ワインと外交

By , 2010年7月14日 8:01 AM

「ワインと外交 (西川恵著, 新潮新書)」を読み終えました。

ワインは良く飲みますが全然詳しくなく、外交に至っては全くの専門外です。そもそも一人の女性の気持ちすらわからんのに、他の国がわかるのか?といったところです。

それでも、未知の世界への興味というのはあるもので、本屋で手にとって一気に読んでしまいました。さまざまな会談での食事やワインのメニューが載っていて面白かったです。

料理はホスト国の特徴を生かしたものが用いられることが多く、宗教的に問題になるものは避けられます。ワインは食事に合わせてつけられることが多いようです。しかし、外交の場では料理にも意味が隠されているということがあります。米国のブッシュ大統領がフランスを訪れた際にはフレンチフライが出されました。実はフレンチフライには曰くがあります。詳しくは Wikipediaで見て頂きたいのですが、イラク戦争に関連して起こった米国での反仏運動で象徴となった食べ物です。会談の中でブッシュ大統領は笑いながら食べたと言います。

皇室とモロッコの交流が深まったのは比較的最近のことでした。モロッコのモハメド皇太子が日本に訪問する前、日本のことを勉強する必要性に迫られ、日本側に「適任者をモロッコに差し向けて欲しい」と要請。そのときに約1週間講義を行ったのが、あの舛添要一東大助教授でした。モハメド皇太子はその後国王になりましたが、日本での迎賓館に滞在中、日本人料理人をいたく気に入り、王宮に招いてお抱え料理人にしたらしいです。

2000年の天皇陛下のオランダ訪問は、かなりの障害を乗り越えて行われました。戦争捕虜虐待問題やオランダ人慰安婦問題などが障壁となり、天皇陛下が国賓としてオランダを訪れたのは戦後初めてのことでした。オランダ植民地であったインドネシアを日本軍が占領した後、日本の強制収容所に入れられたオランダ人は約 17%亡くなったとされています。これはシベリア抑留で亡くなった日本人戦争捕虜の約 12%を上回る数字らしいです。日本政府は「平和友好交流計画」「償い事業」などを通じて地道に交渉を続け、会談が実現しました。

オランダ人被害者達のデモを回避するために関係者は奔走し、無事に天皇皇后両陛下が慰霊塔に黙祷を捧げたとき、オランダのベアトリックス女王の目に涙が光っていたといいます。晩餐会でベアトリックス女王は、オランダ船リーフデ号の漂着から日蘭交流は始まりましたが「リーフデ」はオランダ語で「愛」の意であること、「歴史の役割は、思い出すことのみではなく、将来への意味を与えることにある」など素晴らしい歓迎のスピーチをしました。晩餐会が成功に終わったあと、ベアトリックス女王はガッツポーズのような仕草をしたと書かれています。こういう話を通じて、天皇の海外訪問とその晩餐会は外交的に大きな意味を持っていることを知りました。

沖縄サミットでは、小渕首相は饗宴に心を砕いていたらしく劇団四季の浅利慶太氏に相談しました。浅利氏は音楽評論家の安倍寧氏を首相に紹介し、安倍氏は辻調理専門学校理事長の辻芳樹氏やソムリエの田崎真也氏らを集めてサミット晩餐会を成功に導いたらしいです。小渕首相は 2004年4月2日に脳梗塞で倒れるまで、時間があるとワインのサービスのビデオを見ていたといいます。初めて知る話でした。

新聞には書かれない外交の裏側について、食とワインという側から書かれた本で、読みやすく、お薦めの一冊です。

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