ボツリヌス毒素の対側への拡散
不定期チェックしている “Muscle & Nerve” という医学雑誌の 2012年 9月号に、面白い論文が出ていました。
Contralateral weakness following botulinum toxin for poststroke spasticity
脳卒中後の痙縮に対して、ボツリヌス毒素は有効とされています (※ 2010年10月から日本でも保険適応となっています)。ところが、ボツリヌス治療後に対側上肢の麻痺を生じた症例が 2例ありました。
Case. 1
43歳女性。2009年2月発症の出血性脳卒中により右痙性片麻痺が後遺症として残りました。そこで同年 6月からボツリヌス治療を開始しました。2011年1月に第 6回目の治療 (①Triceps (lateral head) 50 U, triceps (long head) 50 U, gastrocnemius 100 U, soleus 100 U, posterior tibial 100 U (400 U/4ml溶解), ②Flexor digitorum sublimis 75 U, flexor digitorum profndus 50 U, lumbricals 25 U, opponens pollicis 25 U, flexor pollicis brevis 25 U, flexor pollicis longus 25 U, extensor hallucis longus 75 U (300 U/2 ml溶解), Total 700 U) を行いました。上腕の筋には Botox 100単位を注射しました (斜体部分)。3週間後に再受診した際、正確な時期はわからないものの、彼女は対側の左上肢に麻痺が出現していたことを告げました。神経伝導検査は正常でした。低頻度反復刺激で 23%の振幅低下 (いわゆる Waning) がありましたが、その 2ヶ月後の再検では正常でした。ボツリヌス治療は、症状が完全に改善するまで延期することにしました。
Case. 2
21歳女性。先天性心疾患のため、2歳時に脳卒中を起こしました。脳卒中による痙性とジストニアがあり、12歳時からボツリヌス毒素による治療を開始しました。当初はボツリヌス 600単位を 3ヶ月ごとに注射していましたが、2009年に著者らのセンターで治療することになりました。2010年9月に 4回目の治療 (①Deltoid 50 U, triceps (long head) 50 U, triceps (lateral head) 75 U, trapezius 50 U, gastrocnemius 150 U, soleus 150 U (525 U/4ml溶解), ②Flexor carpi ulnaris 50 U, lumbricals 50 U, flexor longus 25 U, flexor digitorum brevis 50 U (175/2 ml溶解), Total 600 U) を行いました。左上腕の筋には Botox 225単位を注射しました (斜体部分)。その数日後、彼女は右手の筋力低下を自覚しました。(後になって振り返ると、2010年6月の注射の時にも同様の筋力低下があったようですが、1-2ヶ月で改善していたようです)。神経伝導検査は正常でしたが、低頻度反復刺激では 16%の振幅低下がありました。2ヶ月後くらいから筋力は改善してきたようです。2011年1月にボツリヌス治療をした際は、上腕の筋へは Triceps 50単位にとどめましたが、それでも対側の右上肢の筋力低下が出現しました。そこで、次からは左肘より中枢への注射はやめたところ、筋力低下は見られなくなりました。
Discussion
今回、脳卒中後の痙性に対するボツリヌス治療で、対側の筋力低下をきたした報告は過去に 1例あり、それぞれ 800単位、500単位を Botox注射したことによるものでした。
(※続いて、電気生理学的な検討 (needle EMG, 反復刺激, 過去の single-fiber EMGの報告など) がなされていますが、ちょっとマニアックなので割愛します)
対側上肢の筋力低下をきたした原因は「ボツリヌス毒素の拡散」が最も考えやすいようです。つまり、ボツリヌス毒素が正中を超えて直接浸潤していったものと推測されます。過去には血行性や神経行性とした報告はあるようですが、説得力に欠けます。
今回の症例で使用したボツリヌス毒素の量は、過去の randomized controlled trials (RCT) で用いられた量より多いのですが、これには理由があります。”We Move revised guideline” での成人へのボツリヌスの量は、特に熟練したエキスパートが行った場合、total 600単位以上が推奨されています。きちんと多い量を使うのが最近の流れです。
ボツリヌス毒素の対側への拡散で留意すべきは次の点です。
①高容量を用いた方が、対側への拡散が起こりやすい。
②大量の溶解液に少量のボツリヌス製剤を溶解 (20 U/ml) する方が、少量の溶解液に大量のボツリヌス製剤を溶解 (100 U/ml) するより終板まで拡散させやすい。特に大きな筋肉で終板が同定しづらい場合、効果的である。しかし、その分、対側への拡散のリスクがある。
③身体の正中に近い筋肉の方が、対側への拡散が起こりやすい。
上記を踏まえて、ボツリヌス毒素の投与計画を設計する必要があります。
これらの症例は、日本で一般的に使用するよりかなりの高投与量ですが、上腕の筋に 100単位注射するのは日本の保険適応の範囲内で出来てしまうので、稀な副作用ではありますが注意しておかないといけません。
対側への拡散については、2011年 5月に参加した角館の研究会で既に坂本崇先生が講演されており、改めて研究会のレベルの高さを感じました。