花見

By , 2007年3月31日 8:33 AM

昨日は、医局の花見でした。三明という店を一ヶ月前に病棟医長が予約していて、桜満開の日にどんぴしゃり。病棟医長は毎年一ヶ月くらい前にいろいろな店を予約し、ここ数年、時期をはずしたことがないそうです。ある意味気象庁よりも正確です。飲み会も盛り上がり、気がつくと、紹興酒を数本空けており、かなり酔っぱらいました。でも、飲む方に集中しすぎて、あまり桜見なかったような・・・。

花見が終わってからは、六本木のサルサ・バーに連れて行って貰いました。サルサを見るのは初めてでした。音楽(その日にかかっていた曲の問題?)は、リズムが単調であまり好みではありませんでしたが、洗練された色っぽさが踊りの中にあり、目の保養になりました。オヤジ的表現ですが。

サルサ・バーで飲んでいると、部活の後輩からメールがあり、みんな国家試験に受かったとのこと。おめでたい一日でした。

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Bonanza

By , 2007年3月30日 8:05 AM

将棋世界最強ソフトBonanzaと渡辺竜王の対局が、先日行われ、渡辺竜王が辛勝しました。Bonanzaのプログラムの開発者は将棋に対しては素人だったといいます。しかし、自分が将棋が出来ないので、徹底的に過去のプロ棋士の棋譜を読み込ませたそうです。

素人目には、終盤までは互角だったと思いますし、コンピューターの終盤の1手のミスがなければどちらが勝っていたかわかりません。竜王ですら1手違いですから、びっくりです。

私が小学生の頃、ファミリーコンピューター (ファミコン) というハードで「内藤九段の将棋秘伝」というソフトがあり、まず負けることはなかったのですが、段々コンピューターが強くなり、最近では全く勝てません。激指というソフトは、都道府県代表を集めたアマチュア竜王大会で、ベスト16まで進みました。気付かないうちに随分技術が進歩していたものと思います。コンピューターと対局していると悔しい思いをすることも多いのですが、私がコンピューターを超える日はもう来なさそうです。

(参考)
渡辺明ブログ-大和証券杯特別対局ボナンザ戦。その1(対局準備)-
渡辺明ブログ-大和証券杯特別対局ボナンザ戦。その2(当日編)-
-渡辺明ブログ-ボナンザ戦補足など。-

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横になれば休めた

By , 2007年3月30日 12:17 AM

最初は怒りがこみ上げましたが、その後何とも言えない嫌な気分になりました。

小児科医の過労死事件に対して、東京地裁は「空き時間に横になれば、体を休めることはできた。過労にはあたらず、自殺と業務との因果関係は認められない」との判決を下しました。

過労死した医師の99年3月の勤務時間は、勤務医開業つれづれ日記-【速報】 一転、 医師自殺は過労死と言えない…遺族の訴え退ける判決-によれば、宿直8回、休日出勤6回、24時間以上の連続勤務が7回、休日は月に2日とのことでした(医師の宿直には代休はなく、連続して通常勤務です)。

このくらいの労働をしている医師は他にも多いと思います。短期間であり、かつ自分である程度労働強度の調整が出来るのであれば、耐えられるでしょうが、いつまで続くかわからない中、強制された労働であれば、耐え難いものであると思います。一生この生活が続くのかと思うと、鬱的になる気持ちもわかる気がします。

それにしても、この労働環境に対して、「空き時間に横になれば、体を休めることはできた」とは良く言えたものです。小児科は特に夜間の患者数が多く、日によっては内科の倍の患者が当直帯に受診します。横になる時間があるかも疑問ですし、数十分横になれたから疲れが取れるものでもありません。

最悪のパターン、昼働いて、夜当直して、翌日も勤務して、やっと家に帰ったら、また病院に呼び出されということも時々あります(その翌日が更に当直だと死にますね)。

上記のサイトをみた、多くの医師が、コメント欄に「心が折れた」と記しています。これが過労と認可されないのであれば、自分の身は自分で守るしかなくなってしまいますね。

医師の遺書の最後の言葉です。

間もなく21世紀を迎えます。
経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。
不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、
その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。
この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。

