口蹄疫

By , 2010年7月17日 12:37 PM

生産者に多大な被害を与えた口蹄疫。多くの家畜たちが殺処分とされましたが、生産者が悲痛な思いをブログにつづってらっしゃいます。

川南町のムッチー牧場だよ~ん。-「からっぽの牛舎」-

その口蹄疫も、対策の効果か 7月に入ってから下火となり、厚生労働省のサイトによると 7月4日以降発生はないようです。

以前から疑問に思っていたのですが、何故感染して助かった牛を殺さなければいけないのか、またワクチンを打った牛を殺さないといけないのか?あまり報道はされていませんが、その答えが Newton誌の 8月号に書いてありました。

日本は国際機関 OIE (国際獣疫事務局) に加盟しています。これに関連して「清浄国」という概念があります。「清浄国」は OIEによって口蹄疫ウイルスがない清浄な国であると認められた国で、日本はこれまでワクチン非接種清浄国でした。ワクチン非接種清浄国は 59カ国あり、これに認定されるとワクチン非接種清浄国以外からの畜産物の輸入を断ることができます。また国内の畜産物の価値が高まります。

ワクチン非接種清浄国に認定されるには、決められた数の家畜の血液を集めて、そこにウイルスに対する抗体がないことを示す必要があります。さらに 3ヶ月間、口蹄疫が発生していない必要があります。感染したりワクチンを打つと抗体が出来るため、認定されなくなってしまうのです。

殺処分には、感染を食い止める以外にもこうした複雑な事情があるのですね。一刻も早い問題の解決を願ってやみません。

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ワインと外交

By , 2010年7月14日 8:01 AM

「ワインと外交 (西川恵著, 新潮新書)」を読み終えました。

ワインは良く飲みますが全然詳しくなく、外交に至っては全くの専門外です。そもそも一人の女性の気持ちすらわからんのに、他の国がわかるのか?といったところです。

それでも、未知の世界への興味というのはあるもので、本屋で手にとって一気に読んでしまいました。さまざまな会談での食事やワインのメニューが載っていて面白かったです。

料理はホスト国の特徴を生かしたものが用いられることが多く、宗教的に問題になるものは避けられます。ワインは食事に合わせてつけられることが多いようです。しかし、外交の場では料理にも意味が隠されているということがあります。米国のブッシュ大統領がフランスを訪れた際にはフレンチフライが出されました。実はフレンチフライには曰くがあります。詳しくは Wikipediaで見て頂きたいのですが、イラク戦争に関連して起こった米国での反仏運動で象徴となった食べ物です。会談の中でブッシュ大統領は笑いながら食べたと言います。

皇室とモロッコの交流が深まったのは比較的最近のことでした。モロッコのモハメド皇太子が日本に訪問する前、日本のことを勉強する必要性に迫られ、日本側に「適任者をモロッコに差し向けて欲しい」と要請。そのときに約1週間講義を行ったのが、あの舛添要一東大助教授でした。モハメド皇太子はその後国王になりましたが、日本での迎賓館に滞在中、日本人料理人をいたく気に入り、王宮に招いてお抱え料理人にしたらしいです。

2000年の天皇陛下のオランダ訪問は、かなりの障害を乗り越えて行われました。戦争捕虜虐待問題やオランダ人慰安婦問題などが障壁となり、天皇陛下が国賓としてオランダを訪れたのは戦後初めてのことでした。オランダ植民地であったインドネシアを日本軍が占領した後、日本の強制収容所に入れられたオランダ人は約 17%亡くなったとされています。これはシベリア抑留で亡くなった日本人戦争捕虜の約 12%を上回る数字らしいです。日本政府は「平和友好交流計画」「償い事業」などを通じて地道に交渉を続け、会談が実現しました。

