南相馬市のクリニックより
南相馬市医師会長の先生のサイトを最近知りました。
サイトの右側に震災以降の状況が、不定期に綴られています。
2012年7月12日に、かなり深刻な文章が掲載されました。
停滞する復興
平成24年7月12日
原町中央産婦人科医院院長
高 橋 亨 平
東日本大震災及び原発事故後、1年4カ月になるが、除染も、復興らしき事
も、何も進展はしていない。前に進むべき法律が微妙に邪魔して、役人の権限、
解釈を複雑化し、前に進めない仕組になっている。予算が決まっても、縛りが
強く、何も出来ない地方自治体、結局、国に再度、まる投げ、待ってましたと
ばかりに、国と自治体は自信を持って、原発を作る企業側に又、 まる投げす
る。こんな事を繰り返しながら、いつの間にか、大きな予算が動き、検証しな
いまま消えていっている。地域住民は全く、相手にはされていないし、相変わ
らず、仕事もない。
現地での閉塞感は如何許と思っていたら、さらに深刻な文章が、8月12日に掲載されました。
私の体の現状と医師募集のお願い
平成24年8月12日
医療法人誠愛会
原町中央産婦人科医院
理事長 高橋 亨平
外なる敵と戦っている間にも、癌という内部の敵は決して手加減はしてくれ
なかった。そして又、抗がん剤の副作用に耐えられなく、もう治療はやめよう
と思い、やめてしまった人もたくさんいると聴いた。確かにその理由も分かっ
た。自分でも、何のためにこんな苦しみに耐える必要があるのかと、ふと思う
時がある。しかし、この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対
に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければな
らない。そんな事を思いながら、もう少しと思い、原発巣付近の痛み、出血、
の緩和のため、7月25日から、毎日放射線治療を開始、通院している。午前
9時から12時まで自医院の外来診療、その後、直ちに車に乗り1時間20分
かけて、福島医科大学放射線治療科へ、そこでリニアック照射を受け、直ちに
帰り、3時から再び自医院の外来診療を6時まで、しかし、遅れる事が多かっ
たので、最近は3時から4時に変更した。そんな私の我侭に対しても、患者さ
ん達は何も言わずに、ちゃんと待っていてくれた。それでも、多い日は100
人以上、少ない日でも70人は下らない。(略)癌との闘いながら、頑張ってきたが、あまくは無いなと感じることが多くなっ
てきた。何時まで生かられるか分からない・・神の思し召すままに・・と覚悟
は決めていても、苦しみが増すたびに、もし、後継者がいてくれればと願って
やみません。私の最後のお願い、どうか宜しくお願い致します。
胸が張り裂けそうになる文章です。言葉がありません。
(追記)
8月17日夜、このことが CBニュースで報道されたようです。また、8月21日、読売新聞でも報道されたという情報を知りました。
勇気ある医師よ 南相馬の開業医が後継募集-原町中央産婦人科の高橋氏
医療介護CBニュース 8月17日(金)20時34分配信
東京電力福島第1原子力発電所の事故が起きた直後から、がんと闘いながら浜通り地域の産婦人科医療を支えてきた開業医が、後継者を募集している。現在では、午前と午後の診療をこなしながら、自身も放射線治療を受けているといい、「もし後継者がいてくれればと願ってやみません」と、全国のドクターに呼び掛けている。
後継者を募集しているのは、南相馬市で「原町中央産婦人科医院」を運営する医療法人誠愛会の高橋亨平理事長。
原発から近い県浜通り地域では事故の後、一時はお産のための場所がなくなったが、高橋氏はすぐに現場に戻り、診療を再開。地域の産婦人科医療を支えてきた。ところが昨年6月、高橋氏に大腸がんが見つかり、現在では、がん治療のため遠方の大学病院に通いながら診療を続けている。多い日には100人以上の患者を診療するという。
東日本大震災の発生から1年を機に、キャリアブレインが3月に行った取材では、診療に追われる合間に地域の現状を語ってくれた。現在では、地域の複数の医療機関がお産の受け入れを再開しているが、高橋氏は今月12日付のブログの中で、「私の役割は終わったと思ったが、どうしてもという患者さんは断れない。もういいかなと、ふと頭をよぎる誘惑に、頑張っている20名の職員の笑顔がよぎる」と綴り、「全国のドクターにお願いがしたい。こんな診療所ですが、勤務していただける勇気あるドクターを募集します」と呼び掛けている。
専門の診療科は問わず、「広く学ぼうとする意思と実践があれば充分」としている。【兼松昭夫】