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はじめて出会う 細胞の分子生物学

By , 2007年3月29日 9:42 PM

「はじめて出会う 細胞の分子生物学 (伊藤明夫著、岩波書店)」を読み終えました。

「細胞の分子生物学」と題打っていますが、有名な教科書「The cell 細胞の分子生物学 (教育社)」とは異なり、タンパク質を中心に扱っています。ボリュームが少ないので、一気に読めました。ぶ厚い教科書だと、後半を読む頃には前半の内容を忘れていることがあるので、その点ではすっきり読めました。

タンパク質の誕生から死までを扱っており、面白かったので、今日さっそく同じジャンルの本を買ってきました。読むのは当分先になるとは思いますが・・・。

追記
「cell」という単語を「細胞」と訳したのは、津山藩の宇田川榕菴らしいですね。実家に帰ったら、いろいろ関連史跡を見学したいと思います。更に宇田川榕菴は音楽理論の解説書も著しているらしいので、そちらにも興味があります。

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爆発

By , 2007年3月25日 4:45 PM

古いニュースになりますが、日大医学部の爆破事件。

日大医学部(東京都板橋区)の学生用準備室でガスボンベを爆発させた上、医学部に脅迫文を送り付けたとして、警視庁捜査一課と板橋署は21日までに、激発物破裂と脅迫の疑いで、日大医学部5年三木基弘容疑者(24)を逮捕した。

捜査1課によると、爆発当時、準備室内は無人でけが人はなく、木製棚などが破損する被害だけだった。「知人に頼まれ、爆発させる道具を組み立て、脅迫文を作成しただけ」と供述しているが、捜査1課は単独犯とみており、詳しい動機などを追及する。

調べでは、三木容疑者は2月14日午前9時ごろ、医学部本館地下1階にある5年生用準備室で、ロッカー内に置いたガスボンベを爆発させ、棚などを破損した疑い。

さらに同17日、医学部あてに「あれはデモンストレーションだ。今度はすごいことになる」などとした脅迫文を郵送し脅した疑い。

三木容疑者は、電気こんろの上にガスボンベ2本を置き、タイマーで自動的に通電させて、ボンベを爆発させる仕組みにしていた。(日刊スポーツ)

被疑者の同級生にメールで情報収集。レスを頂きました。

「おひさしぶりです。遅くなってすみません。彼は,学年一位でまじめな感じでした。。。私もびっくりしるんですけど。。(・・;)」

この行動を予想するのは難しかったと思います。

医学部の受験では面接もあり、よっぽど異常なら排除するでしょう。しかし、短時間の面接で、こうした反社会的行動を行うか判断するのは困難です。つまり、面接には限界があります。高度化した医学を修めるには学力が必要ですので、面接は行うにしても、これまで通り入試は学力で評価でするしかないでしょう。人が人を評価するのに最も客観的な指標の一つですしね。入試で見抜けなかったのは当然にしても、入学後もそうした兆候は見られなかったようです。難しい・・・。

医学部生の中でこうした反社会的な人間が稀なことだけは主張しておきたいです (他の社会同様ゼロではない)。

何にせよスケールの小さい・・・。

(参考)

ssd’s Diary-嘆かわしい医学生-

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タミフルを考える

By , 2007年3月25日 2:51 PM

インフルエンザの治療薬オセルタミビル(商品名;タミフル, 以下タミフル)がマスコミに格好のネタを与えています。特に10歳前後において、タミフル内服後、転落死が相次いでいる問題です。

しかし、科学的検証はなされず、ヒステリックな反応が目立ち、「薬害」を想像させる報道の数々がなされています。

そもそも、我々医師にとって、副作用のない薬はないのであって、どのような薬剤が重篤な副作用を起こしても不思議はありません。薬剤の使用はメリットとデメリットによって決められます。従って、放っておいても治る程度の風邪には、私はほとんど薬を出しません。患者は薬を出す医師が良い医師と考えるでしょうが、医師にとってはそうではありません。

そのため、タミフルのメリットとデメリットを天秤にかける必要がありますし、情報を開示して、患者と医療関係者が選択出来るようにするのが先決だと思います。少なくとも薬剤としては有用ですし、全て禁止にはすべきではありません。

さて、転落死は本当にタミフルのせいなのでしょうか?

