Neurology and surrealism

By , 2013年10月31日 8:06 AM

これまで、「シュルレアリスム宣言」、「ナジャ」というエントリーで、シュルレアリスムの創始者 Bretonと神経学者 Babinskiの関係に触れてきました。

彼らの関係について、2012年に Brain誌が Occasional paperとして “Neurology and surrealism: André Breton and Joseph Babinski.” という論文を掲載しました。芸術家と医学の研究で権威である Bogousslavskyらのグループによる論文です。

Neurology and surrealism: André Breton and Joseph Babinski.

Brain. 2012 Dec;135(Pt 12):3830-8. doi: 10.1093/brain/aws118. Epub 2012 Jun 7.
Haan J, Koehler PJ, Bogousslavsky J.
Department of Neurology K5Q, Leiden University Medical Centre, PO Box 9600, 2300 RC Leiden, The Netherlands. J.Haan@lumc.nl
Abstract
Before he became the initiator of the surrealist movement, André Breton (1896-1966) studied medicine and worked as a student in several hospitals and as a stretcher bearer at the front during World War I. There he became interested in psychiatric diseases such as hysteria and psychosis, which later served as a source of inspiration for his surrealist writings and thoughts, in particular on automatic writing. Breton worked under Joseph Babinski at La Pitié, nearby La Salpêtrière, and became impressed by the ‘sacred fever’ of the famous neurologist. In this article, we describe the relationship between Breton and Babinski and try to trace back whether not only Breton’s psychiatric, but also his neurological experiences, have influenced surrealism. We hypothesize that Breton left medicine in 1920 partly as a consequence of his stay with Babinski.
PMID: 22685227

この論文を医局の抄読会で紹介しました。その時の資料として、簡単にエッセンスを日本語でまとめたので、PDFファイルで置いておきます。Babinski, Charcot, Claude, Parinaudといった神経学者の名前が登場する、非常に面白い論文です。原著が読める方は上記リンクから、そうでない方は下記の資料を御覧ください。

Neurology and surrealism (抄読会用配布資料 PDF)

 

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ナジャ

By , 2013年10月24日 7:42 AM

2013年9月21日のブログで「シュルレアリスム宣言」を紹介しましたが、同じブルトンが書いた「ナジャ (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」を斜め読みしました。この本は、ブルトンが実際に交際していた精神疾患のある女性ナジャをテーマにしています。

この本の中で私が最も興味を持ったのは、Babinskiについての記載です。ある舞台についてのシーンを紹介します。

「ナジャ (アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫)」 54ページ

だが私の希望的観測では、作者たち (これは喜劇役者のパローと、たしかティエリーという名の外科医と、そのうえおそらくどこかの悪魔との合作になるものだった*) はソランジュがこれ以上の目にあうのを望んでいなかっただろう。

1862年にブルトンはこの部分への注釈を記しました。何と、そこにバビンスキーが登場するのです。長い注釈ですが、全体を引用します。

*この作者たちのまぎれもない正体については、三十年後にようやく明らかにされた。一九五六年になってはじめて、雑誌『シュルレアリスム、メーム』(1) は、この『気のふれた女たち』の全文を発表することができたのだ。そこに付されている P-L・パローによるあとがき (2) が、この芝居の制作過程を解明している。「[この芝居の] 最初の着想は、パリ郊外のとある私立女学校を背景にしておこった、いささかいかがわしい事件から思いつかれたものだ。けれども私がその着想を用いるべき劇は、-双面劇場なのだから-、グラン・ギニュルに類するジャンルのものであることを考えると、絶対の科学的真実のうちにとどまりながらも、ドラマティックな側面に味つけをしなければならなかった。つまり、きわだどい側面を扱わざるをえなかった。問題は循環的・周期的な狂気の一症例だったが、それをうまくこなすためには、もちあわせのないさまざまな叡智が必要だった。そんなとき、友人のひとり、病院勤務のポール・ティエリー教授が、あの卓抜なジョゼフ・ババンスキ (3) との関係をとりもってくれた。こちらの大家がよろこんで知識の光を与えようとしてくれたおかげで、この劇作のいわば科学的な部分を大過なく扱うことができたのである。」『気のふれた女たち』の念入りな制作過程にババンスキ博士が一役かっているのを知ったとき、私は大いに驚かされた。かつて私は「仮インターン」の資格で、慈善病院 (ラ・ピティエ) に勤務中の博士の補佐をかなり長くつとめていたことがあるので、この高名な神経病学者のことはしっかりと思い出にとどめている。彼が示してくれた好意についてもいまだに名誉に思っているし-たとえその好意が、私の医者としての立派な未来を予言するほど見当はずれなものだったとしても!-、自分なりにその教えを活用してきたつもりでいる。この件については、最初の『シュルレアリスム宣言』の末尾に賛辞を呈している (4)

