将棋Bar 最終日

By , 2011年5月1日 9:26 AM

4月30日、将棋Barの営業最終日に遊びに行って来ました。

思い起こせば、初めて将棋 Barに行ったのは、2009年 12月 23日でした。私の人生でそれまで有段者と指したのは、小学生の時に近所のおじさんと 6枚落ちで 2回、大学生の時に免許合宿で元奨励会員と 1回。それがいきなりプロとの対局で緊張したのを覚えています。

足繁く Barに通い、常連達と仲良くなり、4月 28日には Barの営業後に橋本七段達と焼肉を食べに行ったりもしました。

さて、最終日、とある理由で最後に Barから将棋の駒を頂きました。彫り駒ですが、表が一文字なのに裏は二文字 (成香など) となっている珍しいものです。Twitterで私の呟きをみて Barの閉店を知ったと門倉四段が駆けつけてくださり、その駒で記念すべき初対局をしました。

対局は、私が先手で、相懸かりから棒銀で繰り出した銀を中央に引く構想。プロの実戦にある進行から膠着状態になり、マイナスの手しか見えない局面で私が暴発してあっさり負け。でも、途中まで格調高い将棋が指せて満足でした。

将棋 Barは移転して再開の方針です。今回の移転は、震災で多くのボトルが割れてしまったりして、今の店舗ではもし大きな地震が次に来た時に客や従業員の安全が保証できないからみたいです。橋本七段は B1に昇級したり竜王戦決勝トーナメントに出場することになったり忙しいようなので、次の開店は少し先になるかもしれませんが、楽しみに待ちたいと思います。

(追記)
・最終日は Barが満員になり、盤駒が足りなくなったので、AKB将棋が登場。門倉四段と常連さんの対局を爆笑しながら見ました。互いに対局中の呟きが「前田は守らないと♪」とか「あぁ、篠田が取られた~!」とかwww

・常連さんが素晴らしい駒を持ってきてくださいました。100万円する逸品らしいです。聞くところによると、羽生善治四冠-佐藤康光棋聖の第55期王将戦第1局で、二人の丁度 100戦目にあたる記念すべき対局で使われた駒なのだそうです。それでヘボ将棋を指させて頂き、良い記念になりました。

第55期王将戦棋譜

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第三次ボランティア at 郡山

By , 2011年5月1日 8:14 AM

切ないニュースですね。

人目避け車内で寝泊まり パーキンソン病の双子

福島県郡山市の避難所で、ともにパーキンソン病の男性の双子が駐車場に止めた車内で、1カ月近く寝泊まりしていることが25日、分かった。2人は避難所で「歩き方が変」などと言われ、人目を避けるようになったと話す。

難病患者を支援するNPO法人「SORD」の小泉二郎代表は24日に2人を確認。「行政側はプライバシーに配慮し、避難所とは別の施設などで個室を用意すべき事案だ」としている。

パーキンソン病は、脳内の神経伝達物質ドーパミンが減少することで、手足が震えたり歩行が困難になったりする厚生労働省指定難病。

2人は同県富岡町に住む40歳の兄弟で、ともに20代半ばで発症したという。震災後、3月15日に郡山市のイベント施設「ビッグパレットふくしま」に両親とともに避難し、同月下旬までの10日余りを施設内で過ごした。

入所後、「あの人、歩き方が変だよね」と言う若い人の声が耳に入った。人目が気になり、睡眠不足も重なって兄の症状が悪化。このため3月20日、救護所で医師の診察を受けた。医師からは「1週間でも2週間でも入院した方がいい。郡山市内の病院の紹介状を書く」と言われたが、兄は「知り合いがいるこの避難所がいい」と断った。

弟はその後、救護所で「施設内でプライバシーなどに配慮した場所はないか」と相談したが「個別対応はできない」と言われたという。

結局2人は3月下旬、富岡町の自宅に軽ワゴン車を取りに戻り、その日以来、ビッグパレットの駐車場に車を止め、支給された毛布を持ち込んで寝泊まりを続けている。

救護所で兄を診察した医師は「『プライバシーに配慮した場所を』と言われた記憶も記録もない。保健師が言われたかもしれないが分からない」と話す。富岡町は「当時は大混乱しており、ご迷惑を掛けたかもしれない」としている。

(2011年4月25日)

切ないニュースですね。

さて、5月 2日、SORDからの依頼で、郡山の避難所に診察に出掛けることになりました。神経疾患で困っている方など診てきます。

出来れば、診察後、郡山で奮闘する先生達と飲みに行けたらなぁ・・・と思っています。

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