タミフルを内服せずに2階から転落した事例があり、患者が助かったため、どのような心理状態だったかの記録が残っています。「何かに追われている気がした」という言葉は、「せん妄」に類するものと言えます。

 西日本で先週末、インフルエンザにかかった男子(14)が、自宅2階から飛び降り、足を骨折していたことがわかった。タミフルは服用していなかった。

主治医によると、この男子は15日、38度の熱があり、翌日いったん熱が下がったものの、17日未明に自宅2階から飛び降りたとみられ、玄関先で倒れているところを発見された。

病院搬送時に熱があり、検査でB型インフルエンザに感染していたことがわかった。男子は「夢の中で何かに追われ、飛び降りた」と話しているという。

タミフル服用後の「飛び降り」事例が相次ぎ、薬との因果関係が疑われているが、服用していない患者の飛び降り例はこれまであまり報告がないという。このケースは来月、厚労省研究班会議で報告される予定。 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000301-yom-soci)

また、インフルエンザ脳症を扱ったサイトでも、インフルエンザ脳症でどのような高次機能障害が起こったか記載されています。

1.両親がわからない、いない人がいると言う(人を正しく認識できない)。
2.自分の手を噛むなど、食べ物と食べ物でないものとを区別できない。
3.アニメのキャラクター・象・ライオンなどが見える、など幻視・幻覚的訴えをする。
4.意味不明な言葉を発する、ろれつがまわらない。
5.おびえ、恐怖、恐怖感の訴え・表情
6.急に起こりだす、泣き出す、大声で歌いだす。

問題は、一般的な熱せん妄なのか、インフルエンザ脳症によるせん妄なのか、タミフルによる高次機能障害なのか、それ以外なのかになります。熱せん妄なのか、インフルエンザ脳症によるせん妄かの鑑別は難しそうです。タミフルの影響 (直接せん妄を起こさせる、或いは間接的に熱せん妄の閾値を下げる可能性) については、タミフルを飲んだ群とそうでない群を比較する必要があります。

「インフルエンザ」というマニアックな医学雑誌で「抗インフルエンザ薬の有効性」と題した鼎談が行われていました(抗インフルエンザ薬の有効性. インフルエンザ 7: 263-272. 2006)。

A型インフルエンザの子供にオセルタミビルを投与すると、翌日には少なくとも半分の子供の熱が下がって、その2日後にはほとんど90%以上の子は解熱してしまいます。

(中略)

オセルタミビルは異常行動や幻覚などの問題があると報道されたのですが、基本的に精神神経症状は、オセルタミビル群とプラセボ群で、両方とも同じくらい出ています。これは治験のときのデータです。

また、別にFDAレポートもあり、タミフル内服後の精神症状について詳細に検討しています。しかし、薬剤と異常行動との関係を証明するには至っていないようです。

 タミフル内服後の精神症状の報告は、1999年から 2005年8月29日までに 126例存在し、2005年8月29日から 2006年7月6日までに、129例存在します。既往歴や情報不足などから 26例を除外し、129例の中から 103例について検討しました。103例のうち 95例は日本の報告でした。17歳未満が (67%)、男性が 74%でした。死亡した 3例にはタミフルが影響している可能性がありました。しかし、インフルエンザ脳症との鑑別は困難でした。

