今日、大学病院で仕事をしていると、研修医が「ちょっと、聞いてくださいよぉ~!」と。
研修医曰く、「昨日ね、旦那がね、帰ってきたんですよぉ~。それでね、手を見ると、右手の甲に『バ』って書いてあって、左手の甲に『カ』って書いてあるんですよ。」
その研修医の夫は、公立学校の教師です。事情を聞くと、それを油性のマジックで書いたのは、学級委員長。クラスで作業をしていて、落ち着きのない子供がいたため、それに腹を立てた学級委員長が、ストレスを発散するため教師の手に「バカ」と書いたのが真相のようです。
自宅で研修医は激怒して、「何で怒らないの?」と夫を怒ったそうです。
個人的には、「学校で生徒にいじめられ、家で妻に怒られ大変だなぁ・・・」と感じました。
教育崩壊もここまでと感じました。彼らが矯正されることなく、大人になったとしたら、そういう行為が当然と思う親となるのでしょう。そういった親が更に教育現場に崩壊をもたらします。悪循環ですね。
絶対音感という言葉は、正確な定義なしに独り歩きしているところがあります。何だか「絶対」という響きが誤解を生んでいるのではないかと思います。
実際に楽器を演奏する上では、相対音感の方が大事で、これがないとハモらない(周波数比が綺麗にならないし)のですが、絶対音感は相対音感の習得を阻害するとも言われています。つまり、絶対音感があると、自己の内部にある音程を優先して、周囲の音程との関係がおろそかになりやすくなるのです。
具体的には、絶対音感のある人にとっては、440Hz~442Hz周辺が「ラ(A)」、○~△Hzが「ド(C)」と決まっているのです。一方、相対音感では周囲に演奏される音との対比によって周波数が決定します。440-442Hzから遙かに外れる「ラ(A)」もありますし、周囲の音程と周波数がそろう音程は、ケースによって変わってきます。
本当に優れた演奏家は、絶対音感と相対音感両方を持っていることが多いのですが、中途半端な演奏家は両方弱いケースが多々あります。また、楽器の違いもあり、例えば東京フィルでは弦楽器奏者のほとんどが絶対音感を持っているのに対して、管楽器奏者の多くは絶対音感がないそうです。つまり、音楽に絶対に必要な能力ではないということです。また、更に、絶対音感や相対音感で規定される音より更に外れた音が、そのフレーズの文脈の中では心地よかったり、表現につながったり、一概に正しい音程というのは定義出来ません。
絶対音感を検査しようと思うと、ある音を出して、その音が何の音か当ててもらうことになります。しかし、ドレミファソラシとその半音を合わせた計12個の音符から答える訳ですから、確率的に12分の1は正解になります。この正答率が高ければ、絶対音感があるというのですが、問題はどのくらい高ければ絶対音感があるというかです。その定義がうまくなされていないのです。また、純音よりも、倍音を含んだ楽器の音の方が成績が良くなる傾向にあります。
こうした問題に取り組んでいる日本人研究者がいます。新潟大学の宮崎謙一先生です。彼の論文を紹介しているブログがあり、勉強になります。
1年前に、誰がこのことを想像したでしょうか?
