「モーツァルトとベートーヴェン その音楽と病-慢性腎臓病と肝臓病 (小林修三著, 医薬ジャーナル社)」を読み終えました。
第一章はモーツァルトの病についてです。モーツァルトの診断を下すにあたって、病歴上いくつもの大きなヒントがあります。
・死の直前まで、ベッドで身体を起こして作曲していた (=起座呼吸)
・モーツァルト 6歳時に父親が手紙に「息子の咽頭がやられて、熱を出したあと痛いというので診ると、足のすねにやや盛り上がった、銅貨ほどの大きさの赤く腫れ上がった発疹がいくつかできていました (扁桃炎+結節性紅斑?)」と記載。咽頭の腫れは何度か繰り返した。
・「水腫」という記述
・オペラ「魔笛」上演後に呼吸困難で倒れた
・死の約 2時間前に痙攣を起こし昏睡状態となった。両頬は膨らんでいた。熱のために体は汗でびっしょりぬれていた。
こうした病歴より、著者の診断は、直接の死因は心不全となります。原因疾患は原発性慢性糸球体腎炎、もしくはへノッホ・シェーンライン紫斑病、あるいは水銀中毒による間質性腎炎からの慢性腎臓病。その終末疾患としての尿毒症で死亡。併発疾患は大動脈弁狭窄・・・としています。
溶連菌感染→心臓弁膜症、糸球体腎炎というのは、もっとも合理的な説明ですね。起座呼吸や水腫という病歴もこれらの疾患に合致します。モーツァルトの病としてはとても有力な説です。へノッホ・シェーンライン紫斑病説は、確か私が学生の頃、2000年頃に論文を読んだことがあり、これも有力な説の一つかなと思っていました。
第二章はベートーヴェンの病についてです。ベートーヴェンについては腹水の病歴があり、病理解剖で肝臓に萎縮と表面に結節があったそうですから、肝硬変はほぼ確定診断です。その他、虹彩炎と思われる症状、繰り返す消化器症状、関節炎もあったようです。著者は鉛により誘発されたベーチェット病と診断しました。やや踏み込み過ぎの感はありますが、積極的に否定する証拠もないように思います。
話は脱線しますが、ベーチェット病では HLA-B51 typeが多いことが知られています。一方で、欧米人では HLA-B51は少ないそうです。2009年の Lancet Neurologyの総説を読むと、日本人やトルコ人のベーチェット病患者で HLA-B51 がみられるのは 60-70%である一方で、ヨーロッパ人では 10~20%に過ぎないと記載されていました (ただし、その論文は “Behçet’s syndrome: disease manifestations, management, and advances in treatment.” を引用したものです)。欧米人の診断をつけるときは要注意ですね。
本書は、一般人が読んでもわかりやすく書いていますし、医学的にもまっとうな内容だと思います。唯一残念なのは参考文献が示されていないことです。著者が下した診断は過去に別の研究者が論文にしているのと同じですし、そのことは明記すべきと思いました。また、診断根拠となる所見がどの文献に書かれていたのかによっても信ぴょう性は変わってくるので、その辺りは記しておくべきでしょう。
(参考)
・Beethovenの耳の話
・楽聖ベートーヴェンの遺体鑑定
筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の臨床試験で、なぜネガティブな結果が多いのか、どう改善すべきなのかを議論した論文が、Lancet Neurologyに掲載されました。
なぜネガティブな結果が多いのかという理由の考察は、panel 1に纏められています。
panel. 1
・理論的根拠
例えば、ALSの治療薬開発時には SOD1変異マウスを用いて動物実験を行う。SOD1変異マウスは、仮にヒト SOD1変異の家族性 ALSではよくても、ヒト孤発性 ALSの代わりにはならないのではないか。また、動物実験は病初期から治療が始められるが、ヒトでは病気が進行してから治療が始められるという違いがある。
・薬理学
薬の投与量が少なすぎる、中枢神経に薬剤が到達していない、あるいは薬物動態や薬力学的解析がされていないのではないか。また、最近の臨床試験ではリルゾールを併用されていることが多いが、リルゾールと試験薬剤との相互作用はよくわかっていない。さらに、ヨーロッパの臨床試験ではリルゾールへの上乗せとなっているが、アメリカでは経済的な理由によりリルゾールを内服していない患者が多い。
・試験デザインと方法論的問題
高い治療効果を求めすぎるため、小さな効果を見落としている可能性がある。 疾患の多様性や進行した患者の登録、短い試験期間が問題になっている可能性がある (昔より生存期間は伸びているので、観察期間も延長する必要がある)。また、臨床的効果のみをアウトカムとしていて、バイオマーカーを測定していないので、治療ターゲットに効果があるのかどうかわからない。
これらの問題点を解決することが重要だと著者らは考えているようです。具体的にどうするべきかも論文に書いてありました。
この総説では、幹細胞治療に触れた部分があり、興味深かったので簡単に紹介しておきます。幹細胞治療はとても期待されてはいますが、いくつかクリアしなければならない壁があります。広く宣伝されてしまっているため、金銭的にも、健康面でも高くつくことがあります。例えば中国に行って嗅神経鞘を用いた幹細胞を用いた患者らが、深刻な副作用を受けたことが報告されました (①, ②)。幹細胞治療では、神経保護及び変性した運動神経の置換という 2つのメカニズムが想定されており、下記のような臨床試験が行なわれているそうです。結果を期待したいと思います。
・Mesenchymal stem cell transplantation in amyotrophic lateral sclerosis: A Phase I clinical trial.
