神経学の源流1 ババンスキーとともに-(5)

By , 2008年12月27日 11:48 AM

第6章は小脳症状についてです。特にオリーブ橋小脳萎縮症 (OPCA) について扱われます。OPCA という疾患概念を提唱したのは、デジェリーヌとその弟子のアンドレ・トーマです。デジェリーヌは Babinski の8歳年上で、シャルコーの僚友 Vulpian の弟子です。デジェリーヌは脳梗塞に伴う舌下神経麻痺で「デジェリーヌ症候群」として、またDejerine-Sottas 症候群に名前を残しています。有名なのは彼の妻 Augusta Klumpke (1859-1927) が女医では初めてのアンテルヌとなり、女性の医学分野への進出を象徴する人物であったことです。

アンドレ・トーマはデジェリーヌの最も傑出した弟子とされ、「神経学者は、生理学的観点からも解剖学的観点からも人と動物をへだてる距離を考慮に入れ、実験生理学の結果をあまりに急いで人にあてはめるべきではない」という信念を持っていました。著者はトーマ氏に会ったことがあるらしく、そのときの様子を書かれています。

 第4章 小脳症状について

モンパルナスから遠くないその指定の場所に出掛けて行って待つ。10米四方位の大きな診察室に2人の女医が居て乳幼児を診察して居る。トーマ先生はまだ来ていない。部屋の隅に畳2畳程の衝立で仕切られた場所があり、私はそれを物置場だ位にしか思って居なかった。そして教職にはなくても、アカデミー会員であり斯界の大長老であるトーマ先生が来れば、この女医さん達は先生に席を譲るものだと思っていた。10時一寸過ぎ、白衣に身を包み鞄を片手に先生が現われた。コトコトと女医と私の近附いて握手を交し、ついで看護婦達とも握手を交すと、私にこちらに来なさいと手招きして衝立の中に入って行かれる。意外なことにここが先生の診察室であった。

更に意外な事は、女医の方には数人の看護婦がつき乍ら、先生の方には 1人も居ない。ただ、患者を呼びこんでくれるのが居るだけである。先生は外に出て行って可成大判の粗製の紙とカルテをコトコトと時計の秒針の様に規則正しい歩調でとって来られる。母親が幼児と共に呼び込まれると、先生は母親に椅子をあてがわれるが、自分は立ったままである。自分のへそ位までの高さの机の上に、先程持って来た粗製の大判の紙を広げ、その上に真裸にした赤ん坊をのせる。そして赤ん坊の手を取り足を取り、のばして見たり、ちぢめて見たり、逆さにしたり、振って見たり、相当思い切った扱いをする。日本だったら若い母親はオロオロしてしまう位の扱いであるが、フランスの母親は一向驚く風がない。赤ん坊はその間に小便をはじき出す子が多い。一部は先生にもかかる。粗製の大きな紙はこの小便用なのであった。黙々として診察すること 1人 15分位。患者を帰すと自分で小便の紙を片附け、カルテを書きはじめられる。それがわずか 15分でよくもこれだけ色々な事を見るものだと思う位、分量が多い。私が見ている中で一番書いた時は、カルテ 3頁にも及んだ。80歳を越えていても、筆跡は乱れる事がない。1例で、半身不全麻痺を見附けられ、私に丁寧に説明して下さった。検査の術式もすべて自ら組み立てられたものと聞く。近年、乳幼児を対象に、神経学的検索を続けられ、すでに “Etudes neurologique sur le nouveaune et le jeune nourrisson” を著された事は知って居たが、今日もなおししとしてその材料を増すべく努力して居られるのを目のあたり見て感激した。本当に学問というものは頭の中で考えるだけのものでなく、自らの体を使って素材を積み重ねて行くべきものであり、その本質においてきわめて個人的色彩の強いものでなければならぬという事を強く感じた。そしてこの老学者の黙々とした努力の中に何か仕事を始めた場合、年齢や地位は問題でないという事を身を以て示して居られるような気がして襟を正す思いであった。診察を終え、私が病院を辞する時、玄関で別れの握手を交わし、門の所まで来て振り返ると、先生はまだ戸口に立って居られ、私が振る手に答えて下さった。

