「病院の窓から (島村喜久治・野村実・正木不如丘著、学生社版)」を読み終えました。「物理学者の心」「医学への道」と紹介してきた科学随筆文庫シリーズの一冊です。
島村喜久治氏は巻末の略歴を見ると岡山県出身なのだそうです。同郷ということで、少し親近感が湧きました。生物学者志望だったそうなのですが、生計が苦しかったので医師を目指したとされています。医師になった動機がそのようなものであったからこそ、逆に生計が立てば儲けるつもりはなかったと述懐されています。東京大学医学部を卒業しましたが、「医学部は、卒業しても研究室(医局)に無給で残って、教授に頤使されなければ学位も貰えず一人前にもなれないというルール」があったこともあり、昭和12年、当時ミゼラブルな疾患であった結核の治療を志しました。
「院長日誌」というエッセイは、都立府中清瀬病院の院長時代を書いたものです。なお、都立府中清瀬病院は後に国立清瀬病院を経て、国立療養所東京病院と改称されました。
乏しい予算を工面して何とか退院時に赤飯を出せるように奔走した話、生活保護法と結核予防法の板挟みになった話(当時は制度の併用が難しかった)、自殺しかけた患者に家族が「いっそ、そのまま死んでくれた方がよかった」とつぶやいた話(自宅療養を続ける必要のあった結核は、かえって家族に厄介と思われていた)、暇をもてあました政治患者たちとの戦い・・・。ストレスからか胃潰瘍を発症し、「こうして、私は、徹底的に愛し切れず、かと言って徹底的に憎み切れない患者たちの院長として、夏目漱石のように胃薬ばかり飲みながら、院長室に坐って」いた話が記されています。
島村氏は先進的な考え方を持っていて、「憂楽帳」というエッセイでは「妻が夫から独立して自分自身の社会的活動をもつ段階。これが妻の社会的進化論である」と書いてらっしゃいます。昭和初期としては画期的な意見だと思います。一方で、「世の主婦たちよ。中年すぎての美容法もいいが、もっと大切なのは心の美容法である」と耳の痛いことも述べています。
「憂楽帳」で特筆すべきは「七つの注文」という項。新聞記者が気をつけないといけないことが書いてあるのですが、今の時代でもそのまま通用しますね。その7つを列挙します。
①報道は客観的に
②センセーショナリズム自粛のこと
③記事の裏には被害者が生じることの自戒
④東京中心主義の反省
⑤科学記事、特に影響力の大きい医学記事は慎重に。
⑥読者の批判精神を引き出して、世論を読者に作らせる指導を
⑦広告にも責任をもつこと。化粧品と薬品には誇大広告が多すぎるし、映画の広告はあくどすぎる。
本書二人目のエッセイストは野村実氏。彼は大正九年に内村鑑三の話を聞いて一日でキリスト教徒になりました。エッセイの端々に信仰について出てくるのですが、それほど宗教じみた話が多い訳ではなく、本質は「生と死を受け入れること」であるように感じました。死にゆく患者さんたちとの付き合いを通じて、それをどう受けいれていけば良いのか、内面的な葛藤が赤裸々につづられています。
野村実氏は九州大学を卒業し、結核の診療に従事していました。昭和初期の結核病院では、入院患者の半数以上が死亡していたそうです。そのような過酷な状況下におかれた患者達にとって、野村氏のように向き合って心まで診てくれる医師と巡りあえたことは、不幸中の幸いであったように感じました。
野村氏はしばらくアフリカを訪れ、シュバイツァーと働いています。シュバイツァーが作った診療所にはハンセン病の患者が非常に多かったそうです。シュバイツァーの精力的な一日や黒人達の生活などは「シュバイツァー博士と共に」というエッセイで生き生きと描かれています。シュバイツァーはピアノが上手だったらしく、夜な夜なバッハのフーガを演奏していたそうです。このエッセイで初めて知ったのは、シュバイツァーが30歳代から書痙で悩んでいたということです。シュバイツァーは自身は遺伝と言っていました。それでも多くの著書を残していることに感銘を受けました。
野村氏のシュバイツァー談義には後日談があります。シュバイツァーは生き物を殺すのを非常に嫌い、診療所は「巡回動物園」と呼ばれるほど動物が我が物顔で歩いていました。放し飼いの犬、猫、猿、豚、野猪、山羊、アヒルの群れ達・・・。野村氏はシュバイツァーに「先生は動物を殺すなというけれど、治療で細菌を殺しているじゃないですか。細菌だって生き物でしょ?」と聞いたことがあるらしいのです。そうするとシュバイツァーはしばらく困った後に「あれは悪者だから良いんだ」というようなことを言ったらしいです。私の知人が野村氏の講演を聴いて教えてくれました。そんなことを聞く野村氏も野村氏ですけれど、そんな会話が出来る間柄だったのですね。
最後のエッセイストは正木不如丘(ふじょきゅう)氏。東京帝国大学医科大学を卒業し、大正五年に福島市福島共立病院で副院長を務められています。彼も島村氏や野村氏同様、結核診療に従事していました。自分の周りの医師や患者についてのエッセイが主ですが、諧謔に富んでいます。とは言っても、少し不謹慎に感じる話も多いですが。
正木氏はパスツール研究所に留学していたせいか、研究に関する話も残しています。「すべて研究というものは運と鈍と根の三拍子が揃わないと完成されぬものだと言われている」と述べているところに、先日紹介した寺田寅彦氏のエッセイ「科学者とあたま」を思い出しました。
タイトルからはわかりませんでしたが、本書のテーマは「結核」にあると思います。現代においても結核は静かに流行していますが、診療報酬などの問題から敬遠する病院も多いのが現状です。