いざ現地へ
3月 26日に「出発に際してのコメントは、明日書かせて頂きます」と書いたのですが、よく考えたら、単に行ってやるべきことをやってくるだけで、特にコメントすべきことはないんですよね。
ただ、今回のボランティアにおいては、本当に多くの人に御世話になりました。世界の有名グループとしのぎを削る中実験を休んでボランティアに行くことを二つ返事で認めてくださった研究所の仲間達、どう準備したら良いかわからない中買い物に今日付き合ってくれた methyl先生、Facebookでジャパンハートと私を繋いでくださった方々、石巻赤十字病院に派遣経験があり現地の情報を昨日電話で教えてくださった先輩、「先生が休む間の給料は全部払うよ。僕に出来ることはそのくらいしかないから」とサポートしてくださった外勤先のクリニックの院長・・・。皆様本当にありがとうございます。
私は NPO法人のボランティアとして、孤立した集落のようなところを廻る仕事をします。海沿いの壊滅的地域で、現地の状況は厳しいと思いますが、出来る限り頑張ってきます。これから 23時にジャパンハートの事務所に集合です。
では。
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<リンク集>もし現地から見られたときのための備忘録
・ジャパンハート
http://www.japanheart.org/
〒110-0016 東京都台東区台東1-33-6 セントオフィス秋葉原10階
TEL:03-6240-1564 FAX:03-6240-1854
・石巻赤十字病院
http://www.ishinomaki.jrc.or.jp/
電話 0225-21-7220
・#311careまとめ
http://akkie.mods.jp/311care/
・『今日の診療 WEB版 法人サービス』 無料開放のご案内
http://www.igaku-shoin.co.jp/misc/311care_kon.html
ID: user@iryo, パスワード: shien3 (~4/30)
・サイコロジカルファーストエイド実施の手引き
http://www.j-hits.org/psychological/index.html
・東北地方太平洋沖地震関連の行政資料まとめ
http://www.wic-net.com/j.html
・がんばれにっぽん
http://id11.fm-p.jp/316/savejapan/
・日本内科学会【災害医療情報】 災害医療活動のご一助に
http://www.naika.or.jp/info/info110311.html
・医療の中の放射線基礎知識
http://www.khp.kitasato-u.ac.jp/hoshasen/iryo/index.html
被災地へ
地震が来てから、被災地に医療ボランティアに行こうと、ずっと思っていました。しかし、地震直後はそうした支援を求める情報は一切なく、1週間くらいしてやっと具体的な話が出始めました。私はネットで情報を集め、様々な団体と接触してきましたが、多くの団体は「自己完結型」つまり食料や寝床を自分で確保してくれる人材を求めていたため、個人では参加しにくい状況にありました。
地震から 2週間くらいすると、今度は現地で医師がややだぶつき始めました。拠点には物資や医師が豊富に届いているのに、そこから先への配分が問題になっているようです。現地に行ってきた複数の人からそういう話を聞きました。
不足した地域になんとか行けないかと悶々としていた中、3月27日~30日にジャパンハートのメンバーと共に、宮城県に行くことになりました。こちらの団体は小回りが利きそうな感じです。おそらく陸前戸倉という場所から活動を開始することになるでしょう。
さて、こうした震災後の医療提供について、いくつか感じたことがあるので列挙します。多分この問題については後で報告書や論文が山のように出るのでしょうが、現時点での個人的感想です。
・地震直後に D-MATが出動しましたが、現地での患者さんは緑と黒タグ、つまり医療の必要性が薄い人と、医療行為を行っても望みがない人ばかりだったようです。救急のニーズが低かったのが今回の地震の特徴かもしれません。
・東京の複数の大学病院から救急を中心とした医師が派遣されましたが、現地からスタッフを求める声が大学病院にはなかなか届いていないようでした。原則、要請がないと医局は派遣ができませんので、こうしたコーディネートをする組織が必要であると感じました。
・どの地域にどのくらいの物資、あるいは医療スタッフが必要なのかの情報が乏しいため、配分がうまくいっていませんでした。政府の地震対策本部の直下に、こうしたコーディネートをする組織を作り、現地入りした自衛隊や D-MATから情報を集めて配分すればスムーズだったのではないかと思いました。
・個人でボランティアをしようと思っても、なかなか窓口がありませんでした。こうした窓口が速やかに作られていれば、迅速に医療スタッフを送り込むことが出来たでしょう。
