝となりました。死後、宰相ビスマルクの許可を得て、ウィルヒョウとヴァルダイアーが解剖を行いました。診断は喉頭癌と確定しましたが、マッケンジーはあくまで非を認めず、ドイツ医師団を中傷する内容の本を出版し、英国王立医学界から追放されましたそうです。マッケンジーは、癌と確定した後も、「自分も癌だと思っていたが、喉頭手術は死の確率が高いので、皇帝を手術による死から守った」と言い訳をしていました。
甲状腺手術の話を読んだ感想です。今の医療では当たり前のこととなっていることの陰に、多くの犠牲者が過去に存在したことを忘れてはなりません。現在では当たり前の治療を見たとき、「昔の人もこの技術があれば、多くの助かった命が助かっただろう」とか、「このような治療しかない時代に、病気にかかったときの患者、家族や周りの人はどんなだっただろう」と感じるときがあります。何故その術式がいけないか、手術が失敗して死んだ人がいたから判明したことも多々あります。
未来の人から、現在の医療はどう映るでしょうか?
第6話からは、セカンドオピニオンの難しさを感じました。二つの相容れない診断があったとき、患者は良い方の結果を信じやすいが、正しいかどうかは別問題ということです。フリードリヒ3世は、どのような医師を動かせる立場であっても、マッケンジーの甘い言葉に嵌ってしまいました。今日の日本人は皆、115年前の皇帝より優れた医療を受けていますが、セカンドオピニオンの本質としては、変わらない部分があり、気を付けないといけないと思います。もちろん、セカンドオピニオンというのは、非常に有用な制度です。
私の科では、研修医は何名かいますが、直接患者を持たない指導医を除くと、医局員は病棟に2人しかいません。医師-患者関係がこじれた症例や、VIP、暴○団関係者などは研修医に持たせられないため、基本的に私ともう一人の医師でみることになります。学問的に困難な症例を持つことも多いのですが、何故か一般的な症例の筈が、入院後、症例報告ものであることが多くてびっくりしています。他の先生が主治医になるとそんなことはないのに、珍しい病気が集まる星の下に生まれているのでしょうか?
郡山時代の症例を論文にするのと並行して、大学での症例も学会発表、論文報告しないとなりません。珍しい症例は、情報がないので、次にその症例に遭遇する医師のためにも、論文にするのは医師の義務と思います。
私が研修したころと、大学病院もかなり変わっていて、自宅に病棟から電話がかかってくることがめっきり少なくなりました。研修医に経験をつませるためか、「脱水症の老人」とか、場末の病院のような入院も増えました。大学病院の機能について考えるところもあります。
研修制度が変わってから、大学からの給料が上がりました。月20万円くらい貰っています。当直は月3回(うち1回は土日)で、その手当はtotalで2万円(時給270円前後)です。一方で、大学病院では、退職金やボーナスを払わなくて済むように、定期的に出張に出して、短期労働者扱いにしているトリックがあります。
出来るだけ自宅に電話しないとか、給料のアップに関しては、おそらく、研修医を集められない病院は、淘汰されていくので、待遇の改善が始まったのではないかと感じています。昔は大学病院の月給は、3-5万円が相場でしたし、毎日のように、看護師から問い合わせの電話がありました。検体を手術室から検査室に運ぶためだけに、深夜に病院に呼び出された研修医もいたと聞いたことがあります。研修医の奪い合いと並行して、看護師の奪い合いも大変みたいです
マレイ・ペライア演奏のゴールドベルク変奏曲(バッハ)のCDを聴きました。もともと、グレン・グールドのこの曲の演奏に感動して、ピアノを買ってしまったくらいなのですが、マレイ・ペライアの演奏も素晴らしかったです。グールドの演奏は、優しさに満ちあふれていますが、ペライアの演奏には荘厳さを感じます。
またまた、頂いたチケットでサントリーホールに行ってきました。
日本フィルハーモニー交響楽団
第585回定期演奏会
1.ヴァイオリン協奏曲(エルガー)
2.組曲<惑星>(ホルスト)
指揮:ジェームズ・ロッホラン、ヴァイオリン:川久保賜紀
川久保さんは、彼女がチャイコフスキーコンクールで2位受賞する前に、みなとみらいホールで演奏を聴き、「師のザハール・ブロンに表現力では及ぶべくもないが、ミスが少なくコンクール向け」と評した記憶があります。コンクールでは、予想通りとなりました。しかし、エルガーのコンチェルトが難曲だったためか、かなり傷のある演奏でした。まだまだ上達の余地がありそうです。
