ここ1週間は非常にハードでした。当直が週の半分くらいあり、当直がない日は毎日明け方まで飲んでいたためですが、藤沢秀行翁がそんな精神状態を代弁してくれています。
よく学びよく遊べ、という言葉は本当だと思う。人間というものは、人一倍勉強したり働いたりするためには、人一倍の精神の遊びが必要なようだ。集中の度合いが激しければ激しいほど、解放や発散も思い切ってしなければバランスが悪くなってしまう。
言い訳に聞こえるだろうか。私は碁にのめり込むほどに、ガラッと気分を転換することの必要性を強く感じるようになった。いっときでも碁を忘れるためには、張り詰めた神経をぐにゃぐにゃにほぐしてやらなければならなかった。
そこに、競輪や競馬という面白い博打があった。美味い酒があった。そういうことである。
(「野垂れ死に」藤沢秀行、新潮新書より引用)
2007年3月18日に日本医師会が打った新聞広告。いささか遅すぎた感もありますが・・・。
今、日本の産婦人科・産科の半分は、 お産を受け入れられない、という事実があります。
地域の産科が、次々と閉鎖に追い込まれています。
それにより、将来50万人の「お産難民」が発生する可能性があります。
「休日・夜間急患センター」を訪れる救急患者の50%以上は、 赤ちゃんや子どもたちです。
しかし、夜間に子どもを連れて行っても小児科医がいない、 という事態が今、全国各地で起きています。
こうした問題の要因として考えられるのは、
まず、地方と都市部において、
医師数に格差が生じていること。
さらに、日本は人口1,000人当たりの医師数が、
先進国中、最も少ない国であること、
などがあげられます。
国は、5年後の平成24年3月末までに、
全国に現在38万床ある「長期療養者のためのベッド」を、
半分以下の15万床まで削減する方針を打ち出しています。
それにより、退院を余儀なくされる「医療難民」が、2万人。
在宅や施設での受け入れすら困難な「介護難民」が、4万人。
計6万人の「難民」が発生するおそれがあります。
WHOから「健康達成度世界一」と評価されてきた日本の医療は、 今や、崩壊に向かっています。
この国の医療が抱える危機を、乗り越えるためのタイムリミットは、刻々と近づいています。
あなたとともに私たち日本医師会は、医療の崩壊を食い止めたい。
医療の未来を守っていきたいのです。
あなたの声を、ぜひ、私たちにください。
私たちは、みなさんのご意見を、国に訴えかけてまいります。
「野垂れ死に (藤沢秀行著、新潮新書)」を読み終えました。囲碁界の巨匠ですが、とてもスケールの大きな人物であったそうです。愛すべき方です。私は仕事で著者にお目にかかる機会があり、「君はなかなか見込みがあるなぁ」と名刺を頂きました。何の見込みだったのかは聞けずじまいでしたが。
以下、面白かった部分をいくつか紹介します。一番最初に紹介するのは、本書の冒頭部です。彼の死生観が表れています。
こんなに生きるはずではなかった。
野垂れ死にするつもりだったのだ。
碁を打って打って打ちまくり、好きな酒を気が済むまで飲んで、ふらっと出かけた競輪場あたりである日コトッと死んでいる。
そんな最期を、もって早くに迎えてしかるべきだった。
それが、くたばり損なった。何度もチャンスはあったのだが、そのたびに間違って生き延びてしまい、何の因果か、今年二〇〇五年六月で八十歳になる。
続いて、彼の複雑な生い立ちについて。凄く特殊な環境で育ってきたことがよくわかります。
私は誕生日が三回変わった。母親に確かめた正しい誕生日は六月十九日なのに、どういうわけだか、引っ越すたびに、新しく交付された保険証には違う誕生日が書いてある。
(中略)
私の兄弟の数も、正確に言えば、戸籍は間違っている。私は四人兄弟の長男ということになっているが、わかっているだけで一九人兄弟なのだ。本当はもっと多いかもしれない。
ただし、それは私の親父の都合でそうなったのであって、戸籍を作ったお役人に罪はない。母親の違う子を十九人も作って、子供の戸籍を分けたのは親父の仕業である。
彼の扱い方は周りもよくわかっていたようですが、下記に示す結婚式でのエピソードは「えーっ、ここまで徹底しているの?」と思いました。
考えてみると、三男も四男も、その結婚式にすら私は出ていない。三男のときなどは、「どうせ来ないから」と呼ばれもしなかったのだ。
怠け者の私は、冠婚葬祭が大の苦手である。決まりきった形式に沿って、心にもないことを言ったりやったりするセレモニーが、面倒で仕方がない。
彼の伝説については、他にも色々とあり、本書にたくさん載っています。
(参考)
・笑