・これから慢性期に入り、内科疾患が増えます。また精神科的なメンタルケアも必要です。ボランティアなどの活動が一過性のものではなく、継続して成り立つ仕組み作りが必要です。確かに内科学会などは持続して人を送るようなシステムを作り始めていますが、所属する大学が「人手不足なので出せません」と言ってしまえばそれまでなので、医学界全体として「慢性期も大事」という意識を持っていないといけませんね。
出発に際してのコメントは、明日書かせて頂きます。では。
被災地で活動するための手段
・日本内科学会
http://www.naika.or.jp/info/info_saigai.html
・救急総研
http://www.qq-souken.org/index.html
・日本プライマリ・ケア連合学会
http://www.primary-care.or.jp/
日本内科学会以外は、学会員以外でも参加することが可能です。
現地への移動の手段、保険等について確認してから参加することをお薦めします (場合によっては現地の宿泊、食料、往復の交通手段をボランティアが自身で確保しなければならないので御注意を)。
私は、Face Bookの地震関連のグループで知った方と個人的に連絡を取り、AMDAへの参加の手続きを取っているところです。こちらは、今のところヘリで南三陸町に往復する形を取っています。3月 30日出発の可能性が高いです。日程が決まったら、御報告します。
地震4
3月 19日は秋田で当直でした。当直中に、宮城の避難所に居たという少女を診察しました (親戚らしき方が連れてきた)。平静に装っていましたが、どうやら父親を亡くしているようでした。母はまだ避難所にいるそうです。避難所でインフルエンザが流行っており、検査は陰性でしたが、臨床症状からインフルエンザと診断しました。診察しながら、こちらの胸が痛くなりました。
現地に行きたくてもなかなか伝手がなかったのですが、下記のサイトを見つけて応募してみました。実働可能期間を問われたので、3月21日~31日としました。現在連絡待ちです。
毎日歯がゆさを感じながら、少しでも早く現地に行きたいと思っています。
地震3
3月 14日、以前所属していた郡山の病院を手伝いに行こうと思って、ボスに電話しました。薬は 1週間分、食料は数日分の備蓄があるとのことで、必要な物品が出てきたら連絡するので、待機していて欲しいとのことでした。
同日、研究所を休み、所属する大学の医局に出掛けました。
医局はオンボロで、車が通っただけでも揺れるくらいなので、地震で崩壊していないか気になりましたが、被害は軽微でした。でも、医局の時計は地震の時刻を指して止まっていました。
医局長と少し話した後、被災地に連れて行って貰える便ががないか探すため、救命センターの医局に出掛けました。ところが、救命センターからは 14日朝スタッフが被災地に出発した直後で、これ以上のスタッフを派遣することは不可能なので、連れて行ってもらう目論見は崩れました。私が訪れる直前に、精神科医も一人訪れていたらしく、他にも似たようなことを考えている人はいるものだなと感じました。
東北大学医学部大学院生の方の Twitterでの呟きを見て診療の手伝いを申し出たのですが、福島より北ではガソリンがないので、片道切符になってしまうと聞きました。こういう場合は、個人よりも組織だって動いた方が良さそうでした。
3月 15日、研究所に出掛けました。当面実験出来ないかも知れないので、培養細胞を凍結保存する作業などをしていたら、実験中に上司が血相を変えて培養室に入ってきました。
高濃度放射能、爆発で飛散=建屋の残骸、敷地内に―福島第1
時事通信 3月15日(火)16時31分配信
東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発3号機建屋付近で15日、検出された毎時400ミリシーベルト(40万マイクロシーベルト)の非常に高い放射線量について、東京電力は同日、水素爆発で飛び散った3号機原子炉建屋の残骸や、使用済み燃料プールの水など高濃度の放射性物質が原因となった可能性が高いと発表した。
同原発敷地周辺の放射線量は、15日午前9時に正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトを記録。その後、午後3時半時点では毎時596.4マイクロシーベルトまで低下した。
経済産業省原子力安全・保安院によると、福島第1原発は1~3号機とも、原子炉圧力容器への海水注入が続いている。15日午前に格納容器の圧力抑制室が破損したとみられる2号機の炉内水位は、同日午後1時時点で、核燃料棒の上端より1.7メートル低いところまで回復した。
また、15日午前に火災を起こした4号機原子炉建屋内の使用済み燃料プールの水の冷却機能が働いておらず、通常40度程度の水温が14日未明の段階で、84度まで上がっていたことも分かった。
深さ約8メートルの同プールには、783本の燃料が入っている。現在の水温や水位は不明だが、高温のままだとプールの水が蒸発して核燃料棒が露出、損傷に至る恐れもあるという。