今回はなんといっても、<惑星>の中の、「金星」でのコン・マス木野雅之氏のソロですね。痺れました。<惑星>は全曲聴くのは初めてですが、素晴らしかったです。
コンサート会場で「山本直純フォーエヴァー~パロディーコンサート~」のCDを買いました。二度は聴かないと思いますが、最初聴いたときは笑わせて頂きました。1曲目の、交響曲第45番「宿命」(ベートーヴェン/山本直純変曲)は、おそらくベートーヴェンの第1-9交響曲を足し算して45を導いたのでしょう。交響曲全曲+他曲含めたパロディです。
「好きになる免疫学(萩原清文著、多田富雄監修、講談社サイエンティフィク)」を読みました。中学生でも読めるような簡単な本です。癌やリウマチ、エイズなどを簡単に解説していますが、免疫学的な知識を基礎から説明してくれ、内容の半分はわかりやすくイラストで表現されています。多田氏はサプレッサーT細胞を発見した学者ですし、萩原氏もとても文章が上手です。多田氏には、学生時代に「免疫の意味論」という本を興味深く読ませて頂きました。
また知人から頂いた招待券でコンサートに行ってきました。
新日本フィルハーモニー交響楽団
10,11月演奏会
1.歌劇『運命の力』序曲(ヴェルディ)
2.チェロ協奏曲 イ短調 作品129(シューマン)
3.メフィスト・ワルツ(リスト)
4.4つの管弦楽曲 作品12(バルトーク)
指揮:ジョルト・ナジ、チェロ:スティーブン・イッサーリス
序曲は、これから始まるオペラがわくわくするような、盛り上がりのある音楽となっています。ヴェルディもオペラの大家としてご多分にもれず、聴きやすい曲でした。
チェロのイッサーリスは、非常に妖艶な音で弾き出しましたが、早いパッセージでの響きが足りず、弦と弓の当たる衝撃音でかき消されていました。雨の日の日本のホールだということもあって、響きが自分の思い通りではなかったかもしれません。アンコールでは無伴奏の小品を弾いてくれました。曲名はわからなかったのですが、おそらくロマン派の小三部形式。鳥肌が立つくらい感動しました。会場がしんと静まりかえって、みんな息をするのさえ忘れて聴き入っていました。囁くような趣の演奏においては比肩する者がありません。
指揮者のナジはハンガリー人でリスト音楽院出身とのこと。このプログラムはよい趣向だったと思います。リストを聴きながら、以前訪れた、ブダペストのリストハウスを思い出しました。
全体を通して、オーケストラの音はとてもクリアでした。コンサート中、何度か各パートのソロがあったのですが、コンサートマスターの豊嶋泰嗣さんの音が非常に綺麗だったのが印象的でした。また、フルートの演奏が非常に上手でした。
知人から頂いた招待券でコンサートに行ってきました。
日本フィルハーモニー交響楽団
第222回横浜定期演奏会
1.オペラ<フィガロの結婚>序曲(モーツァルト)
2.オン・ブラマイフ(ヘンデル)
3.アヴェ・マリア(バッハ、グノー)
4.5つのコントルダンスより第1曲(モーツァルト)
5.オペラ<フィガロの結婚>より「やっとその時が来た~早く来て、愛しい人よ」(モーツァルト)
6.モテット<踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ>(モーツァルト)
7.交響曲第3番<英雄>(ベートーヴェン)
指揮:外山雄三、ソプラノ:森摩季
前半は非常に聴きやすい曲。歌手の歌唱力があったために、心地よく聴けました。オケの音も柔らかく、モーツァルトの雰囲気を作り出せていました。
ベートーヴェンも圧巻でした。第2楽章は非常にテンポがゆっくりでしたが、あっさり演奏されていたために、変にいやらしくならずに済んだと思います。特にコントラバスが良い雰囲気を作り出していました。
アンコールは、「フィデリオ(ベートーヴェン)」でした。指揮者が「尊敬する先輩の朝比奈隆先生は、偉大なるベートーヴェンの交響曲を演奏した後はアンコールは不要であると言いましたが・・・」と挨拶し聴衆爆笑。「(朝比奈先生のお叱りで)帰り道で落雷にあうかもしれませんが、アンコールは、フィデリオから行進曲です。」
帰り道は、みなとみらいだけあって、カップルが多く、クリスマスのイルミネーションを尻目に、逃げるように帰りました。