シューマンの手<2>
以前、シューマンの手<1>と題し、Henson氏らによる後骨間神経麻痺説を元に、長々とシューマンの手の障害の検討をしました。
実は、その後、1991年の Annals of Hand and Upper Limb Surgery という雑誌にシューマンの右手についての論文が掲載されました。Henson氏らの論文とは別の視点から検討しています。
Fahrer M. The right hand of Robert Schumann. Ann Hand Surg 11: 237-240, 1992
論文は、シューマンの病歴から始まります。病歴については以前紹介した Henson氏らの論文に詳しいので、ここでは割愛しようと思います。しかし、シューマンが行った治療については、Henson氏らの論文には書かれておらず、この論文に記載されているので紹介しておきます。
シューマンが Heidelberg に滞在していた頃、1833年に友人のテオドール・テプケンに宛てた手紙に、右手の障害について触れています。シューマンはその後 Leipzig で最初の医師の診察を受けました。更に、Wieck と共に、Dresden で別の医師の診察を受けました。その二人の医師のことは良くわかっていません。しかし数ヶ月間、改善はありませんでした。
次にシューマンは Karl August Kuhl 医師を受診し、「animal baths」という治療を受けました。この治療は、屠殺されたばかりの動物の温もりが残っている間、動物の死体の中に患部を漬けるというものです。そして、日中ブランデーの澱に手を漬け、夜間は草で出来た湿布を使いました。治療は6ヶ月以上も続けられました。
翌年、Schneeberg の Otto 医師はシューマンに電気治療を受けさせました。その後、シューマンはホメオパシー医の Franz Hartmann 医師を訪れ、白い粉を少々と、厳格なダイエット-禁酒とコーヒー断ち-を処方されました。
しかし、いずれの治療も効果がありませんでした。そのため、シューマンはピアニストになる道を諦め、作曲家兼音楽批評家になることに専念するようになったのでした。
論文では、続いてシューマンのどの指が障害されているかの議論がなされます。Henson氏らの論文では、第 2指と第 3指の可能性が高いとされていますが、果たしてどうでしょうか?記録を振り返ってみましょう。
1841-1842年の徴兵に関する医学的証明書によると、シューマンには右第 3指の完全麻痺と右第2指の部分麻痺があり、極度の近視、繰り返す回転性眩暈とともに、軍隊には不適格であると判断されました。この証明書は Moritz Emil Reuter 医師によって記載され、シューマンに 1831年から障害があり、それが機械的器具 (おそらく指を鍛えるための器具) の使用が原因であるとされていました。
この診断書と、「示指に障害が残った (the residual damage was to the index finger.)」というクララ・シューマンの回想に基づいて、Eric Sams は 1829年から 1830年に梅毒の治療としてシューマンに集中的に施された水銀の毒性のせいであるという独創的な仮説を立てました。この興味深い説は多くの事実によって、もっともらしく支持されています。しかしながら、主として傷害されていたのが環指であると長い間信じられていることや、周知のように機械的器具の助けを借りて指の運動を改善するという考えにシューマンがとりつかれていたことと矛盾します。しかも、ピアニスト達に問題を引き起こす唯一の指は、環指なのです。
Heidelberg での日々の間、シューマンと Tropken は、機械的器具で指の運動が改善するか試しました。シューマンの義理の兄弟である Moritz Semmel は、シューマンが指を柔軟に保つために、スプリング付きの鍵盤による音の出ない携帯用キーボードを旅に持参していたことを記載しています。シューマンが Wieck と共に過ごした初期の数ヶ月の間に、手に装着してとても短時間でテクニックを改善するであろう機械装置を発明したことを、我々はシューマンの伝記を最初に書いた Wasiliewski (1858年) によって知っています。Schauffler は 1965年に、この<精巧に作られた器具>を、指を独立させるために練習のあいだ指を中に入れて引っ張っておく吊り紐と描写しています。<これが右の環指に永続する障害を残した。>
Schltz は、Otto Ortmann の「ピアノ演奏の身体的メカニクス」の序文で、そのメカニズムを「第 4指を鍛えるため、天井に取り付けられた加重のかかった滑車 (weighted pulley attached to the ceiling in order to strengthen the forth finger.) 」と記載しました。さらに彼は次のようにコメントしています。「シューマンは、第 4指の強さではなく、指の独立性という基本的な問題を抱えていたので、怪しげな目標を追求した結果、永久にピアニストになれなくなった。伸筋の腱と隣の指を結びつけている腱紐 (vinculae) のせいで独立性に難があり、それは補強により改善するかも知れないが完全に取り除けない身体上の不利であった (40~50年前には、野心家の生徒が時々腱紐を分離するの手術を受けた、これは少なくとも問題の核心に目を向けたものだが、彼らのうちでテクニシャンとして卓越した者を知らない)。」
Kaplanはピアニストにおける伸筋の腱紐の手術の結果について、同じく否定的な意見を持っていました。腱紐切開 (the division of viculae)、正しく言うなら「腱の接合 (tendinous connection)」した後に環指の運動制限が起こる原因は、中指・環指・小指に向かう深指屈筋 (flexor digitorum profundus) の腱と環指・小指の虫様筋の起始の間の腱をつなぐためです。
それでも、著者は伸筋腱の手術が実際にピアノ演奏を改善した二つの記録を調べました。一つはピアニスト (Batty Smith, 1944年) 自身により報告されており、他方は外科医 (Verdan, 1981年) により報告されています。Verdan は、Franz Liszt が同じ手術を受けた事にも言及しています。シューマンはどうだったのでしょうか?