これらの検討から、現時点ではインフルエンザに罹患した時点で、タミフル内服の有無に関わらず、異常行動を起こすリスクがあると考えるべきです。

今後、インフルエンザ患者にはザナミビル (商品名;リレンザ, 以下リレンザ) が処方される可能性が高くなり、現に在庫が尽きつつあります。しかし、インフルエンザへの罹患そのものが異常行動のリスクなのであれば、リレンザによる異常行動と報道される事例も増える筈であると予言しておきます。

この記事について、筆者には製薬会社との利害関係はありません。

—-
追記です。アマンタジン(商品名;シンメトレル)という薬剤があり、A型インフルエンザに有効とされています。しかし、耐性化が進んでいるようです。昨年、パーキンソン病治療のためアマンタジンを内服していた老人が大量にA型インフルエンザで入院してきて、大変でした (ちなみに、この薬剤、高齢者だと結構せん妄の原因になるのです)。あまり効きそうにないですね。

後日、同僚の医師からメールが来ました。内容を引用します。

 インフルエンザで高熱を出して、我輩も中学校2年生の時におかしくなりました。
何かが天井から落ちてきて、追いかけられる夢を見て、恐れおののいていました。
その時に、「さかべこ」が来ると言って母親を困らせたそうです。
「さかべこが来るから、早くいかな」と言ったところで、母親が「何言ってんの」
と言い、我にかえりました。自分では、「さかべこ」と言っていた記憶すらありません。
ただ、あの怖い夢だけは覚えています。
ちなみに、当時の一番中の良かった友人は「坂部」君でした。
タミフルが原因でないことは、自分が良くわかります。

(参考)

M. Studahl. Influenza virus and CNS manifestations. J Clin Virol 28: 225-232, 2003

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ユーディ・メニューイン

By , 2007年3月22日 11:45 PM

「ユーディ・メニューイン『コンサート・マジック』を語る」という番組をクラシカで放映していました。

メニューインは若くして完成された演奏で一世を風靡しましたが、20歳代からスランプに陥り、苦しみに満ちた演奏家人生を送りました。このような音楽家としての苦悩は、彼を哲学者として育てました。彼はいくつもの著書を残しています。

「コンサート・マジック」は、若き日のメニューインの演奏を記した映画で、今回の番組は、メニューイン自身がその演奏を振り返るという企画でした。いくつものメニューイン語録が登場します。

まずはマタイ受難曲のアリア「神よ 憐れみたまえ」について。

これほど心を動かされた音楽はありませんでした。個人の苦痛が表現されているからでも、それを劇的に描いているからでもありません。この曲は全人類の苦痛を描いているのです。キリストの十字架に象徴される人類の苦痛と罪です。安堵感を与えてくれる音楽でもあります。

続いて、バッハについても語っています。

  バッハから遠くなるほど彼の曲に価値が出てくる。現代社会はあまりにも傲慢で不遜です。伝統を軽んじ物事を深く考えない。暴力的で騒々しく残酷です。五感を苛み自然を破壊し、人間を攻撃します。じきにバッハの音楽が真価を発揮します。人々に癒しを与える解毒剤として。

彼の一言一言を聞いて、深い言葉だなと思いました。

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飲んだくれ

By , 2007年3月21日 7:50 PM

ここ1週間は非常にハードでした。当直が週の半分くらいあり、当直がない日は毎日明け方まで飲んでいたためですが、藤沢秀行翁がそんな精神状態を代弁してくれています。

 よく学びよく遊べ、という言葉は本当だと思う。人間というものは、人一倍勉強したり働いたりするためには、人一倍の精神の遊びが必要なようだ。集中の度合いが激しければ激しいほど、解放や発散も思い切ってしなければバランスが悪くなってしまう。
言い訳に聞こえるだろうか。私は碁にのめり込むほどに、ガラッと気分を転換することの必要性を強く感じるようになった。いっときでも碁を忘れるためには、張り詰めた神経をぐにゃぐにゃにほぐしてやらなければならなかった。
そこに、競輪や競馬という面白い博打があった。美味い酒があった。そういうことである。
(「野垂れ死に」藤沢秀行、新潮新書より引用)