オランダ人被害者達のデモを回避するために関係者は奔走し、無事に天皇皇后両陛下が慰霊塔に黙祷を捧げたとき、オランダのベアトリックス女王の目に涙が光っていたといいます。晩餐会でベアトリックス女王は、オランダ船リーフデ号の漂着から日蘭交流は始まりましたが「リーフデ」はオランダ語で「愛」の意であること、「歴史の役割は、思い出すことのみではなく、将来への意味を与えることにある」など素晴らしい歓迎のスピーチをしました。晩餐会が成功に終わったあと、ベアトリックス女王はガッツポーズのような仕草をしたと書かれています。こういう話を通じて、天皇の海外訪問とその晩餐会は外交的に大きな意味を持っていることを知りました。

沖縄サミットでは、小渕首相は饗宴に心を砕いていたらしく劇団四季の浅利慶太氏に相談しました。浅利氏は音楽評論家の安倍寧氏を首相に紹介し、安倍氏は辻調理専門学校理事長の辻芳樹氏やソムリエの田崎真也氏らを集めてサミット晩餐会を成功に導いたらしいです。小渕首相は 2004年4月2日に脳梗塞で倒れるまで、時間があるとワインのサービスのビデオを見ていたといいます。初めて知る話でした。

新聞には書かれない外交の裏側について、食とワインという側から書かれた本で、読みやすく、お薦めの一冊です。

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杉ちゃん&鉄平

By , 2010年7月13日 5:37 AM

6月28日のブログで、スーパーマリオブラザーズに合わせて演奏するヴァイオリニストを紹介しました。

そのヴァイオリニスト鉄平がピアニストの杉ちゃんと組んで演奏する、「杉ちゃん&鉄平」。有名な二つの曲を融合させたユーモアたっぷりの演奏が Youtubeで見られます。

Continue reading '杉ちゃん&鉄平'»

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DUDLEY MOORE

By , 2010年7月11日 4:39 PM

ダドリー・ムーアという俳優さん。自身が音楽家であったのですが、面白い作品をたくさん残しています。

私の一番のお薦めは、何と言っても「Beethoven Sonata Parody」です。全然別の曲の主題用いてベートーヴェンのピアノソナタ風に演奏しています。どこからどう聴いてもベートーヴェンですので是非聴いてみてください。主題が執拗に繰り返されるあたりはいかにもです。曲がなかなか終わらないあたりなど、ユーモアたっぷりです。

・Dudley Moore Beethoven Sonata Parody 1

何と、6月12日に紹介した Muppet Showという番組にムーアが登場しているのを見つけました。これも面白い。

ムーアのことを調べていたら、彼が進行性核上性麻痺で亡くなっていることを知りました。自分の専門領域の病気であり、ビックリしました。ご冥福をお祈り致します。

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病院の窓から

By , 2010年7月9日 7:26 AM

「病院の窓から (島村喜久治・野村実・正木不如丘著、学生社版)」を読み終えました。「物理学者の心」「医学への道」と紹介してきた科学随筆文庫シリーズの一冊です。

島村喜久治氏は巻末の略歴を見ると岡山県出身なのだそうです。同郷ということで、少し親近感が湧きました。生物学者志望だったそうなのですが、生計が苦しかったので医師を目指したとされています。医師になった動機がそのようなものであったからこそ、逆に生計が立てば儲けるつもりはなかったと述懐されています。東京大学医学部を卒業しましたが、「医学部は、卒業しても研究室(医局)に無給で残って、教授に頤使されなければ学位も貰えず一人前にもなれないというルール」があったこともあり、昭和12年、当時ミゼラブルな疾患であった結核の治療を志しました。

「院長日誌」というエッセイは、都立府中清瀬病院の院長時代を書いたものです。なお、都立府中清瀬病院は後に国立清瀬病院を経て、国立療養所東京病院と改称されました。

乏しい予算を工面して何とか退院時に赤飯を出せるように奔走した話、生活保護法と結核予防法の板挟みになった話(当時は制度の併用が難しかった)、自殺しかけた患者に家族が「いっそ、そのまま死んでくれた方がよかった」とつぶやいた話(自宅療養を続ける必要のあった結核は、かえって家族に厄介と思われていた)、暇をもてあました政治患者たちとの戦い・・・。ストレスからか胃潰瘍を発症し、「こうして、私は、徹底的に愛し切れず、かと言って徹底的に憎み切れない患者たちの院長として、夏目漱石のように胃薬ばかり飲みながら、院長室に坐って」いた話が記されています。

