ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム
「ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム (古屋晋一著、春秋社)」を読み終えました。
私は、演奏家がどうやって音楽を認識しているかや、音楽家の病気などに興味があり、たまに論文を読んでは過去にブログで紹介してきました。しかし、それらは断片的な知識の寄せ集めで、イマイチこの分野の研究の全体像が見えにくいところがありました。ところが、本書は最新の知見を織り交ぜつつ、体系的にこの分野を網羅して書かれています。きちんと文中に引用文献が示され、巻末には引用文献リストがついています。
一般に音楽認知のメカニズムに対するアプローチとしては、functional MRI, PET、脳波などが知られていますが、著者はこれらの方法を使った研究を広く解説しつつ、工学畑出身の人間であることを生かし、様々な機器を使ったアプローチを紹介しています。また、著者はピアノ演奏をされるそうで、ピアニストの視点がそこにはあります。私もヴァイオリン弾きとして、「あー、これは演奏する人間だったら実感できるな」なんて思いながら読みました。
内容は高度ですが、一般人向けに平易に書かれており、音楽好きの方に、今一番勧めたい本です。
(上記リンク先、アマゾンの書評も御覧ください)
ニューキノロン系抗菌薬と末梢神経障害
ニューキノロン系抗菌薬は広域なスペクトラムを持ち、感染症診療の現場ではかなりよく見かける薬剤です (過剰に使われている感もありますが・・・)。一方で、約 1-4%に見られるという中枢神経症状 (けいれんや精神症状、頭痛、浮動性めまい、意識障害など)、あるいは アキレス腱断裂といった副作用に注意する必要があります。
2013年8月16日の New England Journal of Medicineのニュースに、FDAがニューキノロン系抗菌薬による末梢神経障害を添付文書に記載するように求めていることが掲載されました。どうやら末梢神経障害は、経口薬と注射薬で問題になるようです。
Fluoroquinolone Labels Updated to Reflect Heightened Risk for Peripheral Neuropathy
By Kelly Young
The FDA is requiring that the labels of fluoroquinolone antibiotics warn of the drugs’ increased risk for peripheral neuropathy.
The risk has been observed with oral and injectable fluoroquinolones, but not topical agents. Patients could experience peripheral neuropathy any time during their treatment, and it could persist for months or years or be permanent.
Patients should contact their healthcare providers if they develop symptoms consistent with peripheral neuropathy in the arms and legs, including pain, burning, numbness, or weakness; change in sensation to touch, pain, or temperature; or change in the sense of body position.
Patients who develop these symptoms should stop taking the antibiotic and receive alternative therapies unless the benefit of the fluoroquinolone outweighs the risk.
Link(s):
FDA MedWatch safety alert (Free)
これだけ使われていて、経験ないけどなぁ・・・、どういうタイプの末梢神経障害を起こすのだろうと思って、いくつか論文をチェックしてみました。
まずは Lancet誌に掲載された初期の症例報告。
Peripheral neuropathy associated with fluoroquinolones.
37歳男性が化膿性脊椎炎のため pefloxacinで治療を受けた。Pefloxacinでの治療開始 5ヶ月に両下肢に手袋靴下型の錯感覚が出現し、続いて右下肢の筋力低下と歩行障害が出現した。総腓骨神経の神経伝導速度は 43 m/sだった。筋電図では前脛骨筋と長腓骨筋に脱神経電位と多相性運動単位電位を認めた。男性には Hodgikin病のため vincristine total 18 mgを含む、化学療法、放射線治療の既往があった。その他に末梢神経障害を起こしうる疾患はなかった。Pefloxacinを中止して 10日以内に末梢神経障害は著明に改善した。6ヶ月後に化膿性脊椎炎が再発したため、ofloxacinを開始したところ、15日以内に末梢神経障害が再発し、中止後 7日以内に改善した。Flucloxacillinは胃腸症状によりコンプライアンスが不良だったためか化膿性脊椎炎が再発したので、peflxacinを再投与したところ、15日以内に末梢神経障害が再燃した。Ciprofloxacinに変更したところ、2ヶ月間ごく軽い錯感覚が見られたのみだったが、その後これらの症状に耐えられなくなり、中止を余儀なくされた。総腓骨神経の伝導検査では伝導速度が 37 m/sで、短趾伸筋の針筋電図では脱神経電位を伴った多相性運動単位電位がみられ、toxic neuropathyに合致する所見だった。
Journal of Antimicrobial Chemotherapy誌には、スウェーデンからある程度まとまった報告がありました。
Peripheral sensory disturbances related to treatment with fluoroquinolones.