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日本医師会の広告

By , 2007年3月21日 7:38 PM

2007年3月18日に日本医師会が打った新聞広告。いささか遅すぎた感もありますが・・・。

今、日本の産婦人科・産科の半分は、 お産を受け入れられない、という事実があります。
地域の産科が、次々と閉鎖に追い込まれています。
それにより、将来50万人の「お産難民」が発生する可能性があります。

「休日・夜間急患センター」を訪れる救急患者の50%以上は、 赤ちゃんや子どもたちです。
しかし、夜間に子どもを連れて行っても小児科医がいない、 という事態が今、全国各地で起きています。

こうした問題の要因として考えられるのは、
まず、地方と都市部において、
医師数に格差が生じていること。
さらに、日本は人口1,000人当たりの医師数が、
先進国中、最も少ない国であること、
などがあげられます。

国は、5年後の平成24年3月末までに、
全国に現在38万床ある「長期療養者のためのベッド」を、
半分以下の15万床まで削減する方針を打ち出しています。

それにより、退院を余儀なくされる「医療難民」が、2万人。
在宅や施設での受け入れすら困難な「介護難民」が、4万人。
計6万人の「難民」が発生するおそれがあります。

WHOから「健康達成度世界一」と評価されてきた日本の医療は、 今や、崩壊に向かっています。
この国の医療が抱える危機を、乗り越えるためのタイムリミットは、刻々と近づいています。
あなたとともに私たち日本医師会は、医療の崩壊を食い止めたい。
医療の未来を守っていきたいのです。
あなたの声を、ぜひ、私たちにください。
私たちは、みなさんのご意見を、国に訴えかけてまいります。

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野垂れ死に

By , 2007年3月21日 7:00 PM

「野垂れ死に (藤沢秀行著、新潮新書)」を読み終えました。囲碁界の巨匠ですが、とてもスケールの大きな人物であったそうです。愛すべき方です。私は仕事で著者にお目にかかる機会があり、「君はなかなか見込みがあるなぁ」と名刺を頂きました。何の見込みだったのかは聞けずじまいでしたが。

以下、面白かった部分をいくつか紹介します。一番最初に紹介するのは、本書の冒頭部です。彼の死生観が表れています。

 こんなに生きるはずではなかった。
野垂れ死にするつもりだったのだ。
碁を打って打って打ちまくり、好きな酒を気が済むまで飲んで、ふらっと出かけた競輪場あたりである日コトッと死んでいる。
そんな最期を、もって早くに迎えてしかるべきだった。
それが、くたばり損なった。何度もチャンスはあったのだが、そのたびに間違って生き延びてしまい、何の因果か、今年二〇〇五年六月で八十歳になる。

続いて、彼の複雑な生い立ちについて。凄く特殊な環境で育ってきたことがよくわかります。

私は誕生日が三回変わった。母親に確かめた正しい誕生日は六月十九日なのに、どういうわけだか、引っ越すたびに、新しく交付された保険証には違う誕生日が書いてある。

(中略)

私の兄弟の数も、正確に言えば、戸籍は間違っている。私は四人兄弟の長男ということになっているが、わかっているだけで一九人兄弟なのだ。本当はもっと多いかもしれない。
ただし、それは私の親父の都合でそうなったのであって、戸籍を作ったお役人に罪はない。母親の違う子を十九人も作って、子供の戸籍を分けたのは親父の仕業である。

彼の扱い方は周りもよくわかっていたようですが、下記に示す結婚式でのエピソードは「えーっ、ここまで徹底しているの?」と思いました。

考えてみると、三男も四男も、その結婚式にすら私は出ていない。三男のときなどは、「どうせ来ないから」と呼ばれもしなかったのだ。
怠け者の私は、冠婚葬祭が大の苦手である。決まりきった形式に沿って、心にもないことを言ったりやったりするセレモニーが、面倒で仕方がない。

彼の伝説については、他にも色々とあり、本書にたくさん載っています。

(参考)

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