神経学の源流1 ババンスキーとともに-(4)
第 5章は「腱および骨反射」です。著者(萬年先生)がパリに滞在中の思い出が書かれています。
第5章 腱および骨反射
サルペトリエール病院のシャルコー研究室で病理解剖主任のベルトラン I. Bertrand 教授との初対面でそのことを話すと快く受け入れてくれたが、氏がいうには、君の経歴をみると神経解剖専攻とあって臨床の勉強をしていないように見受けられる。神経学を知るには解剖も大切だが臨床の知識を豊かにすることがきわめて重要だと思う。滞仏中、午前中はガルサン教授のところで回診や外来診察を見学し、午後からシャルコー研究室にきて標本を見るのがよいといわれた。ギランの女婿ガルサン教授が現代フランスの誇る臨床神経医であることはかねてからきいていたし、一時期はそこを見学しようと考えてはいたものの、1年間とはいささか長すぎると一寸気勢をそがれた恰好であった。と同時にフランスはやはり臨床優先ということを思い知らされたわけである。
ところでそのガルサン教授の診察についてまわっている時、しばしばその口から発せられる ”C’est classique” (それは古典的であるの意)という言葉に印象づけられた。外来でも病室回診でもしばしば耳にする。アンテルヌ(※インターンのようなもの) や学生が何か質問すると、それはシャルコーの1870年のあの論文に書いてあります、この患者はピエール・マリーがすでに記載したもので、なんという雑誌のどこそこを見ればよろしいと指示をしたあとで、”C’est classique” とつけ加えるのである。筆者はそこに伝統の重みを感ずるとともに引用される論文が大方は古いものなので、最初は「古典的」を文字通りにとっていたが、日が経つうちにそうとるべきではなく、むしろ「教科書的」「誰でも知っておるべき標準的なこと」「教場で教えるほど固まった知識」ひいては「常識」を意味する者と解する方がよいと考えるようになった。そしてガルサン教授がさかんに引用する文献のほとんどを知らないいわゆる「常識」に欠ける自分に気づいた。
(略)
それにしても腱反射についての検査が系統化されていなかった時に、ひたすら沈黙を守りながら健康者や患者を一例一例仔細に比較観察しつづけ、挙句に 5つの反射を恒常的のものとして選び出し、さらに種々の疾患でこれらがどう変化するかをとらえるのは容易なことではなかったと思う。今日われわれがなかば機械的に行う腱反射の検査の底の底には、ババンスキーのこのような神経系という自然との孤独な対話があったことを忘れるべきではなかろう。
現代の医師は、新しい知識を身につけるため、特に古典から離れてしまう傾向にありますが、古典に帰ることも大切なことですね。
引き続き、Babinskiの論文が紹介されています。論文といっても、これはBabinskiが行った連続講義を、弟子が 1912年 10月 19日、26日、11月 6日、23日の 4回にわたって連載したものです。第 1講~第 4講に分けて記載されています。
第1講は、腱反射の基礎知識です。
”腱および骨反射” に関する連続講義 第1講
(略)
定義
1本の腱あるいは 1個の骨を叩くことによって不随意的におこる持続の短い急激な筋の収縮を骨および腱反射とよぶ。歴史にふれて
腱反射がいつごろ見出されたものかはっきりと判らないようである。しかし研究の対象となるよりずっと以前から観察はされていたものらしい。いずれにせよ、反射一般 (防衛的な反射 reflexes de defense) についてことこまやかにかきしるしてある古い生理学の教科書の中にはもちろん、純臨床的な報告の中にさえも、1862年以前にはこれらのことについては何もふれていない。この年こそは Charctと Vulpianが足クローヌス (clonus du pied) を確認して、この症状を系統的にしらべ、その誘発法をはっきりと示して臨床的価値を認めた年にあたるのである。彼らはこの”足クローヌス”を、Brown-Sequardが特発性あるいは実験的脊髄疾患で観察し、「脊髄癲癇」と名づけた不随意収縮と同じものとみなした。しかしその正確な意義づけや腱反射との密接な関連などは、後日の研究にゆずらねばならなかった。腱反射の系統的な研究は1875年にはじまる。すなわちErbはこれらの反射が痙性対麻痺で亢進するのを特に調べ、さらにWestphalは脊髄癆の多数例で膝蓋腱反射が消失することを記載したのである。彼らは膝蓋腱反射の証明法を示し、いろいろの腱を打診すると同時に筋の収縮を誘発することができることを確かめた。彼らは”足クローヌス”を同じ範疇の現象とみなしている。この年以後正常状態および病的状態における腱および骨反射に関する報告が多く出るようになったのである。