岩波文庫版では、上記に対する訳注が充実しています。必要な部分のみ引用します。

(1) 『シュルレアリスム、メーム』-(Le surrealisme, meme-「シュルレアリスム、そのもの」とも「シュルレアリスム、さえも」とも読める) は、一九五六年秋から五九年春まで、計五号を不定期刊行したシュルレアリスム機関誌。(以下略)

(2) 略

(3) ジョゼフ・ババンスキ (一八五七-一九三二) は著明な精神医学者。神経系統の反射機能、ヒステリーなどの研究で知られる。数行あとに出てくる慈善病院 (パリ十三区にあった神経医学慈善センターのことで、現ピティエ-サルペトリエール病院にふくまれる) に勤務し、多くの後進を育成。ブルトンがこの病院につとめたのは一九一七年の一月から九月までだった。なお、前注1にふれた別冊付録の最終ページには、このババンスキのポートレートが大きくかかげられている。

(4) 『シュルレアリスム』宣言におけるババンスキへの賛辞は、「足のうらの皮膚の反射作用の発見者」の逸話として、巻末近く (岩波文庫、八三ページ) にあらわれる。なお、『ナジャ』の五四ページでブルトンの想定している「悪魔」が、じつはババンスキだとも読めるところがおもしろい。

ブルトンの残した注釈を見ると、バビンスキーは劇の制作に一役買っていたんですね。ある先生から、「Babinskiは劇が好きでね。オペラ・ガルニエの近くに劇場があったのだけど、そこで急病人が出た時に診療するようなことをしていて、しょっちゅう劇場に入り浸っていたんだよ」と教えていただきました。

バビンスキーとブルトンの関係を考察した医学論文も最近読んだので、いずれ紹介したいと思います。

(参考)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (1)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (2)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (3)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (4)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (5)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (6)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (6)

神経学の源流 1 ババンスキーとともに― (7)

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iPhone5S

By , 2013年10月24日 7:40 AM

iPhone5S 64GB (Gold) を購入しました。

2013年9月22日にドコモ練馬店で予約して、入荷連絡が 10月22日の昼頃でした。予約してからちょうど一ヶ月でした。

10月23日に受け取って、その夜、色々設定作業しました。もともと iPhone4Sで iTunes/iCloudを使っていたので、楽でしたけどね。

iPhone5SはiPhone4Sと比べてやや薄く、縦長になっています。ケースを買い換えないといけません。

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ショパン、そしてイザイ

By , 2013年10月20日 12:43 AM

ショパンが作曲して、イザイが編曲した作品が校正され、このたび演奏されました。演奏したのは成田達輝さんです。リンク先動画で、一部演奏を聴くことが出来ます。

ショパンの名曲 日本人音楽家の手で復活

10月19日 5時29分

ショパンが作曲し、世界的に有名なバイオリニスト、イザイが編曲した作品が、楽譜の校正を手がけた日本人の音楽家によってよみがえり、18日、イザイが生まれたベルギーで関係者らを招いて演奏会が行われました。

ショパンの作曲で、ベルギーのバイオリニスト、ウジューヌ・イザイが1919年に編曲した「バラード第1番」は、イザイ直筆の楽譜がアメリカ議会の国立図書館に保管されていますが、判読が難しいこともあって世に出されていませんでした。
これを知った福岡県出身のピアニスト、永田郁代さんが数年がかりで楽譜の校正作業に取り組んでいたもので、18日、ベルギーの首都ブリュッセルにある日本大使公邸で、関係者を招いて演奏会が開かれました。
この日は、イザイの名前がついた音楽祭を継承した「エリザベート王妃国際音楽コンクール」で去年2位に輝いたバイオリニストの成田達輝さんが演奏し、イザイの出身地でおよそ1世紀ぶりによみがえった名曲に、会場からは惜しみない拍手が送られました。
演奏会に出席したイザイの孫のミシェルさんは「私たちも知らなかった祖父が編曲したショパンの名作を聞くことができて感動しています」と話していました。
また永田さんは「直筆の楽譜を見て世に出したいという気持ちで校正を行いましたが、イザイの出身国で演奏会ができて、ことばに言い表せないくらいうれしいです」と話していました。