1993年、スウェーデンの医薬品副作用委員会 (Swedish Adverse Drug Reactions Advisory Committee; SADRAC) に582例のニューキノロン系抗菌薬の副作用が報告され、37例が感覚性末梢神経障害だった。21例が男性で、15例が女性であり、平均年齢は 51歳だった (16~89歳)。症状の出現は、治療開始後 1時間~4ヶ月後の間だった。68%が投与開始後 1週間以内で、86%が 2週間以内だった。症状は錯感覚 (81%)、しびれ感/感覚低下 (51%)、疼痛/感覚過敏 (27%), 筋力低下 (11%) だった。投与をやめてから61%が1週間以内に、71%が2週間以内に改善した。発症までの期間と症状の持続期間には関連がなかった。症状出現の予測因子は、腎障害、糖尿病、リンパ悪性腫瘍、神経障害の原因となる他の薬剤の使用だった。末梢神経障害の正確なメカニズムはよくわからなかった。ある 1例では、筋電図で異常なく、神経伝導速度は正常だった (浮動性眩暈、疼痛、筋痙攣を呈した症例→疼痛、筋痙攣なので、small fiber neuropathyだったと考えれば、筋電図、神経伝導検査が正常だった説明はつくように思うが、その辺の記載なし)。
これを見ると、大体の臨床像のイメージがつかめます。投与を開始してから 2週間くらいまでに発症し、length dependencyのある sensory dominant neuropathyを呈し、投与をやめると多くは改善するようです。
ニューキノロン系抗菌薬を長期使用する患者さんを診る機会はあまりないけれど、注意しておこうと思いました。
分子生物学に魅せられた人々
「分子生物学に魅せられた人々 (日本分子生物学会編, 東京化学同人)」を読み終えました。分子生物学の創成期に活躍した先生が数多く対談されていました。遺伝暗号も同定されていなかった時代に活躍されていた先生も多くおり、時代を感じました。本書にはこうした研究者たちの波瀾万丈な研究生活が数多く収録されています。
私は基礎研究者ではないので、基礎研究者のことはあまり知らなくて、この中で話を聴いたことがあるのは田中啓二先生くらいですが、対談を読んでいて実際に話をきいてみたい先生がたくさんいました。とはいえ、元基礎研究者の知り合いに聞くと、「(本書に名前が出てくる) ○○先生は性格悪くて有名なんだけどね」なんていうのもありましたが・・・ (^^;
特に面白かった部分を引用します。学者向けの本ではないのでマニアックな記載は少ないですが、テクニカルタームを知らないと多少わからない部分があるかもしれません。分子生物学の勉強を始めたくらいの人に勧めたい本です。
2. 岡田吉美
岡田 もちろんいろいろあったけど、特に僕の場合は留学直前に中心性網膜症になり、大変だった。阪大の眼科では「仕事をしないで安静にしていなさい。留学なんてもってのほか。太陽光線にはなるべくあたらないように」と言われた。それで大学の仕事を休んで、黒い色眼鏡を掛けて、家の一番日当たりのない部屋でじっと座っていた。僕の人生で一番沈んだ何日かだったよ。
一ヶ月くらいしてね、山村先生の主催する班会議が大阪であって、僕は事務局をしていたので、「一日くらいいいだろう、出てこい」と呼ばれて、その班会議に出ていった。そこに九州大学の眼科教授の生井先生が班員でおられたわけ。班会議が終わって懇親会のときに、「僕は今すごく落ち込んでいるんです。実は云々・・・」という話をしたんだ。そのとき生井先生がいわれた言葉を今でもはっきりと覚えている。「君、中心性網膜炎は今の医学では何をしても治らないよ。だから、安静にしていても仕事をしていても結果は同じだ。くよくよしないで早く留学しなさい。中心性網膜炎は片方の目だけで、両目に広がることはない。目は一つあれば十分だ」と言われたんだ。それで僕は生き返って、次の日から元気をだしてまた留学の準備をして、最初の予定から二ヶ月ほど遅れて出発した。
3. 村松正實
濱田 僕が記憶しているのは、α-32Pの CTPをつくるのに、ポリヌクレオチドキナーゼが必要で、それを京大の高浪満先生のところにいただきに行って、それを使って無機リン酸からつくった覚えがあります。五〇ミリキュリーぐらいの無機リン酸を使って、胸に鉛のエプロンをして。