福島大野病院の産科医逮捕事件は、産科崩壊、ひいては医療崩壊を顕在化させる結果となりました。その後、奈良の産科搬送19病院拒否、堀病院内診問題など、個々の医師の犠牲でかろうじて成り立っているところに、更に追い打ちをかける問題が繰り返し報道されています。元々限界一杯であった現場では、それを教訓にした改善が行われるべくもなく、ただ崩壊の進行を早めただけです。このようなやり方では、医療が改善しない、むしろ滅びることに早く気づいた方が良いと思います。
「我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します」
Yosyan先生のブログから拡がった運動です。
(参考)
・勤務医開業つれづれ日記
・新小児科医のつぶやき
・ある産婦人科医のひとりごと
世界最高峰の科学雑誌、「(日本語版)」の名を聞いたことのない文化人はいないでしょう。今日、医学論文の検索をしながら、音楽関係のキーワードを入れて遊んでいると、下記のような論文を見つけ、さっそくon lineでダウンロードしてしまいました。
「Wood used by Stradivari and Guarneri」
Stradivariのviolin (1717年製)・cello (1731年製)、Guarneri del Gesuのviolin (1741年製)、Gand-Bernardel of Parisのviolin (1840年代製)、Henry Jay of Londonのviola (1769年製)の裏板内側のサンプルを、補修作業の際に一部得ました。それに対して13C solid-state NMR spectroscopy及びFTIR spectroscopyで分析しました。
その結果、Guarneriと Stradivariでは、他の楽器に比べて違いがあることが明らかになりました。著者らは、酸化や還元といった化学的処置がこれらの楽器の制作時に行われたためではないかと推測しています。
詳細については、原著を参照ください。
医学書院の鼎談で、「神経学はいかにして作られたか 」が掲載されたことがあります。もう 10年以上も前の鼎談なのですが、これが凄く面白いです。
神経学はいかにして作られたか 「臨床神経学辞典」発刊を機に
前半の神経学の歴史は、好きな人にとってはたまらない話ですが、神経内科医以外に読んで欲しいのは、最後の「デジタル化できないもの」~「『曖昧さ』をサイエンスに取り込む」の部分です。EBM全盛期の医療という環境に置かれた我々が、意識しないといけないことが書いてあります。この記事は必読です。
「よみがえる人生 パーキンソン病新薬誕生物語(アラステア・ダウ著、難波陽光訳、講談社)」を読み終えました。
一般のジャーナリストが一般人向けに書いた本としては、ストレスなく読めます。パーキンソン病の治療薬であるデプレニルという薬剤について扱っています。デプレニルは現在セレギリンと呼ばれ、エフピーという商品名で、日本で売られています。私もパーキンソン病患者の治療によく使用します。開発秘話については知らなかったので、新鮮でした。
開発には紆余曲折があったといいます。まず、最初の転機は結核治療薬イソニアジドから、似たような結核治療薬としてイプロニアジドが開発されたことです。しかし、患者が次々と躁状態になりました。イプロニアジドはMAO(モノアミンオキシダーゼ)阻害作用があることがわかり、鬱病の治療薬としてMAO阻害薬は急速に注目を集めました。
キノイン社のエクゼリ博士はMAO阻害薬のパルギリンをベースに、メタンフェタミンを結合させた物質を作るように指示し、指示を受けたミラーは250種の物質を試し、250番目にE250という物質を開発しました。これがデプレニルです。
ヨゼフ・クノールはゼンメルヴァイス医科大学でゼンメルヴァイスから数えて4代目の薬理学科長らしいのですが、デプレニルを研究し、薬理効果を明らかにしました。デプレニルがMAO-Bに選択的に効果があることを示し、ねばり強く研究を続けた彼がいなければ、この薬が臨床応用されることもなかったかもしれません。クノールはユダヤ人で14歳の時にアウシュビッツに送られます。家族は皆殺されたそうです。クノールも4人でいたとき3人が射殺され、自分は「振り向かなかったから」助かったと述べています。
バークマイヤーは、過去ドイツの軍医でしたが、パーキンソン病治療の権威でした。彼が、デプレニルを臨床応用しました。クノールとバークマイヤーは、「アウシュビッツに送られたユダヤ人とナチスの軍人」という、自分たちの過去について囚われなく協力関係を結べたといいます。
レボドパを最初に投与した医師はバーボウですが、ほぼ同時期に、バークマイヤーらも静脈注射で投与したそうです。バークマイヤーらは「バークマイヤー効果」という言葉があるほど、パーキンソン病治療について名声があったそうです。
本書には、他にMAO-A阻害薬とMAO-B阻害薬の違い、チーズ作用(MAO-Aが肝臓に存在するので、チーズやワインに含まれるチラミンの代謝が抑制される)、デプレニルが認可されるまでの苦闘などについて扱っています。そのほか、動物実験で、デプレニルはラットの生存期間(寿命)を延長させたことも記載されています。面白いのは、デプレニルには性的活発度を上昇させる作用もあり、性的活発度と生存期間の間に著しい相関関係があったことです。何故でしょうか・・・。
一般的に、こうした本を読むと、理想的な薬にみえます。しかし、どんなに魅力的な薬であっても、絶対な薬はありません。実際に使う立場からすれば、この薬にしても、効かない、副作用が強くて使えないなどのケースは多々経験します。
「抗菌薬の考え方,使い方 Ver. 2 (岩田健太郎、宮入烈著、中外医学社)」を読み終えました。本の著者は、亀田総合病院の感染症科部長。読み始めたらあまりに面白く、一気に読み終えました。
一般的な感染症の他、結核、HIV、マラリア、旅行者の下痢など興味深い項も扱っています。