島村氏は先進的な考え方を持っていて、「憂楽帳」というエッセイでは「妻が夫から独立して自分自身の社会的活動をもつ段階。これが妻の社会的進化論である」と書いてらっしゃいます。昭和初期としては画期的な意見だと思います。一方で、「世の主婦たちよ。中年すぎての美容法もいいが、もっと大切なのは心の美容法である」と耳の痛いことも述べています。

「憂楽帳」で特筆すべきは「七つの注文」という項。新聞記者が気をつけないといけないことが書いてあるのですが、今の時代でもそのまま通用しますね。その7つを列挙します。

①報道は客観的に
②センセーショナリズム自粛のこと
③記事の裏には被害者が生じることの自戒
④東京中心主義の反省
⑤科学記事、特に影響力の大きい医学記事は慎重に。
⑥読者の批判精神を引き出して、世論を読者に作らせる指導を
⑦広告にも責任をもつこと。化粧品と薬品には誇大広告が多すぎるし、映画の広告はあくどすぎる。

本書二人目のエッセイストは野村実氏。彼は大正九年に内村鑑三の話を聞いて一日でキリスト教徒になりました。エッセイの端々に信仰について出てくるのですが、それほど宗教じみた話が多い訳ではなく、本質は「生と死を受け入れること」であるように感じました。死にゆく患者さんたちとの付き合いを通じて、それをどう受けいれていけば良いのか、内面的な葛藤が赤裸々につづられています。

野村実氏は九州大学を卒業し、結核の診療に従事していました。昭和初期の結核病院では、入院患者の半数以上が死亡していたそうです。そのような過酷な状況下におかれた患者達にとって、野村氏のように向き合って心まで診てくれる医師と巡りあえたことは、不幸中の幸いであったように感じました。

野村氏はしばらくアフリカを訪れ、シュバイツァーと働いています。シュバイツァーが作った診療所にはハンセン病の患者が非常に多かったそうです。シュバイツァーの精力的な一日や黒人達の生活などは「シュバイツァー博士と共に」というエッセイで生き生きと描かれています。シュバイツァーはピアノが上手だったらしく、夜な夜なバッハのフーガを演奏していたそうです。このエッセイで初めて知ったのは、シュバイツァーが30歳代から書痙で悩んでいたということです。シュバイツァーは自身は遺伝と言っていました。それでも多くの著書を残していることに感銘を受けました。

野村氏のシュバイツァー談義には後日談があります。シュバイツァーは生き物を殺すのを非常に嫌い、診療所は「巡回動物園」と呼ばれるほど動物が我が物顔で歩いていました。放し飼いの犬、猫、猿、豚、野猪、山羊、アヒルの群れ達・・・。野村氏はシュバイツァーに「先生は動物を殺すなというけれど、治療で細菌を殺しているじゃないですか。細菌だって生き物でしょ?」と聞いたことがあるらしいのです。そうするとシュバイツァーはしばらく困った後に「あれは悪者だから良いんだ」というようなことを言ったらしいです。私の知人が野村氏の講演を聴いて教えてくれました。そんなことを聞く野村氏も野村氏ですけれど、そんな会話が出来る間柄だったのですね。

最後のエッセイストは正木不如丘(ふじょきゅう)氏。東京帝国大学医科大学を卒業し、大正五年に福島市福島共立病院で副院長を務められています。彼も島村氏や野村氏同様、結核診療に従事していました。自分の周りの医師や患者についてのエッセイが主ですが、諧謔に富んでいます。とは言っても、少し不謹慎に感じる話も多いですが。