・Autologous Cultured Mesenchymal Bone Marrow Stromal Cells Secreting Neurotrophic Factors (MSC-NTF), in ALS Patients.
・Intraspinal neural stem cell transplantation in amyotrophic lateral sclerosis: phase 1 trial outcomes.
・Intraspinal stem cell transplantation in amyotrophic lateral sclerosis: a phase I trial, cervical microinjection, and final surgical safety outcomes.
・Amyotrophic lateral sclerosis: applications of stem cells – an update. (臨床試験ではないが、この論文中に 運動ニューロンもしくはグリア細胞由来の iPS細胞による治療の進歩が紹介されている)
「アラブ飲酒詩選 (アブー・ヌワース著、塙治夫編訳、岩波文庫)」を読み終えました。以前、オマル・ハイヤームの詩集「ルバイヤート」のことを書きましたが、アブー・ヌワースはオマル・ハイヤームと同じく中東の詩人で、酒をテーマにした詩を多く残しました。
アブー・ヌワースは、イラク国境に近いイランに生まれ、8~9世紀頃に活躍しました。イスラム教は飲酒を禁じていましたが、それにも関わらず彼は堂々と飲酒についての詩を詠みました。そればかりでなく、同性愛を告白したり (※例えば “小屋” という詩には「私は彼の腰あたりで望みを果たした」という表現があります)、断食を揶揄したりもしています。”若さ” という詩では、「私は亭主からその妻を寝とった」という背徳的な出来事が詠まれています。彼はイスラム教的道徳から解放された詩を多く書いた一方で、晩年はアッラーに罪の許しを乞う詩を残しました。
彼の詩を一つ引用します。快楽をとことんまで追い求め、奔放であった彼の性格が良く表現されています。
秘密を注がないでくれ
私に酒を注いでくれないか、そしてそれは酒だと言ってくれ。
私に秘密を注がないでくれ、はっきり言うことができるなら。
人生は酔ってまた酔うだけのこと。
酔いが長ければ、憂き世は短くなるだろう。
私が醒めているのを見られるぐらいつらいことはなく、
私が酔いにふらついていることぐらい結構なものはない。
好きな人の名は打ち明けよ、あだ名で呼ぶのはよしてくれ。
快楽だってつまらない、それを隠してするならば。
悪事も淫楽なしではつまらなく、
淫楽も背教を伴わなければつまらない。
私の友は皆悪漢で、顔は新月のように輝き、
きらめく星のような仲間連れ。
私は寝入っている酒家の女将を起こした。
双子座は既に消え、鷲座が昇っていた。
彼女は「戸を叩くのは誰?」と尋ねた。我々は「ならず者達さ、
酒器が軽くなったので、酒が欲しい連中さ」と答えた。
「あんたとも寝なけりゃね」と続けると、「それとも身代わりに、
色白で、あだっぽい目の美少年はいかが」と応じた。
我々は言った。「是非連れてきておくれ、
俺達のような者は辛抱強くないのだから」
連れてこられたのは十五夜の満月か、
妖術を使っているように見えるが、妖術者ではない。
我々は一人、また一人と彼に近よった。
断食して食物から遠ざかっていた者のように。
我々は一夜を過ごした。アッラーから見れば、我々は極悪人。
我々がひきずっているのは堕落であって、誇りではない。