村松 ほんと。「ベータ線だからあまり深く入っていかないよ」なんて言いながら、実は二次放射能のガンマ線を浴びていた。
(略)
村松 僕にどこか誇れるところがあるとすると、若い人が伸び伸びと育ってくれたということだと思うんですよ。この前、僕のラボにいて教授になった人数を誰かが調べたら、三六とか三八ぐらいになるんだよ。
濱田 もう一つ気付いたことは、先生は研究室の人に対して怒ったことは一度もないですね。
村松 そうかな。ある時から、人に対して怒ったら負けだという考えをもったんです。これは僕のモットーです。「怒ったら負け」。つまり、怒るということは、ある人に対して適切に扱えなくなったということですよね。評価もしなくなったし、扱えないし、関係も保てないし、となるのが感情的に怒るということでしょう。だから、自分で気にくわない人にあったら、その点を論理的につかまえて率直に言うようにして、怒るというかたちではあまり表現しなかった。「これは駄目だよ、こうこうこうだから」ということは言いました。だけど怒らない。確かに若いころは怒ったり喧嘩もいっぱいしたけど、結局、長い目で見るとあまり得しないんだよね。結局、自分があとで苦い思いをすることになる。そうじゃなくて相手をうまく説き伏せることのほうが重要だろうと思った。
4. 志村令郎
志村 (※アメリカ留学時の話) 最初の試験は、まず外国語の試験でした。最初に課された外国語はドイツ語とフランス語なんです。ドイツ語は、決められた時間で長いドイツ語の文章を英語に直すこと。フランス語は試験官の先生が会話をやった。フランス語は習ってはいたので読むことは多少できましたが、話すのはできなかったので、だいぶ抵抗したんだけど、結局、駄目というわけでね。フレンチカナディアンの人が先生で、入っていくと「ボンジュール・ムッシュ」から始まってフランス語しかしゃべらないので、それでやっと五〇点くらいとったら「駄目だ、こんなものではパスしたとは言えない」と言うから、どうしたらいいのか聞いたら、「もう一つ外国語を取ることを命ずる」と。「次の外国語は何だ」と言ったら、「二つの選択肢がある。一つはスペイン語、もう一つは日本語である。どちらがとりたい?」と言うから、「できれば日本語をとりたい」と言ったら、わかってくれて日本語をとらせてくれた。
(略)
志村 ニーレンバーグが最初に発表したわけですが、当時、ニューヨーク大学のオチョア (S.Ochoa) 教授はそれを聴いて、学会が終わる前にニューヨークに帰ってきて、自分の研究室を昼間働くグループと夜働くグループと二つに分けて、休みなしにいろいろな配列の人工ポリヌクレオチドをつくって、コーディングの問題に取組んだわけです。
このことは、研究者の間では非常に顰蹙を買いました。ポリUとか、いろいろなポリヌクレオチドを人工合成するときに使った酵素は、マナゴが、オチョアのところに留学したときに見つけたポリヌクレオチドホスホリラーゼだったんですね。オチョアは、RNA合成の酵素だと決めてノーベル賞を貰ったんだけど、実は間違いで、後年の研究から、これはむしろ RNAを分解する酵素であることがわかったのです。ちなみに、ノーベル賞選考委員会は、DNAの複製酵素とRNAの合成酵素の発見ということで、それぞれ、コーンバーグ (A.Kornberg) とオチョアにノーベル賞を同時に授賞したのだけれど、両方とも間違っていたわけですね。
5. 吉川寛
吉川 その一方で、六〇年の末のことですが、バークレーでも学生運動の洗礼を受けました。大学教員の一員として学生から厳しい追求を受けました。しかし最も衝撃的だったのは学生に同情的に傾いた大学を弾圧するため、州兵が戦車を市街に繰り出し、ヘリでキャンパスに催涙弾をまき、最後は民家の屋根に追い詰めた活動家を射殺するといった暴挙を目撃したことです。リベラリストであった学長はレーガン州知事によって罷免され、運動は完敗で終わりました。アメリカはベトナム戦の泥沼に入っていったのです。私は改めて研究者と市民の両輪に等しく責任をもつことの重みを自覚して六九年に帰国しました。
(略)