ちなみに 2~3週間前にパリで成田さんと食事をした時は、この話題は出ませんでした (^^; 是非全曲聴いてみたいですね。

短期間のうちにイザイの無伴奏曲全曲とか、リサイタルの準備とか、オーケストラとのソロとかさらわなくちゃいけなくて、忙しいとは聞きましたが、こんな演奏会もされていたんですね。頭が下がります。

成田達輝さんのオフィシャル・サイトでは、今後のコンサート情報が紹介されています

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大島

By , 2013年10月19日 8:21 PM

2013年10月16日に台風 26号が伊豆大島に大きな被害を与え、数十人規模の死者・行方不明者を出しました。土砂崩れに多くの人が飲み込まれましたが、被害が特に大きかったのは元町神達地区です。

実は、2003年の今くらいの時期に、私は伊豆大島に健診の仕事に付き添って行ったことがあります。当時消化器科研修医だったので、上級医が行う腹部超音波検査の手伝いや、問診などが主な仕事でした。

宿泊先は源為朝ゆかりの地に建てられた赤門という旅館で、夜はかあちゃんという店に飲みに行きました。いずれも今回被害を受けた地区から目と鼻の先です。

島の住人からは、「二箇所の港を押さえておけば犯人は逃げられないから、島には泥棒がいないんです。だから家に鍵をかけなくても大丈夫なんです」とか、「村八分にされると大変だから、警察官とか敵に回すようなことはできなくて、彼らに大きな態度をとるような人はいないんです」という話を聞きました。

ドライブでは、オープン前の大島医療センターを見ました。

今回の台風のニュースを見ていると、10年も前のことが色々と思い出されます。今は無理だけど、状況が落ち着いたらまた訪れたいと思います。

一人でも多くの行方不明者が無事に見つかりますように。

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科学研究に深刻な影響

By , 2013年10月13日 5:29 PM

科学研究に深刻な影響、政府機能停止で ホワイトハウス

2013.10.13 Sun posted at 15:36 JST

ワシントン(CNN) 米政府機能の一時停止問題でホワイトハウスは12日、甚大な被害を受けているのは科学関連機関などとする声明を発表した。

連邦政府機関の一時閉鎖で行政に甚大な被害が出ていることを世論に訴える狙いがあるとみられる。一時閉鎖は、野党共和党との予算案や債務上限の引き上げでの対立が原因で今月1日から始まっている。

声明は、連邦政府が管轄する科学研究機関の多くは閉鎖され、科学者は自宅待機や研究事業の中断を強いられていると主張。この中にはノーベル賞受賞者の5人が含まれ、うち4人は自宅待機で、連邦政府が承認する研究が打ち切られていると説明した。

最大の被害を受けているのは米国立科学財団とし、職員の98%が一時帰休を命じられ、新たな研究事業への補助金支給が滞っている実態に言及。補助金は全米規模で、医学以外の科学分野、土木、教育関連事業などに与えられている。

国立衛生研究所では職員の約4分の3が職場におらず、研究対象の患者の受け入れが出来ない事態となった。政府機関の一時閉鎖に伴う与野党間の折衝では、同研究所によるがんを患う子どもの救命措置研究が不可能になるとの一部報道への対応が大きな問題となっていた。

米疾病対策センター(CDC)では3分の2の職員が自宅待機となった。ホワイトハウスは、インフルエンザ流行の季節が始まり、その監視態勢が弱体化していると警告した。ただ、CDCの最重要な責務である公衆衛生への差し迫った脅威への警戒態勢に変化はない。また、インフルエンザのワクチンの大部分は民間企業が製造している。

それほど大きく報道されていないようですが、これが本当だとすると心配なニュースです。

多くの職員が自宅待機となっているようですが、その間の実験動物や培養細胞たちがどうなっているのか気になります。実験動物や培養細胞を使うのは医学分野だけとは限りませんしね。

また、こういう研究所では一日を争って研究している分野もありますので、研究者たちは気が気じゃないでしょう。

情報があまりないので、続報を待ちたいと思います。

私は 11月に NIHの研究者の講演を聴く予定なのですが、このことで影響は出てくるのでしょうか・・・

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ヨナグニウマ

By , 2013年10月13日 2:19 PM

10月9~11日で沖縄に旅行し、10月10日にヨナグニウマに会ってきました。うみかぜホースファームに 10月9日深夜にメールして (経験鞍数は 30鞍と申告)、10月10日昼前に返信を確認して、10月10日14時から騎乗という慌ただしい日程でしたが、過去の乗馬の中で最高の経験でした。

