Babinskiと下戸

By , 2008年3月9日 11:07 AM

医師が、診察で足の裏を擦っているのを見たことがありますか?あれは Babinski反射という所見を取っているのです。この反射は意識障害があっても、簡単な手技で 錐体路障害を知ることができるので、重宝しています。

先日、脊髄について調べ物をしていて、京都府立医大教授の佐野豊先生の「神経科学-形態学的基礎 Ⅱ. 脊髄・脳幹」という本を読む機会がありました。この本は、内容が非常に充実していて、特筆すべきは発見の歴史から現在の知見まで網羅されていることです。定価 36,750円とやや高いのですが、十分その価値があると思います。

その中のコラム「余滴」に、Babinskiと Marieにまつわる面白い逸話が載っていたので紹介します。Babinskiは上述の反射を見つけたことで名を残していますし、MarieもCharcot-Marie-Tooth病に名を残した、有名な神経内科医です。

余滴 Babinskiと下戸

神経研究史の中に名をとどめた偉大な研究者の中には数かずの逸話を残した人たちも少なくない。しかし酒にかかわる逸話となるとあまり知られたものがない。

神経病学の大家 Joseph Babinskiは兄のHenri Babinskiと共に独身を通し、二人暮らしをつづけた。兄はすぐれたエンジニアであったが、秘書役として弟の仕事を支え、まるで家政婦のように食事をつくり、朝の目覚ましまで行って面倒をみたことは有名である。食通であった Henriは調理の技術にも熟達し、その道に関する著書まで出版した人物で、Ali-Babaの異名をもつ Parisでも屈指の美食家であった。弟が家に招く客人たちは、兄の手によるご馳走にあやかることができたという。

K. Kolleが編集した Grosseの Nervenarzte. Georg Thieme, Stuttgart 1959の 2巻に掲載された Joseph Babinski (pp. 162-171) の項を執筆したTh. Alajouanineは、その中に興味深いエピソードを紹介している。Babinskiはある日、Charcot門下の先輩 Pierre Marie (1853-1940) を招待した。兄は料理に腕をふるい、とっておきの Bordeauxの赤ワインを添えて出した。こともあろうに、Marieは極上のワインの入ったグラスに水を注ぎ、極めて薄めて飲んだのであった。のちに Babinskiは半ば真剣に、半ば冗談めかし、たとえ尊敬する先輩であってもこの行為だけはゆるせないと語ったという。-その日、野武士のような風貌をもつ Marieの行為を、美食家で鳴らした Babinski兄弟が哀れみとさげすみの混じり合った複雑な気持ちで眺めている姿や、客人の帰ったあと二人で交わし合ったであろう会話が、私には手にとるようにうかがえる。

酒は百薬の長といわれてきたのに、多くの医師たちは患者を前にすると誰彼を問わず飲酒を止める。こうした医師たちの集まりで上述の逸話を紹介したとき、酒好きの人たちは大いによろこんで聞いてくれたが、下戸の人たちには逸話のおもしろさが通じなかったのかなんの反応も得られなかった。下戸の人たちには Babinskiの失望と怒りが実感として伝わらないのであった。私は胸の中で苦笑し、二度と公の席でこの逸話は口にするまいと心に決めた。

私は、酒好きなので、この逸話を知ってから、色々な人に紹介してまわりました。私にも、その時の光景が見ているように目に浮かび、ワインを飲む機会がある度にこの逸話を思い出すのでした。

Post to Twitter


Panorama Theme by Themocracy