Schauffler は脚注で「尊敬すべきニューヨークの Alfred Mayer医師が、1878年にライプツィヒ大学の研究科生だったときに、シューマンが指を開くために指の間の組織を切ったと話すドイツ人医師の話を聞いた」ことに言及しています。しかしながら、シューマンやリストが伸筋腱の手術を受けたという真の根拠は存在しません。
論文の終わりには、「3つの質問と答え」があります。
①シューマンの不自由な指が作曲家としてのスタイルに影響を与えたか?
多くの他の作曲家のように、彼は鍵盤を使ってしばしば作曲していたでしょう。Schauffler は、シューマンが多くの作曲家と同じようにピアノのための曲をかいたとき、「すばらしくこなれている 」のと「ぎこちなく非ピアノ的 」なのが奇妙に入り交じっているのを不思議に思いました。Schauffler は、「このように混ざり合っているのは、彼の指のアクシデントによるテクニック的なハンディキャップによるものではないかとピアニストの Anne Slade Frey が述べている」と書いてます。確かにその理論は、右環指を骨折して Schauffler に「シューマンのピアノ作品は他の作曲家と比べて、私の不自由な指で演奏しやすい」と書いた弁護士ピアニスト (lawyer-pianist) のおかげで支持を得ています。この記述は、シューマンのピアノ協奏曲には当てはまりますが、1832年以前に作曲された「パピヨン(Papillons)」には当てはまりません。
②示指、中指、環指の障害によって、均しくピアノ演奏は困難になるだろうか?筆跡についてはどうだろうか?
示指や中指の安定なしにものを書くことは事実上不可能です。しかしながら、1832年以降、シューマンは全部で 148曲のうち、大作(オペラ、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、4つの交響曲、ミサ曲)を含む、少なくとも 140曲の作品をペンで書きました。彼はまた、「Neue Zeitchrift fur Musik」を執筆、編集し、数百通の手紙を書きました。Taylor は 1985年に「耐え難いほど不規則で、だらしない筆跡」に言及しましたが、1831年前後での違いを指摘することはできませんでした。
③Moritz Emil Reuter 医師が特に中指と示指が麻痺したことを示唆する記載を医学的証明書にしていること。
Reuter医師 はクララ・シューマンやロベルト・シューマンの親友で、そのころ彼らの結婚の際に立会人になっていました。彼はシューマンが徴兵されて武装したドイツ軍と合流するよりも、自宅で新しい配偶者と過ごすべきで、徴兵されたらそうできなくなってしまうと気にかけていました。偏った考えかもしれませんが、同じ土地でのもっと最近の個人的な経験のように、世紀の変わり目における中央ヨーロッパ軍 (Central European Armies) の徴兵の習わしを考えると、Reuter医師の証明書は割り引いて解釈すべきでしょう。
著者らの考察は、Henson 氏らの論文と同様、どの伝記を信じるかによって、診断が大きく変わるものです。伝記によって、どの指が障害されているかが違うからです。第 4指の障害なら器具による損傷が疑わしいですし、第 2指を主体とした障害なら後骨間神経麻痺が疑わしくなります。また、梅毒の水銀治療の診断であれば、どの指が障害されていても大差ありません。機会があれば、また別の診断をしている論文があるので紹介したいと思います。その前に、数本、シューマン以外の論文の紹介を挟むかもしれません。