乗馬クラブは妹夫婦の住む沖縄市から車で 30分くらい。道路補修で外乗ができず、「海馬遊び+暴れん坊将軍ごっこ」コースを選んだので、水着素材の服をデパートで買ってから乗馬クラブを訪れました。乗馬クラブにはレンタル靴があり、私の足サイズ 27.0の他、25.0くらいの靴がたくさんありました。極端に大きなサイズや小さなサイズはなさそうだったので、レンタルを希望される方は予めメールで確認しておいた方が無難でしょう。

乗馬クラブでは大型犬、猫、ニワトリがお出迎え。契約書にサインをしてから、立ち読みして欲しくなった馬語手帖を購入し、ヨナグニウマ 2頭を乗せた馬運車と共に海岸に移動です。

ヨナグニウマはポニーの一種で、与那国島に生息しています。現在では 100頭前後と希少で、与那国町の天然記念物に指定されています。繁殖及び 2歳までの育成・調教は全て与那国島でおこない、その後本土で仕事する馬と、島に残る馬に分けます。私が会ったヨナグニウマは本土組です。

海岸につくと、早速馬にまたがりました。私が普段乗っているサラブレッドなどの馬と比べて半分くらいのサイズ (体重 200~250 kg) で、台を使わず直に乗ることができました。歩かせてみると、少しバランスが取りにくいように思いました。並足で少し散歩してから、速歩に移行しました。トレーナーの方によると、ヨナグニウマは歩くテンポが速すぎてリズムが取れないので、軽速歩というのはないらしいです。

速歩に慣れるといよいよ駈歩です。綺麗な砂浜、オーシャンブルーのすぐ脇を暴れん坊将軍のように駆け抜け、とても気分が良かったです。

与那国馬

与那国馬と砂浜を歩く

砂浜を何往復かすると、トレーナーの方が「競馬をしてみましょうか」と持ちかけてきました。スタートラインは砂浜の流木、ゴールは海岸に見える岩。「ヨーイ、ドン」で競争しましたが、気が急いた私がバランスを崩し、馬が減速して惨敗・・・orz。しかしトレーナーの方は「今日はレッスンじゃなくて遊びですから、細かいことは気にせずに楽しんでください」と優しく声をかけてくださいました。与那国島では、裸馬に乗って若者が草競馬を楽しんでいるそうです。

それから、馬に乗って海に入りました。与那国島では、暑い日とかにヨナグニウマは水に入って涼んだりします。母馬が海に入るのを見た仔馬は、最初は怖がって浜辺から見ているのですが、少しでも母親の側に居たくて、意を決して海に飛び込んでバタバタしているうちに泳げるようになるのだそうです。本州の馬や欧州のサラブレッドは、そういう環境で育っていないので海を怖がって入ることはないようです。

与那国馬2

与那国馬と海に入る

海に入って散歩した後、トレーナーが「尻尾つかまりをやりませんか?任意ですが」と聞いてきました。与那国の人たちがやる遊びのようです。二つ返事で行うことにしました。

まず、馬の尻尾の毛を束ねて、片手でそこに捕まります。あとは馬が海の中を歩くので、人がそれに引っ張られて泳ぎます。私は右手で尻尾を掴み、ある程度速度がついてからは、馬に引かれながら四肢を大の字に広げて仰向けになって浮いていました。綺麗な空を眺めてボーっとして、最高に心地よかったです。

帰りは近くにあるシャワーを紹介いただき、現地解散となりました。

また沖縄に行く機会があれば必ず訪れるつもりです。乗馬に興味がある方は是非遊びに行ってみてください。

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帰国

By , 2013年10月9日 12:23 PM

昨日、無事にパリから帰国しました。すごく刺激的な出来事の連続でした。できるだけ早いうちに旅行記を書こうと思います。

帰国後、幸い時差ボケはあまりありません。フランスの食事は口に合わず、日本食が恋しかったので、昨日昼は蕎麦屋で冷奴、牛すじ煮込み、イカ納豆、とろろ蕎麦、夜は焼鳥屋で焼鳥、鶏煮込みうどん、卵かけごはんなどを貪るように食べました。やはり食事は日本が一番美味しいです。

これから、妹の赤ちゃんに会いに沖縄に行ってきます。

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