吉川 一九九〇年に枯草菌国際会議がパリのパスツール研で開かれたとき、その会議の最後に突然欧州連合とアメリカでゲノムプロジェクトを計画していることが発表されました。寝耳に水の私は思わず立ち上がって「日本のグループを排除して国際プロジェクトと言えるのか」と激しく講義しました。なにしろ当時最もゲノム的研究をしていたのは開始点付近の一万塩基対の構造と遺伝子のアノテーションを発表した私たちだったのですから。
菅澤 外国人の人たちは相当驚いたそうですね。
吉川 普段物静かでおとなしい日本人と思っていたらしいので。いや、ほんとにびっくりしたらしいですね。でも私は言いたいことを言う方ですから(笑)。急遽われわれを含めて検討を行い、数時間後に改めて欧、米、日によるプロジェクトの発足を決めたのです。
6. 松原謙一
松原 ものすごかったね。真っ先に飛びついたのはお医者さんで、それぞれ自分の研究している病気の遺伝子がとりたいと。だから当時の研究室には外からどんどん右も左もわからないレイピープル(素人)がおしかけてきて、ガチャン、キャー(笑)。中にいた藤山君らは大変だったと思うよ。
藤山 おかげさまで(笑)。
松原 そのころ、予防衛生研究所の所長だった大谷明先生が「組み換え実験で B型肝炎ウイルスのワクチンがつくれないか」と来られたわけ。あれは当時は、何一〇リットルという患者の血液を使って、何十匹ものチンパンジーでテストしてつくるから、大変だった。僕は組み換え実験で何でもできると思っていたし、HBVはλdvのレプリコンと同じくらいのサイズだから、二つ返事で引き受けた。それで、熊本の化学及血清療法研究所から血清が送られてきた。
藤山 幸い、プローブがすっとつくれましたね。それと、公費で日本最初の P3施設ができていたので。
松原 P3は、僕が組換ガイドラインの委員だったから、作ってくれたんですよ。ところが・・・。
藤山 結局、大腸菌ではできなかったんですよね。
松原 そう。何でもできるはずの大腸菌で、どうしてもできない。考えられる理由は、DNAが悪いか、大腸菌ではできないか。B型肝炎の血液は、当時は日赤の規制があって入手できなくて、規制よりも前に集められた茶色くグジュグジュになったものがあった。あれは DNAが悪い可能性が十分にあった。
藤山 まず HBVクローニングにとりついた人は泣きながらで、最後のサンプルを使ってようやくコロニーハイブリダイゼーションでポツポツとシグナルが見えた。
松原 それでやっとクローニングして、シークエンシングして、大腸菌でワクチンにしようとしけど、てんとしてできなくて。だけど動物細胞に入れたら蛍光抗体で光ったの。じゃあ、大腸菌が悪い。だけど動物細胞はコンタミが怖いから、核のある酵母にしようと。幸い、阪大の東江昭夫先生が、酵母の発現用プラスミドもプロモーターもポイッとくださった。
藤山 それで案外早くできましたね。しかも電子顕微鏡でデーン粒子(患者血清中に見られるウイルス由来の構造)のような構造体が見えて。
松原 今でも僕は記念にその写真を持っているよ。あれは素晴らしい写真だものね。これはまったくのラッキーでしたよ。
藤山 とりあえずこれが、当時松原先生がおっしゃった、分子生物学が社会の役に立った最初の例ですね。
8. 堀田凱樹
広海 よく「科学は士農工商と進化する」と言っておられますが、その辺から。
堀田 昔は貴族、「士」の芸術だった。たとえばショウジョウバエや線虫には今でもその名残があって、論文は美しく完璧でないと駄目だよね。少々無駄をしても完璧を期するのが科学だった。やがて「農民」が出て来た。農民ってマウス、ね?高等で複雑で難しい。だからデータは完璧でなくても許される。「工」はテクノロジー。次世代シーケンサーとかがいろいろ進歩して。今は最後の段階で、「商」の時代に来ている。「役に立つ」から商売になる。そこでわれわれはどうすべきかという話だよね。
(略)
堀田 中井準之助先生が授業で、「読んだものをいちいち覚える必要はない。忘れようと思っても忘れられないものがみつかる」と言われた。また江橋節郎先生が「テーマを探すのなら終戦後のジャーナルを読みあさるのがいいよ」と。まさにそうだと思う。(略) 戦争中に研究ができなくて鬱積していた成果がどっと出たのが五〇年代で、そのころに面白い論文がいっぱいある。
13. 田中啓二