Charcot, Vulpian, Brown-Sequard, Erb, Westphalなど、名を残した神経学者がたくさん登場しています。腱反射に関する記載は 1862年に始まり、この論文が書かれたのが 1912年ですから、丁度 50年目の節目の年になるのですね。この後、論文中では、ウサギなど動物の腱を剥き出しにして、様々な部分を切断したり叩いたりした実験が紹介されています。
次いで、誘発法の実際が講義されます。概要としては、検査する手足を露出させる、筋を弛緩させる、腱に一定のテンションを与える、「急な軽い一撃 (un coup sec)」を与えるといったものです。Babinskiが使ったハンマーの写真が掲載されています。
更に、Babinskiが恒常的と考えた 5つの反射が写真付きで紹介されています。何と、写真に写っている検者は Babinskiその人です。5つの反射は Babinskiの五大反射とも呼ばれるのですが、今日ではそのような呼び方で呼ぶことはほとんど知られておらず、神経内科専門医試験で「Babinskiの五大反射をとってみて?」と聞かれた受験生がパニックになったという逸話を聞いたことがあります。
”腱および骨反射” に関する連続講義
A. 膝蓋腱反射
1°足を組み合わせる。もっとも肥えた人ではむずかしい。
2°すわらせる。下腿は大腿と鈍角をなす。足は踵で地面についている。
3°仰向けに寝る。踵を水平面におき膝窩を検者の右前腕で支え、足を屈曲させる。
4°机の上に腰をかけさせ、足を垂れさせる。B. アキレス腱反射
最もよいのは私の考案したもので、広く採用されている。すなわち被検者を椅子の上に膝立させるものであるが、なんらかの事情で、この位置のとれぬものや、就床したままの人では、側位をとらせ、下腿を大腿に対して軽く屈曲させ、足尖を検者の左手で支えるとよい。C. 上腕三頭筋反射
被検者の上肢を外後方に向けさせ、肘を検者の左手で支え、上腕と前腕が鈍角をなすようにする。しかし私には別の姿勢がよいように思われる。すなわち上肢の位置は以上と同じであるが、肘を支えるかわりに検者もすわって、被検者の手を検者のももに平らにつかせる。こうした姿勢では前腕は不動となり、筋の微細な動きのみが観察しうる利点がある。
さらに尺骨の下約1/3を叩くと前腕の伸展をおこすことができる。D. 前腕屈曲反射または橈骨下端反射
前腕を上腕に対し少し屈曲かつ半分回内させ、その下端を検者の左手で支える。橈骨の下端を叩くと前腕の屈筋全部が収縮する。この手技で誘発されるのは今日いうところの腕橈骨筋反射であろう。
また、二頭筋の腱を叩くと前腕の屈曲がおこるが (いわゆる二頭筋反射) 、屈曲は一般にそれほど強くない。これは普通二頭筋のみが収縮するからであろう。常におこるというわけではないが、上腕骨の下端や前述の伸展反射に関係のある尺骨の下1/3を除く前腕のいろいろな場所を叩くと前腕の屈曲がおこる。
繰り返していうが、一般に最も強い屈曲反射をおこすのは橈骨下端の打撃である。ここを検査のさいに選定するのである。この点を叩くとしばしば手や指の屈曲をもおこすことができる。E. 回内反射
上肢は屈曲反射と同じ位置におく。橈骨の前内部 (橈骨下端の掌側面) を叩くか、尺骨の後下部 (尺骨の茎状突起の背側面) を叩くと回内運動がおこる。このために Marie と Barre 両氏は尺骨回内反射 (reflexe cubito-pronateur) と名づけている。人によっては尺骨の下端を叩くと橈骨の下端を叩いた同じように、恒常的な反射の他に手や指の屈曲反射がおこる。
写真を見ながらだと理解しやすいのですが、Babinskiの記載した方法は今でも正統的なやり方として残っています。この論文では、現在でも知られる腱反射の常識が多数記載されています。たとえば、収縮の閾値の低下、反応する領域のひろがり、反射をひきおこしうる領域の広がり、対称性の法則 (1つの反射の強さは同一個体では左右均しい)、肘の錯倒反射 (伸展反射が消失あるいは低下した場合にみられる)、膝の錯倒反射 (Benediktにより記載され、Dejerineらにより強調された)、橈骨反射の錯倒、尺骨回内筋反射の錯倒 (MarieとBarreらによる) などです。
