最終講義
「最終講義 (坪内祐三解説、実業之日本社)」は高名な学者達の最終講義をまとめたものです。そこに収録されている講義のうち、沖中重雄教授による「内科臨床と剖検による批判」の章を読みました。
講義は剖検の重要性についてから始まります。そして、どのようなときに剖検を受諾されやすく、どのようなときに断られやすいかが述べられます。例えば剖検を承諾した理由として、欧米では死因を知りたい、病気の知見を他人に役立たせたいというのがほとんどで、医師への謝意と答えた人は 3%しかいないそうですが、日本では医師に対する謝意が重要な役割を果たしていることが示されます。実際、入院期間が長く医師との人間関係が構築される方が剖検率は高くなるそうです。
各論では、それぞれ領域における誤診率と、いくつかの例が示されています。ただしこれらの誤診率はかなり厳しい基準によるものです。第一の基準は臓器の診断を誤ったもの、第二の基準は臓器の診断は正しいけれども病変の性質の誤診、第三は悪性腫瘍に関するもので原発巣の診断を誤った場合、とされています。以下、簡単に要約してみます。
1. 神経疾患
82例のうち 15例の誤診例があり、18%の誤診率である。脳腫瘍を血管障害、炎症性病変と誤診したものが多かった。
2. 循環器疾患
55例中 7例で 12.7%の誤診率。動脈瘤に関する誤診が多かった。
3. 腎臓疾患
60例中 7例で、11.6%の誤診率。腎盂腎炎、腎癌に関するものが多かった。
4. 肺疾患
77例中 13例で 16.8%の誤診率。肺癌の見落としが多かった。
5. 血液疾患
118例中 12例で 10.1%の誤診率。悪性リンパ腫と白血病の誤診が多かった。
6. 消化器疾患
126例中 15例で 11.8%の誤診率。胃癌の見落としが多かった。
7. 肝・胆道疾患
106例中 20例で 18.8%の誤診率。肝硬変に合併した小肝癌の見落とし、転移性肝癌と診断したものが原発性肝癌であったもの、肝癌と診断したものが胆道癌であったものなど。
8. 膵臓疾患
17例中 7例で 41.1%の誤診率。膵頭部癌がほとんどだった。
9. 感染症・膠原病
60例中 10例で 10%の誤診率。放線状菌性髄膜炎→多発性根神経炎、クリプトコッカス髄膜炎→結核性髄膜炎、全身性結核性病変・内分泌器官の病変→非定型エリテマトーデス、全身性汎血管炎→Hodgkin病疑いなどの誤診があった。
10. その他
49例中 5例で 10.2%の誤診率。Sheehan症候群など。
これらをみると、画像診断を始めとする診断技術の未発達な時代に、すごく低い誤診率であると思います。病歴、診察所見、限られた検査所見でここまで診断をつけていたことに敬服します。逆に我々は画像診断学の発達した社会にいますが、それによって生まれた疾患概念も多くありますので、ピタリと診断を当てるのはいつの世も難しいことに変わりはありません。内科医がずっと追求していかないといけないことです。
この講義のまとめの部分「書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者のなかに明日の医学の教科書がある」は重い言葉です。胸に抱いて日々の臨床、研究を行いたいと思います。
そういうふうないろいろなことを考えますと、診断というものがいかにむずかしいものであるか、こういうことを自分としては経験するほど、そのむずかしさを感じます。簡単にみえる症状の病気を診る場合でも、かえって診断に対して非常な恐怖心をいだき、むずかしいなにかがそこに潜んでいるかという心配をいたしますので、臨床というもののむずかしさをますます感じているというのが現状であります。
それにしても平凡なことですが、いつも正確な既往歴 Anamneseをとる、これをなんべんも読み返すことが大切です。それから、これは学生諸君にとくに申しあげるのでありますが、精細な臨床検査、ことに bed sideでの緻密な観察、検討というものをたえず怠ってはならないと思います。同一の患者を診る場合にも、毎日新しい患者を診る気持ちで観察していかなければなりません。
なにもむずかしい検査をいつもする必要はないのですが、少なくともそれに頼る前に、頭と目と手で簡単な検査道具を使って、よく患者を診ることがいつも大切です。
病理でやってもらえばわかるんだ、外科であけてもらえばわかるんだ、そういう安易な気持ちは、われわれ内科医としては夢にももってはいけないとわたくしは思います。あくまでも自分で考えて、それで診断をしていく。学生諸君に先輩として、わたくしはそういうことを申しあげるのであります。よく考える医師になっていただきたいのです。
時間もそろそろまいりましたので、この非常に平凡な結論になりまして、先輩・同僚の各位にとりましては誠に申しわけのない話しになりました。しかし学生諸君にとりましては、なにがしかの教訓になったことと、わたくしは教師として、また先輩としてそう信じております。
自分は、なお元気でございますので、将来とも自分の経験知識をできるだけ活かして進んでいきたいと思いますが、どうか次の時代をになわれる学生諸君、若い方々に、こんごの勉強をお願いし、大成を祈ってやまない次第でございます。
ここで、わたくしはこの「最終講義」を終わりにしたいと思いますが、最後に一言、学生諸君に申しあげておきたい言葉がございます。これはわたくし自身がつくったものではありませんが、わたくしがこれは非常にいい言葉だと思って、なにかのときにメモしておった先覚者のいわれた言葉だと思いますが、その言葉を、学生諸君にお伝えして、わたくしのこの最後の講義を終わりたいと思います。
それは”書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者のなかに明日の医学の教科書の中身がある“というのです。もう一度申しますが、”書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者のなかに明日の医学の教科書がある“-少しオーバーな言い方かもしれませんが、しかし、わたくしはそういうことを諸君に述べまして、このわたくしの最後の、八百二十回目の講義を終わりたいと思います。
長らくご静聴ありがとうございました。(鳴りやまぬ拍手)
この講義で、長崎大学の病理学の松岡教授を「りっぱな数字をだしておられます」として好意的に扱っています。私の叔母、旧姓が松岡で、親が長崎大学の病理の教授だったと聞いています。こんな有名な講義で登場するなんてびっくりしました。
(参考)