田中 僕の予想では二~三万の 20Sプロテアソームのバンドパターン以外に分子量一〇万程度の ATPアーゼのバンドが一本検出されるはずでした。ところが四万~一〇万の位置に十数本のバンドが見えたんですね。これには正直驚きました。しかし確信を深めて ATP存在下での酵素の精製に取組みました。そこで大量の ATPが必要になったので、ATPを市販しているオリエンタル酵母工業に一キログラム注文したんですね。そうしたらすぐに販売元から電話が掛かってきて、「先生、一〇ミリグラムの間違いじゃないでしょうか」って(笑)。当時堀尾武一さんという阪大蛋白研出身の人がオリエンタル酵母工業の研究所長をしていて、「そんなにおもしろいことがあるのなら・・・」といって、最初の一キログラムを無償で提供してくれたんです。世の中、気骨のある人物はいるものですね。僕は彼とは直接面識がなかったのですが、彼が編集した「蛋白質・酵母の基礎実験法」は、非常に優れた本で、繰り返し読み、多くを学びました。
水島 本当に一キロを使ったんですか。
田中 トータルで三~四キロぐらいは使いましたね。ATP存在下で精製すると、20Sプロテアソームと多数の調節サブユニット群から構成されたいわゆる 26Sプロテアソームが非常にきれいに精製できました。それが一九九〇年ごろですね。
(略)
田中 結局、このような不思議な酵素の存在は、不審感というか、疑惑の眼差しで見られていたのですね。その理由は、構造的な情報がまったくなかったからです。昔、タンパク質構造討論会というのがあって、現在の日本蛋白質科学会の前身ですが、そこでプロテアソームの話をすると、岩永貞昭先生が出席されておられて「田中さん、その酵素の構造を決めなければ駄目だよ。一次構造がわからなければ、プロテアーゼの本質なんか全然わからないじゃないか」と指摘されました。そこで、九大理学部に岩永先生を訪ね、分離精製したサブユニットの構造解析をお願いしに行きました。たくさんのサブユニットのデータを見せると、「田中さん、これらの構造をエドマン分解で決めていたら一〇〇年以上かかるね」と言われ考え込まれました。そのころ、京大の中西重忠先生が遺伝子工学技術を導入して数多くのタンパク質の一次構造を破竹の勢いで迅速かつ正確無比に決定しておられました。岩永先生は「この複合体の構造解析は、遺伝子工学を使ってやらなければ絶対に不可能だから、中西先生を紹介しよう」と言って、そこで電話してくれたのですが、なかなか電話が終わらずに、教授室で一時間ほど待たされたのです。それで電話が終わったら「中西先生があなたの話を聞きたいと言っているから、帰ってすぐに訪ねなさい」と言われたので、僕は喜んで京大に行ったんです。そうしたら、中西先生から、「君ね、僕はプロテアソームなんて知らない。僕のラボは全国から遺伝子クローニングを学びにきている人たちで満杯状態だから、あなたに割ける実験スペースなんてまったくない」と怒っておられて、「兎も角、君の話を聞くという返事をしないと岩本先生が電話を切ってくれないから、仕方なしによんだんだ」って(笑)。「これは拙い、協力して貰うことなどとてもできないのかな」と思いながら、中西研のラボセミナーで電子顕微鏡写真などの知見を交えプロテアソームについて必死に話しました。セミナーが終わった後、間髪をいれずに中西先生は、僕にこう言ってくれましたね。「田中君、セミナーの前に僕は何か君に言ったかもしれないけど全部忘れてくれ。生体内にこんなにも巨大で複雑な物質があるとは信じがたい。これは構造を決める必要がある。うちの全力をかけて応援する」と、セミナー前の雰囲気とは一変したご様子でした。それで「クローニングで一番優秀な垣塚(彰・現京大教授)をつける」というふうに決断してくれました。中西先生は自分の弟子でも何でもないのに、その後今日に至るまですごく応援してくれています。
Glucocorticoid-Induced Bone Disease
2013年7月28日のブログで、ステロイドと骨粗鬆症について書きました。それに関連して、少し古いですが 2011年の New England Journal of Medicine 誌に面白い論文が掲載されているのを知りました。
Glucocorticoid-Induced Bone Disease
Robert S. Weinstein, M.D.