第 2講では、腱反射の低下する疾患が扱われ、個々の疾患による腱反射の所見について記載されています。
驚くべき事に、反射が研究され初めてはや 50年で反射弓も解明されており、Babinski自身も反射弓を 3つにわけて解説しています。すなわち「求心路 (知覚神経、後根)」「中枢 (灰白質)」「遠心路 (前根、運動神経あるいはこの神経の達する筋)」です。
神経炎についての解説の一部を紹介しましょう。すでに当時このような知識があったのかとびっくりします。
”腱および骨反射”に関する連続講義 第 2講
神経炎の型が違っても反射消失に関してはみるべき差はない。しかしある型では好んできまった反射の消失をおこす。例えばアルコール性神経炎の好発部位は下肢であって、ことに膝蓋腱反射とアキレス腱反射の消失をおこす。これと反対に鉛性神経炎は主として上肢をおかし、上肢の反射のみが消失することがしばしばである。
研究者の腱反射に関する興味は相当に強く、ギロチンでの処刑者についての観察すら本論文に登場します。
”腱および骨反射”に関する連続講義 第2講
研究室の実験にも比すべき価値をもつのは、Barbeのギロチンによる処刑者の観察であった。1885年の Comptes rendues de la Societe de Biologieに載っている記録を引用してみよう。
「観察は処刑後1分一寸たってから始まった。手足は完全に弛緩していた。勃起も射精も認められない。右足を持ち上げて膝蓋腱反射がきわめて著明にでるのを確かめた。断頭後にこの反射が存続することを確証することは大変重要なことと考えて、私は私についてきた学生たちに検査に立ちあって最大の注意をはらって観察することを頼んだのであるが、全員が私と同じように処刑後 8分後まではこの反射が存在することを確認することができたのである。」
処刑直後に診察をするなんて、おぞましく思うのですが、学問に対する好奇心の方が上回ったようです。
また、第 2講の終わりでは、中枢性の疾患で腱反射が低下するのかの議論がなされます。多くの有名な神経学者が登場します。
”腱および骨反射” に関する連続講義 第2講
脳の病変、ことに腫瘍が腱反射の消失をおこしたということが多数報告されている。小脳の病変によることもきわめて多い。これらのことは正常の場合に小脳が脊髄の中枢に促進的に働くという Jackson や Bastian の考え方によれば説明がつくわけであるが、Oppenheim, Bruns, Bechterew らの大多数の人人はこうした場合の反射消失は腫瘍からはなれた場所に脳脊髄圧の上昇あるいは有毒産物によっておこった神経根の障害が合併したためにおこると考えている。Collier, Nageotte はこの点についてきわめて美事な例を報告している。
しかし未だ一般に適用しうるものではない。
第 3講では、腱反射亢進を示す疾患について記されています。腱反射亢進は、Babinskiによると「被検者が随意的に筋を収縮せぬようにした状態のもとで、腱の刺激が一群の筋に反射性に一連の律動性の収縮をひきおこす場合に腱反射亢進があるという」と定義されます。
次いで下肢での反射亢進を示すものとして有名な 2現象の紹介があり、何と日本人も登場します。
”腱および骨反射”に関する連続講義 第3講
さらに注意せねばならぬのは、ことに下肢で認められる反射亢進を示す2現象である。すなわち、1つは Rossolimo、他は Mendel-Bechterew の徴候である。Rossolimo の徴候は足の指をひきおこすようにつまはじきすると指が反射的に屈曲するもので、Mendel-Bechterew 徴候は足の背面を叩くと指が反射的に屈曲する場合をいう。生理的の場合には、このような刺激を与えると短趾伸筋の筋肉自体の収縮により第 2~5指が伸展する。東京の吉村はこのような運動の錯倒を次のように説明している。すなわち下肢の骨および腱反射の亢進は足指に屈曲反射が現われるということで示される。ところで足の背面を叩くことによっておこる反射の効果が十分に強いと、筋肉自体の収縮の効果をおおいかくしてしまうのであるという。
吉村氏は、日本における神経内科疾患の初期の報告の議論の際、時々登場する方で、名前しか存じませんが、Babinskiに取り上げられるなんてすごいですね。