正木氏はパスツール研究所に留学していたせいか、研究に関する話も残しています。「すべて研究というものは運と鈍と根の三拍子が揃わないと完成されぬものだと言われている」と述べているところに、先日紹介した寺田寅彦氏のエッセイ「科学者とあたま」を思い出しました。

タイトルからはわかりませんでしたが、本書のテーマは「結核」にあると思います。現代においても結核は静かに流行していますが、診療報酬などの問題から敬遠する病院も多いのが現状です。

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Rowan Atkinson

By , 2010年7月5日 7:47 AM

以前、Mr. Beanが指揮者に扮した動画を紹介しました。

Mr. Beanを演じる Rowan Atkinsonが出演した別の動画を見つけました。指揮者やピアニストのパロディです。こんな指揮者やピアニストはいるはずないのですが、思わず「あ、いるかも?」と思ってしまいました。表現力が凄すぎます。

・Rowan Atkinson – ‘The Conducter’

・Rowan Atkinson – ‘The Piano Player’

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ドクターヘリ

By , 2010年7月2日 7:24 AM

しゃんでりあの君こと chunchukurin先生から教えて頂いたブログ、「青森県ドクターヘリ スタッフブログ」。空からの美しい写真や、ドクターヘリによってうまくいった t-PA療法などわくわくする記事が一杯です。

ただ、いつも格好良くいくわけではありません。

くも膜下出血だと思ってヘリで運んだら、アイスクリーム頭痛 (アイスクリーム頭痛については6月25日の当ブログを参照) だったというオチ。患者さんにとってはくも膜下出血ではなくて、めでたし、めでたし。しかしコストのことを考えると、どれだけ高いアイスクリームだったのか・・・。ハーゲンダッツも敵いません。

その時の話は下記。

青森県ドクターヘリ スタッフブログ -大人の休日倶楽部-

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帝王賞

By , 2010年7月2日 7:13 AM

6月 30日で救急部への出向も終了。その日に小学生時代からの友人の馬券オヤジ氏と帝王賞 (20時 10分発走) を見に、初めての大井競馬場に行くことにしました。馬券オヤジ氏は出張のため岡山から上京していたのです。

仕事が終わってから、大井競馬場に向かったのですが、やらかしてしまいました。都営浅草線で品川を過ぎて、読書に没頭しているうちに乗り過ごし、立会川を通過して京急川崎に着いたところで事態を把握しました。京急川崎から折り返しの電車に乗ったは良いものの、行き先を間違えて羽田空港へ。そこから折り返しの電車に乗って京急蒲田で乗り継いだは良いものの快特に乗ってしまい、立会川をスルーして品川まで。品川から折り返しの電車に乗ってやっと立会川に着きました。

さすがに 3回も乗り間違えては間に合うべくもなく、馬券オヤジ氏にメール。帝王賞の馬券を買っておいて貰うことにしました。

1→3, 4→3, 4, 14を各 500円買っておいて

私の意図は、「3連単フォーメーションで 1着が 1番, 2着が 3番と 4番, 3着が 3番, 4番, 14番になるように各 500円計 6点 3000円分買っておいて」だったのですが、馬券オヤジ氏は「馬単で 1→3, 4→3, 3→4, 4→14 (○→△は 1着○, 2着△の意) を各 500円計 4点 2000円分買っておいて」ととりました。

私の意図通りに買えば外れていたのですが、馬券オヤジ氏が買い間違えたおかげで見事に的中。500円が 25000円に化けました。馬券を買い間違えて的中したのは初めてでした。

私は最終レースの 3分前に到着し、慌ただしく馬が走るのを見てこの日は終了。

帰りに大門の Kirin cityで馬券オヤジ氏と乾杯して帰宅しました。機会があれば大井競馬場にはゆっくりと時間があるときに行ってみたいですね。夜だとライトアップされていて、なかなか雰囲気の良い競馬場だと思いました。

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