このほか4号機と同様に運転停止中だった5、6号機でも、使用済み燃料プールの水温がわずかに上昇しているという。
日野市で個人のガイガーカウンターで測定している方のサイトを見ると、東京での放射線量の増加は、問題ない範囲であったようですが、とりあえず実験の終わったところで帰宅しました。
今後、私が取る道は下記としています。
・郡山の病院から要請があれば、東京から物資を持って郡山に行き、現地に留まる。
・普段当直に行っている秋田の病院が後方支援に当たるのであれば、行って手伝う。
・所属する大学の救命センターから、人員派遣の情報が入れば、それに乗って出掛ける。
・Twitterで連絡を取っている先生から情報があれば、その病院に行って手伝う。
しばらくは自宅で連絡を待つ日々が続きそうです。
地震2
3月12日は東京近郊で当直をしていました。近隣の救急医達が DMATで被災地に行ってしまったからか、救急車の受入れ要請がとても多く、可能な限り受けました (救急室のナースには「病棟が入院を受けられる体制なら、全部受け入れていいですよ」と伝えていました)。
おかげさまで、急性肝炎、出血性ショック、急性薬物中毒、急性腹症(おそらく癌による総胆管閉塞)、インフルエンザ肺炎 (もしくはインフルエンザに合併した細菌性肺炎)、過換気症候群・・・その他諸々たくさん診させて頂きました。重症対応中に、直接来院された未受付の患者さんが玄関前で倒れてそのまま救急車で他院に搬送・・・なんてこともありました(重症患者さんにかかりきりで対応できないことがあるから受診前は一報連絡いれましょうね)。病棟でも急変ありましたし、キャパシティーとしてはギリギリでしたね。
ほぼ一睡もせずに働いて、帰ってゴロゴロしていたのですが、何か気分が張りつめていて寝付けません。以前働いていた郡山の病院の同僚から、「患者さんが帰れなくてロビーに寝泊まりしている」とか「食料が数日分しかない」とか「医薬品が減ってきている」との連絡がありました。原発周囲の被災者が近くに避難してきていて薬が必要だったり、周囲で半壊した病院からの患者さんを受け入れたり、色々と大変なようなのです。少なくとも東京で腰を据えて実験をしている訳にはいきません。私のように現在病棟を持っていない医者こそ駆けつけるべきだと思いました。
とりあえず、研究所の上司にメールして、「途中で被災地に行くかもしれないから、中断しても延期が可能な実験を組んで下さい」と御願いしたら、「月曜は休んで,仮に要請が出た時/手伝いが必要になった時にすぐに向かえるようにしておいて下さい.そちらの方がよほど大切です」との返信を頂きました。
その後、所属していた大学の医局長に電話をしました。病院或いは医局から派遣する形をとれるか 3月 14日に院長と相談してくださるとのことです。もし大学から派遣して頂けるなら、医薬品をたくさん持っていくことができます。3月 14日は自宅待機して、連絡を待ちたいと思っています。
地震
3月 11日 14時 46分、宮城県沖で M 8.8 (暫定) の地震がありました。都内は震度 5くらいだったそうです。丁度私は Western blotで blockingの最中。同僚は Lysate取りの最中でした。
地震直後に廊下に避難。一時屋外に出て、安全を確認して研究所内に戻り、実験を続けました。実験終了後、3月 11日中の電車の復旧がなさそうという情報に基づき、研究所から徒歩で帰宅しました。10 kmくらいの道程を 2時間ばかり歩いて、20時 30分頃帰宅したところです。
自宅はほぼ被害なし。一息つきました。
テレビやネットでは次々と被害状況が伝わってきます。情報がリアルタイムで手に入ること、離れた地域にいる同僚の無事を確認出来たことなどから、Twitterや Facebookというソーシャルメディアの威力を思い知りました。
何が出来るわけではなく、今の私に出来ることは明日の当直を頑張ることくらいかもしれません。
とりあえず、自分の無事を伝えるためにブログを更新しておきます。本当は、みんなに電話したいのだけど、trafficを増やすといけないので、本当に必要な人だけが回線を使えるように電話は使っていません。
無事を伝えるという目的を果たしたところで、筆を置きます。では、皆様の御無事をお祈りして・・・。
NYフィル・イン・平壌
「NYフィル・イン・平壌」の Blu-ray discを見ました。ロリン・マゼール率いるニューヨーク・フィルが平壌で行った公演を録音したもので、付録のドキュメンタリー (1時間) が素晴らしかったです。
ドキュメンタリーは、北朝鮮の窮状をありのままに伝えています。燃料がなくて、街は真っ暗で、車も走っていないのですが、マゼール達を迎えたホテルには明かりが煌々と灯り、国を挙げて虚勢を張っているように見えました。
映像の中で、北朝鮮の人たちは表情が硬く、建前論でしか発言しませんが、演奏会が終わった後は雰囲気が一変し、見たこともない笑顔で振る舞っていました。気持ちが伝わるというのは、こういうことなんだなと思いました。音楽はやはり特別の力を持った、共通の言語なのですね。