典型的な器質的脳性片麻痺についての解説では、「対側内転筋反射」など重要な徴候が紹介されているので、引用します。また、片麻痺が出現後、急性期には腱反射が低下するのはしばしば経験することで、その頻度も検討されていて、示唆に富んでいます。
”腱および骨反射” に関する連続講義 第3講
まず最初にもっとも普通にみられる大人の片麻痺、すなわち破壊巣によって錐体束が二次的に変性した場合をとりあげてみよう。
変性期には麻痺側の腱反射は亢進する。反射亢進の強さは麻痺の強さと平行するのが普通である。器質的片麻痺の場合の反射高進はきわめて容易に認められる。大部分の例では患側で腱反射を調べてみただけですでに反射亢進の基準となる諸性質すなわちクローヌス、多動性の反射などが認められる。さらに仮性の場合もある上述の諸性質はさておき、健側と患側をくらべてみれば反射亢進を見出すことができる。多くの例で、前腕の上腕に対する屈曲反対の左右差はきわめてはっきりしている。下肢では Pierre Marie によって記載された ”対側内転筋反射 (reflexe contralateral des adducteurs)” の左右差はしばしばきわめて顕著である。これは健側の膝蓋腱を叩くと麻痺側の大腿がきわめて顕著な内転をおこすもので、大腿骨の内側顆を叩いた方がもっと有効である。これに反し患側で同じことをやっても健側には反応がなく、おこっても僅かな内転が認められるにすぎない。この反射は正常な人ではしばしば欠損する。
大人の片麻痺は、二次変性がおこる時期には反射亢進をともなうことが判った。しからば初期には腱反射の状態はどんなであろうか?発作の直後には反射にはなんの変化もおこらないこともあるが、しばしば低下あるいは消失し、時として亢進する。亢進する場合は、以前考えられたごとくに稀ではないらしい。Ganault の観察によると、新しい片麻痺 10例の内、膝蓋腱反射が正常であったもの 3例、低下したもの2例、亢進したもの 5例であった。Gendron とMiraille は脳卒中発作数分後に検した 6例について報告しているが、それによると反射ことに膝蓋腱反射はすでに亢進していたという。
おおよそのところ発作後 2週間目の終わりころには反射亢進が完成されるといってよいだろう。われわれが今問題にしている型の片麻痺では腱反射の亢進がいったん完成すると、その後は大した変化がおこらない。ある程度低下することはあっても消失してしまうことはない。
末梢神経障害で腱反射が亢進するかどうかの議論もなされています。
”腱および骨反射” に関する連続講義 第3講
神経炎は腱および骨反射の亢進をおこしうるだろうか?一部の人々、なかでも Strumpell はありうるとしているが、私はそうは思わない。
しかし知覚線維の末端に刺激が加わると反射が亢進することがあるらしい。骨や関節の障害の時にしばしばみられる反射亢進は少なくともこうしたメカニズムによって説明することができる。このような場合、筋萎縮をともなう頻度が高ければ高いほど反射亢進はますます顕著となる。それだけでなく、DR (変性反応), 線維性ちく搦、麻痺をともなわない筋萎縮が反射亢進をともなう時は、ほとんど常に骨あるいは関節に変化があっておこるのである。このような場合の反射亢進は主として傷害部に近い部分におこる。たとえば足くびの関節炎では、なかでもアキレス腱反射が亢進し、足のクローヌスさえもみられることがある。また膝関節炎はまず膝蓋腱反射の亢進をおこすが、足関節、膝関節のいずれか、あるいは股関節の障害で下肢全体に腱反射亢進がおこることがよくある。
これまで私には骨や関節の障害にともなう腱反射亢進を診た経験がないのですが、知覚刺激と腱反射の亢進についての興味深い関係は、今後注意深く観察する価値がありそうです。
この講義は第 4講で腱反射と皮膚反射について述べられ、終了します。現代でも、腱反射について系統的に考察されたものはなかなか見る機会がありませんが、この論文は非常にまとまっていて、その後 100年経ってもほとんど修正すべき点はないように思われます。医学が進歩したからではなく、当時の観察がいか注意深くなされていたかを示す好例です。まさに「古典」です。
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