N Engl J Med 2011; 365:62-70July 7, 2011DOI: 10.1056/NEJMcp1012926
This article reviews the risks of osteoporosis and osteonecrosis associated with glucocorticoid use, which are present even in the absence of low bone mineral density, and discusses strategies to reduce the risk of fractures and the data to support the strategies.
この論文で面白いのは、ステロイド性骨粗鬆症でFRAXを用いることの問題点を指摘していることです。著者はその理由として、次の点を挙げます。
・ステロイドの累積投与量や治療期間を勘案しておらず、ステロイドによる骨折リスクを低く見積もる可能性がある。
・大腿骨頚部の骨密度が使用されているが、ステロイドによる骨粗鬆症では椎体骨折の方がリスクが高い。そして閉経後女性での骨粗鬆症に対して、アルゴリズムに通常の危険因子を含めるのはそぐわないかもしれない。
アメリカリウマチ学会のガイドラインでは FRAXを用いていますが、これは今後の課題となるのかもしれません。
また、この論文では各種骨粗鬆症予防薬や各種ガイドラインの一覧表がよくまとまっていました。
多くのガイドラインでは、ステロイド内服時はビタミン Dとカルシウムを摂取することを進めていますが、合剤があると楽ですね。デノスマブを使用していると「デノタス」という合剤を処方できるのですが、何故かデノスマブを使用していないと保険適応外。デノスマブを使っていなくても処方出来たら良いのにと思います (ちなみに、ビタミンD+カルシウムの合剤は、OTCでは「カルシチュウ」という名前で販売されており、薬局で普通に購入できます)。
一億人の茶道教養講座
「一億人の茶道教養講座 (岡本浩一著、淡交新書)」を読み終えました。基本的なことから書いてあってわかりやすかったです。
茶の湯と聞くと千利休を思い浮かべますが、キーパーソンから流れを見ると、次のような歴史があるのですね。
・能阿弥
書院飾りを制定した。足利義政に茶を出すための茶の湯の手前を確立した (東山茶湯)。
・珠光
能阿弥の「将軍家茶湯」に対照する形で「下々の茶湯」「茶数寄」を工夫した。「茶禅一味」を提唱し、「茶の修行は仏道修行にあり」と唱え、「侘び茶」の最初のコンセプトを確立した。珠光の茶湯を「奈良茶湯」と呼ぶ。(珠光は宗珠を養嗣にするが、その後継者が村田姓だったため、村田珠光とも呼ばれる)
・武野紹鴎
今井宗久、津田宗及、千利休の師。数寄茶屋の確立者と見られる。
・千利休
「草庵茶屋」の確立者。ただし、侘び茶をしたのは最晩年の三年弱。
・古田織部
千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた後、秀吉の意向の入った茶の湯を行った。具体的には、帯刀したまま茶が出来るようにした。藪内流、遠州流、石州流はこの系統。
・千宗旦
利休の孫。侘び茶を完成させた。宗旦の子供から表千家、裏千家、武者小路千家に別れる (子供同士が仲悪かったわけではない)。
・仙叟宗室
裏千家の基礎を築いた。
・如心斎天然
小間が主流の茶の湯を広間中心に変えた。
・玄々斎精中
裏千家の手前や所作を独立したものとして確立し、裏千家の基礎を作った。
茶碗の話も面白くて、楽茶碗はバクテリアが豊富な土で焼くので、バクテリアが燃やされるときに炭酸ガスが生じ、気泡となります。その結果、熱伝導率が低いので茶が冷めにくく、また軽いといった特徴が生じます。これが茶の湯のスタイルに影響を与えたのだそうです。
あと面白かったのは、侘びの英訳。辞書的には “beauty of asymmetry” と言うそうですが、本書にあった “imperfect beauty”, “beauty of imperfection” という訳語には説得力があります。日本文化に興味を持つ外国人に色々聞かれた時、この表現は使えるなと思いました。
私は茶の湯はやらないけれど、茶碗に地酒を入れて飲むのだったらやってもいいかなぁ・・・。みぐのすけ式酒道とか妄想しました。
最後に本書の序論にあった言葉を紹介。こういうのを読むと、日々精進しないといけないなと思います。