トーマ先生の人となりが伝わってきます。権威ぶったところがなく、実地の中から学問を生涯追求された方だったようです。80歳を過ぎてから数冊の大著を出したそうです。

1900年にデジェリーヌ-アンドレ・トーマは OPCA の症例を 2例報告しています。一例目は診察所見、剖検所見の順に示され、二例目は剖検はされなかったようです。一例目の剖検所見では、「小脳皮質の対称性 (これは虫部よりも半球部に強く、小脳核、すなわち歯状核、室頂核、球状核および栓状核が比較的無傷であるのとコントラストをなしている)」「橋核全体の萎縮と中小脳脚全部の変性 (これに反し歯状核より発する上小脳核は比較的よく保たれている)」「延髄オリーブ核、副オリーブ核、弓状核のきわめて強い萎縮と外側弓状線維および索状体の変性 (錐体と大脳脚は正常よりは小さいが変性は認められない)」といった特徴が正確に記載されています。

診察所見も詳細に記載されており、二例目の平衡変化に関する記述には目を見張ります。まず坐位について記載し、それと同じくらいの分量でそれぞれ起立位、歩行、受動運動を記述していきます。各々の記載がどのように書かれているのか、坐位を例にとって紹介します。彼の観察眼の鋭さが如実に現れています。

 デジェリーヌ-アンドレ・トーマ「オリーブ・橋・小脳萎縮症」

坐位-腰掛にかけさせて、足を地につけさせる。背には支えをおかない。このような状態では、こと前後方向に動くこまやかな動揺を認める。足と膝をくっつけるには少し努力が要る。しかしもっと苦労するのはくっつけたままにしておくことである。事実、患者がその姿勢を保持しようと努力し注意を集中しても、大腿はすぐにふるえはじめ、膝は少しずつひらき、次第次第に外方に向かって行こうとする。

片方の大腿を他方の大腿の上に組み合わせるように命ずると、動作がすむかすまぬうちに少しずつおちてゆき、結局のところ、膝をくっつけたままにしておく場合と同様、この姿勢を保持することができない。

大腿を組み合わせるこの運動のさいに、一方の大腿の他方の上に急にのせようとすると、躯幹はすぐにかなり大きな振幅で動揺し、患者は倒れはしないかと心配する。患者に両足を同時に地面からもちあげるように命じても、倒れることをこわがるので、腰掛から椅子に坐りかえさせると、今度は平衡を失わず身体をあちこちに動揺させることなしに両足をもち上げることができる。両下肢の間、右側または左側におかれたものを、前方や側方によろめくことなしに拾うことができる。しかしこれらの運動のすべてを通じて目立つことは、それらを行う場合の緩慢さ、不確実さ、遅疑逡巡である。さらに両下肢を伸展内転位でもち上げさせると、躯幹と下肢に大きな振幅の動揺がおこる。

腰掛にかけた場合、眼をとじてもあけても同じように振舞うことができる。

足をくっつけたままで坐位から起立位に移ることはできず、前方か側方に倒れてしまう。反対に足をひらくと立ち上がることができるが、それも支えがないときにはきわめて困難である。

坐位だけでこれだけの内容が記述できるのですから、凄いです。起立位では、「両踵の距離は 33cmである」などといった具体的な記述を含め、坐位同様に詳細に記述されています。歩行にはそれ以上の紙面を割いており、受動運動では propulsion, lateropulsionなどの記載があります。

症例提示の次は、過去の報告例、すなわち Menzel や Thomas、他 Marie らが遺伝性小脳疾患との異同を議論し、OPCA の疾患概念が独立したものであることを主張しています。小脳疾患に対する過去の報告は網羅的に検討され、日本の三浦謹之助先生が報告された症例すら検討されています。

論文の最後には、以下のように鮮やかに OPCA の疾患概念を総括しています。

 デジェリーヌ-アンドレ・トーマ「オリーブ・橋・小脳萎縮症」

すなわち解剖学的に、小脳皮質、延髄オリーブ核ならびに橋核の萎縮、中小脳脚全体の変性、索状体の一部の萎縮、小脳中心核が比較的無事であることを特徴とする小脳の一疾患が存在する。そして、これは硬化性でも炎症性でもなく、系統的におこった原発性の変性萎縮 (atrophie primitive degenerative systematique, ni sclereuse, ni inflammatorie) である。臨床的には、それほど特色が明らかでないが、あらゆる種類の小脳萎縮症に共通の小脳症状を呈する。遺伝性でも家族性でも先天的でもなく、高年になって発病する。病因は明らかでなく、原発性の細胞萎縮の範疇に入るものである。われわれはこの疾患をオリーブ・橋・小脳萎縮症と名づけることとする。

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