なお、本書の解説を読むと、当時のイスラムの歴史を理解するのに役立ちます。まず、661年にウマイヤ朝が創始されました。ウマイヤ朝はアラブ人優位の統治を行い、非アラブ人はイスラムに改宗してもマワーリー (被保護民) としてアラブ人よりも下位に扱われていました。ウマイヤ朝の下で発達した文化もアラブ的、部族的伝統を残したものでした。しかし、750年にウマイヤ朝が倒され、アッバース朝が創設されました。アッバース朝はイラクを中心に、西は北アフリカから東は中央アジアに至る広大な地域をモンゴル軍に滅ぼされるまでの 500年間支配しました。アッバース朝はペルシャ人の力を借りてウマイヤ朝を倒した経緯があるだけに、ペルシャ人を中心に多くの才能ある非アラブ人が国家の要職に登用され、文化に大きな影響を与えました。そして文化が爛熟し、生活が奢侈になると、道徳の退廃がみられます。飲酒の習慣のある異民族との接触が増えるにつれ、イスラムの下では飲酒が禁止されているにも関わらず酒は半ば公然と飲まれました。時にはカリフ (君主) ですら飲酒をし、イスラム教ハナフィー派では一部のアルコール飲料を合法としていました。こういう時代に活躍したのがアブー・ヌワースでした。
ちなみに、アッバース朝の後半はカリフの力が弱まり、ペルシャ系のブワイフ朝、トルコ系のセルジュク朝などが実権を握るようになります。詩集「ルバイヤード」で知られるオマル・ハイヤームは、11~12世紀にセルジュク朝の時代に活躍しました。同じく酒の詩を詠んだ李白が中国で活躍したのは 8世紀のことです。
「Classic Bar ~in Blue Rose」に行ってきました。サントリーホールの小ホールで行われたコンサートです。
各座席の横にはウイスキーとおつまみが置かれていました。
第一部は、元バレーボール日本代表の佐々木太一さんが、ウイスキーの基礎知識やテイスティングの仕方などを解説しました。彼は日本で資格取得者わずか 2名しかいなかった「マスター・オブ・ウイスキー」を取得しているそうです。ウィスキーの歴史や味の違いなど、勉強になりました。
第二部は成田達輝さんと中野翔太さんによる生演奏でした。普段あまり聴かない曲を聴くことができて、貴重な経験でした。特にジョン・アダムズの Road Moviesという曲は、minimal musicと呼ばれる、非常に小さな単位から構成されているそうですが、初めて聴いて「良い曲だな」と思いました。楽しかったのは演奏だけではなくて、西山喜久恵アナの司会による演奏者のトーク付きでした。
Classic Bar
ドビュッシー:美しき夕べ
ガーシュウィン:3つの前奏曲
武満徹:妖精の距離
ジョン・アダムズ:Road Movies
チャップリン:Smile
成田達輝 (Vn)/中野翔太 (Pf)
10月30日 (木) 19:00開演, サントリーホール小ホール
なお、次回の Classic Barは、「ワイン」をテーマにして、2015年2月8, 9, 10, 11日に行なわれ、ヴァイオリニスト川久保賜紀氏、ピアニストの横山幸雄氏が登場するそうです。
余談ですが、今回から成田達輝氏のプロフィールに「使用楽器:匿名の所有者からの貸与を受けて、ガルネリ・デル・ジェス “ex-William Kroll” 1738年製を使用。」の一文が加わっていました。素晴らしいパートナーとのますますの御活躍を楽しみにしています。
AHA/ASAによる脳卒中一次予防ガイドラインが改訂されました。無料公開されています (2014年10月28日 online published)。
脳卒中診療に携わる医師はチェックしておく必要がありますね。脳卒中診療に関わる医師のみならず、プライマリ・ケア医も是非読むべきと思います。
PDFの 81ページから要約が、87ページから、今回改訂された点のまとめがあります。
(参考)
Stroke Rounds: New Prevention Guidelines Favor Mediterranean Diet