人間の「重さ」とは、教養の「重さ」です。人間は自分と教養の質の似ている人を深く信頼するようになるのです。
抗体検査の話
神経疾患の中には、診断に抗体検査が大きな役割を示すものがあります。ギラン・バレー症候群の抗ガングリオシド抗体、視神経脊髄炎の抗アクアポリン4抗体、Isaacs症候群/Morvan症候群/抗 VGKC抗体陽性辺縁系脳炎の抗 VGKC抗体、重症筋無力症 (sero-negative) の抗 MuSK抗体、Lambert-Eaton myasthenic syndrome (LEMS) の抗 VGCC抗体、抗 NMDA抗体辺縁系脳炎での抗 NMDA抗体、橋本脳症での抗α-enolase抗体、傍腫瘍症候群での抗 Hu/Yo/Ri/Ma・・・抗体など。抗体が検出されれば診断の大きな裏付けになります。しかし、これらの抗体の多くは商用サービスでは測定出来ません。例外的に、傍腫瘍症候群の抗体は SRLという検査会社で受け付けていますが、かなり高額になります (私が以前提出したとき、抗 Hu/Yo/Ri/Ma・・・抗体は一つ数万円)。また、シノテストでは抗ガングリオシド抗体を受け付けていますが、抗ガングリオシド抗体の中でも測定出来るのは抗 GM1抗体と抗 GQ1b抗体のみです。
こうした抗体を測定しないでもある程度診断は可能ですが、やはり少しでも証拠を揃えて診断精度を高めたいですし、学会報告や論文発表の場合には、必ず抗体が陽性だったかどうかは突っ込まれるので、少なくとも大学病院クラスでは必要性の高い検査です。また、抗体と臨床症状の比較から、新しい知見が得られる可能性もあります。
では、神経内科医はどうしているかというと、研究機関に送っているのです。口コミで、「○○抗体なら△△大学」という情報が、出回っています。研究機関側からすれば全国からサンプルが集まりますし、臨床医からすればほぼ無料で検査して頂けることで、Win-Winの関係が作られます。しかし、この方法には欠点があります。一つは、研究機関はあくまで検査を研究のためにしているので、結果がどのくらいで戻ってくるかわからなかったり、申し込みの手間が煩雑だったりします。それに、研究目的ということは、研究者が研究をやめてしまえば、検査が出来なくなる可能性があります。
そんな中、コスミックコーポレーションの受託測定が面白いことを始めています。
①マイナーな検査も受け付けている
抗アクアポリン4抗体、抗VGCC抗体、抗NMDA抗体といった、これまで各研究機関に送っていた検査が可能です。ただし、学問的には、抗体の測定法で陽性率や陽性の意義が変わってくることがありますので注意が必要です。
②とにかく安い
Neurolineのサービスを見ると、非常に安いです。傍腫瘍症候群の抗体とか、目が点になる安さです。筋炎の抗体検査も充実しています (※この検査がどうかは確認していませんが、知り合いの先生から、安かろう悪かろうの検査には注意しなければならないということを教わりました)。
研究用なので診断に用いないでくださいとか、保険請求しないでくださいとは書いてありますが、そうではあっても神経内科医にとってかなり便利なサービスだと思います。(とはいえ、まだ使用したことがないので、実際に使用した方から意見が伺えると嬉しいです)
PiB PET
アルツハイマー病の原因は良くわかっていませんが、β-アミロイドが毒性を持って神経を傷害するという β-アミロイド仮説が有力な仮説として支持されています。実際にアルツハイマー病の脳組織には β-アミロイドが沈着しており、β-アミロイドに結合するリガンドを放射性同位元素でラベリングすれば、PETを用いて早期から β-アミロイドを検出することができます。そして Carbon11 ([11C])-labeled Pittsburgh Compound B (PiB) PETが、近年研究に広く用いられるようになってきています。アルツハイマー病に対する感度 95%、軽度認知障害 mild cognitive impairment (MCI) での感度 60%と、他の検査法に比べてかなり高い感度を誇ります。
ところが、アミロイドが蓄積する疾患はアルツハイマー病だけはありません。Archives of Neurologyに、興味深い症例報告が掲載されました。
Does a Positive Pittsburgh Compound B Scan in a Patient With Dementia Equal Alzheimer Disease?
