ガストン・プーレとドビュッシー
ヴァイオリンの名教師として、古くはレオポルド・アウアー、ジョルジュ・エネスコ、イヴァン・ガラミアン、その後ヘルマン・クレッバース、ドロシー・ディレイ、ザハール・ブロン・・・など。それぞれ一流の演奏家を多く育て、名声を得ました。
String誌の 2008年 8月号に、ジェラール・プーレ氏のインタビューがされていました。プーレ氏は、これまで何度か紹介してきた佐藤俊介氏の師匠です。やはりヴァイオリンの名教師として知られています。フランチェスカッティ、メニューイン、ミルシタイン、シェリングらの薫陶を受けています。
そのプーレ氏、実は父のガストン・プーレがドビュッシーと親交があったようなのです。
ヴァイオリン・ソナタの作曲秘話など、String誌での該当部分を引用します。
父はドビュッシーと交流がありましたし、いろいろな話を聞きました。ですから今ではこの作品は、私の持ち曲だと思っています。もちろん、私だけが弾くわけではなく、他にも素晴らしい演奏をされる方はたくさんいます。でも、ファミリーの話があるのは、私だけだと思います。それは私の誇りとするところです。
一九一六のことです。父はプーレ四重奏団の第一ヴァイオリン奏者でした。とてもいいキャリアを築き、オランダ、ベルギー、ドイツなどヨーロッパ中で演奏活動をしていました。そしてドビュッシーの弦楽四重奏曲もよく弾いていました。ある時、父は考えました。作曲家が生きているんだから、弾きに行こうじゃないかと。得意な曲でもあるし、きっと喜んでくれるに違いないと。
父は手紙を書きました。『貴方のところに行って貴方の曲を弾きたいのですが、いいでしょうか』と。ドビュッシーは返事をくれたのですが、ブルーのインクのとても小さな字の手紙だったそうです。
ドビュッシーの家に行ったら、綺麗な家だったそうですが、とても冷たい態度だったそうです。シャイな人で、全然話したがらないような人で、あまり心を開いてくれるようなタイプではなかった。とにかく言葉少なに迎えてくれたそうです。父はそこでまず驚いたそうです。
とにかく、一楽章を弾きました。ドビュッシーは何も言わない。二楽章を弾きました。三、四楽章を続けて弾きました。最後まで何も言わなかった。父は遂に立って、部屋の隅で聴いていたドビュッシーのところまでつかつかと寄って、『先生、こんなふうでいいですか?』と聞いたそうです。すると『そうじゃない』とドビュッシーは行ったそうです。でも『僕のイメージとは違うけれど、あなた方はとてもよく弾いているし、あなた方には合っているので変えないように』と最初は言ったそうです。
『ですけど、じゃあ、ちょっとだけ言いますね』と言いながら、結局最後にはたくさんのことをドビュッシーを言ったのですね(笑)。
一番最後は、雰囲気も良くなり、その日はそれで終わりでした。
何週間かして、ドビュッシーから手紙が来たそうです。
『親愛なるガストン様、私は今ヴァイオリンのソナタを作曲しています。あなたのことをちょっと考えました。私のヴァイオリンのテクニックのことなどを少し教えて欲しい。どういうふうに書いたらよいか、知識が必要なので、ソナタを完成するにあたって、アドヴァイスが欲しい。一緒にディスカッションしませんか』ということで呼ばれたんです。
父はとても嬉しかったそうです。大作曲家が、自分を選んで相談してきてくれたことをそれは誇りに思っていました。
実際に父はドビュッシーのところへ行き、ここはもっとヴァイオリンらしくした方が良いとか、ピッチカート、フラジオレットなどのテクニックに関してのアドヴァイスをしたそうです。曲想に関しては何かを言ったわけではありません。
結局、そのことでドビュッシーのところに何回も行ったそうです。そして、二、三ヶ月が経ってソナタが完成しました。
ドビュッシーは、本当に有り難う、と言ってくれて『私はあなたと一緒にせっかくこうやって作ったのだから、あなたと初演をしたい』とまで言ってくれました。
彼は、そのときすでに癌にかかっていたのですね。その頃に手術もしたんです。そのちょうどあとくらいの一九一七年、少し具合が良くなったので、演奏しようということで、パリのガボーというホールで世界初演を行いました。
ドビュッシーがピアノを受け持ち、父のガストンがヴァイオリンのソロを弾きました。五月五日のことです。
そのときのコンサートというのは、ドビュッシーの曲を入れたガストンのリサイタルでした。その他に、ラロのスペイン交響曲がピアノ伴奏版で演奏されました。ヴィターリのシャコンヌもありました。
それからドビュッシーのピアノ伴奏で歌手との共演で二曲が演奏されました。そして、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタが演奏され、歌の曲がまた入って、で最後にクライスラーの前奏曲とアレグロ。それはガストンの妹がピアノを受け持ちました。
つまり、ドビュッシーの作品は、すべてドビュッシー自身がピアノを弾いたわけです。
この話は、父が誇りを持っていたので、いつも話してくれました。父は、このソナタについて、たくさんのことを私に教えてくれました。ドビュッシーがどのように演奏したがっていたか、ということまで教えてくれました。
例えば、ここのフラジオレットは、ドビュッシーのアイディアだという事細かなことまで、教えてくれました。
ヨーロッパの演奏家は、しばしばこうした逸話を持っているのが、インタビューを聞いていて楽しいところです。
私は、フランスの作曲家には特に疎く、更に残念な事に、プーレ氏のこの曲の演奏を聴いたことはありません。ですが、聴いたことのある範囲でこの曲の CDを紹介させて頂くと、Christian Tetzlaff / Leif Ove Andsnes (EMI Records LTD / Virgin CLASSICS 7243 5 62016 2 0) がお薦めです。