使い回しにまつわる独断と偏見に満ちた感想
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの全集を買って聴いていると、同じフレーズの使い回しが結構多いことに気がつきます。
バッハの場合は、週に 1回ミサを書かなければいけなかった事情もあるし、もともと主題をどう扱うかの技法の面に重きがあったりして、同じ主題を何回も扱うことに納得できます。
モーツァルトの場合は、お気に入りの旋律を、手を変え品を変えて登場させます。様々な楽器、シチュエーションで登場し、気に入った旋律を変奏させて遊びます。旋律はとびっきり綺麗です。
ベートーヴェンにもいくつか使い回しは見られるのですが、少し事情は違うようです。曲のテーマとして用いることもあるのですが、作品の途中にさりげなく組み込まれることもあるようです。
晩年の作品、弦楽四重奏曲第 15番作品 132を聴いていて、彼の若い頃の作品に使われているフレーズがあることに気付いて非常にびっくりしました。びっくりした理由について述べたいと思います。
以前、「お気に入りの主題」として紹介した「エロイカ」の主題は生涯に 3回使われましたが、作曲年は非常に近いです。
1801年 バレエ音楽<プロメテウスの創造物>作品43のフィナーレ
1802年 <12のコントルダンス>WoO14第7番
1805年 交響曲第 3番「エロイカ」
編曲についても同じ。ヴァイオリン協奏曲と、それを編曲したピアノ協奏曲の作曲年も近いです。
1806年 ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op. 61
1807年 ピアノ協奏曲ニ長調 (ヴァイオリン協奏曲のピアノ版)
今回の弦楽四重奏曲第 15番作品 132の 2楽章中間部で使い回されていたのは、12のドイツ舞曲 WoO 13の第 11曲でした。調性も、旋律もまったく同じです。同じというだけならびっくりしないのですが、作曲年の違いに唖然とします。
1795年? 12のドイツ舞曲 WoO 13
1825年 弦楽四重奏曲第 15番 Op. 132
なんと 30年間も経ています。弦楽四重奏曲の集大成とも言える作品に、何故初期の作品が組み込まれているのか?
しばらく思索にふけるに相応しい題材を与えられた気分です。