Simon Ducharme, MD, MSc1,2; Marie-Christine Guiot, MD, FRCPC3; James Nikelski, PhD4; Howard Chertkow, MD, FRCPC3,4
JAMA Neurol. 2013;70(7):912-914. doi:10.1001/jamaneurol.2013.420.Importance The clinical role of amyloid brain positron emission tomographic imaging in the diagnosis of Alzheimer disease is currently being formulated. The specificity of a positive amyloid scan is a matter of contention.
Observations An 83-year-old Canadian man presented with a 5-year history of predominantly short-term memory loss and functional impairment. Clinical evaluation revealed significant, gradually progressive short-term memory loss in the absence of any history of strokes or other neuropsychiatric symptoms. The patient met clinical criteria for probable Alzheimer disease but had a higher than expected burden of white matter disease on magnetic resonance imaging. A positron emission tomographic Pittsburgh Compound B scan was highly positive in typical Alzheimer disease distribution. The patient died of an intracerebral hemorrhage 6 months after the assessment. Autopsy revealed cerebral amyloid angiopathy in the complete absence of amyloid plaques or neurofibrillary tangles.
Conclusions and Relevance This patient demonstrates that a positive Pittsburgh Compound B scan in a patient with clinical dementia meeting criteria for probable Alzheimer disease is not proof of an Alzheimer disease pathophysiological process. A positive Pittsburgh Compound B scan in typical Alzheimer disease distribution in a patient with dementia can be secondary to cerebral amyloid angiopathy alone.
78歳頃から徐々に進行する記憶障害を持つ男性が 83歳で受診し、診察時の認知機能検査 MMSEで 23点 (満点は 30点) と低下を認めました。頭部MRIでは側脳室周囲の白質病変が目立ちましたが、脳梗塞や微小出血を示唆する所見はありませんでした。PiB PETは陽性で、β -アミロイドの分布は典型的なアルツハイマー病の所見でした。6ヶ月後に、患者は脳出血で死亡しました。病理解剖では、アルツハイマー病を示唆する所見は一切ありませんでしたが、皮質やくも膜下の多くの血管は β-アミロイド陽性であり、アミロイドアンギオパチーと診断されました。著者らは、アミロイドアンギオパチーによって PiB PETでアルツハイマー病のような所見を呈することがあると伝えています。
PiB PETは特許の関係もあり非常に高額ですが、信頼性の高い検査とされています。それでも、アルツハイマー病以外にアミロイドアンギオパチーのアミロイドを認識してしまう可能性については、肝に命じておく必要があると思います。なかなか教訓的な症例でした。
朽ちていった命
「朽ちていった命 -被曝治療 83日間の記録- (NHK「東海村臨界事故」取材班、新潮文庫)」を読み終えました。涙なしでは読めない本でした。
この本は東海村での臨界事故をテーマにしています。ずさんな放射性物質管理が公然と行われる中で、大内久氏は初めての作業を上司から指示された通りに行い、チェレンコフ光を見ました。それは目の前で臨界事故が起きたことを意味しました。
事故翌日に行われた緊急被曝医療ネットワーク会議では議事録が残っていませんが、メモには 8 Svという文字が見られます。本書には、そこからの大内氏の闘病生活が詳細に描かれています。眼を見張るのが、ズタズタに引き裂かれた染色体の写真です。治療班は末梢血造血幹細胞移植を施し、移植細胞は生着しましたが、最終的には血球貪食症候群が全てを無に帰しました。また、ズタズタに引き裂かれた染色体から容易に推測出来る通り、脱落していく皮膚の再生は望むべくもありませんでいた。本書には見るも無残な皮膚の写真が掲載されています。彼の死後、司法解剖がなされました。筋線維のほとんどない筋病理の写真が印象的でした。彼のように、一瞬で染色体がズタズタに引き裂かれるような大量被曝をすると、現代医療では全く歯が立たないことがよく分かります。
この本は、放射線の恐ろしさを教えてくれるとともに、助かる見込みのない命に対して我々がどのように接するべきかを考えさせます。医学的な記載が非常にしっかりしているので医療従事者が読んでも違和感がありませんし、医学的知識がなくても読めるように書かれています。是非多くの人に読んでいただきたいです。
最後に、知り合いの先生からこの症例について記された論文・抄録を教えて頂いたので、紹介しておきます。
・2.東海村放射線高線量被曝事故における緊急被爆医療ネットワークの役割